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「あんたも難儀な奴だよなぁ」

ふと気付けば私はまた白い世界にいた。地面に座り込んで俯いていたらしく、背後から降ってきた声にはっと顔を上げる。…地面と言っても一面真っ白だから、私が座り込んでいるこれが本当に地面かどうかなんて分からないけど。壁も天井もなければ、空も境界もない。ただただ、白しかない世界。
えぇと。これは多分…というか十中八九、夢だ。思い出した。私はここで松田さんや萩さんと話をした。松田さんに正座させられて怒られて、松田さんを萩さんが宥めてくれて。割れた宝石を見せられて私が壊したものだと言われて、そして二人は少し寂しそうな顔をしていた。また会える、って言っていた。どうして名前が思い出せなかったのかわからないくらい簡単に彼らの名前が思い出せたことに驚く。

「おぉい、聞いてっか?」

再び声がして振り向く。長身を少し屈め、私の顔を覗き込むような形で一人の男性が立っていた。…松田さんと萩さんの姿はない。

「……聞いてます」
「お、ちゃんと返事出来たな。偉いぞ」

私が声を返すと、男性はにかりと笑って私の頭をその大きな手のひらでくしゃくしゃと撫でた。頭を撫でられるなんてそうそうないはずなのに、何故だか少しだけ胸が苦しくなる。…懐かしい、って感覚なのかな。こんなにくしゃくしゃに撫でられるのとは違うけど、優しい手が以前にも私の頭を撫でてくれたような気がする。
乱れた髪の毛を整えてから私は男性を改めて見つめた。綺麗に切りそろえられた短髪と、がっしりとした体。眉毛は太く目つきはやや鋭いが、その顔に浮かんだ笑みから人の良さが見て取れた。

「俺は伊達ってんだ。よろしくな、ミナちゃん」
「…伊達さん。…伊達さんも私のこと、知ってるんですか?」
「おお、それなりにな」

松田さんといい萩さんといい、伊達さんといい。…どうして私のことを知ってるんだろう。その答えが無くした記憶にあるのかな、なんて思いながら、伊達さんが差し出してくれた手を借りて立ち上がる。

「こないだ、松田や萩原と会っただろ」
「お知り合い…?」

これ、私の夢の中…なんだよね?
どうして私の夢の中の登場人物が知り合いなんだ。私の夢だから彼らが私のことを知っているのはまぁわかる。でも登場人物の設定がやたら細すぎるというか…私の脳内はそんな複雑にはできていないはずなんだけどと首を傾げる。

「いろいろあるってことだ。あんた、壊れた宝石見せてもらったか?」

伊達さんの言葉に私は頷く。松田さんが持っていた宝石の欠片。輝きを失いくすんだブルーグレーの石。
伊達さんは私が頷いたのを見ると、何やらポケットを漁って取り出したものを私の目前に差し出した。

「あっ」
「いやぁ、苦労したぜ。見つけられたのは運が良かったとしか言えねぇな」

伊達さんの手にあったのは、松田さんに見せてもらったのと同じブルーグレーの宝石の欠片だった。松田さんが持っていたものとは形も大きさも違う。割れ方も違うようだから、元は同じひとつの宝石だったんだろう。それは松田さんの持っていたものと同じように輝きを失い、くすんでしまっている。
伊達さんはその宝石の欠片をポケットにしまい直すと、軽く肩を竦めた。

「松田にも怒られたろ。…ほんと、あんたは無茶するよなぁ」
「無茶…ですか。…私には心当たりがないんですけど」
「そうまでしてあんたが守りたかったもんは、残念ながら守られてねぇんだよなぁ」
「どういう意味ですか?」

意味がわからずに首を傾げたら、不意にぽん、と後ろから両肩を叩かれて振り向いた。

「まぁ、それはこれから追々ってことにしようぜ、ミナちゃん、伊達」
「萩さん」

いつからそこにいたのか、私のすぐ後ろで萩さんが笑っていた。この人、こないだ松田さんと会った時も突然現れたんだったな。
私が目を瞬かせていると、萩さんは軽くウィンクをして見せた。そんなキザな仕草なのに恐ろしい程様になる。イケメンってすごいな。

「おう、萩原。見つかったか」
「いや、残念ながら」
「ならこんなとこで油売ってねぇで探してこいよ」
「まぁまぁ。ミナちゃんにも時間が必要だろうし、すぐに見つけても仕方ねぇだろ」
「お前なぁ」

松田さんと萩さんの時も思ったけど、萩さんと伊達さんの会話も聞いていてよくわからない。
多分伊達さんが見つかったか、と聞いたのは…松田さんと伊達さんは見つけたらしい、ブルーグレーの宝石の欠片。萩さんはそれを探したけど、まだ見つかっていないということなんだろう。
元々の宝石がどの程度の大きさで、どれくらいの欠片に割れたのかはわからないけど…彼らは、それを全部集めるつもりなのかな。でも、何のために。彼らの言葉を信じるなら、その宝石を壊したのは私ということになるようだけど。
私が、壊したもの。…どうして、壊れてしまったんだろう。どうして壊してしまったんだろう。
割れたブルーグレーの宝石は…私にとって、どんなものだったんだろう。

「あの、それを集めたら…どうなるんですか?」

いくつかに割れてしまった宝石の欠片。それを全部集め終わったらどうなるのか、純粋に気になった。萩さんと伊達さんは私を見て、それから顔を見合わせる。二人の横顔は真剣で、私は思わず唇を軽く噛む。

「…その時どうしたいかを決めるのは俺らじゃなくて、ミナちゃんかな」
「…それってどういう」

萩さんの声は優しいけれど、その言葉はどこか厳しさを滲ませるものだった。
何かを決めるということが私は苦手だ。決断力がない。特に重要なことはなかなかすぐに決められないし、流されてしまうことも多い。そんな私に、決断を迫る時が来るということ、なのだろうか。

「俺達は、これがあんたにとって大切なものだと思ってるから探してるわけだ。けど、それは俺達の主観でしかない」
「そう。実際にそれがミナちゃんにとって大切なものかどうかをジャッジするのは、ミナちゃん自身ってこと」

まぁ、集めたところで元に戻るかはわからないけどねぇ、と萩さんはぼやいた。現実的に考えたら元に戻すのは不可能な気がするけど、ここは夢の中だ。元に戻る可能性もあるということなんだろう。
けど、伊達さんも萩さんも、私が本当に気になっている部分を教えてくれない。私は宝石の欠片が集まったらどうなるのか、を聞いた。それに対する答えは、それを決めるのは私自身、というもの。
意味がわからなくて目を細める。

「…ま、そう深く考えんなって。あれこれ考え過ぎても体に障る。俺達から話すよりも、まずは直接あんたを知ってる連中から話を聞いた方がいいだろ」
「そうそう。ここは、君の夢の中なんだからさ」

私の夢なのに、どうしてこんなにも難解なんだろう。
ゆるりと目を閉じれば、ゆっくりと二人の声が遠ざかっていった。


***


ふと気付くと、薄暗くなった病室の天井が目に入った。
私はどうしたんだっけ、と思いかけて、昼間にコナンくんが来てくれていたのを思い出す。コナンくんの知る私のことを聞いて、安室さんのことを聞いて、私は自分で思っている以上に疲れてしまっていたようだ。
コナンくんが「花瓶の水取り替えてくるね」と出て行ったのを見送ってからの記憶が無い。その後すぐに寝落ちたんだろう。

「……、」

ゆっくりと瞬きをしてから、腕をベッドについて体を起こす。瞬間、腕の傷が引き攣り痛みが走った。

「いっ、」
「…ミナさん?」

痛みに思わず蹲ったタイミングで、ベッドサイドで影が動いたのが見えた。一人だと思っていたから心臓がどくりと胸を打ち、…そこにいた人物の顔が薄らと見えて認識した瞬間に思わず溜息を吐いた。

「…安室さん、いらっしゃってたんですか」

ベッドサイドの椅子に座っていたのは安室さんだった。暗がりの中で、外からの街灯の光に彼の顔が照らされている。

「えぇ、三十分程前に。…痛みますか?」
「…少し力を入れたら痛かっただけです。大丈夫です」
「腕の怪我は大きいんですから、大人しくしてください。何か必要なものがあれば僕が用意しますから」

彼は私の方に手を伸ばし、不安定な背中をそっと支えてくれた。大きな手としっかりした腕に触れられて、不思議と安心感を覚えている自分がいる。
…そう言えば、癇癪を起こして大泣きして、安室さんに慰めてもらいながら寝落ちして…それから安室さんに会うのはこれが初めてだ。いい歳して癇癪を起こしてしまい、挙句子供みたいに泣き喚いて安室さんによしよししてもらったなんて羞恥心が大きすぎる。どんな顔で彼の方を見れば良いかわからず、私はただ俯くしか出来なかった。部屋が薄暗くて良かった。
顔が熱い気がする。
安室さんの腕に促されるまま、私はそのまま再び体をベッドに横たえた。…こんなに寝たままの生活を送っていたら、体が鈍ってしまいそうで心配になる。

「気分はどうですか?何か飲みます?」
「…いえ、大丈夫です」
「そうですか。何かあれば言ってくださいね」

薄暗がりの中でも、彼が優しく笑ったのがわかった。
安室さんは、私に対して不誠実なことは絶対にしないというコナンくんの言葉が蘇る。
安室さんは優しい人だ。接した時間は少しだけだけど、それは私にもわかるような気がする。私のことを心配してくれているのは本当。大事に思ってくれているというのは…正直よくわからないけど。

「…昼間、コナンくんが来ていたんです」
「コナンくんが?彼には朝ポアロで会いましたよ」
「ポアロ?」
「ええ。僕がアルバイトしている喫茶店です」
「安室さんがアルバイト…?」
「毛利蘭さんにはお会いになりましたよね?彼女のお父様が名探偵の毛利小五郎さんでして。僕、実は探偵なんですけど、その毛利先生の弟子なんです。ポアロは毛利探偵事務所のビルの一階にあるので、先生の近くで働けたらと思いまして…そこでアルバイトを」
「安室さん、探偵さんなんですか…!すごい…!」
「僕なんてまだまだ未熟なものですよ」

気付けば、私は安室さんと普通に話をしていた。
彼の話は面白くて、興味深くて。知識量がものすごいから、私が少し質問すればそれに的確な答えを返してくれて。でも、安室さんは私の記憶に関する話題には一切触れようとしなかった。
私と安室さんは、恋人同士だったという。きっと私が今聞いてる話の内容は、安室さんにとって話すのは初めての話題じゃない。でも、私の為に初めて話すかのように振る舞ってくれている…んだと思う。
例えば、趣味とか、得意な料理の話とか。安室さんがボクシングをやっていることや、料理全般得意だけどポアロで出しているハムサンドや半熟ケーキがお客さんからは好評なこと。私は趣味という趣味もないし、私が料理苦手なのは安室さんも知っているので、好きな料理のことを聞いてくれたり。
そんな何気ない会話をしながら、いつしか感じていた気まずさも溶けていて。胸が温かくて、安室さんともっと話をしていたいと思うようになっていた。

「…それじゃ、長々とすみませんでした。ゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうございます。…その、…安室さんもお気を付けて」
「ええ。…また明日」

帰っていく安室さんを見送り、閉じられたドアを見つめながら急に寂しさを覚えて胸が痛くなる。
安室さん。…安室透さん。
会っていたばかりなのに、もう会いたい。


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