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それは、放課後のことだった。
ミナお姉さんが、交通事故に遭って記憶を無くしちゃったんだって、コナンくんから聞いた。
ミナお姉さんにメールを送ってもお返事がないから、どうしたんだろうって思っていたところだ。お仕事忙しいのかな、なんて思っていたのに、交通事故だなんて思っていなかった。
「えぇ?!それじゃあ、僕たちのこともわからないんですか?!」
「そんなわけねぇよな!オレたち少年探偵団の仲間じゃねぇか!」
光彦くんと元太くんが大きな声で言うけど、コナンくんは何も言わないで首を横に振った。その隣にいる哀ちゃんも、何も言ってくれない。二人とも、そんなことないよ、とは言ってくれない。
コナンくんと哀ちゃんがそうだと言ったら、そうなのだ。二人は、歩美たちを悲しませるようなウソは絶対に言わないもん。だからきっと、本当のこと。
「…ねぇ、ミナお姉さん…ケガとか、大丈夫…なの?」
交通事故って、車にぶつかったのかな。死んじゃうようなケガじゃないのかな。ミナお姉さんが歩美たちのことわからなくなっちゃったのはすごく悲しいけど、でももし死んじゃったら、それはもっともっとずっと悲しい。
歩美、ミナお姉さん大好きだもん。やさしくってあたたかくて、お姉さんが笑ってくれると歩美まであったかい気持ちになる。
コナンくんは私を見てちょっとだけ笑って、大丈夫だよ、と言ってくれた。
「腕に大きな怪我をしてるけど、命に別状はないよ」
「…いのちにべつじょう、ってなんだ?」
「死んだりはしないってことですよ」
「良かったぁ…」
死んじゃったら、なんてことは考えなくっていいんだ。
なんだか、すごくすごくミナお姉さんに会いたかった。お見舞いとか行けないのかな。ミナお姉さんに会って、少しでいいからお話ししたかった。
「コナンくん…お見舞い、行っちゃダメかな」
「そうですよ!お見舞い行きましょう!」
「いいなそれ!おみやげに、ポアロのケーキとか買ってこうぜ!」
「ミナさん、きっと喜びますよ!」
「ねっ、コナンくん、いいよね!」
「駄目だ」
はっきりと言われちゃって、少しだけ明るくなりかけた気分も下がる。駄目って、どうして。
「なんでですか!」
「大分回復してきてはいるけど、ミナさんはまだ不安定な状態なんだ。お前らはミナさんを知ってるけど、ミナさんはお前らのことを知らない。騒がしくしてもミナさんを疲れさせるだけだ」
「そんな」
「オレや蘭姉ちゃん…安室さんのことだってわからないんだ。知らない相手と話すのって、結構ストレスになるんだよ」
…コナンくんの言うことはたまによくわからなくなる。そういう時、私は歩美だったら、って考える。
胸に手を当てて目を閉じて、歩美がミナお姉さんのようになってしまったら、って考える。
目の前に、知らない人。自分は知らないのに、その人たちは歩美のことを知っていて話しかけてくる。お友達みたいに話しかけてくるけど、歩美はその人たちのことを知らない。
なんだかすごく、怖いかもしれないと思う。きっと話のことなんかよりも、知らない人だ!ってことで頭がいっぱいになってしまうかも。
歩美たちは子供だけど、大人でも子供でも知らない人が相手なら感じることはきっと同じ。歩美たちかミナお姉さんにいろんな話をすると、ミナお姉さんを困らせてしまうのかもしれない。
でも、だったら。
「初めまして、ってご挨拶するよ」
言ったら、コナンくんや哀ちゃん、元太くんに光彦くんが歩美の方を見た。
「初めまして。私、吉田歩美。…そうやってご挨拶する。それじゃ、ダメかな」
ミナお姉さんが歩美たちのことを知らないなら、また初めましてからお友達になるの。ミナお姉さんが歩美たちのことがわからなくても、歩美たちはちゃんと覚えてるもん。ミナお姉さんはやさしいお姉さんだもん。ま
たお友達にだってなれるはず。
また、最初から始めるの。何度だって、お友達になるの。無くしちゃった思い出は、また歩美たちの一緒に作れると思うから。
ミナお姉さんと、今までどんなことをしたっけ?麻薬取引の調査を一緒にしたし、ミナお姉さんが大怪我をして退院した後におかえりなさいのパーティもした。ポアロで一緒にケーキを食べたり、そうだ、東都水族館にも行ったなぁ。宿題を手伝ってもらって、園子お姉さんの飛行船に乗って…たくさん、たくさんの思い出があって、どれも歩美の大切な宝物。
「歩美たちが持ってるミナお姉さんとの思い出…大切な思い出。ミナお姉さんから貰った思い出だもん。だからね、ミナお姉さんに少しずつ返すの。今度は、歩美たちがミナお姉さんに思い出をあげるの。ミナお姉さん、喜んでくれないかな。…笑ってくれない、かな?」
皆のことがわからないってことは、ひとりぼっちなのと同じなんじゃないかなって思う。ミナお姉さんから、ミナお姉さんのパパやママのお話は聞いたことがないけど…お姉さんが安心していられる誰かが、お姉さんの傍にいたらいいのにって。
だってそんな人考えてみても安室さんくらいしか浮かばない。でも、その安室さんのこともわからないみたいだし…ミナお姉さんが、ひとりぼっちで悲しい思いをしてるんじゃないかってすごく心配になる。
「そう、ですね。…そうですよ。ミナさん初めまして、僕は円谷光彦と言います!僕もそう挨拶します!」
「お、オレだって!小嶋元太だって、初めましてって挨拶出来るぞ!」
「だから、ね。お願い、コナンくん」
だから、少しだけでいいから。ミナお姉さんに会いたい。
顔を上げると、コナンくんと哀ちゃんがじっと歩美の方を見てた。二人の目はとっても静かで、でもふと哀ちゃんがやれやれって感じで小さく息を吐いた。
「…あなたの負けよ、江戸川くん」
諦めなさい、なんて哀ちゃんが言う。
それじゃあ、と思いながらコナンくんを見れば、コナンくんは軽く頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「しゃーねぇなぁ…。…でも、お前らの気持ちはわかったよ。絶対にミナさんを困らせるようなことは言わないこと。ミナさんが教えてと言わない限り、思い出の話はしないこと。守れるか?」
コナンくんの言葉に、私たちは顔を見合わせた。
ミナお姉さんのお見舞いに行ける!そう思うだけで、私たちは嬉しくてたまらない。元太くんも、光彦くんも、目をきらきらさせてる。
「うんっ!約束する!絶対の絶対!」
「そうと決まれば、皆で鶴を折りませんか?折り紙にお手紙を書いて、それを鶴に折るんです!」
「おっ、いいなそれ!さっそくやろうぜ!!」
光彦くんが折り紙を取り出して、私たちは椅子に座ってそれを囲んだ。
折り紙の白い面に、ミナお姉さんへのお手紙を書く。
ミナお姉さん、こんにちは。私は吉田歩美です。帝丹小学校に通う一年生です。ミナお姉さんのおケガが治ったら、一緒に行きたいところがたくさんあります。早く元気になってね。
ミナお姉さんが、早く元気になって退院出来ますように。
***
不格好な折り鶴を手の中で転がしていたら、マグカップが差し出されて顔を上げた。安室さんである。
食べ物や飲み物の制限もなくなったと話したら、私の為に温かいミルクティーを淹れてくださったのだ。折り鶴をシーツの上に置いてお礼を告げながらマグカップを受け取ると、安室さんはベッドサイドの椅子へと腰を下ろした。
「それは?」
安室さんはシーツの上に散らばる四つの折り鶴を指しながら言った。折り鶴は赤、ピンク、緑、青とカラフルだ。
「安室さんが来る前、少年探偵団っていう子供達が来てくれて、お見舞いだってくれたんです。コナンくんと…元太くんに光彦くん、歩美ちゃんって四人で」
「あぁ、少年探偵団の子供たちでしたか。彼らとはどんな話を?」
コナンくん以外は皆知らない子達だった。でも昨日、コナンくんから少年探偵団の話は聞いていたから…あぁ、この子達がそうなのか、と思うことは出来た。
唇を引き結び少し緊張した面持ちで病室に入ってきた子供達を見て、私は少なからず衝撃を受けたのである。
「コナンくんから聞いたんです。私も少年探偵団の一員だったって。あの子達と私の間に面識がないはずがないんです。なのにあの子達、皆で口を揃えて「初めまして」って」
きっとコナンくんから私が記憶を無くしているということを聞いていたんだろう。初めましての挨拶と自己紹介から始まり、私の無くした記憶に関する内容の話は一切しなかった。まだほんの小学生の子供達だ。そんな子供にさえ、私は今気を遣わせてしまっている。
「話した内容は他愛のないものばかりですよ。少年探偵団はどういうものか、とか。子供達が解決した事件の話とか…」
「なかなかに優秀ですからね、あの子達は」
マグカップのミルクティーを口に運ぶ。茶葉の良い香りと、牛乳のまろやかさ、程よい甘さ。私好みの味にほっとした。
安室さんはシーツの上の折り鶴を手に取り、それを私と同じように手の上で転がしている。
「皆、早く元気になってねって。…私、あの子達と仲良しだったんでしょうか」
「…えぇ、とても慕われていましたよ」
「そうですか」
慕われていた。…それは嬉しくも、私には重すぎる言葉だ。
慕われていたのは彼らの知る私であって、今の私ではない。あの子達もコナンくんも、蘭さんや…安室さんも。皆が望んでいるのは「記憶があった頃の私」だ。彼らの思いが今の私に向けられているわけじゃない。
「ミナさん?」
安室さんに声をかけられてはっとする。
マグカップの中のミルクティーに視線を落としたままぼんやりとしてしまっていたらしい。慌てて小さく首を振って笑顔を顔に貼り付ける。
「ご、ごめんなさい、ぼーっとしちゃって…。子供たちと話したら、ちょっと疲れちゃったみたいです」
「大丈夫ですか?少し休んだ方が良いですね。僕もお暇しますから、ゆっくり休んでください」
飲み終わったらマグカップは置いておいてくださいね、なんて言いながら安室さんが立ち上がる。
せっかく安室さんが来てくれたのに、あまり話をすることも出来なかったと気分が沈んだ。あんまりぼーっとしないようにしないと、と思っていたら、ふとドアのところで安室さんが振り返る。
「そうだ。その折り鶴。中に何か書いてあるようですよ」
それじゃ、と部屋を出ていく安室さんを見送り、私は折り鶴へと視線を落とす。
…中に何か書いてある?どういうことだろう。
折り鶴を手に取って光に透かしてみると、確かに中に何か書いてあるようだ。私は折り鶴を破らないようにそっと開いて、息を飲んだ。
ミナねえちゃん、おれはこじまげんたです。こんど、いっしょにうなじゅうくおうな!こじまげんた
ミナさん、ぼくは円谷光彦っていいます。お体おだいじにしてください!こんど、いっしょにドローンを飛ばしましようね!円谷光彦
ミナおねえさん、こんにちは。わたしは吉田歩美です。ていたんしょうがっこうにかよう一ねんせいです。ミナおねえさんのおケガがなおったら、いっしょに行きたいところがたくさんあります。はやく元気になってね。
ミナさん、ボクたちみんな、ミナさんのことが大好きだよ。コナン
涙が溢れた。
ここで目を覚ました時、私は自分が記憶喪失だなんて信じられなかった。だって昨日のことだってはっきり思い出せるし、私の思う昨日がもう何ヶ月も前の話だとか…そんなのは信じられなかった。安室さんも、コナンくんも、蘭さんも、少年探偵団の子供達も。誰一人知らないし、初対面にしか感じられなかった。
けれど私の知り合いだという彼らが私に向ける感情は、どれも嘘ではなかった。確かに私は慕われていたんだろう。そして、私がそれを知らないということは…記憶喪失だというのも、きっと事実なんだろう。その事実を、少しずつではあるが受け止められるようになっていた。
だからこそ、「記憶があった頃の私」に対して複雑な気持ちがある。それは、私がきっと心のどこかで羨望し、渇望していた私の姿だから。
私はきっと幸せだったろう。毎日笑っていたことだろう。でも、私はそうじゃない。望むばかりで、手に入れられない。知らなければ何も思わなかったのに、幸せな私がいた事を知ってしまった。
嬉しい。そして、羨ましい。
記憶があった頃の私が、羨ましくて、妬ましくて、悲しかった。
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