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「それが君の答えだね」

ぽん、と背中を叩かれて顔を上げれば、私のすぐ側にヒロさんが立っていた。ヒロさんは私を見つめて小さく微笑むと、伊達さん、松田さん、萩さんへと視線を移していく。

「遅ェぞ諸伏」
「ごめん。でも、欠片を最後まで持ってこなかった萩も同罪だと思うけど」
「いやいや俺のは故意的というか」
「なんだ、やっぱり隠し持ってたのかお前」

伊達さんと松田さん、萩さんは、ヒロさんを迎えて軽口を叩き合っている。
…やっぱりこの四人は知り合いだったんだ。どういう関係なのかはわからないけど、軽口が叩けるような仲の良さというのは何となくわかる。…なんというか男子高校生のノリというか…そんなこと言ったら失礼かな。怒られそうだから絶対に言わないけど。
三人は、ポケットから取り出したブルーグレーの欠片をヒロさんへと手渡している。そうして全ての欠片を受け取ったヒロさんは私の方を振り返り、欠片を乗せた手のひらを私の方へと差し出した。
宝石は変わらず輝きを失いくすんだまま。四つの欠片が集まったからと言ってくっつくことも無く、壊れたままだ。…これは私の夢なんだから、元通りにならないのは私の想像力が乏しいせいだろうか。夢なら夢らしく、ファンタジーにキラキラって直ってくれても良さそうなものなのに。…まぁ、そんなファンタジーな夢に希望を抱くような年齢でもないのだけど。

「それは、……私の記憶、なんですか?」

何度か聞いたこと。はっきりとは答えてもらえなかったこと。けれど私も、薄々感じていたこと。
今なら、と思いながらヒロさんを真っ直ぐ見据えて問いかける。ヒロさんは片方の手で私の手を取ると、その手のひらに四つの欠片を乗せた。

「壊れた君の記憶を、取り戻す覚悟はあるか?」

あぁ、なんだろう。まるでRPGゲームの主人公にでもなった気分。
ファンタジーな夢に希望を抱くような年齢じゃないと思ったけど、私の夢は随分と夢見がちのようだ。似合わないなと思ったら思わず笑いが込み上げた。
小さく笑う私を見て、目の前の四人がぱちりと目を瞬かせる。

「何笑ってんだよ」
「…ごめんなさい、私の夢なのに随分ファンタジーだなと思って」
「ファンタジー?」
「だって、記憶を取り戻す覚悟とか何とか…RPGゲームの主人公にでもなったみたい」

クスクスと笑う私を四人はぽかんと見つめていたけれど、やがてにやりと笑った萩さんがヒロさんの脇を肘でつついた。

「んじゃあほら、もっと王様っぽく言わないと」
「え、えぇ…?」
「やってやれよ諸伏。おお勇者よ、死んでしまうとは情けないってよ」
「茶化すなよ松田。それにミナちゃんは死んでないだろ!」
「お前、演じるとかそういうの得意だろ。潜入してたくらいだし」
「そういうのは俺じゃなくてゼロの得意分野だよ」

四人のやり取りを見て一頻り笑った私は、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭った。
壊れた私の記憶。そこに秘められているのは酷な現実かもしれない。けれど不思議なもので、それから逃げたいとは思えないのだ。逃げてはいけない気がする。逃げずに、無謀をも奇跡に変えるようなそんな姿に…誰かの姿に、私は憧れていた気がする。

「大丈夫です」

私が顔を上げると、四人は揃ってこちらを見た。
彼らの目は軽口を叩き合っていたというのに真剣で、ほんの少しだけその四人の視線に怯みそうになる。
でもきっと真実というのは、こんなものではない。

「私なら、大丈夫です。全てを見て、知って。…それから、ちゃんと考えて選びます」

はっきりと言葉にして四人を見つめ、彼らがほんの少しだけ微笑んだ顔が見えた瞬間…白の世界が、私達を包み込んだ。


***


目を開けて、私がいたのは…埃っぽい倉庫のような場所だった。倉庫とは言っても物は少なく、大きなコンテナかいくつか積まれているだだっ広い空間。
そこにいるのは…黒ずくめの服に身を包んだ男性二人。それから女性が一人。その三人の視線が集まる先に…安室さんと、二人の私がいた。
そう。私が、二人いるのだ。同じ顔。一人の私は安室さんに縋り付いていて、もう一人の私は腕に怪我を負って倒れ込んだまま動かない。

これは、なんだ。

どくりと心臓が嫌な音を立てる。無意識のうちに呼吸が浅くなって、血の気が引くのがわかった。

──…死にたくない、…死にたくないです……!

安室さんの足元に縋り付く私と、そんな私を冷ややかに見下ろす安室さん。…お見舞いに来てくれるあの人からは想像もつかないほど冷たく、心のない瞳。
安室さんは懐からシルバーで小振りの拳銃を取り出すと、それを倒れたままの私に向け…それから、泣きじゃくるもう一人の私へと向ける。
拳銃を持っているなんて、どういうことだ。拳銃なんてただの一般人は所持できない。銃刀法違反…それに引っ掛からない人物なのか、それとも所持を許される身分なのか。

──バーボン、もういい。面倒だ、両方殺れ
──…疑わしきは罰する…あなたの理念は理解していますが、そう急くこともないでしょう

バーボンって、なんだ。お酒の名前とわかるのに、それをお酒の名前と認識できない。バーボン。その響きに背中が震えて、呼吸が震える。背中を冷たい汗が伝う感触が気持ち悪くて息を飲んだ。
これは夢。夢のはずなのに。

──あの、あのっ!私何もわからないんです…突然連れてこられて、どうしてこんな目に遭っているのか…お願いします、助けてください…!

そう。それは、私の思いだった。
どうしてこんなことになっているんだろう。私は一体、何をしてしまったんだろう。こうならずに済むために、私は何をすれば良かったのか。何がいけなかったのか。
ずきりと頭が痛む。
どうして、どうしてと叫ぶ声が頭の中で響いていた。
腕が生暖かくなってハッとして視線を落とせば、交通事故で負ったという腕の傷が開き、血が溢れ出していた。生温い血液が服に染み込み、そして腕を伝って指先から地面へと落ちていく。

これは、なんだ。

視界の端で、一人の私が動いて…懐から取り出した拳銃を安室さんに向けるのが見えた。瞬間、響く銃声。額から血を流しながら、地面に倒れ込む私の姿。
その体はまるで人形のようで。投げ出された手足は少し変な形になっていて、広がる血溜まりに頭が真っ白になる。
倒れたままだった私が、すぐ側まで転がってきた拳銃に手を伸ばす。初めて握る拳銃の冷たさ、重さ。血に濡れた手は滑り、取り落としそうになる。
そう、そうだ。私は。

「それで、どうするつもりです」

気付けば私は、安室さんの前に座り込んで彼に向けて銃口を向けていた。違う。今私が対峙してるのは安室さんじゃない。…バーボン、彼のもうひとつの名前。

「拳銃もまともに握れない。セーフティの解除すらわかっていないようですね。それで?あなたは、それで僕を撃つと?」
「…あなたを、…撃つなんて…でき、ません」
「そうでしょうね」
「でも、」

私は透さんに何をされても、彼を嫌いになるなんて出来ない。盲目的なわけじゃない。私が彼を嫌いになれないという事実があるだけ。彼の行動には全て意味があると知っているから。
だから私は、彼に殺される訳にはいかなかった。
彼は優しい人だ。私を殺したら、きっとその十字架を一生背負って生きていくだろう。私は彼の足枷にも苦しみにもなりたくない。彼の足枷になるくらいなら、彼に私を殺させるくらいなら、私は。

「何の真似です」
「あなたに、…私は、殺させない」

銃口を自分のこめかみに押し当てながら、はっきりと言葉を告げる。あなたの信念も、心も、思い出も、陰らせたりしない。

「ごめんなさい、私…あなたに、騙されるわけには、いかないんです」

悪を演じても。透さんは、透さんだった。
それに騙されて怯えたら、きっとあなたは傷付くでしょう。傷付いてない振りをしながら、その痛みを抱えて笑顔を浮かべるんでしょう。
何も出来ない私が唯一できる、あなたを守る方法がこれだった。ただ、傷付かないで欲しかった。

「さよなら、ですね」




バチン、と音がしてはっと目を開ける。
先程まで見ていた光景じゃない。私は倉庫にいたはずだけど、今いるのは夜の屋上だ。
寂れたビル…廃ビルだろうか。こんな場所、私は来たことなんてないはずだ。ここは、どこだろう。
宵闇で視界の悪い中ゆっくり歩き出せば、男性の声が聞こえて足を止めた。

──さすがだな、スコッチ

あれは。
暗闇に目が慣れてきて、私の目は二人の男性の姿を捉える。長髪の男性と…その前で拳銃を構えているのは。
あれは、

──拳銃は、お前を撃つために抜いたんじゃない!

ヒロさん。…あれは、ヒロさんだ。
何が起こっているのかわからない。ヒロさんが拳銃を自分の胸に押し当て引き金を引こうとするのを、長髪の男性が掴んで止める。

──自殺は諦めろスコッチ。お前はここで死ぬべき男ではない

自殺。
ヒロさんも、自殺を選ぼうとした?何故?
彼らが何かを話しているけど、声は途切れ途切れでぼやけていてよく聞こえない。そんな中、私の耳は階段を登ってくる足音を拾った。
ヒロさん達もその音に気付き視線を向ける。
長髪の男性の意識が逸れた、ほんの一瞬だった。

「だめ、」

拳銃を構え直したヒロさんの手に、力がこもる。
だめ。引き金を引いてはだめ。どうして、やめて、叫びたいのに急に喉が張り付いて声が出せなくなる。
だめなのに。止めなきゃいけないのに、無情にも夜の闇を割くような銃声が響き渡った。

どうして。

──裏切りには、制裁をもって答える…だったよな?

長髪の男性がそう呟きながら振り向いた先には…息を切らせた様子の、透さんが立っていた。

──スコッチ!!

透さんの声。透さんが、ヒロさんに駆け寄っていく。
血塗れたヒロさんの胸元に耳を寄せる透さんを見ながら、視界がゆらりとぼやけた。
ヒロさんは、自殺したのか。透さんはそんなヒロさんの友達で。そう、だってヒロさんは透さんのことをゼロと呼んでいた。ゼロを頼んだ、よろしくって、いつかの夢で。
胸が裂けるように痛い。苦しい。

「あ、…ッあぁ、ぅあ、」

涙が溢れて止まらない。だって、だってこんなの、あんまりだ。


***


「ぅああー…!!」
「あーあー、泣かした。諸伏、お前のせいだぞ」

苦しい。悲しい。辛い。痛い。
涙が止まらなくて、私はわんわん子供のように声を上げながら泣いた。
自分は透さんを守れてなんかいなかった。伊達さんやヒロさんに言われた通りだ。私が透さんを守ろうとして取った行動は、ただ透さんの傷を抉るだけだった。
苦しくて悲しくて辛くて痛いけど、透さんの苦しみも悲しみも辛さも痛みもこんなもんじゃない。傷付かないで欲しかった。苦しまないで欲しかった。私は、結局守るなんて大層なことを思いながら何も出来なかったどころか、彼に傷を残すことをしてしまった。
私は、生きてる。あの状況でどうして生き残れたのかはわからないけど、透さんが機転を利かせてくれたことは明白だ。私は何度透さんに守られるんだろう。透さんから貰うばっかりで、私は彼に何をすることも出来ない。情けなさともどかしさでぐちゃぐちゃで、ただただ私は苦しみや悲しさを押し流すように泣いた。

「泣くな泣くな。おぉよしよし、悲しいねぇ。大丈夫大丈夫」
「おい萩原、それ降谷にバレたら殺されるぞ」
「もう死んでますぅ」

萩さんが泣きじゃくる私を抱き寄せて、よしよしと頭を撫でてくれる。
悲しい。何も大丈夫じゃない。私はとんでもないことをしでかした。萩さんが最初に言った通りだ。私はなんてことをしたんだろう。独りよがりだ。苦しい。悲しい。なんて愚かしい。

「ミナちゃん、自分を責めるのはそれくらいで。…君はそうやって自分を責めるけど、君は何も悪くないよ」

ヒロさん声に顔を上げる。ヒロさんは優しく笑っていて、手を伸ばすとぽんぽんと私の頭を撫でた。

「…っでも私が、」
「あーうるせぇうるせぇ。結果降谷の古傷抉ることになっただけで、お前がしたことは全部あいつの為だろうが」
「松田、口悪いぞ」
「ミナちゃん、君はどうしたい?」

四人の視線が私へと向けられる。
そうだ。私は選ぶことが出来る。私は真実を見た。真実を知り、記憶を取り戻した。他人事なんかじゃない、ちゃんとした私の記憶だ。
とても辛くて、身を裂かれるような痛みさえ伴う記憶。けれど、私にとって…とても、とてもとても、大切なもの。
蘭ちゃん、あなたの言った通りだった。この記憶は私の宝物。苦しみも痛みも悲しみも全て引っ括めて、私の大切な記憶。
ぐい、と涙を拭って顔を上げる。

「私の記憶です。…これ、持って帰ります」

私の手の中にあったブルーグレーの欠片を見下ろす。欠片はひとつになって…元通りの、宝石へと戻っていた。
私の宝物。透さんの瞳の色。ぎゅうと握り締めて、それを胸へと押し当てる。
せっかく拭った涙はすぐにまた溢れて、目尻から頬を伝い落ちる。

「もう二度と自分の命を粗末にすんな。罰としてお前は降谷を道連れに天寿全うして死ね」

ひでー顔、そう言いながら松田さんが笑って、自分のかけていたサングラスを私にかけた。
視界が不明瞭になって、それでもサングラスの向こう側で四人が微笑んでいるのがわかる。ずび、と鼻水を啜ると、萩さんがそんな私の鼻を軽くつまんだ。

「…生きるってのは、死んだら出来ないことだからさ。あいつ、十字架背負いすぎて傷付いて、それを押し込めて笑うような奴だから…ミナちゃんが傍にいてやってよ」

萩さんが私から体を離し、片目を瞑ってみせる。
そんな萩さんを見て苦笑した伊達さんが、一歩私の前へと歩み寄った。

「せっかく世界を越えたんだ。目一杯幸せになれよ、ミナちゃん。…つーか正直なところ、あいつのこと幸せにしてやってくれ。危なっかしくてたまらねぇからなぁ」

大きな手がくしゃりと私の頭を撫でて、それから涙を優しく拭って離れていく。
そうして、ヒロさんが私の前へと立つ。優しい笑み。きっと、死んでしまうその時まで、ずっと透さんの一番傍にいた人。

「もう、死んでいたら良かったなんて、言わないよな?」
「言いません。…ヒロさん、私」
「うん」
「…生きます。透さんのために何か出来るとか、そんな大層なこと絶対に言えないし、透さんは私なんかがいなくてもきっと生きていける人だけど」
「…いやぁ…」
「ねぇだろ」
「ないな」
「無理だろうなぁ」

微妙な顔をする四人に眉を下げた。
…だって、私なんかが何かを出来るなんて思えない。私は透さんがいないと生きて行けないかもしれないけど、透さんにとってはそうじゃないかもしれない。…自惚れたくないし。
息を吐いて、改めて顔を上げる。

「でも、私、透さんと生きていきたい」

それが、私の気持ち。
わがままでごめんなさい。烏滸がましくてごめんなさい。でも私、やっぱり透さんと生きていきたいんです。
四人は、私の言葉を聞いて優しく笑った。サングラスの向こう側、四人の姿が少しずつ薄れていく。

「改めて頼むよ」

松田さん、萩さん、伊達さんが私に背を向けて歩き出す。
ヒロさんは、私を真っ直ぐに見つめて柔らかく目を細めた。

「ゼロのこと、よろしく」

頼まれました。私がそう答えると、ヒロさんも満足したように頷いて背中を向けた。
薄れゆく四人の姿に手を伸ばす。
その手は、彼らに二度と届くことは無かった。


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