15
とりあえず残りの話は食事を終えてからにしましょう。
安室さんがそう言うので、ひとまずは食事に集中することにした。
お味噌汁を飲んで、白米を口に運ぶ。黙々と食事をする安室さんを見ると、ふと視線が絡んで小さく微笑まれた。見ていられなくて視線を逸らす。
なんというか、安室さんってとても綺麗に食事をするんだよな。綺麗というか、丁寧というか。箸を持つ手が美しい。
前世でどれだけ徳を積んだらこんな非の打ち所のない人間になれるんだろう。もちろん努力だとか苦労だとか、表には見せないものが安室さんという人間を造っているのはわかるんだが、私が言いたいのは見た目の話である。容姿端麗スポーツ万能、学生時代の話は聞いたことがないから分からないが、間違いなく成績優秀だっただろうし。

「…ミナさん」
「っ、はい」
「そんなに見つめられると照れます」

無意識のうちにじっと見つめてしまっていたらしく、苦笑した安室さんに言われてはっとした。慌てて視線を料理に移し食べ進めることに意識を向ける。

「…すみません…。…でも安室さん、照れてないですよね」
「照れますよ。そんなにじっと見られることってあまりありませんし」
「…嘘だぁ…」

平然と言われても信憑性に欠ける。歩美ちゃんが「ポアロに来る女の子に大人気」と教えてくれたから知っているのだ、この人は女性慣れしている。私なんぞにじっと見られたところで照れるような人では無いはずだ。

「また何か変なことを考えているでしょう」
「何も」
「顔に出ていますよ」

楽しげな安室さんに指摘されてほんのり顔が熱くなる。
無視だ、無視。せっかく美味しい料理なんだから温かいうちに食べないと勿体ない。



夕食をとった後は、安室さんが梅昆布茶を淹れてくれた。
梅昆布茶。何故。とても渋いチョイスになんとも言えない表情になる。嫌いではないが、疑問に首を傾げてしまう。

「寝る前は梅昆布茶が良いんですよ。ノンカフェインですし、疲れやストレスの元である乳酸を分解してくれるクエン酸が入っていますから。お疲れでしょう?」

丁寧に安室さんが説明してくれてなるほどと納得する。
ありがたく梅昆布茶を頂き、一口飲んでほうと息を吐いた。美味しい。

「…さて、僕がこの世界に戻ってこれた流れはお話しましたが…あなたの話をお聞きする前に、まずはなにか聞きたいことはありますか?」
「えぇと…安室さんにはコナンくんから連絡があったんですよね?」
「えぇ。佐山ミナという女性は知り合いかと電話が来まして。まさか関わりが無いはずのコナンくんの口から、あなたの名前が出るとは思っていなかったので驚きました。僕は仕事の方ですぐに動ける状態でなかったので、コナンくんにあなたの捜索と保護をお願いしたんです」
「そうだったんですか…」

だとしたら、あちこち歩き回ってしまってコナンくんにも迷惑をかけてしまったなと思う。
それにしても、小学生に人の捜索を頼むなんて少し違和感を感じた。コナンくんは確かに頭の回転も早いようだったし、あの子供たちの中でも随分と大人びて見えた。雰囲気が小学生ではないというか、しっかりし過ぎているというか。けれど、小学生であることに変わりはない。
安室さんが理由もなく小学生に人の捜索を任せるとは思えなかった。

「…あの、コナンくんって…何者、なんでしょう」
「何者、と言うと?」
「普通の小学生に見えないというか…子供らしい言動をしてはいましたけど、確かにどこか落ち着いていて大人びているのはわかります。でも、小学生ですよね。そんなコナンくんに、安室さんはどうして私の捜索を任せたんだろう…って思って」

私の言わんことを理解したのだろう。安室さんが軽く肩を竦めた。

「彼はとても恐ろしい男ですよ。それと同時に、味方であるなら非常に心強い人物でもある。彼ならあなたを見つけてくれると確信していたんです。まだほんの子供ですけどね」

安室さんの賞賛を聞いて、尚更コナンくんは不思議な少年だと思った。安室さんにここまで言わせるなんてなかなかないことだとじゃないだろうか。事実、コナンくんは私のことを見つけてくれた。普通の小学生には無理だと思う。

「すごいですね、コナンくん…」
「ええ、僕も何度も驚かされていますよ。…それじゃあ、今度はあなたの話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」
「はい。…どこから話したら良いかな…」

この世界に来てからというもの、かなり混乱していたから思考もぐちゃぐちゃだった。それを纏めるようにゆっくり考えてから、私は安室さんにこの世界に来てからの話をした。
爆発に巻き込まれて気を失い、気付いたら米花公園で倒れていてコナンくんたちに声を掛けられていたところだったということ。安室さんのスマホでちらりと見たコナンくんの名前を覚えていたから安室さんを知っているか尋ね、色々教えて貰いはしたが連絡先までは聞けなかったこと。季節のズレがあった為駅前の服屋で着替え、どこか知っている場所に行ってみようとしたこと。知っている場所がなかったこと。途方に暮れて、駅前でぼうっとしていたこと。沖矢昴と名乗る男性に声をかけられたこと。
そこまでは時折相槌を打ちながら聞いてくれていた安室さんだったが、不意に顔を顰めて軽く手を上げた。

「いえ。あの。少し待ってください」
「…はい…?」
「少し整理しても?」

片手を上げたまま、もう片方の手で軽く眉間を揉んでいる安室さんに首を傾げる。何か変なことを言っただろうか。安室さんはテーブルに手を下ろし、険しい表情で目を伏せた。

「…駅前でぼんやりとしていたら、男性に声をかけられたと」
「はい」
「長時間同じ場所にいた為か、ここで何をしているのかと問われたと」
「はい」
「その青年の名前が?」
「沖矢昴さんと言っていました」

みしり。
テーブルが何やら嫌な音を立てた気がしたのは私の勘違いだろうか。安室さんから凄まじい怒気のようなものを感じ、思わずひぇ、と小さく悲鳴を上げる。

「…ミナさん」
「は、…はい…」
「あなたの人間関係だとか交友関係に僕は口を出せる立場ではありませんが」
「…はい…」
「沖矢昴という男には気をつけた方が良い」
「…はい…?」
「彼は油断ならない男です、くれぐれも慎重に。…話の腰を折ってしまいすみませんでした。続けてください」

これは、助言とかそういう感じなのだろうか。腑に落ちずに首を傾げる私を見て、安室さんは溜息と共に怒気を流したようだった。
そもそも沖矢さんには突然話しかけられただけであって、私から連絡を取るだとかそういったことはまずないと思っている。慎重にも何も、今後会うこともないのではないだろうか。

「えっと…それから気付いたら米花公園に戻ってきてしまっていて…そこで、コナンくんが来てくれたんです。それからすぐに安室さんも来てくださったので、私がこちらに来てからのことはこれが大体になります」

私がそう締め括ると、安室さんは頷いて視線を上げた。

「それでは、状況の整理をしましょうか。ミナさんの持ち物を確認してもよろしいですか?」

安室さんの言葉に頷くと、少し汚れた自分の鞄を開けて中から財布とスマホを取り出す。
サイスを開けて中からキャッシュカードやクレジットカード、保険証なんかを抜き、テーブルへと広げる。
スマホは一応見てみたが、予想通り圏外の表示になっていた。

「スマートフォンは不通。キャッシュカードやクレジットカードも、こちらでは見ないもの。保険証もこちらの世界では使えないでしょうね」
「ですよね…。丁度まとまったお金を引き出してすぐだったので、路頭に迷うのはしばらく避けられそうでほっとしてます」
「路頭になんて迷うわけがないでしょう。少なくとも、僕がさせませんよ」

さらりと言われる言葉にどきりとするから、不意打ちはやめて欲しい。
でも、安室さんの存在は本当にとても心強かった。安室さんが、私に出会えて幸運だったと言った意味がなんとなくわかった気がする。
最初こそ警戒されてしまったけれど、私もこの世界に来てコナンくんに最初に出会えたのはきっと幸運だったのだ。コナンくんのおかげで安室さんにも再会出来たし、例えば目が覚めた時に一人だったら私はどうしていたかわからない。安室さんに再会出来ないままだった可能性だって充分にあるのだ。

「あなたを元の世界に帰す責任が僕にはあります。帰る方法を探しましょう。 帰る方法が見つかるまで、僕があなたを保護します」
「えっ?そんな、そこまでしていただくわけには…!」
「あなたが僕にしてくれたことをそのままお返しするだけですよ」

何でもないことのように言う安室さんに慌てる。
なんとなく安室さんが忙しい人だと言うのは察していた。そんな人に、私の面倒を見てもらう訳にはいかない。仕事を辞めて自由な時間の多かった私と彼とでは違うのだ。

「ミナさんにお世話になりっぱなしなのは僕の気が済みません。どうか、僕に協力させてはくれませんか。住む場所と立場が逆になっただけだと思ってください」
「す、っ住む場所ってまさか、ここに?!」
「僕名義でアパートを借りても良いですが…」
「もっと駄目です!!」

アパートなんて借りられたらたまったものではない。その賃貸代だって私が元の世界に帰れば返せないのだ。返せないものをそんな軽々といただくわけにはいかない。申し訳なさで埋もれる。

「え、駅前のビジネスホテルとかで…」
「何日も過ごす手持ちがあるなら止めはしませんが…」
「うっ」

安室さんの言う通りだ。私の手持ち金は限られている。ビジネスホテルで過ごすなら、多く見積っても一週間が限界だろう。もちろん食費のことを考えると更に短い期間になる。五日がせいぜいといったところか。
五日間で、帰る方法を見つける。それがどれほど難しいことか、私はよく知っている。
安室さんの場合は、二つの世界の共通点があった。私の元彼である。
共通点があったからトリップのきっかけが掴めたが、私の場合はそれがない。共通点であった私の元彼は、考えたくはないがあの爆発で生きているとは思えない。
トリップのきっかけが絶たれた今、本当にゼロから帰る方法を探さなければならない。
黙って考え込んでしまった私を見て、安室さんが苦笑を浮かべた。

「…ミナさん。あなたはもっと、与えられることに慣れた方がいい」
「与えられること?」
「そんなに難しく考えなくていいんです。あなたが助けた男の恩返しと思ってください」
「恩返しだなんて…だって私何もしてないですし、うちにいた時だって安室さんが家事も請け負ってくれていたじゃないですか」
「お世話になる以上何かしないと気が済まなかったんです。あなたと出会えていなければ、僕はまだあちらの世界でさまよっていたかもしれない。僕はこの世界に帰ってこれた。そして、僕の恩人がそれに巻き込まれてこちらの世界に来てしまった。ならばそれを助けるのは当然のことです」

言葉は強いが、安室さんの声はどこまでも穏やかだった。
この人はどうしてこんなにも優しいのだろう。

「…私がいなくても…安室さんは、きっと自分の手で帰る方法を見つけていたと思います」
「それは、そうでしょうね。僕はこの世界に帰らなければならなかった。その為にはきっとどんなことでもしたと思います。でも、あなたの存在はとても心強かった」

それは、今の私と同じように?
私が安室さんの存在を心強く思うのと同じように、安室さんも私のことをそう思ってくれていたのだろうか。

「もちろん、誓って変なことはしませんよ。帰る方法を探す拠点を、ここにすれば良いと思っているだけです」
「その辺は全く心配してないです、安室さんですもん」
「警戒心の希薄さはそう簡単には治らないか…」

溜息混じりに呟かれた言葉は良く聞き取れなかった。首を傾げれば、安室さんは「なんでもありません」と首を振った。

アパートを借りてもらうのは却下だ。この辺りの家賃の相場が分からないからなんとも言えないが、どっち道安室さんの負担額が大きすぎる。
かと言ってビジネスホテルで生活するのも現実的とは言えない。すぐに帰る方法が見つかれば良いがそう簡単にはいかないだろう。
自分の置かれている状況をよく考えてみる。どうするのが自分にとっても、安室さんにとっても良いのか。

「……あの、それじゃあ…お世話になっても、良いでしょうか」

結果、これしかなかった。
私に出来るのは、安室さんに出来る限り迷惑をかけないように早く帰る方法を見つけることだ。
おずおずと顔を上げた私に、安室さんは笑みを浮かべて頷いた。

「はい。もちろん」

Back Next

戻る