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「そういえばさ」
世良ちゃんとポアロに行くと、透さんと梓さんが出迎えてくれた。ソファー席に案内されて世良ちゃんと腰を下ろし注文を済ませる。世良ちゃんの前にはアイスコーヒー、私の前にはアイスカフェラテが置かれた。
透さんは私と世良ちゃんが一緒に居るのに少し驚いたような顔をしていたけど、図書館で会ったのだと話すと全て察したように笑ってくれた。一口カフェラテを飲んでほうと一息吐いたら、世良ちゃんがカウンターの方にいる透さんをちらりと見やってから私の方に顔を近付けてきたのである。
なんだろうと首を傾げると、世良ちゃんは更に声のトーンを下げて言った。
「あの日買ってたネクタイ、ちゃんと安室さんに渡せたのか?」
「…………あっ、」
あの日買ってたネクタイ、とは、蘭ちゃん達と行ったショッピングモールで買ったものだ。確か蘭ちゃんは工藤くんにぬいぐるみのマスコットキーホルダーを、園子ちゃんは京極さんにスポーツタオルを、世良ちゃんは腕時計を買っていたんだっけ。その時、私も透さんにネクタイとタイピンのセットを購入したんだけど…いろいろあってすっかり忘れてしまっていた。
そういえばあの日から行方がしれない。…あの女性が私に成り代わった時に、捨ててしまったのだろうか。私があの日に持っていた鞄は返してもらったけど、そこに入れて置いたはずのプレゼントは入っていなかった。
「…えっと…ううん。…気付いたら無くしちゃってて」
「無くした?!」
「ちょっと世良ちゃん声が大きい…!」
私達のやり取りを、カウンターから顔を上げた透さんが不思議そうに見ている。…さすがにプレゼントをしようとしていた相手に知られるのは気まずい。へらりと笑うことで誤魔化した私は、そのまま世良ちゃんに視線を戻した。
「まぁ…交通事故に遭って記憶も無くしてそれどころじゃなかったもんな。事故に遭った時にどこかに落としたのかもしれないし…」
「…うん、そうだね」
世良ちゃんに言われる今の今まで忘れたけど、思い出してしまった以上透さんへのプレゼントを紛失してしまったことがショックで少し凹む。
私は透さんにいろんなものをもらってばかりだ。物を返せばいいというわけじゃないと思うけど…それでもあの時手に取った、少しくすんだサックスブルーのネクタイとシルバーのタイピンは…透さんにきっと似合うだろうなと思って買ったものだった。渡せなかったのはやっぱり悲しい。
「…でも、じゃあ、どうする?せっかくプレゼントしようと思ったんだろ?」
「…う、うん…」
お金は惜しくない。彼に似合うと思ったあれが、同じものが手に入るなら良い。でもあの日買ったあのネクタイは私が購入した分で品切れだったようだし、タイピンに至っては一点物だった。
同じものを求めるのは、難しいかもしれない。
「…残念だけど、多分同じものは手に入らないし…今度また改めて、プレゼントを買いに行くよ」
苦笑を浮かべてそう言えば、世良ちゃんはそんな私を見てふむ、と考え込んだようだった。それから不意にスマホを取り出して何やら文字を打ち始める。…メール?
「ミナさん、明日午後とか暇?」
「えっ?う、うん。仕事もお休み中だし、特にこれといった用事はないけど…」
「おっけー、ちょっと待ってね」
世良ちゃんはそれっきり何やらスマホをポチポチと弄っている。なんだろうと首を傾げていたら、ことりと目の前にフルーツタルトの乗ったお皿が二枚置かれて顔を上げる。透さんだった。
「フルーツタルトです」
「わ、わ、美味しそう…!えっ?でも、タルトなんて頼んでないと思うんですけど…」
イチゴやキウイ、ブルーベリーとラズベリー。バナナ、オレンジ…たくさんのフルーツが所狭しと乗せられたタルトの表面はつやつやと光っていて瑞々しく、とっても美味しそうだ。…これも透さんが作ったんだろうか。
世良ちゃんはメールを終えたらしく、タルトと透さんの顔を見比べている。
「試作品なんです。良かったらお二人共試食してください」
「安室さん太っ腹だなぁ…!」
「これ、透さんが?」
「えぇ、ケーキのレパートリーを増やしたいなと思いまして」
ケーキのレパートリーを増やそうと考えてフルーツタルトに手を出してしまったのか…。確かにスポンジケーキと違ってメニューは豊富になるけど、あっさりメニューの考案までやってのけちゃう透さんって本当に何者なんだろう。…探偵さんで、警察官…なんだよね…?お巡りさんがデザートメニュー開発に真剣ってなんだか不思議な気がするけど…でも以前ショートケーキが崩れてしまった事件の時も、半熟ケーキを作って他のお店との差別化も図っていたし。真面目な人はどんなことにも真面目ってことなのかな。
「本当に、いただいてもいいんですか…?!」
「えぇ。良ければ感想も教えていただけると助かります」
こんな美味しそうなタルトを試作品なんて言ってさらりと出してしまうあたり透さんが怖い。今店内には私と世良ちゃんだけだし、サービスしてくれたのだろうか。…そんな甘やかされても良いのだろうか…。世良ちゃんは気にせずに笑みを浮かべてフォークを手にしているけど、私も甘えちゃって良いのかな。
そんな心配が顔に出ていたのだろう。透さんは苦笑して言った。
「ミナさん達だけではなく、後で毛利先生のところにもお届けする予定なので。安心してください」
「えっと…それじゃあ、遠慮なく」
「ミナさん、このタルトすっっごく美味しいよ!安室さんさすがだな」
「お褒めいただけて光栄です」
タルトを口にした世良ちゃんが目を輝かせている。それじゃあ私も、と思いながらタルトにフォークを入れて一口ぱくりと頬張った。
「……っ…!!」
じゅわ、と果汁が溢れて、程よい甘さのカスタードクリームと絡む。タルト生地にはアーモンドパウダーが使われているのか香ばしく、さくさくしていてそれでいてしっとりとした生地とフルーツの食感が絶妙にマッチしている。フルーツ盛りだくさんで見た目も華やか、味はトップレベル。飲み込むのが勿体無い。じっくり味わうように咀嚼してからこくりと飲み込んで、私は傍に佇んだままの透さんを見上げた。
「とっっっても…美味しいです…!」
「ふふ、良かった。今度お店に出そうか考えているんです」
「これは売れるよ!本当にすごく美味しい」
「食べ切ってしまうのが勿体無いよぅ…」
感極まって泣きそう。たかがタルトひとつでと人は笑うかもしれない。けど私にとってこれは、大好きな大好きな彼氏さんが作ったケーキなのだ…!どんな高級店の洋菓子でも敵わない、私が一番好きなポアロのタルトなのだ…!
咀嚼していたタルトを涙とともに飲み込んで、お皿の上に転がったラズベリーを口にして…その強い酸味に目を瞬かせる。これ、ラズベリーじゃない。
「透さん、これラズベリーじゃないですよね?」
「よく気付きましたね。ブラックベリーを入れてみたんです」
「ブラックベリー…?」
「西洋藪苺」
「あっ!」
思い出した。
飛行船ベル・ツリーT世号に乗船した時、ティータイムで出されたケーキに入っていたはず。セイヨウヤブイチゴ…通称ブラックベリーのことは、その時透さんが教えてくれた。確かあの時透さんは吟味するようにじっくり味わっていたけど、こんなところに生かしていたのか…!
「酸味が強いので、それに合わせてカスタードクリームの甘さを調整したんです」
「さ、さすが透さん…!」
酸味が強いからジャムにするのが一般的、って言っていた気がするけど、敢えてジャムにしないでそのままタルトに盛り込んでカスタードクリームの甘さを調節するなんて。…透さんすごい。
「喜んでもらえて良かった。それじゃ、ごゆっくりどうぞ」
私と世良ちゃんの反応を見て満足したのか、透さんはにこりと微笑んでカウンターの向こう側へと戻っていく。…所作のひとつひとつがかっこよくてついついその後ろ姿に見惚れていたら、世良ちゃんが私の目の前でひらひらと手を振った。
「おーい、ミナさん」
「はっ、ご、ごめん」
「…見惚れすぎ」
にしし、と笑う世良ちゃんに頬が熱くなる。…そんなにわかりやすく見惚れていただろうか。恥ずかしい。
世良ちゃんはタルトを頬張りながら、そうそうそう言えば、と言葉を繋げた。
「ミナさん、明日ボクと蘭くん、園子くんと一緒に買い物に行こう」
「えっ?」
先程明日の都合を聞かれたけど、その為だったのだろうか。というか、蘭ちゃんや園子ちゃんも一緒って。
「蘭くんと園子くんには連絡済み。二人とも快く了承したよ」
「えっ、で、でも、明日平日だよ?三人とも学校じゃ…」
「そう。だから学校終わりになっちゃうけどさ。こないだ行ったショッピングモール、もう一度行こう。それで、プレゼントを買い直そうよ」
世良ちゃんの言葉に目を瞬かせる。…さっきのメールは、蘭ちゃんと園子ちゃんに明日の都合を聞くためだったんだろう。わざわざ透さんへのプレゼントを無くしてしまった私の為に。
「…でも、」
「ミナさんだって、ちゃんとプレゼントを渡したいだろ?」
ベタ惚れだもんな、なんて言って世良ちゃんは楽しそうに笑う。…恥ずかしいからやめて欲しい。というか、大人をからかわないで欲しい…いや、世良ちゃんの方が私なんかよりよっぽどしっかりしてる気はするけども。
「あのショッピングモール、紳士服店いくつか入ってるし。ちゃんとしたブランドの店も多いしさ。全く同じものは難しいかもしれないけど、まずは同じものを探してみようよ。思い立ったが吉日って言うだろ?」
「…同じものが見つからなかったら?」
「その時に考える。もしかしたら前買ったのよりも、もっと良いものが見つかるかもしれないし」
ちら、とカウンターの向こう側を見れば、透さんは梓さんと何やら話をしているところだった。
透さんにたくさんのものを貰っているのに、私は彼に何も返せていない。誕生日も知らないし、贈り物をしたいと思っていてもタイミングを逃してしまっていた。だからこないだショッピングモールに行った時、私は私なりに思い切ったつもりだったのだ。結局紛失してしまって渡すことは出来なかったけど、それを悔しいとも思うし…残念だとも思う。だって、やっぱり渡したかったし。
顔を上げると、世良ちゃんはテーブルに頬杖をついてこちらを見つめていた。
彼女のように前向きに考えられるだろうか。同じものを探して、見つからなかったらもっと良いものを見つけようと。
「…それじゃあ、付き合ってもらってもいい、かな?」
「もちろんさ!ボク達も選んだり探すのを手伝うよ!」
あの日選んだ、少しくすんだサックスブルーのネクタイとシルバーのタイピン。…あれと同じか、あれよりも良いものを。
「…うん、じゃあ、お願いします」
「ふふ、任せてよ」
私がぺこりと小さく頭を下げると、世良ちゃんは可愛い八重歯を見せながら笑って頷いた。
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