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沖矢さんの元を出てすぐに蘭ちゃんに連絡した。時刻はお昼を過ぎたところだ。蘭ちゃんからの連絡はすぐに返ってきて、丁度今駅前のスーパーでコナンくんと夕食の買い物中というので合流することにした。料理は苦手だけど、透さんから基本的な部分は少しずつ教えて貰ってるし(主に器具の扱い方だったり掻き混ぜる際のコツだったりと本当に初歩の初歩だけど、いい加減な自炊をしてきた私にとってはまずはそこが肝心なのだ)、せめて少しでもお手伝いをしなければと意気込む。ひとまずは買い物の荷物持ちから、と思いながら駅前のスーパーに向かうと、丁度買い物を終えた蘭ちゃんとコナンくんが自動ドアから出てくるところだった。
土曜日のお昼過ぎ、スーパーはそこそこの混雑具合である。

「蘭ちゃん、コナンくん」
「あ、ミナさん」

声をかけると、蘭ちゃんよりも先にコナンくんが振り向いた。軽く手を振るとコナンくんが振り返してくれて、次いで蘭ちゃんも私に気付く。二人の抱える荷物はなかなか大きい。大量買いだな、と思いながら私は二人に歩み寄った。

「こんにちは、ミナさん」
「こんにちはー!」
「こんにちは蘭ちゃん、コナンくん。大荷物だね、私も持つよ」
「えっ大丈夫ですよ、これくらい何ともないですし」
「いいからいいから。私も少しずつ体動かさないといけないし。体鈍っちゃって」

遠慮する蘭ちゃんとコナンくんの手にあった袋を持ち上げる。ずっとのんびりした生活はとても魅力的ではあったけど、その分今までの日常とは違って体は鈍る一方だった。こういった小さなことから始めていかないと、ただでさえ衰えた体力は戻ってこない。歩くだけならまだいいけど、何せ今の私は100メートルも多分走れない気がする。以前刺されて入院した時も大分体力が落ちたから、その時の感覚でなんとなくわかるのである。

「…それじゃあ、お願いします」
「うん、任せて。今日はお世話になります」
「いいえ!とっても楽しみにしていたので!」

荷物を持って二人と一緒に歩き出す。真上から少し傾いた太陽は容赦なく強い日差しを降り注いでいる。もうすっかり夏だ。もうじき夏休みという行楽シーズンもやって来るし、世の中は賑やかになるんだろうと思う。夏の予定は特に考えていないし、透さんもお仕事があるだろうし私も基本は仕事のはず。社会人ゆえに子供のようには遊べないけど、上手くタイミングが合えば透さんと少し遠出くらいしてみたいな。希望を考えるのはタダだし迷惑にもならない。

「今日の夕食は?」
「ハンバーグです。苦手なものとかあります?」
「ううん、大丈夫。私にもお手伝いさせて」

私がそう言うと、コナンくんがぎょっとしたように私を見上げた。…え、なんだろうその顔は。そんな驚かれるようなこと、私今言ったかな。

「…ミナさん、料理…するの?」
「えっ?」

おずおずと問われて数秒。ほんの少し考えて、コナンくんが何を言わんとしているのかを理解してあぁ、と声を漏らした。
なるほど。私が料理が苦手だということをコナンくんは知っているんだ。だからお手伝いを申し出たことに不安な気持ちになった、というところかな。私のことに関してはきっと透さん辺りから聞いたんだろう。確かに料理苦手な人が料理の手伝いなんて、不安にもなるよなぁ。思わず苦笑した。

「えっとね、料理は苦手。以前一人暮らししてた時もほとんど自炊はしてなかったし…全くしなかったわけじゃないけど、ご飯炊いたりお味噌汁作ったり卵焼いたり、それくらいしかしてないんだ」

恥ずかしいんだけどね、と言うと蘭ちゃんもコナンくんも首を横に振る。

「でも最近は、少しずつ教えて貰って…お料理のお手伝いくらいは出来るようになったかなって思ってるの」
「安室さんに教わってるの?」
「えっ?!あ、え、…う、うん…」

今更隠すことでもないとは思うけどそのものズバリと聞かれてしまうと戸惑ってしまう。…コナンくんには、透さんと一緒に暮らしていることもバレているから本当に今更なんだけど。
…包丁の使い方とか、野菜ごとに切りやすい切り方とか…味付けの程度とか。そういった一つ一つを教えて貰って、透さんと一緒に料理をするのは私の楽しみでもある。…退院してからはまだあまりお手伝いをさせてもらっていないけど、体力が戻ったらまたいろいろ教えてもらいたい。無意識に透さんと一緒に料理をしていた日のことを思い出して顔に熱が上がった。
鏡を見なくても顔が赤くなってることはわかる。誤魔化すように買い物袋を持ち直して、私はぶるぶると頭を振った。

「と、とにかくっ、お手伝いくらいなら問題ないし…蘭ちゃんに料理教えて欲しいし、ね?」

少し食いつくように言うと、蘭ちゃんはぱちぱちと目を瞬かせていたけどやがて満面の笑みで頷いた。



「よぉ!待ってたぜぇミナさん!」
「ご無沙汰してます、毛利さん」

蘭ちゃんは一度食材を三階の自宅の方へと持っていくとのことで、手伝おうとしたのだけど「父が会いたがってるので」と先にコナンくんと一緒に探偵事務所の方に顔を出すことにした。
ドアを開ければ毛利さんが元気よく声をかけてくれる。さぁさぁとソファーを勧められてコナンくんと腰を下ろせば、毛利さんは目の前に座った。

「退院してしばらく経つみてぇだが、もう体の具合は大丈夫なのか?」
「はい、お陰様で。これ、皆さんで召し上がってください」

持ってきた菓子折を手渡せば、毛利さんはほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をしたけど喜んで受け取ってくれた。そんな様子を見たコナンくんに「本当に律儀だよね」と突っ込まれたけど、気持ちは大事なのである。

「すみません、本当はもっと早くにご挨拶に伺わないといけなかったのに」
「何言ってんだよ、体が最優先だろ。こうして元気な姿を見せてくれたんだ、充分ってもんよ。…俺の事も、ちゃんと覚えてくれてるみたいだしな」

記憶喪失のことを言っているんだろう。
入院中、お見舞いに来てくれたのは透さんとコナンくん、蘭ちゃんに、少年探偵団の子供たちだけだった。それは記憶をなくしている私を刺激しないようにという配慮があったからだろうし、そんな状況でいつも以上に心配をかけてしまっていただろうなと心苦しく思う。だからこそ、沖矢さんや毛利さんみたいにさらりと出迎えてくれるのは嬉しいことだ。

「ま、何にせよゆっくりしていけよ。蘭の奴も楽しみにしていたからな」
「ふふ、さっき蘭ちゃん本人からも聞きました。一晩ですがお世話になります」

毛利さんは少しだけ照れ臭そうに笑ったけど、その顔がさっき見た蘭ちゃんの満面の笑みとどこか重なって、あぁ、親子なんだなぁと感じた。


***


蘭ちゃんと一緒にハンバーグを作って四人で食卓を囲んだ後は、コナンくんから順にお風呂に入った。コナンくんの後に私、蘭ちゃんと続き、今は毛利さんが入っているところだ。
蘭ちゃんの宣言通りパジャマもタオルもお借りしてしまって申し訳なく思ったが、何故か蘭ちゃんが嬉しそうなのでまぁいいかとも思う。

「それで、工藤新一くんってどんな人なの?幼馴染なんだよね」

お風呂上がりの火照りを冷ましながら、コナンくんと蘭ちゃんと一緒に三階のリビングでテレビを流し見しつつのんびりしていたところだ。
他愛のない会話をぽつぽつと続けていたけど、私が蘭ちゃんにそう問うと何故かコナンくんが噎せた。なんで。

「えっ、ええっ?新一ですか…?」
「工藤くんに会ったことは無いけど、蘭ちゃんの彼氏さんでしょ?」

「違います!」
「違うよ!」

何故か蘭ちゃんだけでなくコナンくんからも返事が返ってくる。…コナンくん、工藤くんからいろいろ話を聞いていたりするのかな?
にしても、てっきり蘭ちゃんと工藤くんはお付き合いしているものだと思っていたけど違うのか。…でも蘭ちゃんの頬の赤らみ具合を見ると、それらしい出来事は何かあったんじゃないかなぁ。ふふ、と小さく笑うと蘭ちゃんにじとりと睨まれた。

「彼氏さんじゃないのかぁ」
「…その、……えっと、…まぁ、」
「告白は?」
「………され、……ました、けど…」

ともすれば、ぷしゅーと音がしそうな程に蘭ちゃんの顔は赤くなっていく。あんまり突っ込んで聞くのも失礼かなと思いつつも、何だか初々しくてつい聞きたくなってしまう。

「その話、詳しく聞きたいなぁ」
「も、もうっ!ミナさんからかってるんでしょう!」
「からかってないよ、微笑ましいなって」

蘭ちゃんも工藤くんもまだ高校生だ。蘭ちゃんの様子から、告白はされたけどまだ返事をしていない、という感じかな。でも、蘭ちゃんが工藤くんのことを大切に思っているのは傍から見ていてもわかる。実際に工藤くんのことを知らない私が感じるのだから、その気持ちは間違いなく本物だろうと思う。
それって、とっても素敵なことだ。不思議なことに、工藤くんのことを知らないにも関わらず、工藤くんも蘭ちゃんのことをとても大切に思っているんだろうなと感じる。なんだろう、実はすぐ傍にいるような…本当に不思議なんだけど。

「ね、コナンくんは工藤くんと親戚なんだよね?どんな人なの?」
「し、新一兄ちゃんは…蘭姉ちゃんの幼馴染だよ…」
「…それは知ってるよぉ」

どうして目を逸らすのだろうか、この子は。いつものコナンくんらしくないというか、いつものズバッとした勢いがないというか。
蘭ちゃんは赤い頬を押さえながら目を泳がせていたけど、ゆっくりと口を開いた。

「新一は…推理オタクですよ。東の高校生探偵なんて言われてるけど、実際はホームズオタクで謎オタク、推理オタクです」

工藤くん、ものすごい言われようだな。コナンくんも表情を引き攣らせている。

「へぇ、シャーロキアンなんだ」
「もうすごいんですよ!話し始めたら止まらないというか…トロピカルランドに遊びに行った時もずっとホームズの話してて」
「ふうん」
「…ミナさん、何でそんなにこにこしてるんですか」
「んーん、微笑ましくって」
「もう!真面目に聞いてます?!」
「聞いてるよ、二人でトロピカルランドに出かけるくらい仲が良いんだなって」

幼馴染だからこそ言い方がきつくなることもあるだろうけど、でもそんな口が叩けるような仲であるという証拠だ。深い絆があるだろうことはわかる。
いいな、素敵な恋をしてるんだな。ぽかぽかと胸が暖かくなって頬は緩む。そんな私を見たコナンくんが、口を尖らせながら顔を上げた。

「蘭姉ちゃんと新一兄ちゃんのことばっかり聞くのはフェアじゃないよ。ボク気になってたんだけど、ミナさんと安室さん、どっちが先に告白したの?」
「へっ?!」
「恋人同士でしょ?」

思ってもみなかった方向からとんでもない豪速球を投げられた気分になって目を剥いた。

「そうですよ、私だって聞きたいんですから!ミナさんと安室さんの話!」
「えっ、ええっ?」
「ねぇねぇいつ付き合い始めたの?いつ告白だったの?」
「ま、待って」
「告白はミナさんから?安室さんから?」

いやさすがに二対一はずるくないですか。
蘭ちゃんとコナンくんの猛攻に私はただたじたじになるしかない。二人の目はそれはもう真剣で、私が答えるまでは引かないという意思が見て取れる。
う、と言葉に詰まって視線を落とす。顔が熱い。

「……告白は、その……どっちとも言えないと言いますか…」
「どっちとも言えない?」

安室さんは、私が自分に好意を持っていることに多分大分前から気付いていたんだと思う。明確な意思を示さなかった私に、好きになっても良いかと聞いたのは安室さんが先だ。でも、実際に好きだと伝えたのは私だった。怪我した安室さんを前にいてもたってもいられなくて勢いのまま告げてしまって…それから、彼も私のことを。

ミナさん、あなたが好きです。…あなたを、愛しています。

あの時のことを思い出して顔どころか首とか耳まで熱くなる。血と汗に塗れた告白だったけど、でもあの瞬間が…私はとっても大切で、とても愛おしく思う。

「…か、勘弁してください…」
「ダメです!今日は逃がしませんよ、しっかり話を聞かせてもらうんだから!」
「いつから付き合ってたの?無人探査機はくちょうの一件の後は、もう付き合ってたよね」

まさしくそのタイミングだったんだけど。…でも、あの時あの勢いのままに告げられて良かったとも思う。火照った顔をそのままに、私はゆっくりと目を細める。
気持ちは、いつでも伝えられるものでは無い。自分がいて、相手がいて、双方が成り立つからこそ伝えられることだ。どちらが欠けても成り立ちはしない。気持ちを伝えることも…好きな人と幸せに過ごすことも。

「……好きになってもいいですか、って、透さんに言われたのが最初だったかな」

ぽつり、と呟くように言えば、蘭ちゃんとコナンくんはぱちりと目を瞬かせた。

「私はずっと、透さんのことが好きだったよ。でもほら、…彼はかっこよくて、なんでも出来て、完璧で。私みたいな人間が、隣に並び立てるような人じゃないってずっと思ってた。だから、透さんからそう言われてすごく嬉しかったけど…それでじゃあお付き合いしましょうとはなれなかった」

そもそも、好きになっても良いかというのは結構曖昧な言葉だと思う。
現状好きでいてくれてその気持ちを表面上に出しても良いかという意味なのか…言葉の通り、これから好きになっても良いかという問いなのか。なんてぐちゃぐちゃ考えてしまうのは、私に自信が無いからなんだけど。

「私は昔から人に流されやすくて、弱い人間だったから。透さんに好きになってもらうなら…彼に好きになって貰えるような女性にならなきゃって思った」
「ミナさん…」
「自分に自信がついたら、気持ちを伝えようとは思ってたよ。けど、透さんの隣に胸を張って立てるなんて思えることはなかった」

自分に自信が持てるなんてことはきっと、私には無いことなんだと思う。
昔の自分よりは前に進めている気はする。けど、私の好きな人は私よりもずっと前の方にいて…私がいくら走っても、その倍の速さで先に進んでしまうような人。彼の隣に自分が…なんて、烏滸がましくてとんでもない。

「でもね」

でも。

「気持ちって、いつでも伝えられることじゃないの」

いつでも言えるから、伝えられるからと先延ばしにして…そのまま手が届かなくなってしまう可能性があることを、私は知ってしまった。

「透さん、大怪我したの。本人は大したことないって言ってたけど血もたくさん流れてて、ボロボロで。そんな彼を見た時…死んじゃうんじゃないか、ってすごく怖くなった。すごく、すごく」

死んでしまったら…会うことは愚か、言葉を、気持ちを伝えることだって出来なくなる。それはとても恐ろしいことだ。

「言葉なんていつでも言える、気持ちなんていつでも伝えられる…そんなのは、ウソ。人はいついなくなるかわからない。いつ届かなくなってしまうかもしれない。そうなってからじゃ、遅いんだよ」

顔を上げると、蘭ちゃんとコナンくんがじっと私のことを見つめていた。
気持ちの伝え方は言葉だけじゃない、行動でだって示せる。互いに気持ちが通じ合えればそれでいい。大切なのは、その気持ちを伝えること。気持ちが伝わらないままで終わらせないこと。

「だから、言ったの。好きですって」

透さんの隣に自信を持って立てるような人間じゃないけど、透さんに好きになって貰えるような女性じゃないけど。
透さん。私の大切な人。最愛の、人。彼のことを考えるだけで胸がぽかぽかしてくる。大好きで、大好きで、たまらない人。

「蘭ちゃんも、コナンくんも…後悔しちゃだめだよ。後悔しないように、…好きな人に限らず、友達や家族や大切な人達皆に…きちんと気持ちを伝えるようにしてね」

二人は私なんかよりずっとしっかりしてるから、そんな心配もないだろうけど。
でも、悲しい思いも後悔も、出来る限りしないように生きて欲しいと願うのだ。


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