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「え?阿笠博士のお家に?」

朝食のおかずである卵焼きを口に運びながら、私は首を傾げる透さんに頷きを返した。
今日の朝食は鮭の塩焼きにゴマ入りの卵焼き、それからお味噌汁にほかほかの白米だ。今日の朝食は私もお手伝いをさせてもらった。…とは言っても、卵をといたりご飯をよそったり食器を運んだりと、大したことはしていないのだけど。今日も今日とて、透さんの作るご飯は絶品である。

「そうなんです。子供達も夏休みに入って今日阿笠博士の家に呼ばれてるみたいで、私も誘われたんですけど」
「あぁ…世間はもうそんな時期ですか。七月も下旬ですもんね。道理で最近親子連れをよく見かけるわけだ」
「行楽シーズン到来ですよ」

最近、平日にも関わらず街中で子供の姿を見かけることが増えた。少年探偵団の子供達に言われて夏休みに入ったことを知ったのだが、夏休みなんてもう遠くの記憶すぎて苦笑する。

「阿笠博士に渡すものもあるから、なんて言われたし、久し振りに子供達とゆっくり会えるし、どうせなら行こうかなと思いまして」
「良いと思いますよ。僕も今日は車で行くところがあるので、近くまで送っていきましょう。…それにしても、渡すものとは?」
「あぁ…えっと、多分防犯グッズ、だと思います」
「防犯グッズ」

何やらいろいろなことに巻き込まれて生傷の絶えない私を心配した阿笠博士が、何か役立つ道具を、と言っていたのは記憶に新しい。コナンくんが後押しするように防犯グッズみたいなものがあった方がいいなんて言い出して、それっきりどうなったかわからなかったけれど多分いろいろと完成したんだろう。
阿笠博士の発明品はどれもすごいものばかりだし(コナンくんによれば失敗作は失敗作で酷いらしいが)、せめて何かお礼をと思うもののお金は受け取ってもらえない。今日も菓子折かなぁと思いながら、駅前の洋菓子店をいくつか思い浮かべた。
…それにしても透さん、わざわざ車でどこに行くんだろう。探偵の方のお仕事か…本職、の方だろうか。

「あの阿笠博士が作るとなるとどんな防犯グッズが飛び出すか見物ですが…でもまぁ、防犯グッズを所持していた方が良い、というのは僕も同意見ですね」

う。透さんにもたくさん心配をかけてしまっている自覚があるだけに何も言うことが出来ない。…でも私ってそんなに危なっかしいかな。
…刺されて入院して、銃弾の雨の降り注ぐ観覧車の崩壊に巻き込まれて、拉致されて危うく死にかけて、スマホは暴発して怪我するし、仕舞いにはなんだか危ない組織の人達に殺されそうになった。充分危なっかしい事実に頭を抱えたくなる。
違う…私が危なっかしいと言うよりは、この世界が、いや、この街が危ないというのが正しいんじゃないのか。なんていうのは責任転嫁と言うのだろうか。でもなんだか納得がいかない。

「そんな難しい顔をしないでください。心配なんですよ」
「透さん」
「あなたは少し目を離してしまった間にでも危ない目に遭っていたりしますから。…誤解しないでください、それが悪いと言ってるわけじゃないんですよ?あなたが元いた世界とこの世界ではやはり違うことも多いですし、あなたの世界はここと比べてとても平和だった」

事件の数も死者の数も比べ物にならない、と透さんは言う。その通りだと私も思う。
この世界ではただ歩いてるだけでも事件に遭遇する確率が高い。もちろん私の世界でも当然ながらそういう危険はあったけど、でも観覧車が崩壊するような事件なんて私が知る限りなかったし…なんていうか、言葉にすると難しいけど、とにかく空気が違うというか…危険なのが日常、とでも言うのだろうか。
この世界にも大分慣れて、事件が起こっていちいちビクビクしたり驚く度合いも大分少なくなったとは思うけど、冷静に考えてみるとやっぱり異常と言わざるを得ない。日々どこかで人が死んでいる。悲しくも当然のことを、ここまで身近に感じる日が来るとは思っていなかったな。

「だから、出来る限りの防犯はして欲しいんです。僕はあなたのことを出来る限り守りたいと思っていますが、いつでもあなたの傍にいられるわけではありませんからね」
「…な、…なんだか、照れます」
「照れるところじゃないですよ」

好きな人に真正面から守りたいなんて言われて、照れないわけがない。照れるところじゃないなんて無茶を言わないで欲しい。ぽっと熱くなった頬を誤魔化すようにお味噌汁を啜った。

「…だってそんな、……好きな人、に…守りたいなんて言われて…照れない方が、おかしい…」

最後の方はかなり尻すぼみになってぼそぼそとした声になってしまったけど、透さんにはしっかり聞こえていたらしい。透さんはぽかんと口を開けて目を瞬かせたけど、すぐに肩を震わせてくすくすと笑い出した。恥ずかしいからやめて欲しい。

「ふ、…ふふ、…そうですね、確かに。ミナさんは、僕に守りたいと言われて照れるんですね」
「恥ずかしいから繰り返さなくていいですし」
「守りたいですよ。あなたのこと」

あまりに甘い声にびくりと肩が震えた。
ちら、と視線を上げると、テーブルに頬杖をついた透さんが柔らかく笑いながらこちらを見つめていた。かぁ、と体が熱くなる。

「僕は、守りたいです。ミナさんのこと。…ずっと傍にいて、ずっと守っていきたい」

そんな、甘い瞳で、甘い声で、甘い表情で、私のことをくすぐらないで欲しい。羞恥に体が震えそうになって、私はそのままお味噌汁を飲み干した。まだ熱かったお味噌汁が舌から喉を刺激する。ちょっとヒリヒリして痛い。

「…わ、…私だって…透さんのこと、…守りたい…です…」

私に何が出来るんだという話だけど。でも、守られるだけなのは嫌だ。出来ることは少なくても…甘えているだけの人間にはなりたくない。大口なんて叩けないのは重々承知だけど、要は気持ちの問題である。
小さいながらも私が呟けば、透さんはぱちぱちと目を瞬かせてからすぐに優しく笑った。

「ふふ、照れますね」
「……嘘だ」
「嘘じゃないです。好きな人に守りたいと言われて、照れない方がおかしいでしょう?」

私の言葉を借りてそんなことを言う透さんは、やっぱり照れているようには見えなくて。でもその瞳が穏やかに揺れているから、まぁいいかなんて思う。

「…嬉しいですよ。ミナさんが、僕のことを守ってくれるんでしょう?」

本当に透さんが嬉しそうに笑ってくれるから、心がじんわりと疼いてたまらなくなる。
あぁ、なんて穏やかで幸せな時間だろう。
胸がぽかぽかする。


***


一度駅前に寄って菓子折を購入し、その後透さんは私を阿笠博士のお家の近くまで車で送り届けると、そのまま今日の夜は少し遅くなると告げて行ってしまった。どの程度遅くなるかはわからないけど、あまりに遅くなるようならわかった時点で連絡をくれると言っていたし、夕食のことはまた後で考えようと思いながら歩き出す。
本当に透さんは忙しい人だ。…普通に考えて警察官で、でも喫茶店で働きながら探偵業もこなし、更には犯罪組織への潜入も行っている…としたら、とんでもない忙しさであることは容易に想像できる。夜はなるべく帰ってきて私と一緒に夕飯を食べて眠ってくれるけど、それも彼自身の生活に無理をさせてしまっているんじゃないかと不安になった。
忙しいなら無理にでも休んでもらった方がいいから、むしろ私の存在が休まなくては行けない状況を作り出しているなら…結果としては良いのかもしれないけど…。
うーんと考えながら、ひとまずは目の前のことに意識を向けようと思い顔を上げる。阿笠博士のお家のチャイムを鳴らせば、すぐにドアが開いて博士が顔を覗かせた。

「おはようございます、阿笠博士」
「おぉ、ミナさん!待っておったよ。コナンくんに次いで二番目の到着じゃな」
「あれ、子供達はまだ来てないんですか?」
「うむ。君には先に渡すものもあったし丁度良かったのう」

阿笠博士に手招かれるまま門を潜り、お家へとお邪魔する。
リビングで待っているように言われてリビングに向かえば、ソファーに座ってテレビを見ている哀ちゃんとコナンくんの姿があった。哀ちゃんは可愛らしいキャミソール、コナンくんはオレンジのTシャツにベストを着ている。すっかり夏だなぁ。

「あら、ミナさん」
「おはよう、コナンくん、哀ちゃん」
「早かったね。あいつらまだ来てないよ」
「うん、博士から聞いた」

コナンくんの隣に腰を下ろして一息。車で送ってもらったけど、少し外を歩いただけでもじんわりと汗が浮かんでいる。テレビでは今日の気温は三十度まで上がるなんて予報が流れていて、今後まだまだ暑くなることを考えれば三十度なんて涼しい方かもしれないと肩を落とした。

「待たせたのう」

程なくして、阿笠博士が戻ってきた。その手には手帳サイズのポーチが握られている。博士はこちらに歩み寄ると私の向かい側、哀ちゃんの隣へと腰を下ろし、ポーチを開けてそこから何やら細々としたものを色々と取り出した。思わず身を乗り出して真剣に見つめてしまう。

「まずはこれじゃの。腕時計型ライト」
「ライト?」
「ボク達も皆持ってるんだ」

コナンくんが丁寧に教えてくれる。見た目は普通の腕時計だけど、ボタンを捻ると文字盤の部分が懐中電灯になる。すごい、ものすごく防犯グッズっぽい…!

「ただし、あんまり長時間はバッテリーがもたないから注意して」
「わ、わかった」

神妙な顔で頷くと、コナンくんが小さく笑った。
それから、ふと目に付いたバングルのようなものを手に取る。シルバーで出来た太めのバングルみたいで表面はつるりとしているけど、一箇所オシャレな金具がついている。

「…これは?」
「それはコナンくんが持っとる伸縮性サスペンダーと同じものじゃ。伸縮性ベルト入りバングルじゃよ」
「しんしゅくせいさすぺんだー?しんしゅくべるといりばんぐる?」
「コレだよ」

そう言ってコナンくんが取り出したのは、何の変哲もないサスペンダー。だけど話を聞くと形状記憶素材を使っていて、ボタン一つで伸び縮みするという。
試しにバングルの金具を言われるままに引っ張ってみると、するすると黒いベルトが伸び始めた。バングルについてるボタンを押すと、またしゅるしゅると戻っていく。なんだか採寸するときのメジャーみたい。何かあった時のためにと入れてくれたけど、いつどこで役に立つのかはちょっと私にはわからない。…コナンくんが愛用しているくらいだから、きっと使い道は沢山あるんだろうけど。デザイン自体はオシャレなので、普通にアクセサリーとしても身に付けられそうだ。

「…で、腕時計型ライトと伸縮性ベルト入りバングルはまぁいいとして…博士、これは?」

コナンくんが呆れたような顔で手に取ったのは、手のひらサイズの棒のようなもの。細長いカプセルのような形だけど…一体なんだろ。

「これって小型エアーボンベだろ?必要なのか?」
「いつ何時どんなことが起こるかわからんじゃろ。念には念を、備えあれば憂いなしじゃよ」
「…エアーボンベ…?」

この小さな棒が?と眉を寄せると、コナンくんが棒の両端をつまんで引っ張った。すると、中心部から突起が現れる。

「使う時はこうするんだ。両端を引いて、真ん中の部分をくわえれば十分間酸素が吸える」
「コナンくんは使ったことあるの?」
「まぁね。…必要な場面が出てくるとは思わないけど、念の為ってことなら持っていてもいいのかな…」
「ワシが説明せんでも、コナンくんが全部説明してくれたのう」

阿笠博士が苦笑するのを見て首を横に振る。説明してくれたのはコナンくんだけど、こんなすごい発明品を作ったのは阿笠博士だ。博士の言う通り、備えあれば憂いなし。どこかで役に立つかもしれない。
コナンくんはエアーボンベの両端を戻して、その三つのアイテムをポーチにしまうとそれを私に手渡す。それを受け取りながら、私は博士に視線を向けた。

「ありがとうございます。なんだかすごいものたくさんいただいちゃって」
「いいんじゃよ。ホームセンターなんぞでは買えないような防犯グッズを詰めたつもりじゃ。必要な時には役立ててくれ」
「はい。大事にします」

鞄にポーチをしまい込む。
防犯グッズが必要にならないのが一番だけど、いざと言う時のための備えは必要だ。三つのアイテムがとても心強い。博士には感謝してもしきれないな、と思いながら、はっとして駅前で買った菓子折を博士に差し出した。

「こんなものなんですけど、お礼です。皆で食べてください」
「そんな、気を遣わんでもいいのに。…でも、ありがとう。後で子供達が来たら皆で食べようかの」

ニコニコと笑う博士が菓子折をキッチンの方に持っていくのを見つめていたら、哀ちゃんが溜息を吐いて「博士に甘いものを与えるべからず、よ」と呟いたのが聞こえた。


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