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快斗くんにメールを送ったが、結局返事が無いまま二日経ってしまった。ネットニュースは日本に憧れた向日葵展≠フことで持ち切りで、それに伴ってニューヨークの記者会見の現場に現れたキッドの記事も多数上がっている。

「フィンセント・ファン・ゴッホのひまわり、ですか」

私が洗った泡だらけの食器を洗い流しながら、透さんが小さく呟いた。
朝食を食べ終え、今日は一日オフだという透さんと一緒に食器洗いをしている。丸一日オフだなんて珍しいな、と思うけど…恐らくそう言っているだけで、やることはたくさんあるんだろうな。そういう人だ。
私が洗って、透さんが水で流す。隣に立ちながら他愛のない話をしていたのだが、ふとどんな流れだったかひまわり展の話になったのである。

「ゴッホは、私の世界にも存在した人物なんです。有名な画家で…ひまわりという作品が七点存在したところも、二点目のひまわりが芦屋で焼失したというところも、同じ。…ただ、二点目のひまわりが現存したという事実はありませんでした」
「なるほど。…もしかしたら自分の世界で見たかもしれない未来を、違う世界で目にしてしまったと。…そんなところでしょうか」

泡だらけの食器を手渡せば、透さんが丁寧に洗い流してくれる。二人分の食器なんてそもそもそんなに多くないし、更に二人で洗い物をしていたらすぐに終わってしまう。最後の一枚を手渡せば、透さんがそれを洗い流して水切りラックへと立て掛けた。

「怪盗キッドのことも、騒ぎになっていますしね。彼は宝石だけを狙うというイメージが強いですが…八年間の沈黙を破って復活した当初は、絵画や彫刻など様々な美術品を狙っていたんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。ある時からビッグジュエルと呼ばれる宝石だけに標的を変えたようでしたけど。…僕も怪盗は専門外なので、あまり詳しい話はわかりませんが」

快斗くんからそういった話は聞いたことがなかった。初耳である。
絵画や彫刻を狙うのをやめて宝石だけを狙うようになった理由は、本人から聞いた通りパンドラだろう。でもじゃあ、パンドラを探すという理由が出来る前は絵画や彫刻に手を出していた?その頃は、お父様が亡くなった原因を詳しく知らなかったのだろうか。その辺は踏み込みすぎになる領域のことなので、私から聞くことは出来ないけれど。

不意にポケットに入れていたスマートフォンが何かの通知で震え出した。タオルで手を拭いてポケットからスマホを取り出し、通知欄に表示されていた見出しに眉を寄せる。

幻のひまわりを乗せた飛行機爆発炎上。鈴木次郎吉氏始め死傷者無し

幻のひまわりを乗せた飛行機って。次郎吉さんの名前があるということは、十中八九園子ちゃんも乗っていたはずだ。死傷者無しとのことだけど、急に不安になって背中が冷えた。

「どうしました?」

私の様子に違和感を感じたのか、透さんがそっと声をかけながら私の手元を覗き込んでくる。透さんにも見えるように通知欄からニュースの記事を開いて見れば、飛行機の貨物室外壁に爆弾が仕掛けられていた痕跡があり、そのことから行方がわからなくなった担当整備士を捜索中との記載があった。
その記事から関連記事一覧に飛んでみれば、ひまわりを乗せた飛行機が緊急着陸!大惨事はキッドの仕業?≠竅A所蔵先オーナー貸出渋る、ひまわり展開催危うし≠ネどの記事が並んでいる。
…穏やかじゃないな。

「…園子ちゃん、大丈夫かな…」
「連絡をしてみたらいかがでしょう。死傷者は無しとのことですし、大丈夫だとは思いますが…園子さんも、ミナさんから連絡をもらったら喜ぶと思いますよ」
「…そうでしょうか」
「ええ。…少なくとも僕は、嬉しかったですからね」

そう言って透さんは少しだけ笑った。
…嬉しかったって、なんのことだろう。目を瞬かせて小さく首を傾げれば、透さんは軽く肩を竦めた。

「国際会議場の爆発の時。…防犯カメラの映像を見て、心配のメールをくれたでしょう」
「あ、」
「訳あってあなたのメールの内容に触れた返事は出来ませんでしたが…心配して貰えるというのは、純粋に嬉しいものですよ」

そっか。
…あの時のメール、迷惑じゃないかと不安にもなったけど…それでも、心配しているという気持ちはきちんと受け取ってもらえていたんだ。そのことに今更ながらほっとする。
死傷者は出なかったのかもしれないが、怪我をしていないとは限らない。さすがに電話は迷惑かもしれないけど、メールなら大丈夫だろう。

「…後で、メールしてみます」
「それがいいですよ。…今日、毛利先生のところに言ってひまわり展のことについてもいろいろと伺おうと思ってるんですが、ミナさんも来ますか?」

キッドのこともありますし、と続ける透さんを見上げる。…私がキッドのことを気にしてるのを見て、きっと気を遣わせてしまっているんだろうな。
快斗くんのことは、確かに気になる。ネットニュースの記事を見てみれば、無事に戻っては来たもののキッドは一度は飛行機からひまわりの絵画を盗んだ行ったらしいし…爆弾がキッドによるものかはわからないし快斗くんがそんなことをするだなんて思いたくないけど、次郎吉さんや園子ちゃんが危険な目に遭ったその裏で彼が動いていたのは事実だ。
だから毛利さんにいろいろと聞いてみたいのは山々だけど…

「…ものすごく透さんについて行きたいんですけど、今日は少年探偵団の子供達と美術館に行く約束をしているんです」
「美術館?…もしかして、ひまわりを見に?」
「はい。阿笠博士が日本に憧れた向日葵展をとても楽しみにしていて、それの前に日本にあるひまわりを見に行きたいって」

昨日、哀ちゃんから連絡が来たのである。博士の車に私が一緒に乗ることは出来ないけど、子供達も会いたがってるから良かったら、と。そんなわけで私だけ美術館に現地集合。
嶺書房さんの方はと言うと、嶺さんが奥さんと旅行に行くとかで一週間程度臨時休業中なのである。お盆の時期からはズレているけど、私の夏休みである。嶺さんの行先はフランスらしいので、お土産はしっかりとおねだりしておいた。夏にフランスに旅行なんて、優雅だ。

「そうなんですね。じゃあ、毛利先生には僕から聞いておきますから…もし何かわかったら、お伝えしますよ」
「…ありがとうございます、透さん」
「正直、妬けますけどね」
「え?」

私が目を瞬かせると、透さんはくすりと笑って私の方に手を伸ばしてきた。それから、さらりと髪を撫でて優しく頬に指を滑らせる。

「あなたはどうも怪盗キッドに執心と言いますか…彼を少し特別に見ている部分があるようなので」

ちゃんと恋人のことも構ってくださいね、なんて微笑まれてぼんと顔に熱が上がる。
その。…もちろん怪盗キッドというか快斗くんのことは好きだし大切な人であることに間違いはないけど、私が、えっと、愛している…のは…透さんだけである。快斗くんはなんというか、出来の良い弟のような…なんかそんな感じで。
恥ずかしさと顔の熱さに耐えきれず頬を両手で押さえれば、透さんは楽しそうにクスクスと笑った。

「…不意打ちは、ずるいです…」
「おや、知りませんでした?あなたの恋人はずるい男なんですよ」
「………うぅ」
「でも、あなたに対して誠実であることを誓います」
「…わかってます…」
「好きですよ、ミナさん」
「……私も、好きです…」

恥ずかしい。でも、そんな私を見つめながら柔らかく微笑むこの人が…透さんが私は好きでたまらなくて。私はきっと、この人に一生敵わないのだ。


***


「それじゃあ、特に怪我とかは大丈夫なの?」
『平気平気!墜落するかもって思った時はどうなることかと思ったけどねー!私も次郎吉おじさまもピンピンしてるわよ』
「そっか……本当に無事で良かった」
『心配かけちゃってごめんね。ひまわり展に向けてバタバタしてるけど、開催の際にはきっと招待するから!』
「ふふ、ありがとう。楽しみにしてるね」

美術館で博士や子供たちと合流してすぐ、メールを送った園子ちゃんから着信があった。既に美術館に入ってしまっていたからマナー違反だとは思ったけど、どうしても安否が知りたくて端の方で小声で話させてもらっていたのである。
電話越しの園子ちゃんの声は聞く限り元気そうで、大怪我等はしていないとのことだった。大惨事だったにも関わらず、本当に無事で良かったと思う。
電話を切って少し離れたところにいた博士や子供達に歩み寄れば、気付いたコナンくんが振り向いた。

「今の電話、園子姉ちゃん?」
「うん。ニュース見て心配だったから連絡したんだけど、元気そうでほっとした」
「ボク昨日、小五郎のおじさんについてって空港にいたんだけどすごかったよ。…ほんと、無事で良かったよ」

そうか。コナンくんはあの事件を間近で直接見たんだな。
ニュース記事の写真でしか見ていないけど、エンジンが爆発して炎上した飛行機は無残なものだった。よく無事に着陸してくれたと思う。

「わぁ、高ーい!」
「すごいですねぇ!」

子供達は窓の外の景色に夢中だ。
この美術館は高層ビルの上の方の階にあり、窓からはベルツリーを見ることも出来る。今話題のゴッホのひまわりを展示している美術館だからか、館内はそこそこに混雑している。

「オメーら、ひまわり見に来たんじゃねーのかよ」

このくらいの子供なら、絵画よりも高い場所の景色に夢中になるのも無理はない。私が苦笑していると、子供達はひまわりを求めて駆け出してしまった。

「あっ、走っちゃダメだよ」
「はーい!」

返事は元気だけど子供達の速度は緩まらない。…他の人の迷惑になりかねないな、と思いながらやれやれと息を吐いた。
まぁ、ひまわりを見たがっているのは子供達ではなく博士だそうだし、のんびり絵を見るよりも体を動かしていたいのは理解出来る。私も小学一年生だったら美術館なんて退屈で仕方なかったかもしれない。

「心配だから、私あの子達を追いかけますね。博士達はゆっくり来てください」
「あぁ、すまんの」

ゴッホのひまわり。それを見れば、キッドへの手がかりも何かわかるんじゃないかなんて思いながら私は子供達を追いかけた。
…まぁ、私みたいな凡人が考えたところでわかることなんてたかが知れてるとは思うけど。それでも、キッドがひまわりを狙っている以上、少しでも関わりが深いものを見たいと思うのはどうしようもなかった。
透さんは今頃毛利先生のお家だろうか。スマホを見てみたけど、特に透さんからの連絡はない。まぁ、話は今晩にでもゆっくり聞かせてもらえればいいかと思う。
本当は、キッドキラーと呼ばれているコナンくんにもいろいろと聞きたいけれど…ひとまずは後回しだ。
そこそこ広い美術館なのに、子供達は真っ直ぐにひまわりを目指してしまったらしく追いかけてもまだ姿が見えない。ひまわりはこの美術館の目玉だろうから、最後の方にあるんじゃないかな。
…本当に、走った子供達が誰かにぶつかったりしてなければいいけどと心配になった。


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