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迎えた八月一日。とうとう今日から、鈴木財閥所有のレイクロック美術館で日本に憧れた向日葵展≠ェ始まる。
園子ちゃんが言った通りチケットの抽選は天文学的倍率だったが、私は透さんの口利きと園子ちゃんのご厚意により当選してしまった。心から行きたいと思いながらも抽選に外れた人の数は、きっとそれこそ星の数だと思う。チケットの当選日は開催初日である今日。全て仕組まれた当選であることに心苦しさを感じるし、とてもとても申し訳ないと思っている…ので、大口は叩かず、それでも全力で楽しもうと心に決めた。
美術館の中は最下層に行くまでそこそこの距離を歩くと聞いたので、今日は動きやすいデニムのズボンとカットソーという服装だ。

夏真っ盛り。太陽の日差しは強く、気温も高く蒸し暑い。レイクロック美術館までは透さんの運転する車で向かったから良かったものの、駐車場から美術館の入口まで歩くだけで汗が浮かんだ。

「…わぁ、すごい人ですね…」
「ええ、本当に。今日は初日ですから、入館客百名に加えてマスコミも多く訪れていますからね。ただでさえ警備も厳しく、そちらの人員も多いですし」

美術館前の広場には開場を待つお客さんの列と、マスコミの人だかりが出来ている。ヘリコプターも何台か飛んでいるし、世界中が注目しているんだなぁと改めて実感した。

「透さんは、この後管理室の方に行くんでしたっけ」
「はい。ミナさんと、蘭さんと子供達が入館するのを見届けたら鈴木相談役のところへ行きますよ」

そうなのだ。聞いたら、蘭ちゃんや少年探偵団の子供達もチケットを用意してもらったと言うのだから驚きである。透さんはお仕事だし、私一人で回るのも少し寂しいと思っていたから皆で回れるのは嬉しい。
広場の方へと透さんと一緒に歩み寄ると、広場の後ろの方に見慣れた子供達と蘭ちゃんの姿を見つけた。私とほぼ同じタイミングでこちらに気付いたみたいで、蘭ちゃんが大きく手を振っている。

「ミナさん!安室さん!」
「皆、おはよう」

透さんと一緒に歩み寄ると、哀ちゃんはそっと蘭ちゃんの陰に隠れてしまった。…やっぱり、透さんとはあまり顔を合わせたくないようだ。理由はわからないし、聞いても多分教えてくれないだろうから聞かないけど。

「ひまわりすっげー楽しみだな!」
「園子お姉さんに感謝しないといけませんね〜!」
「まだ始まらないのかなぁ、歩美早く行きたい!」

強い日差しの下でも子供達は元気である。



『皆さん!本日は、日本に憧れた向日葵展≠ノ御来場頂き、誠にありがとうございます!』
『日本に憧れた向日葵展=A開幕じゃあ!』

登壇した園子ちゃんと次郎吉さんの声で、展覧会は始まった。
私達は優先的に入場させてもらえるらしく、長く続く入場列の横を歩いて入口まで進む。こんな暑い中屋外で待たされている人達よりも先に入場するなんて罪悪感を感じるけど…でもやっぱり、一番乗りというのは気分がいい。
ひまわりはもちろんのこと、レイクロック美術館にも興味があるので早く入りたいという気持ちはある。…ただそれと同時にやはり引っ掛かるのは、怪盗キッドのことだ。彼からの予告状が届いたという情報はない。でもこれで終わりなはずはきっとない。きっと、ひまわりを狙ってまた現れる。
レイクロック美術館のセキュリティは万全だ。入場には前もって登録した名前と顔写真の一致が必須だし、例え怪盗キッドが変装の達人だったとしても登録情報を一致させることなんて可能なんだろうか。それとも、また違う手を考えているんだろうか。…なんて、本当に怪盗キッドが現れるかもわからないのに考えても仕方ないなと肩を落とす。

「ミナさん?」
「…あ、え?」
「どうしたの?大丈夫?」

コナンくんに声をかけられてハッとした。もう入場ゲートは目の前だ。少しぼうっとしてしまっていたらしい。

「ごめんね、ちょっと考え事してた。大丈夫」
「…そう?ならいいんだけど」

コナンくんはそれきり私から意識を逸らしたようで、すぐに入場ゲートの方に視線を向けてしまったが、彼はキッドのことを何か思ったりしているのだろうか。
コナンくんとしてもきっと不完全燃焼のはずだ。キッドキラーと呼ばれる程に怪盗キッドと渡り合えて、彼のことをよく知るコナンくんなら今回のキッドの行動にも疑問を抱いているはず。…後でタイミングがあったら、コナンくんにも少し話を聞いてみようかな。

「すみません、毛利蘭ですが」

入場ゲートで、蘭ちゃんが子供達の分と合わせてチケットを提示している。透さんと一緒にいられるのはひとまずここまでだ。
隣にいた透さんを見ると、私の視線に気付いた透さんが小さく笑った。

「あなたと一緒にひまわり展を見て回れないのは残念ですが、こちらの仕事が終わり次第すぐに連絡します。帰りはどこかで食事でもして帰りましょうか」

さり気ないディナーデートのお誘いにきゅんと胸が高鳴った。どんなに日々透さんと一緒に過ごしていようと、外でのデートというのはやはりちょっと特別というか…いや、透さんと一緒にいられれば何でも嬉しいのは違いないのだけど、それとこれとは話が違うというか。なんて自分に言い訳をしながら、照れ臭さと嬉しさからむずむずする口元を押さえて頷く。

「…はい。楽しみにしてます。…あの、お仕事頑張ってくださいね」
「ええ。ひまわりの感想、教えてくださいね」
「は、はい…えっと、行ってきます!」

ぽんと頭を撫でられて顔が熱くなる。慌ててチケットを取り出すと、私は既に入場ゲートを潜っていた蘭ちゃんや子供達を追いかけた。



中に入ってすぐ園子ちゃんとも合流した私と蘭ちゃん、それから子供達は、のんびりとした足取りで美術館の順路を進む。と言っても一本道なんだけど。

「わぁ〜…すごく綺麗!」

鍾乳洞の中に作ったというレイクロック美術館。言うなら、見事の一言に尽きる。長く下方へ伸びる螺旋状の廊下にはびっしりとひまわりの花が咲き誇っていて、螺旋状の廊下の屋根はガラスで出来ており鍾乳洞の内側を見ることが出来た。こんな光景、ここ以外で見ることなんて出来ないだろうな。鍾乳洞の中で咲き誇るひまわりと言うのは、なんというか正反対の魅力というか。

「でもこれ、ニセモノみたいですね」
「本物だったら枯れちまうからな」

ひまわりは漢字で書くと向日葵…日に向かう葵と書く。見て字の如く、ひまわりは光に向かって花を向ける。小さい頃に夜のひまわり畑を見たことがあるけど、整列したひまわりの首が暗闇の中で揃って下を向いているのは、正直トラウマレベルの光景だった。ひまわり自体背の高い植物だから、とても不気味で怖かったのを覚えている。やっぱりひまわりは太陽に向かっている姿が一番綺麗かもしれないな。
こんな鍾乳洞の中で本物のひまわりを使えば、コナンくんの言う通り枯れてしまうか下を向いてしまうんだろう。

「ニセモノでも良いけどよぉ、もっといい匂いにして欲しかったよな!」

そう言うのは元太くんだ。
…確かに元太くんの言う通り、並んだひまわりからはなんとなく変な匂いがする。少なくとも花の香りではない。臭い…というのとはまた少し違うけど独特の匂いで、木の匂い…松ヤニ、みたいな?
くんくん、と軽くひまわりの匂いを嗅いでいたら、園子ちゃんが首を傾げた。

「おかしいわねぇ…なつみさんの発案だけど、匂いまで付けるとは言ってなかったような」
「なつみさんって?」
「七人の侍の一人よ。そっか、ミナさんは会う機会もなかったもんね」

七人の侍がいることはわかっていたけど、ニューヨークでの記者会見映像で見たきりだ。コナンくんと蘭ちゃんはさほど話はしていないものの直接会ったことがあるという。

「そんなことより!我が鈴木財閥が所有する二枚目のひまわりを見に行きましょ!」
「いいですねぇ!」
「行こうぜ!」
「うん!」

園子ちゃんについて子供達が駆けていくのを見つめて苦笑する。それからふと傍を見れば、コナンくんが造花のひまわりを見つめながら何やら難しい顔をしていた。コナンくんも匂いが気になるのかな。

「…確かに元太くんの言った通り、なんか変な匂いだよね。松ヤニみたいな」
「松ヤニ?」

私が言うと、コナンくんが少し驚いたようにこちらを見上げる。…え、何か変な事言ったかな。

「う、うん。松ヤニっていうか…木の匂い、みたいな感じ…?」
「……松ヤニ、」

学校の美術室でも似たような匂いがしたかもしれない。理由はわからないけど。
コナンくんは少し考え込むように指先を口元に当てていたが、ふと先に行ってしまっていた蘭ちゃんが立ち止まり振り返るのが視界の端で見えた。やばい、皆先に行っちゃう。

「コナンくん、何してるの?ミナさんも」
「ごめん、今行く!…コナンくん、行こう?」
「…うん、」

コナンくんはまだ何か引っかかるみたいだったけど、私が声をかけると顔を上げて頷いてくれた。コナンくんと一緒に、私達を待ってくれていた蘭ちゃんと哀ちゃんの元に駆け寄る。
蘭ちゃん達と次の部屋に向かいながら、コナンくんにキッドのことを聞くなら今さっきのタイミングだったなと気付いた。
結局何も、聞けずじまいだ。


***


「蘭!早く!新一くんがいた!」

園子ちゃんがそう声を上げたのは、二枚目のひまわりの展示室に入った時だった。新一くんって、と私が考えている間に、蘭ちゃんとコナンくんが走っていってしまう。
新一と聞いて浮かぶのは当然、蘭ちゃんの幼馴染であり東の高校生探偵である工藤新一くんだ。探偵として日々忙しく過ごしており、なかなか帰ってこないと聞いたけど…その工藤くんが、ここに?

「園子、新一は?」
「ごめん、見失っちゃった」
「ホントにいたの?」
「えぇ?そう言われると…しっかり見たわけじゃないんだけど」
「見間違いじゃない?」

蘭ちゃんの様子から見て、工藤くんがここに来ると知らされてはいないようだし。…なかなか帰って来れない中で、せっかく蘭ちゃんと過ごせるタイミングなのに何の連絡もないというのはやっぱり違和感がある。そこまで考えて、もしかして、と背筋が震えた。
…もしかして、快斗くんの変装?怪盗キッドが変装の達人というのは周知の事実だ。彼の変装を見たのは飛行船に乗った時、ウェイターの姿になっていた時だけだけど…声まで変わっていたし確かに完璧な技術である。けれどこのレイクロック美術館のセキュリティを考えると、いくら彼の変装が完璧だったとしても潜り込むのは容易ではないはず。次郎吉さんだってキッドの変装のことは当然知っているし、だからこそこのセキュリティにしたわけだし。
ただし。元の顔が、とても似ていたとしたら?

――工藤新一くんと瓜二つって言われない?

かつて、私が快斗くんに言った言葉だ。髪型こそ違うけど、顔は本当にそっくりで双子と言われても何の違和感もないほど。そんな彼がもし、工藤新一としてここに来ているとしたら?

「大丈夫?どうしたの」

哀ちゃんがコナンくんに声をかけ、コナンくんが哀ちゃんに駆け寄っていく。子供達はひまわりの絵画に見入っていたが、さすがに哀ちゃんとコナンくんの少しピリピリした様子に気付いたのか意識はそちらに向いたようだ。
そして私は、コナンくんが手にしている小さなカードを見て息を飲んだ。
ちらりと見えた暗号のようなものの意味はわからない。けれどその裏側に刻印されているのは、キッドのマークだ。

「キッドカード、」
「蘭姉ちゃん!園子姉ちゃん!警備室に連れてって!キッドカードだよ!もうレイクロックの中にいるんだ、怪盗キッドが!」

コナンくんが声を上げ、蘭ちゃんと園子ちゃんの顔色が変わる。
怪盗キッドが、レイクロックの中にいる。となるとやっぱり、園子ちゃんが先程見たという工藤新一くんは…快斗くんなんじゃないだろうか。
三人が駆け出すのを見ながら、私はその場から動けずにいた。私も一緒に行きたいという気持ちは当然ある。怪盗キッドがここに来たということはやはり何か目的があるし、警備室ではその対策をこれから練るんだろう。その場には、透さんもいる。
でも私はただの一般人で、きっと邪魔になってしまう。それに子供達だけをここに残していくわけにはいかない。私の役割は、ここで子供達と一緒に待つことだ。
どうしようもなく不安になってぎゅうと手を握り締めた。快斗くんのことが心配だ。心配でたまらなくて、不安になって、無性に透さんに会いたくなる。情けないと唇を噛んでいたら、とん、と背中を軽く叩かれた。
振り向くと、真剣な表情でこちらを見上げる哀ちゃんと目が合った。

「行きなさい」
「え、」
「ここには私が残るから大丈夫よ。…あなた、怪盗キッドとも何か関わりがあるんでしょう」
「どうして」
「馬鹿ね。飛行船でのあなたを見ていたら、ただのファンじゃないことくらいすぐにわかるわよ」

飛行船に乗せてもらった時。私は、縄に繋がれた皆の解放よりも怪盗キッドを優先した。…確かにあんなところを見たら、哀ちゃんなら勘づくかもしれない。

「…でも、」
「くどいわね。早くしないと置いていかれるわよ」

哀ちゃんの言葉に視線を向けると、美術館の順路から外れてコナンくん達が角を曲がるのが見えた。考えている暇はない。

「ごめん、哀ちゃん」
「そういう時は、お礼を言うのよ」
「…ありがとう」
「ええ。行ってらっしゃい」

小さく笑う哀ちゃんと、状況を呑み込めていない子供達の視線を背に受けながら、私はコナンくん達を追って駆け出した。


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