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先に行ってしまったコナンくんと蘭ちゃん、園子ちゃんを…追いかけた、つもりだった。出遅れたのはほんの少しの時間だったし、追いつけるだろうと思ったから哀ちゃんも背中を押してくれたのだろうと思っている。当然私も追いつけると思っていたし、本来なら今頃警備室に辿り着いて透さん達と合流しているはずだったのだが。

「…ここは、どこでしょう」

ぽつり、と呟いたが、私のその声を聞く人はいない。辺りを見回すも、美術館の喧騒からは遠ざかってしまったらしくこの辺りは静まり返っている。それもそうだろう。立ち入り禁止の札にも構わず進んでしまったから、本来この辺りに入館客がいるはずもないのである。だって警備室と言うからにはもちろん展示室とは別のところにあるはずだし、普通の人は入れないような場所のはずだし、となると当然立ち入り禁止の先にあるだろうと予想した。そうして進んできたのだがどうやら私は変なところに入り込んでしまったようだ。コナンくん達の姿なんてとうに見失ってしまっている。
コナンくん達を追いかけて駆け出した時は強い意思もあったけど、こうして迷子になって独りぼっちでいると途端に不安に押し負けそうになる。とても静かだし尚更だ。
…どうしよう。諦めて、哀ちゃん達のところに戻ろうか。きっとすごすごと戻ってきた私を見たら、哀ちゃん呆れた顔をするんだろうな。バッカじゃないの、なんて言われるのが予想出来て思わず乾いた笑いが零れた。
顔を上げると、Generator room≠ニ書かれた鉄のドアがあり、ドアの横の壁にはテンキーと液晶パネルが埋め込まれている。…パスコードを入力しないとドアの先には入れないってことだろう。
…ジェネレータールームって、なんだろう。英語は苦手ってほどではないけど得意って訳でも無い。学校のテストは可もなく不可もなく、そこそこきちんと勉強はしていたからそれなりの点数は取れていたけど、学んだことが頭から抜けるのも早かった気がする。単語の意味ひとつ思い出すのもなかなかに大変だ。何せ英語に触れていたのなんて十年近く前の話なのだし。
ぱっと意味が浮かばずに首を傾げていたら、不意に後ろから肩を叩かれた。

「わぁあっ!」
「シーッ…!」

びっくりして思わず声が上がってしまったが、瞬時に後ろにいた誰かに口を押えられて目を瞬かせる。視界に入るのは青いブレザーの袖。この色には見覚えがある。蘭ちゃんや園子ちゃん、世良ちゃんが着ているブレザーと同じ…つまり、帝丹高校のブレザーの色だ。
そしてこの声を私はよく知っている。

「突然後ろから肩を叩いた俺も悪いけど、大声を上げることないでしょう。こっちがびっくりしましたよ」

そろり、と軽く首を捻って後ろを振り向いてみれば、そこにはよく見慣れた顔。けれど、初めて会う人≠ェ立っていた。

「こんなところでどうしたんですか?展示室はあっちですよ」
「えぇと…」
「良かったら案内しますけど」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか」

しれっとそう言うのは、蘭ちゃんのお家で見せてもらったアルバムの中にいた人…工藤新一くん、その人であった。
目を瞬かせている私を見て、不思議そうに首を傾げてほんの少しだけ微笑んでいる。くるりとした瞳が私を見つめているけど…まぁなんというか、初めて会った気がしない。理由はいくつか考えられるけれど。

「…工藤新一、くん…」
「あれ、どこかでお会いしました?」
「あっ、いえ、…有名ですから」
「はは、そっか。嬉しいなぁ」

へら、と笑う彼は、確かにこうして見れば工藤新一くんそのものなんだろう。私は実際に会ったことないからわからないけど、多分声なんかもそのままなんじゃないのかな。でも。

「…で、いつまで工藤くんのふりをしてるつもりなのかな、快斗くん」

ふぅ、と溜息を吐いてほんの少し目を細めれば、目の前の彼はぺろりと舌を出して肩を竦めた。

「あは、やっぱバレてた?」
「白々しいなぁ…展示室はあっちですよ、なんて。私と同じ入館客の君がこんなところにいることだっておかしな話でしょ」
「それだけ?」
「あと、本当に工藤くんだったとしたらひまわり展に来るのに幼馴染の蘭ちゃんに連絡のひとつもないなんておかしい」
「なるほど、確かに」

初めて会った気がしないのなんて当然だ。快斗くんなのだから。蘭ちゃんから工藤くんの話をたくさん聞いてるというのも理由としてあるのかもしれないけど、そういうんじゃなくて瞬間的に初対面である人という感じがしなかった。工藤くんの姿で入館するんじゃないかと疑っていたのも大きいだろう。
あっさりと自分の正体を認めた快斗くんは、軽く辺りを見回してから改めて私に視線を向けた。

「で、ミナさんはどうしてここに?立ち入り禁止だよ、ここ」
「警備室に行こうと思って迷ったの。そんなことより、メールのひとつくらい返してくれたって良かったでしょう?ずっと心配して、」
「あーっと、…ここで長話はまずい。こっち来て」

とりあえず言いたいことを言わせてもらおうと思って口を開いたが、快斗くんは人差し指を立てて口元に添えるともう片方の手で私の腕を掴んだ。そのままジェネレータールーム、の方へ足を進める。

「えっ?えっ、その部屋は入れないんじゃ」
「俺を誰だと思ってる?天下の怪盗キッド様だぜ」

ニッと得意げに笑った快斗くんは、慣れた手つきでドア横のテンキーを操作する。するとカチャンとドアの鍵が解錠した音がした。なんでそんな簡単に開いてしまうのか。というかなんでパスコードを知っているのか。確かに彼は天下の怪盗キッドだ。あらゆるところに忍び込むのはお手の物だろうけど。
快斗くんに連れられるまま部屋の中にへと入り込む。少し狭い部屋の中に、複雑な機器がたくさん並んでいる…発電室、だろうか。思っていたよりも静かな部屋だ。

「メール返せなかったのは悪かったよ。こっちもちょっと立て込んでたんだ」
「ニューヨークに行ったり飛行機事故を起こしたり?」
「心外だな、あの飛行機事故は俺がやったんじゃねーよ。え?まさかミナさん俺があの大惨事を引き起こしたとか思ってた?うわ、ショック。ミナさんはネットニュースになんて踊らされないと信じてたのに…」
「思ってたわけないでしょ!仮に快斗くんの仕業だったとして、何か事情があるんだと思ってたよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、仮にも何もほんとに俺じゃないからね、マジで」
「わかってるよ。快斗くんは、誰かを傷つけるようなやり方は絶対にしないもの。…心配したんだから」
「へへ、ありがと」

本気で快斗くんがあんなことをしただなんて思っていたわけじゃない。ただ、彼があの飛行機の爆発事故に関わっていたのは事実で、本人の口からきちんとした否定が聞きたかった。私がほっとすると、快斗くんは小さく笑って私の頭をポンポンと撫でた。…年下に撫でられるというのはなんというか微妙に気恥ずかしいけど、彼とこうして軽口を叩き合えることにどうしようもなく安心している自分がいる。

「…でも、怪盗キッドは宝石しか狙わないんじゃなかったの?どうして絵画なんて…。前に絵画が好きかどうか聞いてきたよね?向日葵の話もしてた。あの時から決まってたことだったの?」
「あぁ、二枚目と五枚目のひまわりを盗んで欲しいって依頼があったんだ。音声メッセージでな」
「盗んで欲しいって…怪盗キッドは他人からの依頼も請け負うの?」
「今回は事情があったんだよ。つーかミナさんこそ、どうして警備室に行こうとしてたんだよ」
「どうしてって、」

コナンくんが、キッドカードを見つけたからだ。今頃警備室では次郎吉さんや毛利さん、透さん…それから七人の侍、の人達で暗号の解読が進められているのだろうか。

「…キッドカード。コナンくんが見つけて、警備室に行ったから…それを追いかけたんだよ」
「なるほど。きちんと俺のカードは受け取ってくれたってわけか」
「…ねぇ、あの暗号って、何なの?」

ちらりとしか見えなかったけど、何かの人数…計算式のようにも見えた。14とか、15とか、そんな数字が並んでいたと思うけど私にはなんのことだかさっぱりわからない。あの暗号をちゃんと見たとして、私がいくら頭を捻っても答えなんて出ないだろう。
快斗くんは軽く肩を竦めると小さく笑った。

「あいつらの中に、ユダがいることを教えてやったんだよ」
「ユダ…?」

その名前を聞いてぱっと浮かぶのは、イエスの弟子である十二使徒…イスカリオテのユダだ。イエスを裏切ったことで有名で、ユダといえば裏切り者の印象が強いけど…まさか。

「…まさか、裏切り者が?」
「あぁ。ひまわりを狙う、本当の犯人がな」
「本当の犯人って」
「俺にひまわりを盗んで欲しいって依頼してきた奴だよ。そいつが今回のひまわりを巡る一連の事件の、真の犯人だ」
「じゃあ快斗くんは、その犯人の依頼を受けてひまわりを盗もうとしてるってこと?!」
「だから事情があったんだって。どうしても、芦屋のひまわりを見せてやりたい人がいたんだ」

芦屋のひまわり。空襲で焼けたと言われていた、二枚目のひまわり。鈴木財閥が落札した、青と黄色のコントラストが美しい一枚だ。
それを見せてあげたい人がいたって、どういう意味だ。快斗くんが犯人からの依頼を受けたのか、受けていないのか、この一連の中心にいるのは何故なのか、まるで繋がらなくて眉を寄せる。
彼は何をしようとしているのか。わからない。

「それってどういう…」
「シ、」

不意に快斗くんが口元に人差し指を当てる。それからそっと左耳を押さえた。…ワイヤレスのイヤホンマイクをしていたのか。気付かなかった。
ほんの少しだけ漏れている音声に耳を傾けると、館内に残っている者はいません、と聞こえてくる。えっ、館内に残っている者はいませんってどういうこと。えっ、現在進行形で私も快斗くんも館内に残っているんですけれども。

「そろそろか」
「え、何が」

説明を求めて口を開きかけた時だった。
ピピ、と外から電子音が聞こえてきて、ガチャンと鍵の開く音がする。びくりと身を竦ませると、快斗くんの大きな手のひらに口を押さえられた。
こつ、こつ、とゆっくりと誰かが歩いてくる音がする。瞬間的に体が強張って、緊張に息を飲んだ。
ここはパスコードがないと入れない場所。つまり、限られた人しか入れない場所ということで、「うっかり迷子になって入り込んじゃいました」という言い訳は通用しない。
どうしようと考えている間にも足音は少しずつ近付いてくる。冷や汗が背中を伝った、その時だった。

「来て」
「え、」

耳元で小さく囁かれてすぐに、快斗くんに肩を抱かれるような形で押されるまま私は駆け出す。機械の間から飛び出して、発電室の奥へ続く廊下を抜けていく。

「待て!キッド!!っ、人質…?!」

振り返る余裕なんてなかったけど、後ろから聞こえたのは男性の声だった。毛利さんや次郎吉さん、中森警部…ましてや透さんの声ではない。知り合いじゃないことにほっとした。連れられていた私を人質と思ったのか、男性の足音が一瞬止まる。その僅かな隙を利用しない快斗くんではない。僅かな隙が、快斗くんにとっては大きな勝因となる。一気に発電室の狭い通路を駆け抜け、機械の角を幾度も曲がり、最初に入ってきたドアとは違うドアから発電室を出た。
どこをどう移動して、今自分がどの辺にいるのかも全くわからない。快斗くんに先導されるまま進むと、造花のひまわりがずらりと並ぶ見覚えのある廊下に出た。展示室と展示室を繋ぐ、螺旋状の廊下だ。何階かまではわからない。
けれど先程快斗くんのイヤホンマイクから聞こえてきた「館内に残っている者はいない」というのは本当のようで、私達の他に人影はなかった。

「ここまでくれば大丈夫だろ」
「っ…は、…む、」
「はむ?」
「……む、むり…!」

涼しい顔をしている快斗くんとは真逆で、私の息はすっかり上がってしまっている。いやだって。鍛えられた若い男の子と、近頃はろくに運動もせず体力の落ちてしまった私とでは比べ物にならない。わかって欲しい。しんどい。乱れた呼吸を整えていたら、苦笑した快斗くんにぽんぽんと背中を撫でられた。
顔を上げて彼を見る。…顔は快斗くんのままなのに、髪型や纏う雰囲気はいつもとはまるで違う人のもので。
工藤新一くん。…本人に会ったことは無いけど、きっとこんな感じなんだろうなぁと思った。


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