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「ミナさん!ミナさん、しっかりして!」

ふつ、と意識が浮上した。同時に、自分が意識を飛ばしていたことに気付いた。
硬い床に横になっているようで、全身が怠重く起き上がるのが億劫になる。ゆっくりと目を開ければ、私の顔を覗き込むコナンくんがいた。
眼鏡はどこにいったんだろう。眼鏡を外した彼は、何故だかどこかで見たような気がしてぼんやりとする頭で考える。小さな手が私の体を軽く揺らしている。

「ミナさん!気が付いた?!ボクのこと、わかる?」
「…うん…大丈夫…」

あぁ、そうだ。彼は、

「…工藤くん、」
「えっ」

そうだ、どこで見たのか思い出した。蘭ちゃんに見せてもらったアルバムの中にいた、工藤新一くん。蘭ちゃんと並んだ小学校の入学式の写真。桜の花びらが目に鮮やかなあの写真の中で、少し照れ臭そうに笑っていた工藤新一くんに、そっくりなんだ。

「…よく似てるねぇ、」

重たい腕を伸ばして、コナンくんの頭をポンポンと撫でた。彼の髪が濡れていて、それで自分の体も全身ぐっしょり濡れていることに気付く。
体か冷えていた。気付くと寒さも感じ始め、私はぶるりと体を震わせる。

「ミナ、さん」
「…ん、ごめん…大丈夫、起きれるよ」

ひとつ深呼吸をしてから、床に手を着いてゆっくりと体を起こした。
ここはどこだろうと辺りを見回して、最下層の展示室であることに気付く。水に押し流されて最下層に辿り着き、そこで気を失っていたらしい。チューブロードは螺旋状だし必然的にここに辿り着くことは想像できるけど、無事でいられたことには神様に感謝する他ない。
肩から斜めがけにしていた鞄も無事だ。水に濡れたから当然スマホや探偵団バッジはダメになっているだろうけど。
少し離れたところに蘭ちゃんが横たわっていたけど、快斗くんの姿はない。蘭ちゃんは大丈夫なんだろうか。

「…ミナさん、似てるって…」

ぽつり、とコナンくんが呟いて視線を向ける。彼は何だかすごく変な顔をしていた。…変、というのもおかしいのかもしれないけど、何て言うのだろうか。どんな顔をしたら良いのかわからないというような、複雑な表情をしていたのだ。

「うん?蘭ちゃんのアルバムで見せてもらった、工藤新一くんの小さな頃に似てるなって。親戚だからかな。間違いなく将来はイケメンさんだね」

小さく笑って言えば、ほんの少しだけコナンくんは表情を和らげた。それから、傍に落ちていた眼鏡を拾って、小さく息を吐きながら呆れたような声で言った。

「…そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「えへへ、絶望的な状況かな。…そういえば、か、…キッドは?それに、蘭ちゃんは大丈夫なの?」

うっかり快斗くんと言ってしまいそうになって、咄嗟にキッドと言い直す。キッドとコナンくんが顔見知りというか好敵手とは言っても、キッドの正体までは知らないはず。知っていたらとっくに快斗くんはお縄にされているだろうし。彼の正体に関してはトップシークレットというか…私なんかが勝手に口にしていい内容ではない。

「キッドは少し辺りを見てくるって。蘭姉ちゃんは少し水を飲んで気を失ってるけど大丈夫」
「…そっか、よかった…」

ほ、と胸を撫で下ろす。
火は消えたみたいだし水の流れも収まったけど、今の状況がとんでもないことに変わりはない。私達四人は、ここから脱出しなければならないのだから。
でも、こんな最下層から一体どうやって脱出すれば良いのか。

「お、ミナさん目が覚めた?」
「キッド」

声がして振り返ると、快斗くんが戻ってきたところだった。私がキッドと呼びかけると、彼は軽く片目を瞑って見せる。呼び方はこちらで間違ってないみたいだ。

「キッド、お前、犯人の計画を知ってたのか」
「あぁ、通路の向日葵が導火線になるなら、チューブロードは導水路になるはずだってな」
「…ってことは、犯人はチューブロードに向日葵を植えようと言い出した人物…」
「ああ。やっと犯人がわかったみたいだな」

キッドキラーとキッドの会話に、私は口を出すことは無い。踏み込めない領域である。…でも、チューブロードに向日葵を植えるという案を出したのは…確か、園子ちゃんが言っていたなつみさんという人物だったはず。…会ったことは無いから私はわからないけど、コナンくんには心当たりがあるんだろう。目を細めて考え込んでいる。
快斗くんは意識の戻らない蘭ちゃんの体を抱え上げると、軽く肩を竦めた。

「ここから地上に通じるエレベーターは当然ながら動いてなかった。別のルートで脱出するぞ。ミナさんは歩ける?」
「大丈夫。…でも、どうやって脱出するの?」

蘭ちゃんを抱えたまま歩き出す快斗くんを見て、私は立ち上がってコナンくんと一緒に歩き出す。快斗くんはチューブロードの方へと向かっている。

「このままチューブロードを登って、出口に近い最上階に行く。エレベーターシャフトから上がれるかもしれねぇからな」

こんな状況でも脱出の方法を冷静に考えられるなんて、やっぱり快斗くんはすごいな。
チューブロードを進みながら、快斗くんの背中を見上げたコナンくんが言った。

「本当はどうする予定だったんだ」
「ん?」
「脱出だよ。お前が計算してねぇはずがねぇからな」

本来私達とキッドは遭遇する予定ではなかった。確かに、当初予定していた脱出方法があったはず。
私がコナンくんから快斗くんに視線を移すと、彼は小さく笑った。

「鍾乳洞の奥に用意しておいた出口まで飛べりゃあ、すぐに出られるんだが…このお嬢さんとお前、それからミナさんを抱えては、さすがに飛べねぇからな」

そうか。快斗くんだけなら、今すぐにでも脱出は可能なんだ。けれども今は意識のない蘭ちゃんと、コナンくんと私がいる。全員で脱出するには、その方法は使えない。
彼の足手纏いになってしまっていることに胸が痛んで視線を落とした。でも、快斗くんや蘭ちゃん、コナンくんと一緒だから私は折れずにいられるんだと思う。
こんな絶望的な状況でも希望をなくさずにいられる。

「ところで、犯人の計画を知ってたなら、何故未然に…」
「反抗計画は犯人のパソコンから盗み取っていたからわかってたんだが、まだ共犯がいる可能性があったし、停電を妨害しようと思ったらチャーリー刑事に見つかって追いかけ回されちまったからな」
「…それ、さっきの?」
「そ。ミナさんのことを人質だと思ってくれたみたいで、一瞬反応が遅れたから逃げきれて助かったぜ」

チャーリー刑事と言えば確か七人の侍の。一人だけニューヨーク市警の人だったから記憶に残っている。金髪で眼鏡をかけた男性だ。

「どっかの誰かさんに謎めいた予告状を送っておけば、もっと早く解決してくれると思ったんだが」
「悪かったなッ!」

コナンくんはキッドキラーと呼ばれる探偵で、快斗くんは怪盗キッド。交わることの無い二人だけど、お互いにお互いの力を認め合っているんだな。敵だけど、きっと頼りにしている部分も存在していて、憎み合っているというわけじゃないんだろう。不思議な関係だと思いながら、仲良しにも見える二人の様子に笑みか浮かんだ。

しばらくチューブロードを進むと、快斗くんは抱えていた蘭ちゃんを壁際にそっと下ろした。コナンくんが駆け寄り、蘭ちゃんの様子を伺っている。

「ちょっと待っててくれ、脱出の準備をする」

通路を塞ぐような形で用意されていたアタッシュケースに快斗くんが歩み寄り、何やら操作している。薄暗いし鍾乳洞の瓦礫が崩れるような音もするし、今自分がどの辺にいるのかはわからないけどこの辺はもう最上階に近いのかもしれない。

「俺はこの先にあるエレベーターホールから脱出出来ねぇか調べてくる。お前がその間にやるべき事はわかってるよな?」

快斗くんはそう言うと、コナンくんに何やら小さな機械を手渡した。コナンくんは何も言わずに頷いているけど、私には何のことやらさっぱりだ。

「また変な小細工をされちゃ、面倒だからな」

快斗くんが工藤新一の変装を解き、いつもの白いタキシード姿になる。顔は同じだけど、やっぱりこうして見ると工藤新一くんとは表情が微妙に違うな。見慣れた快斗くんの姿はなんだかほっとする。

「ミナさんは俺と一緒に来て」
「えっ?」
「俺が勝手に逃げないように見張っててもらわないといけねぇからな」

ここまで来て、快斗くんが一人で逃げるなんてことは有り得ないとわかってる。なのに、どうして快斗くんはそんなことを言うんだろう。目を瞬かせていると、ふっと笑った快斗くんに手を差し出される。
ちらりとコナンくんを見れば、コナンくんは私を見て小さく笑った。

「ミナさん、頼める?」
「…うん、わかった」

よくわからないけど、多分私はここにいたらいけないんだ。コナンくんが快斗くんに言われた、やるべき事。それは、私を前にしてはきっと出来ないようなこと、なのかもしれない。
快斗くんの手を取れば、彼は満足そうに笑った。

「じゃあ、そっちは任せたぞ!」

快斗くんはコナンくんにそう言うと、私の手を引いて瓦礫の山を乗り越える。つまづいて転びそうになれば、彼の腕に優しく体を支えられた。

「足元安定しないから気を付けて。ゆっくりでいいよ、って言いたいとこだけど、残念ながら時間ねぇんだ」
「大丈夫、今日歩きやすい格好で来てるから。ちゃんとついて行くから、気にしないで」

大きな瓦礫はチューブロードや展示室の屋根であったり、鍾乳洞上部から降ってきた落石なんかだったりしている。むしろこんなに崩壊が進みながらもチューブロードが形を保っているのが奇跡ではないのか。
相も変わらず低く響く崩壊の音は止まらないし、快斗くんの言う通り残された時間は少ないのだろう。
いくつもの瓦礫を乗り越えて、ようやくエレベーターホールの中心部までやってくる。暗くて見づらいけど、エレベーターのドアはすぐそこだ。

「ちょっと待ってて」
「うん、気をつけて」

快斗くんが私から手を離し、身軽な動きでエレベーターへと近付く。建物の崩壊に伴ってか、エレベーターのドアは少しひしゃげて開いてしまっていた。
快斗くんはエレベーターのドアの中を覗き込み、下や上を確認している。

「…まずいな」
「え?」
「消火に時間がかかったせいで、思いの外洞窟内の気圧が下がってる。…こりゃ、早く脱出しねぇと崩壊するぞ」

私は気圧がどうのとか全くわからないけど、快斗くんが言うならきっとその通りなんだろう。気圧のことまでわかるのは、怪盗に必要なスキル、だったりとか。
とにかく、今私達に時間が無いことは変わらない。

「飛べそう?」
「俺一人…行けて誰か一人を抱えながら、ってとこかな。探偵がいくらガキでも、二人抱えて飛ぶのは無理だ」
「そんな…」
「ひとまず戻ろう、どうするかをすぐに考えなくちゃならねぇ」

快斗くんに手を引かれて来た道を戻る。
考えなくちゃ、って。諦めずに次のことを考え続けられるのは、彼らが強い証拠。でも、じゃあ、彼らがそこまで強くあれるのは…どうしてなんだろう。
揺らぎそうになる気持ちを奮い立たせて、強く唇を噛む。一番年上の私が、ここで折れていたらダメだ。快斗くんも蘭ちゃんも高校生、コナンくんに至っては小学生だ。彼らに任せっきりじゃいけない。
快斗くんが言うには、飛べても快斗くん自身とあと一人。この状況で優先されるのは、意識のない蘭ちゃんかまだ子供のコナンくん。けれど、この状況で蘭ちゃんと私が残っても、彼女を抱えてこの状況を打破する方法なんて私には考えつかない。
でも、コナンくんと二人なら。彼とだったら、もしかしたら。コナンくんくらいなら私が抱えて走ることも出来るし、コナンくんなら何か良い方法を思い付いてくれるかもしれない。
自分よりもずっと年下の彼に頼らなくてはならない自分を情けなく思う。こんな状況から脱出するなんて不可能だと嘲笑う声が聞こえないわけじゃない。でも、諦めることが一番愚かなことだと思った。
諦めなければ道は拓けるなんて甘いことを言いたい訳では無い。ただ、ゼロパーセントじゃない限り…どんなに低くても、どんなに不可能に近くても、可能性は必ずあるはず。

私も、しっかりしないと。
無様でもいい。生きることに最後までしがみついていたい。
透さんに会うために、生きて帰りたいと思う。


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