18

お茶をした後、沖矢さんに米花図書館まで送ってもらうことになった。(ちなみにご馳走になるのは申し訳ないと思っていたので自分の分は出そうと思っていたのだが、御手洗に席を立った間に会計を済まされていた。なんてことだ)
沖矢さんの車は小さな赤い車だった。丸いフォルムが可愛らしい。

「図書館では何を?」
「いろいろと調べたいことがありまして」

私はこの世界に関してあまりに無知だ。完全とまでは行かなくても、この世界の情勢の流れや誰もが記憶しているような事件なんかは把握しておきたい。
先程沖矢さんが図書館で起こった殺人事件のことを言っていたが、それもどの程度の規模の事件かわからないのだ。もし誰もが知っているような事件だったとしたら、私の先程の受け答えは沖矢さんに不信感を抱かせてしまうに違いない。
沖矢さんは米花町で暮らしているのだろうし、図書館への行き方がわからない時点で不審に思われてしまっているかもしないし、今更取り繕うのは正直少し遅い気がしているが。
ちら、と運転する沖矢さんを横目に見る。それから、すぐに窓の外に視線を向けた。

私が異分子だということを忘れてはならない。私はいずれ、この世界からいなくなるのだ。それまでの間、誰にも迷惑をかけずに過ごしたい。そしていなくなるときは、ひっそりといなくなりたい。



「普通の図書館ですね…」
「どんな図書館を想像されていたんです?」

米花図書館に着くと車を降りて建物を見上げた。殺人事件があったと聞いていたからどんな場所だろうと思っていたが、外観は至って普通の公共施設である。すかさず沖矢さんに突っ込まれて空笑いを浮かべた。
振り向くと、何故か沖矢さんも車から降りていて目を瞬かせる。

「あの、ここまでありがとうございました。えっと…」
「あぁ、お構いなく。僕も図書館に用がありましたので」

車のロックをかけてから自然な流れで私の隣に並んだ沖矢さんは、にこりと笑って「行きましょうか」と言いながら歩き出す。なんとなく流れに乗って、私も沖矢さんにつられるまま隣を歩き出した。

「沖矢さんは図書館で何を?」
「何か面白い本でも出てないかと思いまして。気にせずミナさんはご自身の用事を済ませてください」
「はぁ」

マイペースな人なのか、別に何か考えていることがあるのか。にこにこと笑う沖矢さんの様子からは、何かを読み取ることは出来ない。やっぱり不思議な人だな、と思いながら施設内に入ると、図書館独特の本の匂いがした。

「…ここから米花駅までバスが出てるんですよね」
「えぇ。何なら用事が終わりましたら駅までお送りしますが」
「バスのルートとかも調べたいので、大丈夫です。ありがとうございます、沖矢さん」

図書館のロビーで沖矢さんと向き合い、ぺこりと頭を下げる。沖矢さんはそうですか、と頷き、それからスマートフォンを取り出した。

「良ければ連絡先を交換しませんか?…あなたはこの街に不慣れなようだし、僕でよければまた案内しますよ」
「あー…えっと…」

使えるスマホを持っていれば交換も出来たが、残念ながら私の鞄の中に入っているのはこの世界では使えないスマホだけだ。こちらから連絡することも、連絡してもらうことも出来ない。時計替わりくらいにしかならない代物である。
苦笑を浮かべて、ごめんなさいと謝った。

「今日、スマホを家に忘れてきてしまいまして…また次機会があったら是非お願いします」
「おや、振られてしまいましたか。では、また次の機会に」

振ったわけではないのだが、と少し慌てたが、それは沖矢さんなりの冗談だったらしい。沖矢さんはさらりと答えてスマホをポケットにしまった。

「では、僕はここで。またお会いしましょう」
「…はい。ありがとうございました。また」

にこりと笑い、図書館の奥へと足を向ける沖矢さんを見送る。
…今日は偶然会ったが、連絡先も交換していないし次の機会があるかは疑問だ。
沖矢昴さん。不思議な雰囲気を纏う男の人。少しまだ信用し切れない部分はあるが、また会えたら次はもう少し話がしてみたいと思った。




米花図書館の資料はかなりの量で、ここ数年の新聞も保存してあるようだった。
さすがに数年分読むわけにもいかないので、ここ数ヶ月から一年前くらいまでを少しずつ調べていくことにした。それだけでもかなりの量になる。
大きな見出しや重要そうな事件の部分に重点的に目を通して…そのうちに、理解した。
米花町の犯罪率の高さ。窃盗、強盗、立て篭り、そして殺人。中でも殺人事件の多さは尋常ではない。少なくとも私の世界では考えられない量だった。米花町周辺の犯罪率が高く、近いところだと杯戸町というところもよく事件が起こる場所のようだった。

「…これだけ事件が毎日起こっていたら…」

安室さんの言葉も納得出来る。穏やかな街だけど治安が悪いという意味も。
けれど、そんな事件のほとんどがきちんと解決されていることもまた驚きの事実だった。これだけの犯罪率なのであれば、未解決事件なんてごろごろ転がっていてもおかしくない。だが、未解決事件というのはほとんど見当たらなかったのである。
その解決のきっかけとなっているのが…何人もの探偵の存在。
最近の新聞から遡っていくと、毛利小五郎…通称眠りの小五郎という探偵の活躍により事件が解決しているのがわかる。
毛利小五郎。コナンくんが帰って行ったビルに書いてあった探偵事務所は、この人の事務所だったのか。時折写真も出てくるその人は、常に自信に溢れた表情を浮かべている。すごい人なんだな。そんなところに世話になっているコナンくんってどういう子供なのだろう。
それから、更に昔の新聞へ遡ると…眠りの小五郎の話題はぱったり無くなり、その代わりに「お手柄!高校生探偵」といった見出しが多くなる。
高校生探偵、工藤新一の記事である。いくつもの難事件を解決に導いた、若き実力者。彼についての記事も多く、写真もいくつか出てきた。見た目もかっこよくて、こんな青年が難事件を解決していく様は格好いいだろうなとぼんやりと思う。そういえば、どことなくコナンくんと雰囲気が似ている気がした。
後気になった記事といえば、工藤新一と同じく高校生探偵の服部平次や白馬探。活動地域が違うせいか工藤新一ほど紙面に上がることはなかったが、時折大きな事件を解決した文面などが見られた。
この世界の犯罪率と探偵の多さに感嘆の息さえ漏れる。こんなに犯罪率が高いならば確かに探偵の需要も多いだろう。安室さんも忙しそうにしていたし、探偵という職をこんな身近に感じたことは無いから少し不思議な感覚だった。

「…あ、まただ」

紙面を飾る大きな記事に目を瞬かせる。
怪盗キッド。これも、安室さんからちらりと聞いた単語のひとつだった。
宝石を専門としている怪盗。しかし盗まれたものはその後持ち主に返されることがほとんどらしく、その行動の不可解さに首を傾げた。キッドの写真は顔がはっきりとわかるものはなく(当然か)、月をバックに小さなシルエットが浮かんでいたりするような…そういう写真ばかりだった。
ただでさえ犯罪が多いというのに、その上怪盗まで。

「…目まぐるしい街だなぁ…」

一通りめぼしい記事に目を通し終わると、私はぐいと体を伸ばして深い溜息を吐いた。
犯罪率が高いとは聞いていたけど、想像以上の内容に頭痛さえ覚える。
こんなに凄まじい街で、皆暮らしているのか。犯罪と隣り合わせとも言えるこの街で。犯罪すら日常と染み込んで。
ふと気付くと窓から差し込む陽が傾いて赤く染まっている。時計を見ると夕方の四時を大分過ぎてしまっていた。すっかり集中していたらしい。

「っ、やばい」

安室さんとの待ち合わせは五時だ。バスでどれくらい時間がかかるかわからないが、急がないと待ち合わせ時間を過ぎてしまう。
私は慌ててテーブルに広げた新聞や雑誌などの資料を片付け始めた。雑誌は本棚へ、新聞はそれ用の棚へ。最後にテーブルや椅子の上を確認すると、急いで荷物を持って図書館を出た。


***


バスに乗り米菓駅へと戻ってきた時には、約束の五時を少し過ぎてしまっていた。時間を見ていなかった自分を責めながらバスから下り、朝安室さんと別れた駅前の噴水へと小走りで向かう。
キョロキョロと辺りを見回すと、駅の入口傍の木の陰から安室さんが歩み寄ってくるのが見えた。今朝着ていたスーツではなく、カジュアルな服に着替えている。

「ミナさん」
「安室さん!すみません、遅くなってしまって…!」
「走らないで大丈夫ですよ。足痛いでしょう。何事も無かったなら良いんです、おかえりなさい」

連絡の取りようがないから変に心配させてしまったに違いない。私は申し訳なくなりながら、もう一度謝って頭を下げた。

「安室さんも、おかえりなさい」
「えぇ、戻りました。買い物も済ませたんですね」
「はい。服とアメニティ類を。これで安室さんのお洋服をお借りしなくても大丈夫になります」
「その辺りは気になさらないでも良いのですが…まぁいいでしょう。裏の駐車場に車を停めていますので、行きましょうか」

安室さんに連れられて駅前から移動する。安室さんと合流出来ただけでこんなにも安心するなんて我ながらちょろいなと苦笑を浮かべた。
駐車場に停めてあった安室さんの車に歩み寄り、ドアを開けてくれるのに甘えて助手席へと乗り込む。

「服、着替えたんですね」

運転席に乗り込んだ安室さんの方に視線を向けて言うと、安室さんはシートベルトを締めながら頷いた。

「ええ、諸事情で。明日時間が出来たので、良ければ米花町をご案内しますよ」
「えっいいんですか?嬉しいです。地図見ても距離感とかあまりわからなくて」
「アナログなら尚更ですよね」

安室さんがアクセルを踏み込み、緩やかに車が発進する。
この車のエンジン音、好きだなぁ。重低音が心地よいというか、なんだか安心するのだ。
流れる外の景色を見つめていたら、ふと赤信号で止まった時に安室さんが言った。

「そういえば、探偵業の方で使っていたスマートフォンが余っていたので、そちらを初期化して契約してきました。後程お渡ししますね」
「えっ?!」

突然の言葉に驚いて振り向く。
信号が青に変わって、車は再び走り出した。

「少し古いですし慣れない機種でしょうから使いづらいかもしれませんが…以前僕が使っていたものなので、操作方法は教えられますし」
「いえっ、で、でもガラケーとかの方がお安く済むのでは…!?」
「それも考えたんですが、新しく買うよりはあるものを使って頂いた方が良いかなと思いまして。ガラケーの方が確かに料金的には安いですけど、インターネット利用もスマホに比べるとかなり制限されてしまいますし。利用料に関しては全く気にしないでくださいね」
「そんなおんぶにだっこ状態で私、申し訳なさで沈みそうです。しかももう契約済みってことは私の意見は関係なしってことですよね…?」
「だって相談したらミナさん、絶対に断るでしょう」

そうでしょうけども。
だって既にかなりの負担をかけてしまっているのに、ここから更に携帯料金も負担して頂くことになるのだ。出来る限り安く済ませようと考えるのは当然のことだ。

「なんか…なんか本当にすみません…」
「あなたのその罪悪感を払拭するにはどうすればいいですかねぇ」

申し訳なさから溜息を吐きつつ顔を両手で覆って俯けば、安室さんが苦笑する気配を感じた。
安室さんは私に甘すぎる。

「大丈夫ですよ、あなた一人を養うくらい訳無いですから」
「……頼もしいです……」

しかしそれは多分、将来あなたを隣で支えてくれることになる女性に言うべきだと思う。
そう思いながら呻くように返事を返し、私はもう一度深い溜息を吐いた。

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