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「ほんっとすごかったよなぁ!見たかあ?!あのヒデのロングシュート!!」
「はい!まさかあんな距離から入れるなんて!」
「ビッグ大阪のキーパーの人も、びっくりしてたもんね!」

興奮冷めやらぬといった様子の元太くん、光彦くん、歩美ちゃんを見て、私は小さく笑みを浮かべた。
今日は日曜日。コナンくんと約束したサッカー観戦の日である。東京スピリッツとビッグ大阪というチームの試合で、サッカードームは大いに盛り上がった。サッカー事情に明るくない私でも普通に楽しめたというか、気付いたら両チームを応援してしまうくらいにのめり込んでいたのだから驚きだ。
ちなみに選手に関してはさっぱりだが、今元太くんの口から出た「ヒデ」という選手は確か赤木英雄選手のこと。東京スピリッツの赤木選手と、ビッグ大阪の比護隆佑選手のことは辛うじて覚えてきた。哀ちゃんが比護選手の大ファンなんだとか。観戦前に比護選手のぬいぐるみストラップを購入していたし。
今日は残念ながら比護選手は怪我で欠場だったけど、その比護選手がたまたまスタンド席を通りかかって、哀ちゃんの持っている自分自身のぬいぐるみストラップに足を止めてくれたのである。ぬいぐるみストラップに比護選手本人が触れてくれたのを見て、哀ちゃんすっごく嬉しそうだったなぁ。思い出して私までにこにこしてしまう。一生懸命な応援の甲斐も無く、ビッグ大阪が負けてしまったのは残念だった。
そして今は、そんなサッカー観戦の帰り。米花駅へと向かう電車の中である。
…哀ちゃんは、今はコナンくんと少し離れたところで何やら話し込んでいるけど…大丈夫かな。ビッグ大阪が負けちゃったからちょっとへそを曲げているような感じだけど、いつもの哀ちゃんとは少し違う子供らしい様子に笑みが浮かんでしまう。
もちろん哀ちゃんはいつだって可愛いのだけど、その、なんというか。年相応な可愛い部分もあるんだなぁなんて。

「わぁ、元太くんすごい!」

私がコナンくんと哀ちゃんの方に少し意識を向けていた間に、元太くん達はまた違う話題に移っていたらしい。視線を向けると、得意げに探偵団バッジを掲げる元太くんがいた。ただし、そのバッジはぴっかぴかである。すごく綺麗。

「元太くん、そのバッジどうしたの?ぴかぴかだけど」
「昨日磨いたばっか!」
「自分で磨いたの?すごい、偉い」

ぞんざいに扱っている訳では無いけど壊したり無くしたりしてしまう私とは雲泥の差である。本当に、物は大切にしよう。きちんとメンテナンスとかしよう。そう心に決めた、その瞬間だった。

ききぃ、と金属の擦れる強いブレーキ音と共に、電車が急停車する。車体が大きく揺れて、吊革に掴まっていた私は何とか耐えられたけど子供達はコナンくんを除いて全員が派手に転んでしまった。
何?緊急停止?非常停止ボタンでも押されたのだろうか。電車はもう米花駅へと入り込んでいるところで、駅に到着する為に失速していたのが幸いした。
アナウンスで「赤信号の為急停車」と言うのを聞いてほっと胸を撫で下ろす。良かった、人身事故とかではないみたい。

「あ〜イテテテテ…」
「皆、大丈夫?」

元太くん、光彦くん、歩美ちゃんをそれぞれ立ち上がらせてあげる。哀ちゃんにはコナンくんがついてるから大丈夫だろうなんて思いながら、私は目の前の子供達の体をざっと確認した。…うん、派手に転んだけど特に怪我とかはしていないようだ。

『ドアが開きます』

電車のドアが開いて、真っ先に降りていったのは哀ちゃんだった。

「優しくしてもダァーメ」

……なんて言いながら降りていったけど、それが多分コナンくんへの言葉だろうこともなんとなくわかったけど、その言葉の意味は私には理解出来ず、他の子供達と一緒に首を傾げることしか出来なかった。



場所は変わって、私達は阿笠博士のお家にやって来ている。道中暑くて汗ばんでいたけど、博士のお家はクーラーが効いていて汗もすっかり引いた。涼しさにほっとしながら阿笠博士に今日のお礼を告げる。

「博士、サッカー観戦のチケットありがとうございました」
「いやいや、いいんじゃよ。コナンくんからサッカー観戦は初だと聞いていたが、どうだったかね」
「とっても楽しかったです!夢中になって応援しちゃいました」

博士はそんな私の言葉にそうかそうかと頷いてくれる。優しいなぁ。サッカーなんてわからないけど大丈夫かなって不安に思っていたけど、サッカーに詳しい子供達も一緒だったし本当に楽しめた。機会があればまた行きたいくらいだ。それまでには、もう少しサッカーのことも勉強していけたらと思っている。

「スタンドで比護選手にも会えたの!とってもかっこよかったよ!哀ちゃんなんか、ぽーっとしてたんだから」

歩美ちゃんの言葉に頷く。確かにあの時の哀ちゃんはぽーっとしていた。可愛かった。

「少し、話も出来ましたし!」
「ええ!」
「比護さんの、ぬいぐるみストラップもゲット出来たし!」
「残り、一個でしたから!」
「とてもラッキーだったわ!」

う。…哀ちゃん、なんだか本当に可愛いな。こんなににこにこしてるの初めて見た気がする。とっても、とっても可愛い。
比護選手のこと、本当に好きなんだなぁ。頬も少し赤らめちゃって、心から嬉しそう。大ファンなんだもんね。憧れの人に会えて良かったねと強く思う。

「ま、その比護さんが試合に出てたら、ビッグは勝ったかもな!」

元太くん、それは言っちゃいけないやつである。でも、そう言えるくらいには比護選手ってすごい人なんだろうな。私もいつか比護選手のプレーを見てみたい。

「そう言えば、その時の写真撮りましたから、見せますね!…って、あれ…?」
「どうしたの光彦くん」

博士に写真を見せようとスマホを手に取った光彦くんが、画面を見て眉を寄せた。なんだろうと私も背後から覗き込んでみると、画面には光彦くんの正面にいる歩美ちゃんが映し出されている。画面上部には、赤文字でRECと表示されている…録画中だ。

「録画中、だね」
「えー?ほんとだ!」
「いつからだよ!」
「電車の中から撮り始めてるみたいですから…」
「えっ、そんなに?」

電車が急停止して転んだ後、スマホを落としていないか確認した時にポケットの中でボタンを押してしまったらしい。ズボンの後ろポケットに入れていたのがまずかったんだろう。

「どうしてそんなところに入れてたの?」
「灰原さんがそうしてたから…真似して…」

光彦くんは、哀ちゃんのことが好きなのかな、なんてたまに思うことがある。やたら哀ちゃんのことを気にかけたり、哀ちゃんの真似をしたり。初々しくて私としてはにこにこ見守ってしまうんだけど、実際どうなのかはわからないので下手に口を挟まないようにしている。

「あっ、哀ちゃんのスマホは大丈夫?」
「えぇ、ちゃーんとポケットに入って……、」

不自然に言葉が切れた。
後ろのポケットを確認した哀ちゃんが、そのままの格好で硬直している。そして次の瞬間、哀ちゃんが悲鳴を上げた。

「きゃ、きゃあああああ!!」

その手に握られたスマホは、無事…のように見える。ただ、そこに付けられたストラップの先が寂しく揺れていた。あるべきはずのものが、そこにない。
今日、哀ちゃんが売店で比護選手のぬいぐるみストラップを買ってスマホに付ける瞬間を、私はしっかりと見ていたのだ。哀ちゃんのスマホには、ストラップの紐と金具部分しか残されていない。その先にあるはずの、比護選手のぬいぐるみがない。

「あ、哀ちゃん…!」
「残り一個をゲットしたやつですよね?!」
「ま、まぁ、そのうちネットでも買えると思うから…」

コナンくんが地雷を踏み抜くのを、私は聞いてしまった。
コナンくん、今のはダメだ。あまりに無神経な一言だったと私も思う。
ギッ、とコナンくんを睨んだ哀ちゃんが声を上げる。

「もう買えないわよ!!あのストラップは、今日比護さんが…!」

へぇ、そんなグッズも出てるのか。俺に似てなくて可愛いな。
比護選手がそう言いながら、触ってくれた。

「世界でたった一つのストラップだったのよー!!!」

大好きな人が直接触ってくれたストラップ。ストラップ自体同じものでも、比護選手の手が触れたのは哀ちゃんの持っていたストラップただ一つだ。他のものが代わりになるわけじゃない、それじゃなきゃダメなのである。
哀ちゃんはそのままふらふらと壁に寄りかかり、動かなくなってしまった。…どうやらショックで放心状態になってしまったらしい。こんな哀ちゃん見たことない。…余程ショックなんだろう。いや、想像しか出来ないけど。

「でも、どこで落としたんでしょう…」
「電車でコケたときじゃねぇのか?」

元太くんがそう言うと、コナンくんははっとしたように顔を上げた。それから光彦くんを見つめて手を差し出す。

「おい光彦、スマホで勝手に撮っちまった動画、見せてみろ」
「あ、はいっ」

光彦くんのスマホを受け取ったコナンくんが、先程の動画ファイルを開く。私達はコナンくんの手元を覗き込んで、流れる動画に目を向けた。そこに映っていたのは。

「あっ…!これ!」

電車のドア付近にいたおじさんが、サッカー選手のぬいぐるみストラップを拾う瞬間がばっちり録画されていたのである。

「これ、比護さんのストラップじゃねぇか?!」
「そうですね!そう見えます!」
「間違いないよー!」

はっきりとは見えないけど、動画を拡大する限り確かに私にも比護選手のストラップに見える。そうとは言い切れないけど、あの場でそう何人もが同じようなストラップを落とすとは考えにくい。

「じゃあ、駅の落し物預かり所に届けてくれているかもしれんのぉ」
「すぐに電話を!」
「わかった!哀くんの為じゃ!」

コナンくんの声に、阿笠博士が力強く頷いた。


***


結論として、ぬいぐるみストラップは見つかった。見つかったのだが…歓声が上がったのも束の間、届けられていたのは米花駅ではなく千槍町の千槍駅だということが判明したのである。

「千槍町って…」
「ここから結構離れてますよね…」
「どうしよう」
「もう金ねぇぞ?」
「博士のビートル出してくれよ!」
「そうだぞ!」
「お願いします!」
「それが、友人のバーテンダーに貸しておってのう…」

道理で、お庭にいつものビートルが見当たらないと思った。というか、バーテンダーのお友達なんてなんだか素敵だなぁ。
…それは置いておいて。皆で千槍駅まで行くくらいの運賃なら私が出してあげられるけど、電車で行くとなるとこれから米花駅に行き、しばらくは電車に乗らなければならない。単純計算でも往復二時間くらいはみておきたい道のりだ。今から行くとしても、少し遅くなってしまうな。

「まぁ焦らんでも、後日取りに行けばいいじゃろ」

そうは言っても。
壁に寄りかかったままぴくりとも動かず放心している哀ちゃんを見ると、とてもじゃないけどじゃあ後日に、という気持ちにはなれない。だって、あんなに喜んでいたものだし。大切そうにぬいぐるみストラップを握る哀ちゃんの表情を思えば、今日このまま解散するというのも後味が悪い。
かと言って、子供達を全員連れて取りに行くほどでもないだろう。

「…なら、私が取りに行ってくるよ。ちゃんと受け取ってくるから、皆はここで…」
「おや?」

私一人で事済むだろうと思い提案をしようとしたら、不意に玄関の方から声がして振り向いた。玄関のドアを背中で押し開けながら入ってくるのは、見知った人物。沖矢昴さんである。…ミトンを両手にはめて、何やら大きな鍋を持っているようだが。

「どうかされましたか?」
「昴さん!」
「今日は、先日煮込みが甘いと不評だったカレーを、リベンジの意を込めてお裾分けに来たんですが」

突然入ってきたけどチャイムとか鳴らしたのかな。聞こえなかったけど。それともお隣さんのよしみってことでその辺は気にしないのだろうか。
それに、煮込みが甘いと不評だったなんて。沖矢さんのカレーは私も一度ご馳走になったことがあるけど、確かに大味ではあったが美味しかったけどな。

「それより、灰原さんが落とした大切なストラップが、千槍駅に届けられていて…!」
「今から皆で取りに行くの!」
「昴さんの車で、連れて行ってくれる?」

いつの間にか、皆で取りに行くことになっていたらしい。子供達と沖矢さんが一緒なら私の出る幕はなさそうだ。…と、思ったんだけど。
なるほど、と呟いた沖矢さんはちらりと哀ちゃんに視線を向ける。

「彼女は、行かないんですか?」
「あ、あぁ…かなりショックだったみたいで」

哀ちゃんは未だ放心状態のまま戻ってくる様子はない。沖矢さんは小さく頷くと、申し訳なさそうに言った。

「残念ですが、車はこの後使う用があるので」
「えぇー?」
「ダメですか…」

落胆する子供達に、でも、と沖矢さんは言葉を続ける。

「この家の傍に、見慣れた車が停まっていたから…彼に頼めばいいのでは?」
「見慣れた車?」

見慣れた車って。私の周りで車に乗っている人と言えば、考えても阿笠博士や沖矢さん、あとは透さんくらいしか思いつかないけど…もしかして。
目を瞬かせていたら、沖矢さんは私を見て小さく笑った。

「白い、RX-7ですよ」


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