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沖矢さんに促されるまま阿笠博士の家から出てみれば、すぐ前の道に見慣れた白い車が停まっていた。低いエンジン音を唸らせているその車に歩み寄ると、子供達と私、それから沖矢さんに気付いた様子の彼が窓を開けてくれる。…透さんだ。確か今日は午前中はポアロだと言っていたけど、午後はオフだったのか。
透さんは白い半袖チャイナシャツに身を包んでいる。その服を見るのは初めてだった。夏らしい涼やかなデザインでとても似合っていて、ちょっとときめいてしまう。こんな服持ってたんだな。

「あーっ!やっぱり〜!安室さんだ〜!」
「ここで、何してるんですか?」
「この辺をドライブしていたら眠くなってしまって、少し仮眠を」
「え、大丈夫ですか?お疲れなんじゃ…」

透さんがドライブ中に眠くなるなんてあんまり想像がつかないというか。お疲れなんじゃないかと少し心配になったが、透さんは苦笑して首を横に振った。

「君達こそ、どうしたんだい?」
「友達が落としたストラップを、これから千槍駅まで受け取りに行くんだけど…車で送ってくれない?」
「千槍駅まで少し距離がありますし…皆、どうしても行く気満々みたいで」

私が口添えすると、子供達が「お願いします!」と揃って言いながら頭を下げる。これから透さんに何か用事がなければ良いのだが、もし用事があって車で送って貰うのは無理だとなればやっぱり私が取りに行くのが一番手っ取り早いかな。
子供達のお願いを聞いて、透さんは少し考えているようだった。…もしかして、迷惑だったかな。

「私からも、お願いします」

子供達を後押ししたのは、沖矢さんだった。
軽く背を屈めて車の窓を覗き込みながら、徹さんと目を合わせてにっこりと笑っている。透さんは一瞬目を瞬かせたが、すぐに目を細めてじっと沖矢さんを見返している。

「まぁ、ここを離れたくない理由が他にあるなら、仕方ありませんが」
「ええ。もう少し仮眠を取っていたかったんですが…残念です。…ここはゾクゾクするほど、寝心地が良いんでね」

う。…やっぱりこの二人、仲があまり良くないんだな。口を開けばピリピリしてしまうようだし…なんだかお互いに煽り合っているようにも聞こえてくる。
私としては透さんも沖矢さんも大切な人に変わりはないし、出来れば仲良くしてもらいたいと思うけど…どうやらこの二人にしかわからない因縁のようなものがあるようだし、難しそうだ。

半ば押し切られるような形ではあったが透さんが承諾してくれた為、子供達は透さんの車で千槍駅まで送ってもらうこととなった。透さんの車は四人乗りだし、子供達が皆で行くなら私はお留守番かな、と思っていたのだけど。

「えっ、ミナお姉さん行かないの?!」
「何でですか!ほら、乗ってくださいよ!」
「え、えぇ…?」

そんな無茶な。この場合、違反して捕まるのは運転手である透さんである。いくら子供達がそう言ったところで、私一人のせいで透さんに迷惑をかけるわけにはいかない。
そう思ったんだけど、車から飛び降りた歩美ちゃんに腕を引かれて困り果ててしまった。

「ダメだよ、私が乗ったら定員オーバー」
「どうしてー?博士のビートルには、いつも博士と歩美たち五人合わせて六人で乗るよ!」
「いや、大人と子供じゃ乗車の時の計算方法が違ってね…?」
「オレそういうのよくわかんねーから、ミナ姉ちゃんとっとと乗れよな」
「いや無理だってば」

歩美ちゃんと光彦くんに続いて元太くんまで。コナンくんは呆れた様子でこっちを見ているけど、黙ってないでなんとか言って欲しい。
どうしようかな、と思っていたら、運転席の透さんがやれやれと苦笑して言った。

「今日だけ特別ですよ」
「えっ?」
「君達、窮屈だけど後ろに四人乗れるかい?」
「元太くんが詰めてくれれば問題ありません!」
「オレかよぉ!」
「ほらほら、元太くん詰めて!コナンくんも早く!」

私がぽかんとしている間に、子供達が後部座席へと乗り込んでいく。コナンくんは最後まで「マジかよ」といった顔をしていたけど、「マジかよ」と思っていたなら「マジかよ」と声に出して欲しかった。君の「マジかよ」があればもしかしたら流れも変わっていたかもしれないのに。
子供達が後部座席に乗り込み終わると、透さんは助手席の椅子を元に戻して私に視線を向けた。

「ミナさんも窮屈でしょうが、我慢してください」
「え、いや、窮屈だとかそういうのは全く構わないんですけど」

本当に、大丈夫だろうか?
これってお巡りさんに見つかったらまずいやつなんじゃ。怒られてしまうやつなのでは。
透さんに促されて尚、私の為に用意された助手席に乗ることが出来ない。だって、やっぱり不安というか…心配じゃないか。

「あなたも少年探偵団≠ネんでしょう?あなた一人を置いていったら、この子達に怒られてしまいそうですから」

尻込みしていたら、透さんにそう言われて目を瞬かせた。
確かに、最初は臨時団員として少年探偵団に入団(?)した私だったけど、子供達は私のことを少年探偵団の一員≠ニして扱ってくれている。臨時団員なんかじゃなく、ちゃんとした一員と思ってくれているのが伝わってくる。
だからと言って四人乗りの車に乗り込んでいいという理由にはならないけど…でも、乗りかかった船だしこのまま皆を見送るというのもなんとなく後味が悪いのは確かだ。
口を噤んで佇む私を促したのは、そっと背中に触れる沖矢さんの手だった。はっとして振り向くと、柔らかく微笑まれる。

「行ってらっしゃい、ミナさん」

そっと背中を押されて、そのまま透さんの隣…助手席へと滑り込む。
良いのだろうか、という気持ちはまだあったけど。でも透さんも今日だけ特別だと言っていたから、今日だけ許してもらおうと無理矢理自分を納得させる。
お巡りさんごめんなさい。シートベルトを締めながらそう思ったけど、考えたら隣にいる人がお巡りさんなのであった。尚更良いのか、と不安になった。


***


「さて、どうやって探しましょうか」

私達は今、ファミレスでこれからのことを話し合うところである。全員でドリンクバーを頼み、子供達の前にはオレンジジュース、透さんの前にはコーヒー、私の前にはアイスカフェオレが置かれている。透さんの言葉に、子供達始め私もうぅんと唸った。
千槍駅の落し物預かり所には行った。結果として、サッカー選手のぬいぐるみストラップは確かに落し物として届けられていた。だが、いざ駅員さんに手渡されたそれは、哀ちゃんの落とした比護選手のストラップではなく、真田選手というまた別の選手のストラップだったのである。
光彦くんが録画してしまった映像を見た透さんの推理は、ストラップを拾った男性とその傍にいた男の子は親子関係で、息子が落とした真田選手のストラップと間違えて比護選手のストラップを拾ってしまったのではないかというもの。駅員さんに聞いたところ、真田選手のストラップを届けに来たのはもっと若い男性だったと言うし、ストラップを拾ったおじさんが今もまだ持っている可能性は高いのではないか、とのことだった。つまり、映像に映っていた男性を探して話を聞いてみるしかないのだが…透さんの言う通り、どうやってこの親子を探せば良いのかという問題に直面してしまっている。
ついでに言うと元太くんの探偵団バッジも電車の中で紛失したようだが、それも落し物預かり所には届いていなかった。

そんなわけで。
ファミレスで作戦会議というわけだが、名前もわからない親子を探し出す方法なんて私には皆目見当もつかない。
難しい顔をして黙り込んだ私を見て、透さんが「ひとつずつ整理してみましょう」と言う。光彦くんのスマホを囲み、皆で真剣にその映像に見入った。

「君達の友人が電車の中で落とした、比護選手のぬいぐるみストラップを拾った、この子連れの男性。見たところ、親子共々かなり日焼けしているようだけど」
「ほんとだぁ」
「真っ黒だな!」
「…でも夏だしなんら不思議ではないような」

海水浴とか、川遊びとか、…プール、とか…夏ならではのアウトドアとか…水関連くらいしか浮かばないのが情けないけど。あ、キャンプなんかもあるか。とにかく、日焼けするタイミングなんていくらでもありそうなものだけど。

「当たり前の事柄を見直して、そこから何かが見えてくることもあるんですよ」
「そういうものですか」

探偵さんってすごいな。

「もしかしたら…海水浴に行くところなんじゃないでしょうか?」
「いや…それはねぇな」
「ないの?」

光彦くんの意見をばっさり否定したのはコナンくんである。コナンくんは頷くと、いいか、と話し始める。

「この動画は、午後三時にサッカーの試合を観戦し終えて、あの電車に乗ったオレ達が、十分かけて米花駅に着いたところだから…」
「そっか、海水浴に行くにしては遅すぎるってことだね」
「そういうこと」

午後三時から海に移動していたら夕方になってしまう。そんな時間から海水浴を始めるとは考えにくい。

「あっ、じゃあ、海へ行った帰りなんじゃない?」
「それもないな。オレ達が乗っていたのは、湘南新宿トレイン。群馬県の高崎から出発して、新宿や横浜を通り、神奈川県の小田原に行く電車」
「そっか、内陸からの電車だから米花駅まで海なんてないね」

透さんの言った通り、当たり前のことをひとつずつ整理して見えてくるものがある。この親子は、海水浴に行くわけじゃなく、海からの帰りというわけでもないということがわかった。
…まぁそこからどう繋がっていくかは私にはまだわからないけど。

「だったら室内プールとか?」
「虫取りじゃね?」
「ただ単に、知り合いの家に遊びに行ったのかも」

うーんどれも有り得そう。というか、どれが正解でもおかしくない。再び頭を悩ませる私達を見て、透さんが口を開く。

「それじゃあ、その親子の会話とか聞いてないのかい?」
「電車の中で傍にいた人の会話内容なんて聞いてないですよ」
「何も全部じゃなくていいんです。こんなことを言っていたなぁとか、単語だけでも大きな手がかりですよ」

と、言われましても。
むむと眉を寄せる。

「会話、ですか…」
「オレ、探偵バッジをぴかぴかに磨けたの自慢してたし…」

そう、元太くんがぴかぴかになった探偵バッジを見せてくれたのは覚えてるけど、そんな時に親子の会話まで耳を傾けてなんかいなかったなぁ。
そこで、あ!と声を上げたのは歩美ちゃんだ。

「そういえば、お父さんが男の子に丁度仮面ヤイバーを見終わるぐらいだよ≠チて言ってたよ!今日はヤイバーの日じゃないのにね!」
「仮面ヤイバーを見終わるぐらい…?」

仮面ヤイバーと言えば元太くん達が大好きな特撮ヒーローの名前である。私は見ていないから詳しくは知らないけど、先日阿笠博士の発明品でスイカが仮面ヤイバーに彫られたのが記憶に新しい。確か、特撮番組自体は三十分のはずだけど。

「その男の子、お父さんにそう言われる前に聞いてなかったか?あとどれくらい?≠チて」
「あっ!聞いてた聞いてた!」
「となると、それは目的の駅まであとどれくらいかかるかを、三十分番組の仮面ヤイバーに例えていたかも知れませんね」
「それ言ってたのって、いつかわかるか?」
「うん。電車がキーッて止まって、皆が転んだ後だよ」
「だとすると、米花駅から三十分…この千槍駅辺りだけど…」

す、すごい。本当に小さな一言が大きな手がかりになっている。子供達の記憶力ももちろんだけど、透さんとコナンくんの頭の回転の速さには舌を巻く。小さな糸口から真実を暴くって、きっとこういう細かなことの繰り返しなんだろうなぁ。
光彦くんの証言で、男の子が窓に息を吹きかけて自分の名前を書いていたようだったとか、そんな私達が乗った車両は前から三両目だったとか、あっという間に次々と手がかりが見つかっていく。

「この親子、日焼けしてるのに手首から先が真っ白じゃんか!」
「それに見て!鞄に、何か角張ったものを入れてるみたい!」
「クーラーボックスの紐が切れて、中に入れてるとか!」

子供達の推理は続く。着眼点がすごくて口を挟む隙もないけど、子供達が導き出した手がかりを総合して見てみると…。

「魚釣り…だとすると釣竿がないし、山登りにしては軽装すぎる。…手先が日焼けしてないのは何故?軍手とか?」

うんうんと無い頭を捻って考えてみるけど、なんとなくしっくり来ない。ふと視線を感じて顔を上げれば、にこにこ笑いながらこちらを見ている透さんと目が合った。
え。もしかしてずっと見られてたのかな。うんうん唸ってるところを?

「…な、なんでしょう…」
「いえ?…真剣だなぁと思いまして」

あなたも探偵が様になってきたのでは?なんて言われて、恥ずかしさに頬にかっと熱が上がった。
探偵さんにそんなこと言われるのは恥ずかしいし、探偵なんて程遠いし、所詮私なんて探偵の真似事をしているに過ぎない。
…でも透さんの目は優しくこちらを見つめていたから、まぁいいか、なんて思った。


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