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「もしかしたら、潮干狩りかもしれねぇな」

そう言ったのはコナンくんだった。確かに潮干狩りは軍手を使うから手先が日焼けせずに白いのも頷けるけど、潮干狩りのシーズンと言えば春。そして今は夏。それに、手先が白いからと言ってこれから潮干狩りをすると断定することは出来ないんじゃないか。まぁ、手先と腕の色が違ってくるような日焼けの仕方をするくらい、潮干狩りが趣味というのも考えられなくはないけど。
…と思ったのだけど…コナンくん曰く、今じゃ潮干狩りはオールシーズン出来るイベントらしい。いかん、時代のアップデートについていけていない。ベストシーズンは四月から五月だが、夏も潮干狩りを開いている会場はざらにあるとのこと。

「それに、今日の千槍海水浴場の干潮は十七時五十九分で…潮干狩りは、干潮の一、二時間前に現地に着いているのがベストだから、その電車に乗るのも頷けるね」

即座に干潮の時間を調べる透さん、さすが過ぎる。探偵さんは考えるのも早ければ行動に移すのも当然早い。私が考え始める頃には全部話が終わっちゃったりするんじゃないかと思う。
ストラップを拾ったお父さんも、自分の息子のものじゃないとわかればきっとすぐに返してくれるだろう。千槍海水浴場に行ってその親子を探し、ストラップを返してもらおうということで話もまとまった。

「受け取ったら、哀ちゃんに返すまでもうゼーッタイに誰にも渡さないんだから!ゼッタイのゼッタイ!!」

歩美ちゃんが意気込むのを見て、皆が笑った。


透さんが会計を済ませてくれると言うので車の鍵を受け取り、子供達と一緒に外に出る。私も半分出そうとしたのだけど、さらりと断られてしまった。うっかり自分の分のアイスカフェオレも透さんに奢らせてしまったことに気付いたのはお店を出てからだ。車に向かって歩き出す子供達を見つめながら小さく溜息を吐く。

「しまった…カフェオレ代だけでも受け取ってくれないかな、透さん」

私がそうぼやくと、隣にいたコナンくんが呆れたような視線をこちらに向けてくる。え、なんでそんな顔。

「ミナさんってさぁ…良く言えば律儀だけど堅苦しすぎない?」
「え、そ、そう…かな?」
「超高級フレンチご馳走してもらったーとかじゃないんだよ?ファミレスのカフェオレ一杯だよ?小さな額だよ」
「小さな額でも積み重ねというか…」

だって私は、普段から透さんに甘えっぱなしなのだ。彼の家に転がり込み、家賃どころか生活費だって彼に甘え、日々をのうのうと生きている。透さんが受け取ってくれない分の家賃やら生活費やらはひたすら貯金に回しているが、いつどんな形で彼に返せばいいのかずっと頭を捻らせている。
現金じゃ当然受け取ってくれないだろうし、…家電買い替えのタイミングとかがあれば無理にでも私に出させて欲しいと思うけど、見た感じ家電類はみんな比較的新しそうなんだよなぁ。壊れるにはあと数年は要しそう。
…ごちゃごちゃ考えてしまうけど、つまりは。

「甘えることに、慣れたくないの」

それが当然、なんて思うようになりたくない。私は透さんのお荷物になりたくないし、彼におんぶに抱っこされたいわけじゃない。彼に寄りかかって頼り切ったまま生きたいわけじゃない。
対等だなんて烏滸がましいけど。それでも自分の力で立って、自分の力で歩いて、彼の隣に居続けたいと思うのだ。

「当然って、思いたくないんだ。透さんは優しいから、だからこそ私はそれに甘えすぎちゃいけないと思うの。……なーんて、現状甘えてばかりだから何も言えないけどね」

そもそも自分の足ですら歩けていない気がする。透さんにしがみついてズルズル引っ張られているだけ的な。あまりにズルズルしてるから仕方ないなっておんぶしてもらってるんじゃないかな、今の私の現状。せめてまずは自分の足で立ちましょう、心の中で自分を強く叱責する。叱責するだけなら簡単である。
情けない。はぁ、と溜息を吐けば、コナンくんは私の顔を見上げて、ふぅん、と呟いた。

「その強さはミナさんの良いところだけど」
「え、全然強くないよ私」
「安室さんも苦労するなぁ」
「えっどういうこと?ごめんなさいちゃんと自立します」
「安室さんはさ、もっともっと甘えて欲しいなーなんて、考えてるんじゃない?」

ぱちり、と。
目を瞬かせていたら、コナンくんは私を見てへらりと笑った。

「コナンくん、」
「あっ、雨降ってきちゃった!ほらほら、ミナさん早く!」
「ミナお姉さん、早くー!!」

ファミレスの軒下から駆け出すコナンくんと、車のところから私を呼ぶ子供達を見て言いかけた言葉を飲み込む。空を見上げれば、ぽつぽつと雨が降り出している。にわか雨だからきっとすぐに止むだろうけど、濡れたら風邪を引いてしまうかもしれない。
車の鍵を持っているのは私だ。早く鍵を開けて子供達を車に乗せないと。

「…今行く、」

私は言葉を返して、車に向かって駆け出した。


***


透さんの運転で千槍海水浴場へ向かった私達だったのだが。ここまで来て尚、神様は手厳しいらしい。

「人が…いーっぱい!」

そうなのである。シーズンオフにも関わらず、砂浜を埋める人、人、人。うっかり走り出したら私が迷子になってしまいそうなレベルの人混み。開いた口が塞がらない。
ここの砂浜は潮干狩り客のみで海水浴客とは会場が違うようだからまだいいのかもしれないけど、それにしたって太陽の日差しや照り返しの熱に加えて人の熱気もすごい。
この中から、あの親子を見つけるのか?

「気が遠くなるね…」
「せめて名前とかわかっていたら…」

光彦くんの呻きに頷くことしか出来ない。手がかりは動画のみ、この人混みからあの親子を探すなんて六人がかりでも骨が折れる。
どうしたものかと困り果てていたら、ふと透さんがスマホを取り出して私たちから少し離れた。…誰かと電話?随分と声を潜めているようだけど、どうしたんだろう。仕事の電話とか?
電話はすぐに終わったようで、透さんはスマホをポケットに戻しながら振り返るとにっこりと笑みを浮かべた。

「わかったよ。よしだゆうと′N、という名前だそうだ」
「えっ?」

今の電話でわかったのか?というか今の電話、一体誰から。

「よしだゆうと?それがあの男の子の名前なの?」
「ああ。僕の友人が偶然あの電車に乗り合わせていてね。例の扉の窓に息を吹きかけて、少年が書いた文字を確かめてもらったんだ」

なんということでしょう。さっきの電話はその友人から?というか友人が偶然乗り合わせてたってそんなことある?子供達は嬉しそうだからいいけど、私としてはただただ驚きを隠せない。探偵さんの持つ手段って多岐にわたる。
コナンくんは透さんの言葉にニヤリと笑うと、ポケットから赤い蝶ネクタイを取り出した。蝶ネクタイの裏側には何やら機械のようなものが取りつけられているけど…もしかして、これも阿笠博士の発明品?
コナンくんは私と安室さんの影に入ると、そのままそこで喋りだした。

『東京からお越しの、よしだゆうと様。お連れ様がお見えです。至急、海の家の前まで来てください。繰り返します…』

えっ、拡声器?!しかも声まで女性のものに変わってる…!驚いて目を丸くしていると、そんな私に気付いたコナンくんが小さく笑った。
すごい。蝶ネクタイの形をした変声機?そして拡声器?ユニークで便利なグッズを作る阿笠博士は本当に天才だと思う。コナンくんも探偵さんとしていろんな手段を持っているんだなぁ。ほんと、小学生にしておくには勿体ないというか…いや、将来が楽しみって言った方がいいかな。
そんなコナンくんに感心していたら、私達におずおずと近付いてくる影があった。振り向いて息を飲む。

「あ、あのぅ…よしだゆうとは私の息子ですが…もしかして、同姓同名の別の方のことでしょうか…?」

そこにいたのは。紛うことなき、光彦くんの動画に映っていた日焼けした親子の姿であった。子供達の表情が輝き、皆で歓声を上げている。

「おじさん、サッカー選手のストラップを、電車の中で拾ったよね」
「あ、あぁ…息子のだと思って。でも、違う選手のやつだったようで」
「それ!歩美の友達のなの!」
「その子のストラップは、千槍駅にありましたから…!」
「返してくれよ!」

子供達の話を聞いて、おじさんもゆうと君も嬉しそうに笑う。無くしたストラップの行方もわかってほっとしたんだろう。
おじさんは丁度よかったと笑ってポケットから比護選手のぬいぐるみストラップを取り出し、こちらに差し出してくれた。

「はい。悪かったな、ボウヤ達」
「いえ、」

本当に良かった。考えたらここまでなかなかに長い道のりだったし、無事に見つかったとわかったら哀ちゃんも喜んでくれるだろうし、元気になってくれるだろう。
コナンくんがおじさんの手の上のストラップに手を伸ばした、その時だった。
突然横から伸びたがっしりとした腕が、ストラップをひったくる。

「えっ?」

ばたばたと走っていく足音に目を向ける。キャスケットを被り、スーツを着た男性がストラップを握りしめて駆けて行くところだった。

「えぇ〜?!?!」

子供達の悲鳴が上がる。慌てて皆でその男性を追いかけたけど、何せ辺りは潮干狩り客でいっぱい。あっという間に見失い、私達は呆然と立ち尽くしてしまった。

「てかなんで?!ただのぬいぐるみストラップだぞ?!」
「そう言えば今の男、見覚えがあるな」

透さんの話では、千槍駅のお忘れ物総合取扱所の前に立っていて、先程入ったファミレスでは歩美ちゃんの後ろの席に座っていたらしい。そんなところまで見てるなんて本当にさすがすぎる。
でも、だとしたら。

「…もしかして、私達ずっと尾行されてた…?あの人、比護選手のぬいぐるみストラップをずっと狙ってたんじゃないかな」
「だからなんでだよ!ただの比護選手のぬいぐるみストラップだろ?!」

心底わからないと肩を落とすコナンくんに、子供達が声を上げて反論する。

「ただのじゃないもん!!」
「灰原が、すっげぇ大事にしてた!!」
「世界でたったひとつのストラップだからですよ!!」

気持ちはわかるけどそれは求めている理由とは少し外れているような。
普通に考えても、あの男性が、あのぬいぐるみストラップを狙う理由がきっと何かあるはずである。比護選手のストラップが欲しかったのだとしても、今日は売り切れていたとは言ってもまた再販されるものだろうし、またその機会を待てばいいだけの話。こんな無茶をして奪うなんて、一体どうして。

「もしかしたら…ぬいぐるみの中に入っていたもののせいかも…」

そう言ったのはおじさんだ。

「ゆうと、中に何か入っていたよな」
「うん。ぎゅっと握ったら硬かったから」
「…硬い何かが入ってた?」
「それは恐らく!極秘のデータとかが入った、USBメモリが仕込まれていたんですよ!」
「えぇー?!」
「…そんなことってあるの?」

さすがにそれは映画の見すぎではないだろうかと思ったけど、光彦くんの話では哀ちゃんが購入したストラップは販売品のものは売り切れで、見本品を頼んで購入したらしい。それを聞いた透さんによると、それならば極秘のデータが入ったUSBなんていうのも満更無い話ではないらしい。

「見本品を手に取って見るふりをして、誰かが何かを仕込み、その品が売り切れたところで別の誰かが「見本品でいいから売ってくれ」と頼めば、その取引は秘密裏に成立するからね」
「な、なるほど…?」

透さんが言うのなら、やはり有り得る話なんだろう。彼が言うとどうしても現実味を帯びるのは致し方ない。だって本職の探偵さんだし。

「ところが君達の友達に先に買われてしまい、なんとか取り戻そうと後を尾けていたら。電車が揺れて友達がストラップを落としてしまい、これ幸いと拾ったが別のストラップだった。とりあえずそのストラップを駅の忘れ物取扱所に持って行ったところに君達が現れ、目当てのストラップを探してくれそうだから再び後を尾け、奪う機会を狙ってたってところかな」

わかりやすい透さんの説明に頷く。確かに辻褄は合うし、透さんが言うのだからその可能性は高いんだと思う。ただ、極秘のデータが入ったUSB…というのがなんとなくしっくり来ない。極秘の、なんて言うくらいならきっと良い人ではなさそうだし…でも違和感があるというか。
とにかく今は一刻も早く取り戻さなくてはならない。用が済んだら、ストラップは捨てられてしまう可能性が高いからである。

「こうなったら手分けして、さっきの男を探すっきゃねぇな!」

コナンくんの声に、子供達が力強く頷いた。



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