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「安室さんとミナさんは、この海水浴場の出入り口を見張ってて!あの男、とても潮干狩りの客とは思えない格好をしてたから!」

コナンくんにそう言われ、私と透さんは海水浴場の出入り口へと移動した。子供達はコナンくんの指示で、あの男性の特徴を大声で言いながら砂浜を探し回っている最中だ。
テキパキと指示を飛ばすコナンくんを見て、透さんが「ベーカーストリートイレギュラーズを手足のように使って情報を収集するシャーロック・ホームズのようだ」と言ったけど、本当にその通りだと思う。私はと言えば、コナンくんは本当にすごいなぁなんて思いながらぽかんと見ていることしか出来なかった。
少年探偵団。本当に、子供のごっこ遊びなんかじゃないんだ。もちろん彼らの実力というか、そういうものを侮っていたわけでは決して無いけど、改めてその力を目の当たりにすると純粋にすごいなぁと思ってしまう。

「…見つかるでしょうか」
「見つけるでしょうね」

即答だな。…でもそれも当然か。コナンくんの実力は、きっと私よりも透さんの方がよく知っているんだと思うし。透さんは優しいから子供達に付き合ってくれているっていうのも当然あるけど、彼らのことをある程度信頼していないとここまで付き合ってあげるというのもなかなか難しいことだと思う。

「コナンくんのこと、信頼してるんですね」
「ええ。彼は本当にすごい男ですよ。将来が少し怖いくらいにね」
「ふふ、本当に。どんな大人になるんだろうなぁ」

イケメンさんになるのは間違いないだろう。頭も良くて顔も良くて、オマケに運動神経もいい。文武両道、きっとモテモテ間違いなしだ。彼が大人になる頃には私もすっかりおばさんだけど、そんな数十年後の未来も交流があるといいな。子供の成長を楽しめるのは大人の特権だと思う。

「…そういえばミナさん、先程少し難しい顔をしていたようでしたが。何か引っかかることでも?」

問い掛けられてぱちりと目を瞬かせる。
難しい顔なんてしていたっけ、と思ってからあぁ、と頷いた。ストラップを奪っていった男性のことである。

「…犯人の男性ですけど、なんか訳ありなんじゃないかなと…。…本当に悪い人なのかなって」

なんとなくのことだから私もはっきりとは言えないんだけど。さっきの透さんの話が正しいとすれば、あの男性は間違えて拾った真田選手のストラップを、わざわざお忘れ物取扱所に届けてあげたということになる。
もちろん突然ストラップを奪って逃げてしまったのは悪いことだ。だけど、私にはどうしても本当に悪い人の仕業とは思えないのである。

「…それに…」

ちら、と透さんを見つめる。
…あの男性がストラップを奪って逃げた時、透さんはそれを追い掛けて取り押さえたりしなかった。人目の多いところだから目立つことを避けたということなのかもしれないが、透さんならその辺は上手くやるんじゃないかな。取り押さえるまではしなくても、腕を掴んで引き止めるとか…それくらいのこと、あの時透さんには出来たはず。それをせずに見送っていたというのはどんな理由があるんだろうと考える。
…ストラップを奪われた後コナンくんがどうするか見てみたかった、とか?引き止めるまでもないと思っていたとか。自分が手を出さなくても、コナンくん達少年探偵団があの男性を追い詰めることを予想したとか…。
考えても正解はわからないけど。

「それに、なんです?」
「ひぇ、」

ひょい、と顔を覗き込まれてびくりと身を竦ませる。突然のイケメンさんのドアップは心臓に悪い。
透さんは私を見つめたままにこりと笑っている。…でもきっと、あの男性を追いかけなかった理由を聞いても教えてくれないような気がした。
透さんは、コナンくん達はあの男性を見つけるだろうと言ったのだ。なら私もそれを信じて、コナンくんに言われた通り出入り口を見張るだけである。いろいろ考え込んでたから見張れていなかったけど。職務怠慢だ。
変わらず私を見つめたままの透さんの顔を両手で挟んで、そのままそっと出入り口の方へと向けさせてもらう。透さんが今見るべきは私の顔ではなく出入り口の方である。

「なんでもないです。見張り続行です」
「はいはい」

透さんはクスクスと笑って肩を竦めた。



結論として、ストラップを奪って逃げた男性は見つかった。海も空も赤く染まり始めた頃だった。
ハンチング帽にスーツという夏にしては目立つ格好だった男性は、海の家でアロハシャツや帽子を買い着替えたが、ズボンだけは更衣室でないと着替えられない為、更衣室前を張ってたコナンくんに敢無く捕まったというわけである。
で、捕まえたところでよくよく話を聞いてみたところ…私達の追ってた案件は更にややこしいことになっていたことがわかった。比護選手のストラップは元々この男性のもので、比護選手のファンである彼女さんにプロポーズする為に、婚約指輪をぬいぐるみに入れていたのだという。今夜サプライズで渡す予定だったらしい。悪い人どころかとっても彼女さん思いの良い人だった。私の感じた違和感はやっぱり正しかったみたい。

「あー!綺麗…!」
「ま、まじで入ってやんの…!」
「高そうですねぇ…!」

コナンくんがぬいぐるみの中を開けてみれば、そこには確かに輝く婚約指輪が。
つまり電車の中でストラップを落としたのは三人いて、この男性が落とした比護選手のストラップをあの親子が拾い、あの親子の真田選手のストラップをこの男性が拾った。誤解が解けたところで比護選手のストラップは男性に返したけど、でも、じゃあ。哀ちゃんのストラップは?

「哀ちゃんのストラップはどこへ行ったの?」
「謎ですねぇ…」
「オレの探偵バッジは見つかったのによぉ」
「んっ?元太、どこで見つけたんだ?」

元太くんの探偵バッジが見つかったのは知らなかった。駅ではないって言われてたからそれ以降のことだけど、そんな見つけるようなタイミングがあっただろうか。

「ファミレスの駐車場で。雨が降ってきた時に、パーカーのフードを被ったら、カンカンッて落ちてきたんだよ」
「…ねぇ、それって…」

もしかして、と思いながら元太くんのパーカーのフードを覗き込む。フードを被って落ちてきたってことは、彼の探偵団バッジはこのフードの中に入っていたんだ。だからもしかして哀ちゃんのストラップも、なんて思ったけど、さすがにそんなわけないか。フードの中は空っぽだった。

「電車で転んだ時にこの中に入ったんだね」
「そっかぁ!」

元太くんは探偵バッジが見つかった理由がわかって嬉しそうだけど、コナンくんはまだ難しい顔をして考え込んでいる。
どうしたんだろ。哀ちゃんのストラップの行方について、何か糸口でも見つけたのかな。

「ここにないってことは…灰原のストラップは、ファミレスの駐車場だ!!」
「えっ?!」

コナンくんの言葉に目を丸くした。
透さんの車に乗り込んで、皆で先程立ち寄ったファミレスへと引き返す。駐車場に着けば、コナンくんは元太くんがフードを被ったという辺りまでやってきてすぐに地面に体を伏せた。

「灰原のストラップも元太のフードの中に入っていて…元太がフードを被った時に、バッジと一緒に落ちたんだ。だから元太がフードを被ったこの辺に……」

きょろきょろと辺りを見回しながら慎重にぬいぐるみを探していだコナンくんが不意に動きを止めて、声を上げた。

「あった!!」

コナンくんが駐車場の車の下から引っ張り出したのは、比護選手のぬいぐるみストラップだった。ここに落ちているということは、元太くんのフードから滑り落ちた哀ちゃんのものであることで間違いないだろう。

「やったぁー!」
「良かった…!」

コナンくんの握るぬいぐるみストラップは、こんな場所で車に轢かれてしまったのか酷く汚れてしまっていた。左目も取れてなくなってしまっている。

「汚れちゃってるね…」
「目も取れちまってるぜ!」
「水洗いして、目も付けてあげましょうよ!」
「オレ油性ペン持ってる!」
「いやいや、ストップ、待って」

見つけたことで喜ぶのはわかるけど、このまま子供達を暴走させたら更に酷いことになるのは目に見えた。
あの哀ちゃんが抜け殻になってしまう程に、これは彼女にとってとてもとても大切なものだ。彼女の言った通り、比護選手が触ってくれた彼女にとっての世界でただ一つしかないストラップ。それなら、出来る限り元通りに近い状態で返してあげたい。

「すぐに返してあげたいのはわかるけど、このぬいぐるみストラップ、一晩私に預けてくれない?」
「ミナさん、どうするの?」
「この汚れ、水洗いしたら余計に広がっちゃいそうだから。帰って石鹸で洗ってみるよ。家に帰ればソーイングセットもあるから、目も直してくる」

ここまでやって探し当てたのだから、やるなら最後まで徹底的に。
私が言えば、コナンくんは少し考えてから頷いて私にぬいぐるみストラップを渡してくれた。汚れてしまって目の取れた比護選手のストラップはどこか悲しげだ。推理の方ではろくに役に立てなかったし、これくらいは力になりたいと思う。


***


「どうですか?」
「うぅん、大分マシにはなったんですけど…」

子供達を博士のお家に送り届けた後、私と透さんはそのまま帰宅した。今日は申し訳ないと思いながらも夕飯のお手伝いを辞退させてもらい、透さんが夕飯を作ってくれる間に私はひとまずぬいぐるみの取れた目を付け直し、その後洗面所でタイヤ跡の汚れと格闘していたのだが…車のタイヤの油汚れのようなものはやはりとても頑固で、なかなか思うように落ちてくれない。
夕飯の準備が終わったらしい透さんがやってきて、私の手元を覗き込んだ。汚れは確かに薄くなったけど、もう少し落ちないものだろうか。

「あぁ、大分薄くなりましたね」
「熱めのお湯に浸けて、台所洗剤で洗ってみたんです。下手にこすると広がりそうだったので歯ブラシで叩き洗いをしたんですが」
「良い選択だと思いますよ。後は…そうですね、」

透さんは少し考え込んで、洗面台の戸棚から何やらボトルを取り出した。…クレンジングオイル…?私が使ってるものではない。え、どうして透さんがそんなものを…

「これで洗ってみてください。油汚れには油が効きますから」
「あっ、えっと、はいっ」

とりあえず頷いて、透さんに言われた通りに汚れたところにクレンジングオイルを垂らし、歯ブラシで叩き洗い。その後汚れを広げないようにもみ洗いをして、再度熱めのお湯で丁寧に洗い流した。

「あ、ほんとだ…綺麗になった」

さすがに元通りとまではいかないけど、それでもよくよく見ないとわからないくらいまでには薄くなった。これなら許容範囲だ。哀ちゃんに悲しい思いをさせなくて済みそうである。
悲しげだったぬいぐるみが、少し嬉しそうに見えるのは都合が良すぎるだろうか。

「しっかり絞って、干しておきましょう。明日には乾いていますよ」
「そうします。ありがとうございます、透さんの知恵のおかげで綺麗になりました」

油汚れには油を、と言うのは確かにわかるけど、まさかクレンジングオイルを使うとは思わなかった。…何故透さんがクレンジングオイルなんてものを持っていたのかはわからないけど…何となく聞くのも変な気がするし…男性もクレンジングオイルを使うことがあるのかも、しれないし…いいのだ。知らないフリ知らないフリ。
私はぬいぐるみストラップを手にベランダに出ると、低めの位置の物干し竿へとストラップを引っ掛けた。高い位置に干して、万が一また無くなっちゃったら困るし。明日には綺麗に乾いていますように。

「あなたも、本当に立派な少年探偵団の一員ですね」

ベランダから中に戻ると、透さんにそんなことを言われた。目を瞬かせていたら、彼にくすりと微笑まれる。

「そう、見えますか」
「ええ。素敵なことだと思います」

透さんに肩を抱き寄せられて、とくりと胸が高鳴った。…今日、こんな風に触れ合ったのは初めてだ。何となく気恥ずかしくなって視線を泳がせると、透さんは小さく吹き出した。

「わ、笑わないでください」
「失礼、可愛いなと思いまして」
「…恥ずかしいです」

さらりと可愛いなんて言われるから心臓に悪い。私が軽く俯くと、こめかみの辺りに柔らかいキスをされた。

「今日も一日お疲れ様でした」
「…はい。…透さんも、一日お疲れ様でした。あの、今日は本当にありがとうございました」

透さんが車を出してくれなかったら、きっと私が千槍駅にぬいぐるみストラップを取りに行き、お忘れ物取扱所でストラップを受け取ることになっただろうけど…その場で比護選手のストラップじゃないことにそもそも気付けたかも怪しい。そうなれば真相は闇の中だったことだろう。

「元通りとまではいかなかったけど、見つかって良かったです。…哀ちゃん、喜んでくれるかな」
「喜んでくれますよ、大丈夫」

透さんに頭を撫でられると安心する。顔を上げて小さく笑うと、彼は今度は私の額にキスをくれた。満たされるような気持ちになって、胸がきゅんとする。

「夕食にしましょう。冷やし中華を作ってみたんです」
「やった、冷たいものが食べたかったんです。ふふ、お腹空いた」

何だかとても長い一日だったような気がする。
哀ちゃん、ストラップを喜んでくれたらいいな。ちらりとベランダの方を振り向くと、物干し竿で揺れる比護選手のストラップが、にこりと笑いながらこちらを見つめていた。


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