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「どうせ待ってても死んじまうんだ……やろうぜ」
見晴らしのいい高層階。シティビューの大きい窓の向こうには夜景が広がっていて、まるで私達の非常事態など関係ないかのように瞬いている。ビルの周辺はこの騒ぎでヘリコプターや消防車、パトカーなどが出動しているが、防音がしっかりされているビルなのだろう。外の喧騒は中までは聞こえてこない。
だから余計に、自分の心臓の音が大きく響いて聞こえた。どくん、どくん、と嫌な鼓動とともに、じんわりと冷たい汗が背中を流れる。喉がカラカラに乾いて張り付いて、何かを言わなくてはと思うのに私の唇からは細い吐息しか零れない。
「……やろう! コナンくん!」
「やりましょう!」
「いっちょハデにな!!」
こういうどうにもならない状況になった時、この少年探偵団の子供達の決断力というものには関心させられる。大人の私がしっかりしないといけない場面なのに、実際覚悟を決めて決断するのは彼らの方だ。いっそ無謀だと首を横に振りたくなるのに、彼らの目は決して諦めたりしない。無謀を奇跡に変える瞬間を、私はこれまでに何度も見てきた。そんな彼らの背中を何度も眩しく思ってきた。
かたかたと震える手を強く、ぎゅうと握り込む。
「成否の鍵を握るのはタイミングね。車がスピードを上げて、窓を突き破った瞬間に爆弾が爆発しないと……そのまま失速して墜落してしまうわ」
「ああ……問題は車に乗るとタイマーが見えねぇってことだな。俺の時計はバッテリーが切れちまったし」
「あっ、それなら歩美ちゃんです! 歩美ちゃんなら三十秒ぴったりわかるかもしれません!」
「でもよぉ、さっき外してたじゃんかぁ」
「あー……」
まるで薄い膜に包まれているかのよう。子供達の言っていることもわかるし、この状況が現実だということもちゃんと理解出来る。しかしどこか体がふわふわとして覚束無い。
これは夢じゃない。コナンくんがさっき言った通り、このまま待っていても死ぬばかりだ。どの道死ぬなら、少しでも可能性がある方に賭けるしかない。ゼロかイチなら、イチを選ぶ場面だとわかっている。
「どうだ歩美ちゃん。……出来るか」
「……じ、……自信は、ないけど……」
コナンくんが真っ直ぐ歩美ちゃんを見つめる。コナンくんの問いかけを受けて、歩美ちゃんはそれまで浮かべていた心許ない表情を押し込めて顔を上げた。
「でも、コナンくんが一緒なら! ……コナンくんが傍にいてくれたら、私、出来ると思う!」
はっきりと言い切る歩美ちゃんは、コナンくんに負けじと強い瞳で彼を見つめ返している。いっそ、コナンくんの方が彼女の強い視線に目を丸くしたくらいだ。
彼らの、彼女の意思を見て、ゆるりと哀ちゃんが視線を落とす。
「……だったら、私がタイマーの側で三十秒までカウントして、その後車に乗り込むっていうのはどう?」
「考えてる時間はねぇ。それでいこう」
足踏みしてるのは私の方。踏ん切りがつかず、選ぶべき選択は一つしかないのにそれを選べずにいる。迷いを断ち切れない。恐怖を押し込められない。だって、やっぱり怖い。
「ミナさん。ミナさんも、いいよね」
問いかけの形ではあったが、それは覚悟を決めろという強い後押しだった。
私はこの場で、この子供達を守りきらないといけない。誰か一人欠けたってダメだ。誰か一人だけを守ればいいわけじゃない。
コナンくん、元太くん、光彦くん、歩美ちゃん、哀ちゃん。五人の命が、私の背中にずしりと重くのしかかっている。
自分が死ぬことより、この子達が死んでしまうことの方が、何倍も怖い。ならば少しでも可能性がある方を選ぶべきだとわかっている。それしか選べないこともわかっている。悩んでいる時間が無いことも、選択権などないことだって、ちゃんとわかっているのに。
強く握り締めた手は、緊張と恐怖からかすっかり冷え切っていた。小さく震え続ける自分の手に視線を落として、再度握り締めながら目を閉じる。私が彼らを守るなんて、烏滸がましいにも程があるかもしれないけど。
恐怖を押さえ込まなくたっていい。ただ、覚悟を決めなくてはならない。
透さんに会いたい。透さんの元に帰りたい。
顔を上げて、窓の方へと視線を向ける。大好きな彼がいるであろう向かい側のビルの方へと視線を向けて、大きく深呼吸した。
時間はない。やるしかない。
「皆で、生きて帰ろう」
強くそう言ったつもりだった私の声は、情けなく震えてはいなかっただろうか。
***
毛利さんから電話を貰ったのは、土曜日の夜のこと。翌日の日曜日は私も透さんもお休みの日で、夕食後に寝室でのんびりしながら明日は何をしようかなんて話をしていた時のことである。
西多摩市に新しく建設されたツインタワービル。高さ三百十九メートルと二百九十四メートルの双子のビルで、完成してオープンを来週に控えていたはずだ。
ツインタワービルのオーナーである常盤美緒さんが毛利さんの大学時代の後輩らしく、今回オープン前に招待してくれたのだという。それで、透さんと私にもどうかと声がかかったというわけだ。
新しい施設のオープン前の招待だなんて胸が踊るし、透さんも一緒なら間違いなく楽しい一日になるだろうし、私としては拒否する理由もない。とても有難いことなのは重々に理解しているし嬉しくないわけがない。
「……でも、良いんですか? 透さんはともかく、私まで。そんな特別優遇みたいな扱い受けてしまって……」
「そこは、まぁ、毛利先生にも恐らく目論見があると思いますよ」
「目論見?」
二つ返事でオーケーしたのは良いが、やはり私なんかが一緒に行っていいのかなというのは気になるところ。目論見というのがよくわからなくて首を傾げると、透さんは小さく苦笑した。
「常盤美緒と言えば常盤財閥のご令嬢で独身」
「はぁ……えっと、それが?」
「毛利さんは、常盤美緒さんに招待を受けたことを蘭さんにも黙っていたようで。蘭さんに問い詰められて白状したと、少し不服そうに話していましたよ」
「……常盤美緒さんが独身で、毛利さんの後輩で……そんな人からのお誘いを、毛利さんは蘭ちゃんに黙っていた」
「はい」
「……それってまずくないですか?」
当然ながら毛利さんは既婚者で、妃英理さんというとてもとても美しい奥様がいらっしゃる。今は別居中とのことだけど、蘭ちゃんの立場からしたらお父さんである毛利さんが後輩からのお誘いを隠していたというのは、多分、とても複雑なんじゃないだろうか。
お誘いに乗るのが悪いわけじゃなくて、お誘いを蘭ちゃんに隠している辺り、どうしても毛利さんの下心が透けて見えてしまうというか……私なんかが首を突っ込んでいい話題ではなさそうだけど。
「毛利さんもそう思ったんでしょうね。明日は蘭さんや園子さんもご一緒するそうなので、その流れで僕達にも声がかかったんでしょう」
「……それってつまり、蘭ちゃん園子ちゃんと三人で行くのはちょっとばかり気まずい的な」
「まぁ、そんなところだろうと僕は考えています」
第三者を挟むことで場の空気を変えようという感じなのだろうか。私はあまり自信が無いけど、透さんがいたら一気に空気も変わるし和やかな雰囲気作りも出来るだろうな。
全くもう、と思わないでもない。でも私は詳しいことを知らないし、毛利さんにも蘭ちゃんにも恩があって、二人のことが大好きなのだ。だから明日は純粋に楽しんで、有意義な一日になるといい。
「……それはそれとして、楽しみですね」
「ええ。……まぁ僕としては、あなたと二人きりの休日でなくなってしまったことを残念に思わなくもないんですけど」
にこりと笑いながら平然とそんなことを言う。言い返す言葉など私は持ってなくて、熱くなった頬を隠すように彼の肩に顔を埋めた。お風呂上がりの爽やかなボディーソープの香りにきゅんと胸が疼く。
透さんは小さく笑って私の肩を抱き寄せてくれる。大きな手のひらの温もりを感じて体から力を抜けば、満たされるような心地になった。
ああ、もう、毎日毎日飽きもせずに溺れていく。彼のことが好きだと自覚したのも今となってはそれなりに過去のことなのに、毎日毎日自分の気持ちを自覚し直している。昨日よりも今日の方が好きで、明日はきっと今日よりも彼に惹かれている。底無しの好意を時々恐ろしく感じることもあるけど、それ以上に大きな幸せを感じているから、まぁ、良いかなと思うのだ。
不意に私のスマホが震えた。ローテーブルの上に置いてあったスマホに手を伸ばせば、歩美ちゃんからのメールだった。写真が添付されている。
「歩美ちゃんからだ」
「今日は、少年探偵団の子供達は博士とキャンプでしたっけ」
「そうなんです。私も誘われたんですけど、博士の車にさすがに私までは乗れないし仕事もあったので」
メールにはキャンプ場に行くまでの道すがら楽しかった出来事や、キャンプ場での夕食のことが書かれていた。キャンプと言えばどうしてもカレーを想像してしまう私だけど、今日の彼らの夕食は焼き魚だったらしい。川釣りでもしたのかな。
「あ、焼き魚の写真だ。ふふ、ちょっと焦げてる。……わぁ、星空の写真も。見てください、よく撮れてますよ」
「本当ですね。ちょっと羨ましいな」
添付されていた写真は夕食の写真と、満天の星空の写真。都会で空の写真を撮っても上手く撮れないけど、キャンプ場からはよく星空が見えるようで写真にもはっきりと写っていた。
「いいなぁ、キャンプ。楽しそう」
「自然の力は恐ろしいですが、心を和ませてくれるものでもありますからね」
「透さん何でも知ってるから、キャンプで困ったことがあっても何とかしてくれそう」
「サバイバルの知識はそれなりにありますけど、困ったことにならず楽しめるのが一番ですよ。……でも、そうですね。機会があれば行きましょうか、キャンプ」
「えっ! 本当ですか?!」
「ええ。都会の喧騒から離れて、というのもたまには良いでしょう。その時はハロも連れて、少年探偵団の子供達のように川で魚を釣って焼くのもいいですね」
「絶対楽しいじゃないですか! やった、約束ですよ!」
その場で釣った川魚でも、透さんなら美味しく調理してくれるに違いない。私はキャンプのことはあまり詳しくないから、調べたり子供達に聞いてしっかり勉強しておかないと。私よりも子供達の方がキャンプの知識はありそうだ。
透さんやハロとキャンプ。考え始めたら胸の高鳴りが止まらなくて、たまらなくなって私はぎゅうと透さんに抱きついた。嬉しいな。きっとすごく楽しくて素敵な日になる。いつになるかはわからないけど、早くその日が来るといい。
「そんなに喜んで貰えるなら、僕も頑張らないといけませんね」
「えへへ、透さんの作ってくれるキャンプご飯が楽しみで」
「僕の料理なら毎日食べているのに?」
「それはそれ、これはこれですよ」
頬がきゅうっと上がったまま下りてこない。ニコニコと笑みを浮かべたままの私を見て透さんは少しだけ苦笑を浮かべたけど、柔らかい瞳で私を見つめて優しいキスをくれる。
楽しい気配を察知したのか。くっついた私と透さんの間に鼻先を突っ込んだハロがそのまま体まで捻り込ませてきて、私は透さんと顔を見合わせると声を上げて笑った。
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