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「ミナお姉さん、連絡先交換しようよ」

えへへ、と笑顔付きのその言葉を聞いて、胸を撃ち抜かれない人間がいるのなら是非ともこの目で見てみたい。

喫茶ポアロの前でお会いした毛利蘭ちゃんと江戸川コナンくん。自己紹介を済ませて、スーパーに買い物に行く二人をそのまま見送ろうとしたのだが、ふとコナンくんに再度手を引かれて首を傾げた。
コナンくんは自分のズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、それを私に見せながら上記のセリフを発したのである。
少しだけ首を傾げながらこちらを見上げてくるその様子は、強く抱き締めてしまいたくなる可愛さで思わずくらりとした。
コナンくんは更に追い討ちのように言い重ねる。

「元太や光彦や歩美ちゃんや灰原も、ミナお姉さんと会いたがってるんだ。元気になっところ見せてあげて欲しいなぁ。だからさ、ボクと連絡先交換しよう?」

元太くん、光彦くん、歩美ちゃんに、哀ちゃん。短い時間しか対面しなかった子供たちの顔が浮かぶ。会いたいと言ってもらえるのはすごく嬉しい。私も子供たちに会いたいと思う。
コナンくんの申し出はもちろん私としては断りたくないのだが、私が今所持しているスマホは安室さんから借りているものだ。そう簡単に連絡先の交換をしてしまっても良いのかと少し迷う。
ちら、と安室さんを見ると、私の視線に気付いた安室さんが小さく笑いながら軽く肩を竦めて言った。

「いいじゃないですか。ミナさんはこの街にも不慣れですし、知り合いは多い方がいい」

安室さんの言葉にほっと胸を撫で下ろす。安室さんからの許可が出たならなんの問題もない。
私もスマホを取り出すと、コナンくんに差し出した。

「それじゃ、交換してもらってもいい?」
「ありがと!任せて」

コナンくんが私と自分のスマホを操作して連絡先を入れてくれるのを見つめながら、この世界での繋がりが広がっていることに嬉しさを感じる。
この世界に来て初めて会えたのが、コナンくん達で良かったなぁと改めて思う。混乱していたけれど、心配の気持ちが嬉しかったのは本当だ。ちゃんと会ってお礼も言いたい。
登録が終わったスマホをコナンくんから返してもらうと、蘭ちゃんもスマホを取り出してにこりと笑った。

「あの、良かったら私とも。困ったことがあったらいつでも頼ってください」
「えっ本当に?ありがとう、心強いです」

蘭ちゃんとも連絡先を交換し、項目の増えた電話帳を見て嬉しくなって笑みを浮かべた。
異分子の私でも、今はこの世界に繋がっていてもいいんだと許されるような気がする。素敵な出会いをくれた安室さんにも大感謝だ。
いずれこの世界からは消えてしまうことになると思うが、その時はきっと安室さんが上手く説明してくれるだろう。
私がいなくなっても、私のことを憶えていてくれる人がいて欲しい。いてくれたら良いと思う。欲深いなぁなんて思って、内心で苦笑した。
安室さんには欲がないなんて言われたこともあったが、きっと欲の向き所が違うのかもしれない。
私は私と出会った人達に、私を忘れないで欲しいと思う。


***


蘭ちゃんコナンくんと別れて、その後も私と安室さんはのんびりと米花町を散策した。
安室さんから、野菜ならこっちのスーパーよりもあっちの方が安くて新鮮だとか、まとめ買いならこっちの店が良いだとか、この店は夜八時以降値下げ商品が沢山出されるだとか、そういう話を聞いてそこらの主婦よりもこういった事情に詳しいのではと疑ってしまう。なんで街のスーパーにそんなに詳しいんだ。喫茶店店員という職業柄なのだろうか。
もちろん聞いた情報はスーパーのことだけでなく、本ならここが品揃えが良いとかここの商店街に来れば大体のものは揃うとか、この街で生活する上で大事な情報もきちんと教えて貰った。
今日は米花駅周辺の歩ける範囲での散策だったが、それなりに栄えた街であるようで困ることはなさそうだ。
そうこうしている間にお昼を過ぎてしまっていることにも気付かなかった。

「もうこんな時間ですか。すみません、僕も気付かなくて。お腹空いたでしょう」

安室さんに言われてぱちりと目を瞬かせる。それから腹部をそっとさすり、首を傾げた。
腹の虫は鳴かない。

「うーん…そん、なに…?」

首を傾げたまま微妙な反応を返した私に、安室さんは少し驚いたように目を瞬かせた。

「…本当に?歩き回りましたし、喉くらい乾いたんじゃないですか?」
「いえ、喉もそんなに。…でも、確かに結構歩きましたもんね。安室さんお腹空きました?どこか入りましょうか」

言われて初めてお昼を過ぎていたことに気付いたくらいだ。空腹感も喉の乾きもない。かと言って体調が悪い訳でもない。コナンくんにも顔色が良くなったと言われたし、私自身も体の不調は特に感じていない。別に食事や休憩を取らなくても問題はなさそうだ。
だが私は平気でも安室さんも平気とは限らない。私にわかりやすく説明しながら米花町を案内するのはそれなりに労力が必要なはずである。どこかで少し休憩した方が良いかと思いながら問えば、安室さんは少し目を細めて何やら考え込んでいるようだった。
どうしたのかと思っていたら、安室さんは顔を上げて私に視線を向けた。

「……ミナさん、以前から昼食を抜いたりしていましたか?」
「え?いえ、基本的には三食食べてましたけど…」
「僕があなたの家にお世話になっていた時も、三食食べてましたよね」
「はい」
「でも昨日も昼食を食べなかった」
「…はい。…その、食べるのを忘れてたので…」

安室さんがうちにいた時は朝食昼食夕食とすっかりお世話になってしまい胃袋も掴まれてしまった感がある。食事に関してすっかりお世話になっているのは今も変わらないが。
確かに昨日昼食を食べ忘れてはしまったが、それは図書館で新聞の記事を読むのに夢中になっていたからだ。空腹すら忘れていたのだろう。
そんな呑気なことを考えていた私とは逆に、安室さんは口元に指を当ててほんの少し眉を寄せた。

「…大食いではないが特別少食というわけでもなかった。食欲の減退?…まぁ、ストレスも大きいでしょうし無理もない話ですが」
「えっ、えっ?なんか心配してくださってます?大丈夫ですよ、私元気ですよ?」

お腹が空かないだけだ。食べたくないわけではないし、そんなことよくあることだと思う。一食二食抜いたところで人間簡単には死にはしないし、そんな大袈裟な心配をされてしまうとなんだか逆に恥ずかしくなってしまう。
そんな心配させてしまうほど、安室さんから見る私はよく食べる女なのだろうか。それはそれで更に恥ずかしい。だって昼食抜いただけだし、今日も食欲が純粋に無いだけなのに。
私が慌てて首を振ると、安室さんは私をじっと見てから小さく苦笑した。

「…そうですね。いえ、少しだけ引っかかったものですから。元気なら良いんです。でもお腹が空いていなくても体は疲れていると思いますよ。そこの喫茶店で休憩しましょう」
「あ、は…い、」

言葉尻が曖昧になる。だってしょうがない。
安室さんが指さした方向にあったのは、こないだ沖矢さんと一緒に入った喫茶店だった。思わず表情が引き攣る。安室さんの位置から私の顔が見えなくて良かった。



安室さんと喫茶店に入り、安室さんはランチプレートを、私はミックスサラダを注文した。正直何かを食べたいという気分ではなかったが、先程安室さんを心配させてしまった手前何も食べないわけにはいかないと思ったのだ。
運ばれてきたサラダは瑞々しく美味しそうなのに、食欲が刺激されたり食べたいと思うことは無い。純粋にお腹が空いていないんだなと軽く思いながら、安室さんと一緒に手を合わせて食べ始めた。

「米花駅周辺は大体回り終えましたが、いかがでしたか?」
「思っていたよりも栄えてるというか、賑やかな街だなぁと思いました。もっとこじんまりとした場所かと思っていたので」

米花町という街が私の世界には存在しないので、大体どの辺の地域に似ているのかも比べられなかった。米花駅自体の乗降者数もそれなりにあるみたいだったし、車の通りも多い。
生活している人達の雰囲気も良い。蘭ちゃんやコナンくんを始め、商店街の人達も皆明るく良い人ばかりだったし、普通に考えたら住みたい街ランキング上位に食い込むのではないだろうか。

「…犯罪率は、高いんですよね…」
「えぇ。日に何件事件が起こっていることか」

今こうしている間にも、殺人事件が起こっているかもしれないなんて。あまり考えたくない話だなと思いながら、サラダを口に運んだ。

「…でも、犯罪率を除けばいい街だと思っていますよ。活気もあって、住人の人柄も良い。ポアロで働いているといろんな方とお会いしますからね」
「わかります。普通に住みたい街だと思いますもん」
「危険な街だということは変わりないんですけどね」

安室さんがランチプレートのパスタをフォークで巻いて口に運ぶ。安室さんの所作ってずっと見ていられる気がするな、なんて思いながら目を細めた。
サラダを食べる手を止めて、窓の外に視線を向ける。時間帯が昼過ぎということもあって、人の流れは緩やかだ。
この世界に来て、いろんな人と出会ってこの街を知って、じわりじわりとスポンジが水を吸うようにこの世界に染まっていくような気がする。
染まり切る前に、帰る方法を見つけなければならない。異分子は異分子らしく、消えなければならない。

「…お口に合いませんでしたか?」

こそ、と安室さんに問いかけられてはっと視線を向けた。
私の手元の皿には、まだサラダが残っている。どうにも空腹でないからか食が進まず、ペースが落ちてしまっている。
心配そうな安室さんを見て慌てて首を横に振り、フォークを握り直した。

「そんなことないです!美味しいです!」

残っていたサラダを口に運んで咀嚼する。安室さんはそんな私をじっと見つめていて、少しだけ居心地が悪いというかどうしたら良いのかわからなくなる。
視線を逸らしてサラダを食べることだけに集中した。
瑞々しいレタスとカットされたアボカド、トマト、ブロッコリー。ドレッシングもサッパリしていて美味しい。美味しい、はずだ。

「…今日はもう帰りましょうか。あまり体調が良くないのでは?」
「そ、そんなことないですよ。なんか、どうやって帰る方法を探せばいいんだろうって考えるとぼーっとしちゃうことが多くて。すみません、本当に大丈夫なんです」

苦笑を浮かべながらそう取り繕えば、安室さんは少しだけ目を細めて小さく息を吐いた。

「…何か体に違和感等ありましたらすぐに言ってくださいね。疲れもあるでしょうし、無理は禁物ですよ」
「う、はい…気をつけます」

へらりと笑って安室さんにそう答えると、一口残っていたサラダを口に運んでごくんと飲み込んだ。
口に残るドレッシングの酸味が、少しだけ…ほんの少しだけ気持ちが悪かった。

サラダの味が、酷く薄かった。
いや、薄く感じたと言った方が正しいかもしれない。
味がついているのはわかるのに、その味を正しく感じることが出来ていないような…そんな感覚だった。
きっと状況の変化に体がついてきていないだけだ。世界を越えて知らない街で過ごしていて、知らない間に少しストレスを感じてしまっていたのかもしれない。
大丈夫、一日しっかり休めばいつも通りになる。
私が食べ終わって、一緒に頼んでいたオレンジジュースを口に運ぶのを見た安室さんは、ゆっくりと目を瞬かせてから私から視線を外したようだった。

「家に戻ったら、あなたが帰る方法を一緒に探しましょう。状況の整理も必要になりますからね」
「ありがとうございます。どこから手を付けていったら良いかわからずちょっと困ってたんです」
「それから、今日の夕食は栄養のあるものにしましょうね。食べやすいミネストローネスープなんかいいかもしれません」
「わ、美味しそう!楽しみです」

安室さんのご飯を楽しみに思えるのだから、やっぱりこの食欲のなさも疲れや気からくるものなのだろう。
安室さんのミネストローネスープ、楽しみだな。


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