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「で、だ。まずはこいつを渡しておくぜ」

伊達さんはそう言いながら私に何かを差し出してきた。何だろうと思いながら手のひらを上にして伊達さんの方に出すと、手の上に小さな楕円形の宝石のようなものがころんと乗せられる。琥珀色をしたそれは不思議な光を放っていて、とても綺麗だ。

「…綺麗…なんですか、これ」
「あんたの落し物だよ」
「落し物?」

落し物。どこかで聞いたようなキーワードだがどうにも思い出せない。首を捻る私を見て、伊達さんはからからと笑った。

「あんたの落し物ってことは、元々あんたのもんだったってことだ。探すのに苦労したんだぜ。大事に取っとけって」
「落し物…うーん、よくわかりませんが、わかりました。なんだか綺麗だし、大事に取っておきます」

じっと見ているとべっこう飴のように見えてきた。…美味しそうだな。ほのかに発光するべっこう飴なんてちょっと嫌だけど。
私はその石を服のポケットへとしまった。
まずは、と石を渡されたものの、私の夢はまだ覚めないらしい。白の世界は変わらず私と伊達さんを包んだままだ。
もう一度ぐるりと辺りを見回してから、私は少し困ったように伊達さんを見上げた。
現状、この状況をなんとか出来るというか…なんとかする方法を知っているのは、多分伊達さんしかいないのだ。少なくとも今私が頼れるのは目の前のこの人だけ。
伊達さんは私の視線に気付くと、小さく笑って私の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でた。

「ぅわっ」
「そんな不安そうな顔すんな。大丈夫、もう暫く夢の世界を楽しんでいけよ」
「ここは世界と世界の狭間とか言ってませんでした?」
「言葉の綾ってやつよ。あんたの夢には変わりねぇ」

どっちなんですか。
半目にしてじとりと伊達さんを睨んでみたが、彼は変わらずに肩を竦めて笑うだけだ。

「なんだ、ファンタジーな夢は嫌いか?」
「いや、だから…嫌いと言うよりも、恥ずかしいんです。…もう二十歳を越えてそれなりに経つのに…」
「いいじゃねぇか。夢の中は自由なんだぞ、好きなものを見ておけよ」
「…別にファンタジーが好きな訳では無いんですけども」

好きでも嫌いでもない。と、思う。
私が困ったように眉尻を下げると、伊達さんは苦笑を浮かべて頭を掻いた。
…そもそも、伊達さんにはファンタジーは似合わないな。ワイルド系が似合うと思う。…ここが私の夢の中だとしたら、こんなファンタジーに付き合わせてしまっているのは私の方ということになるんだろうか。なんだかそれはそれで…申し訳ないというか、複雑というか。
私がうーんと唸ると、伊達さんはやれやれと肩を竦めた。それから私の両肩を軽く掴むと、そのままくるりと体を反転させる。
伊達さんに背中を向ける形になって軽くよろめき、急に何をするんだと振り向こうとすれば今度は強く肩を掴まれる。これは、振り向くなということなのだろうか。ひとまず振り向かずに、私は視線を自分の正面へと向ける。

「よーし、いいか。後ろは絶対に振り向くな。今あんたが向いているその方向に、ひたすら真っ直ぐ進め。もしも後ろを振り向いたら…さっきも言ったろ?足を滑らせるってことを忘れるな。あんたの世界に戻れりゃまだいいが、ここから出られなくなったらたまったもんじゃねぇだろう」
「…なんかそういう、絶対に振り向いてはいけないぞ真っ直ぐ進め、ってよくある話ですよね…アニメとか映画とかで」
「だからこれあんたの夢の中だって。恨むなら自分の脳内を恨め」
「えぇ…?」

本当に私の頭の中はどうなっているんだ。小さく溜息を吐いて、それでも自分が向かうべき方向を真っ直ぐに見据える。
ここが夢の中だろうと恥ずかしいくらいファンタジーじみていようと、私は絶対に戻らなくてはならない。私が元いた世界ではない。安室さんがいる、私が知るのとは少し違う日本へ、だ。
よし、と小さく意気込むと、伊達さんにぽんと背中を叩かれる。

「これは俺の独り言だが……あいつと急に連絡が取れなくなってずっと心配してたからさ、あいつがあんたに会えてよかったよ。ミナちゃんがいりゃあ、なんも心配はいらねぇ」
「…あいつ…?」
「おっと、お喋りはここまでだ。さぁ、行きな。もうこんな場所に落ちてくるんじゃねぇぞ」

軽く伊達さんに背中を押されて、ふらつきながらも歩き出す。
振り向いては行けない。伊達さんの顔をちゃんと見てお礼を言いたかったけど、そうしたら私はどうなるかわからない…らしいし。
だから、私は前に一歩一歩進んでいく。

「伊達さん!」
「あ?」
「いろいろありがとうございました!」

声を張り上げた。
しばらくの沈黙の後、伊達さんの笑い声が耳に届く。

「あいつのこと、よろしく頼むよ」

あいつって、誰だろう。でもきっと、私の知る人物なんだろう。
とても優しい声を背中に受けながら、私は進む。


***


真っ白な世界というのはとても歩くのが難しい。何故かと言うと、方向感覚が鈍るからだ。
自分は果たして、本当に伊達さんが言った方向に真っ直ぐ進めているのか。目を閉じながら何も無い空間を歩いているのと同じ状況に少しだけ怖くなる。
何も聞こえない。白い景色以外は何も見えない。風もない。
もうどれだけ歩いただろう。相当な距離を歩いた気がするが、振り返ってはいけないと伊達さんに言われたから振り返ることも出来ない。…振り返ったところで、見えるのは代わり映えのしない白い景色だろうけど。

「………、」

一度立ち止まり、ゆっくりと息を吐く。
夢の中だからか疲れることは無いが、終わりの見えない道筋は気分が滅入ってしまう。

「…諦めない、」

諦めることなんて絶対にしないけれど。
ポケットにしまっていた、伊達さんから貰った石を取り出して手のひらに乗せる。石は変わらずほのかな光を放っていて、べっこう飴のように美味しそうだった。
…きっと小さな子供がビー玉なんかを口に入れたくなる気持ちと同じなんだろうな、これ。ちょっと勘弁して欲しい。
その時、とん、と肩に軽い衝撃が走った。

「おっ、綺麗なもん持ってるじゃん」
「っ、え…」

突然のことにびくりと肩を弾ませてそちらを振り向き、更にそのまま硬直する。
全く知らない男性が、私の肩に腕を置いて私の手元を覗き込んでいた。え。なんていうか、近い。

「ん?どした?」

私が硬直したままぱくぱくと口を動かしていれば、その男性はきょとんと目を瞬かせて首を傾げた。
いや、そんな軽く話しかけられても。全く知らない男性が気付いたらこんな傍にいたなんて、驚かない方がおかしいと思う。
男性は少し長めの黒髪ストレートで、タレ目と形の良い眉が特徴だった。安室さんとタイプは違えどこの人も相当なイケメンだ。こんな近さで、心臓に悪すぎる。

「…いえ、あの…どちら様…ですか」

伊達さんに続いて二人目の遭遇者。気配もなく一体どこから現れたのか。慌てて石をポケットにしまう。
私が声を絞り出すと、きょとんとしていた男性はあぁ、と頷いた。

「そっか、初めまして。あんた、ミナちゃんだろ?」
「ええ…?あなたも私のこと知ってるんですか…」
「あぁ、ずっと見てたからな。俺の事は…そうだな、萩、とでも呼んでくれ」
「萩さん」

伊達さんと同じようなことを言う萩と名乗る男性は、へらりと人好きのする笑みを浮かべて軽く肩を竦めた。

「ここまで長かったろー。ま、休憩ってことでさ、少し俺と話でもしようぜ」
「え、あ、うーん、いいんでしょうか、そんな休憩なんてしてても…」
「いいっていいって、どうせここはミナちゃんの夢の中だしさ」
「…それ、さっきも言われたんですけど」

萩さん。この人もなんだか不思議な人だ。
こんな場所にいるってところからして不思議なことに変わりはないんだけど。
萩さんは私の怪訝な表情もどこ吹く風で、全く気にした様子はない。

「まぁまぁ。…それじゃ、これは君に返しておくよ。ほら、手出して」

萩さんに言われて首を傾げる。そっと手を差し出せば、その上にころんと丸い…石が落とされた。ほんのりと光っていて伊達さんから貰ったものと似ているけれど、形も色も違う。今度のはまんまるで、そして深い赤い色をしていた。軽く握りしめるとじわりと温かい。

「えっと…これは…」
「君の落し物。大事に取っておきな」
「…はぁ…やっぱりですか」

よくわからないけどこれで二つ目。
私の落し物ってどういうことだろう。不思議に思いながらも、それをまたポケットに入れる。
ポケットに二つの石。光が少しだけ強くなって、透けて見えている。

「ミナちゃんはさ、あいつのどこが好きなの」
「え゛っ」

突然の質問に反応しきれず、変な声を出しながら萩さんを凝視する。萩さんは首を傾げたまま私を見つめているか、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
表現するなら、ニヤニヤと言うような。

「…え…なんですか、私の好きな人まで知ってるんですかそんな馬鹿な、そもそも萩さんの言うあいつって言うのが私の好きな人かどうかは全く別の問題でして」
「いや知ってるも何も見てりゃわかるっしょ。で?どこが好きなのか教えてよ」
「え、えぇ…?」

こっちの話を聞いて欲しい。
今私の好きな人と言えば一人しかいないのだけど、萩さんの言う「あいつ」とは…安室さんのことで、良いのだろうか。
安室さんのことを考えると顔に熱が集まって、急に暑くなって手で顔を扇いだ。恥ずかしいからニヤニヤとしながらこちらを見つめないで欲しい。

「はは、赤くなった。…あいつよりも俺の方がモテんのになぁ」
「え…?」
「いいやこっちの話。なんか安心したわ。あいつの相手が君で良かった」
「え、えぇ…?」

よく分からずに困惑するが、萩さんの中で今の話は終わったらしい。え、安室さんの好きなところ何も暴露してないけれど、私が赤くなっただけで良しとされたのだろうか。
萩さんは先程と違って柔らかく笑うと、ぽん、と私の背中を叩いてから私の手を取ってくるりと方向転換させた。慣れないことによろめくも萩さんが支えてくれる。

「じゃあ、次に進むのはこっちの方向な。いいか?さっきまでと同じく、真っ直ぐ進むんだぞ」
「決して振り返らず?」
「お、わかってんじゃねーか。決して振り返らずにな」

萩さんに視線を向けると、優しい表情で私を見つめていた。
少し軽そうな人だけど、この人も伊達さんと同じ。多分、とてもいい人だ。

「萩さん、いろいろありがとうございました」
「ああ。もう会うことはねぇと思うが、元気でやれよ。あいつを頼んだぜ」

とん、と背中を押されて歩き出す。
今度はちゃんと顔を見て伝えることが出来た。言われた通りに振り返らないで、私は前へ前へと足を進める。

これで何となくわかった。これからまた私は誰かに会うのだろう。誰かに出会い、そしてまた「落し物」を貰うんだろう。
伊達さん、萩さんに続いて、次はどんな人に会うのかな。
私の足取りは、気付けば随分と軽くなっていた。

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