Side A…1
「観念した方がお前の為だ」

銃口を突き付けながら、部屋の隅へ男を追い詰める。廃墟ビルの一室だ。男は階段を駆け上がったせいか息を乱し、床に膝をついてじっとこちらを睨んでいる。その瞳に浮かぶのは怯えと、怒りと、それから…なんだろう。瞳孔が開き切っており、男は極度の緊張状態にあると思われる。…それもそうか、と内心で小さく吐き捨てた。

男はとある組織の末端だった。爆弾に精通しており、それ関連で組織に貢献しているということだったが…何分詰めが甘い人間で、いささか勝手な動きをしすぎた。詳しいことまではわかっていないが、そんな勝手な行動が幹部の目に留まったようで、組織からも追われていたらしい。
近頃、小さな爆発事件が続いていた。公安の調べで、それも全てこの男の仕業だということはわかっている。公安として彼の行方を追い、こうして廃墟ビルに追い込むことが出来た。
男は拳銃を所持していたようだが、逃走中に取り落としたと風見から連絡を受けている。もう一丁所持している可能性もあるが、極めて低いだろうと思っていた。追い詰められるまで構えないのも変な話だからだ。持っているとしても刃物か、…もしくは、爆弾か。

「…へへ、どうせ俺は殺される。なら皆道連れだ」

男は額に浮かんでいた汗を拭い、にやりと笑った。
…なんだ、何を隠している。まさか爆弾をどこかに仕込んでいる?眉を寄せたその瞬間だった。

「全員吹っ飛べ、」

男の声とほぼ同時だった。凄まじい爆音。走る閃光、そして焼け付くような熱風。
男の体が、光とともに爆発した。
爆風に吹き飛ばされ、瞬時に目を瞑ったものの閃光に目をやられて咄嗟のことに受け身が取れない。壁に強かに背中と頭を打ち付けた。
爆弾を自身の体に仕込んでいるのは想定外だった。自身の体に仕込んでいたとして、少しでも変な動きをすれば銃で止める自信があった。
しかし爆発のきっかけが、見つからなかった。つまり、時限爆弾。男は最初からこうするつもりで、廃墟ビルに逃げ込んだというのか。

「…くそ、」

背中や頭を打ち付けたくらいなんともない。そう思っていたのに、強烈な目眩に意識が霧散していく。
なんだ、この感覚は。ぐらりと視界が揺れて、俺の意識はそこで途絶えた。


***


「…… の、大丈夫……か…!」

遠くから聞こえてくる女性の声に、意識が浮上した。軽く体を揺さぶられる。
誰だ?あの廃墟ビルには公安の人間しかいなかったし、一般人は近付かないようにしてあったはずだ。救急隊かとも思ったが、救急隊であるのならばこんな無闇矢鱈と倒れている人間の体を揺さぶったりはしないだろう。
起き上がりたいが、体が泥のように重い。
あの爆発した男はどうなったのか。怪我人は。一気に思考が巡り始めて、馬鹿になっていた聴覚が働き始める。

「……ぅ、」
「っ、もしもし?聞こえますか?大丈夫ですか?」

腹に力を入れると小さな呻き声が出た。それを耳にしたらしい女性に再度声をかけられ、ゆっくりと目を開ける。
暗い。遠目に街灯が光っているのが見えて眉を寄せた。
俺は…廃墟ビルの中にいた。ここはどこだ?どう考えても屋外にいる。吹っ飛ばされた衝撃で外に放り出されたのか。いや、俺は室内で気を失った。その可能性は低い。

「しっかりしてください…!今救急車を呼びますから、」

女性がそう言いながら手元を動かしたのに気付き、反射的にその手首を強く掴んだ。女性は小さな悲鳴を上げ、体を強ばらせて動きを止める。

「……大丈夫、です。…救急車は、呼ばないでください」

一般の救急車なんて呼ばれたらたまったものではない。
俺の声はかなり掠れていて、ろくに言葉が伝わったかもわからなかったが、女性からは動揺の気配がしていた。救急車を呼ぼうとするのをやめるのを見て、ほんの少しだけ力を抜く。

「…あ、あの、でも、怪我なさってるんじゃ…体も冷え切ってますし、」
「問題ありません。…大丈夫です。大した怪我ではないので」

少しずつ意識がはっきりしてきて、声も出始める。
そうだ、大した怪我ではない。自分の体に意識を向けてみるが、骨折はしていないようだしもちろん命に別状もなさそうだ。神経が少しやられたのか体全身がやや痺れていたが、それも消えていくのを感じる。恐らくもう少しすれば起き上がれるだろう。

「…すみませんが、ここはどこですか?…僕は、建物の中にいたはずなのですが」
「…え?えっと…ここは東京都〇〇市四丁目にあるマンション…なんですけど…」
「……〇〇市?」

まずは状況の確認を、と思い女性に問い掛けるも、聞き覚えのない地名に眉を寄せた。
東京都、まではいい。その後の市の名前に眉を寄せる。俺がいた廃墟ビルは。

「米花町にいたはずなんです」
「………ベーカチョウ?」

女性が不思議そうに首を傾げるのを見て、ざわりと胸が騒いだ。
なんだ、その片言は。米花町をまるで知らないかのような反応に絶句する。ひとまず掴んでいた女性の手を離し、痺れの取れた体を動かして起き上がる。
そして、目の前に積もる冷たい雪を見て目を見開いた。

「……雪…?…俺は夢でも見ているのか」

何故、雪が積もっている。季節は春から初夏に移り変わる頃。まだ肌寒い日もあったりするが、汗ばむ陽気が増えてきた時期だ。雪など降るはずもない。なにか自分がとんでもないことに巻き込まれてしまった予感にどくりと鼓動が胸を打つ。
季節のズレ。そして、自分の知らない地名。自分の知る地名を知らない女性。なんだこれは、と混乱しかける頭を軽く振り、俺は女性に視線を向ける。

「…すみません、」
「っ、ハイッ」

何かを考え込んでいた様子の女性は俺の声に大袈裟に体を弾ませているが、そんなことは今はどうでもいい。

「…僕は、安室透と言います。確認させてください。ここは、米花町ではない?」

女性はしばしぽかんとこちらを見ていたが、やがて俺の名前を小さく呟くと思考が追いついたのかゆっくりと頷き、話してくれた。
女性の名前は佐山ミナ。ここは東京都〇〇市四丁目にあるマンションで、彼女は米花町という場所に聞き覚えがないとのこと。
思わず絶句する。俺は〇〇市など知らないし、この女性も米花町など知らないという。何かが決定的に食い違っており、とんでもない異常事態に吐き気すら感じ始める。
真っ先に考えたのは、爆発の際に意識を飛ばした後俺自身が拉致された可能性。あまりに情けない可能性に目を背けたくなるが、そうでもなければこんな場所で倒れていたという事実に結びつけることが出来ない。しかしそうとなると、この佐山ミナという女は公安である俺か黒の組織の何かを狙っている刺客?目を細めて女性を見るも、女性はじっと米花町について考えているようだった。
見る限りただの一般人。掴んだ手首も細く、何か武術をやっているような体つきではない。拳銃や凶器を所持している様子もない。纏う気配も一般人のそれだ。それにもし俺を殺すつもりなら、こんな茶番をする必要が無い。
決定的な判断はしづらいが、恐らくは限りなく…白。
俺は小さく息を吐くと、頭を切り替えることにした。まずは状況の確認。この辺りは住宅街のようだから、人が集まる駅の方に行けば何かわかるかもしれない。どこかでまずは風見に連絡を取らなければ。
小さく一度息を吸って吐き出すと、降谷零の素顔を安室透で覆い隠す。いつものように穏やかな声音に言葉を乗せた。

「……わかりました。何やらお騒がせしてしまったようで、すみません。駅はどちらの方角でしょう?」
「…この通りを真っ直ぐ行くと大きな通りに出るので、それを左折してしばらく行けば最寄りの駅に着きます、けど…」

俺の様子の変化に気付いたらしい女性が動揺したように道を教えてくれる。人の変化には鋭いようだ。馬鹿ではないらしい。
立ち上がりスーツについた雪を払い、女性が指し示した道を見つめる。この道を真っ直ぐ行き、大通りに出たらそこを左折。問題ない。
スーツがあちこち破れているから目立つのだけが心苦しいが、背に腹は変えられない。どこか人目のつかないような服屋で調達するしかないだろう。

「佐山さん…でしたか。ありがとうございます。とりあえず駅まで行ってみようと思います」
「えっ、…えっ、今からですか?結構距離ありますし、雪もこれからもっと強くなるのに…」

距離があるというのはなんの問題でもない。雪が強くなるのも関係ない。
このよくわからない現状、それが何よりも問題だった。この気味の悪い状況から一刻も早く脱したい。
一刻も早く、

「帰らなくてはならないもので」

こんなところでのんびりしているわけにはいかないのだ。

「帰るって…その、ベーカチョウに、でしょうか」

女性がおずおずと尋ねてくるので視線を向けた。
何かを考えているのか、視線が下がり少しだけ泳いでいる。

「私このマンションに住んでるんです。…良かったら、いらっしゃいませんか。生憎、食料は…インスタント食品しか、ないんですけど。ごめんなさい、私料理苦手で、自炊はほとんどしないんです。で、でも、お体も冷えてると思いますし、ほんと、これから雪強くなるので。あの、だから…」

言い募る女性に、視線が鋭くなるのを自覚した。
何を、企んでいる?やはり俺を狙っている刺客?もし俺を狙っているんだとしたらその情報の出処は知っておきたい。
こんな訳の分からない場所で。訳の分からない状況で。
この女は一体何を。
そう思いじっと見つめていたが…不意に、女と視線が絡む。
真っ直ぐにこちらを見上げる瞳。透き通ったその目に悪意はない。心から俺を心配しているのが見て取れる。それと同時に…その瞳の奥で揺れる影が気になった。
…随分と疲れた顔をしている。

「……警戒心というものを、持たれてはいかがです?あなた今、自分が何を言っているかわかっていますか?素性の知れない男を、家に上げようとしてるんですよ」

口をついて出たのは呆れた声だった。先程馬鹿ではないらしいと思ったが、前言撤回だ。初対面の男を家に上げようなんてあんまりに無防備。馬鹿馬鹿しすぎて安室透の仮面が外れかける。しかし。

「ベーカチョウ、行き方わからないんですよね」

はっきりと言われ、返す言葉がなかった。
ここがどこだか分からないのに行き方などわかるはずもない。言葉に詰まる。

「まずは、冷えた体を温めませんか。うちパソコンもあるし、ちゃんと行き方を調べて、体を休めてからでもいいと思うんです」

食い下がる女の声は、優しさに満ちていた。だというのにその表情はどこか不安そうで、それでいて俺の事を真っ直ぐに見つめてくる。
不安ならやめればいいだろうに。俺なんかのことは放っておけばいい。そうすれば二度と関わることもないだろう。
どうしてこんなにも引き留めようとするのか。彼女の声にははっきりとした意思が滲んでいた。

…なんだかごちゃごちゃと考えていた自分の方が馬鹿馬鹿しく思えてくる。たとえば彼女が本当にただの一般人だったら、俺を狙う刺客だのなんだのと空振りにも程がある。
一気に体から力が抜けて、深い深い溜息が零れた。
やめだ。この女は白だ。黒に染まりようもない。それは目を見ればわかることだった。
そんな判断も出来ないほど、俺は自分でも気付かないくらいに混乱し焦っているらしい。
しっかりしろ、降谷零。自身を叱咤し、俺は座り込んだままだった女性に手を差し伸べる。しばし戸惑った様子を見せた彼女は、それでも俺の手を取った。細い手。傷やたこのない綺麗な手だ。握り込み、強く引っぱって立ち上がらせる。

「……若干不本意ではありますが」

安室透ならどう言うだろう。どんな表情を浮かべるだろう。判断の鈍っていた脳を動かして、仮面を貼り付ける。
どんな仮面も、演じてみせる。

「…あなたのお言葉に甘えさせていただけますか」

困ったように微笑んで見せた。
こんな状況だ。この女には悪いが…利用できるものは、全て利用させてもらう。

(本編 #1)

Back Next

戻る