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入院中はいろんな人がお見舞いに来てくれた。安室さんを始め、コナンくんや蘭ちゃん、毛利さん、少年探偵団の皆。学校帰りだったり、仕事帰りだったり、休日は朝から来てくれたりとタイミングはバラバラだったが、お陰で私は一ヶ月の入院生活もわりと楽しく過ごすことが出来たのである。
沖矢さんは事情あって来られないとコナンくんから聞いた。来られないけどとても心配しているから、退院したら一緒に会いに行こうね、とはコナンくんとした約束だ。もちろんこれは安室さんには話していない。話したら止められる気がする。
少年探偵団の皆は学校帰りによく寄ってくれた。その際ほとんど哀ちゃんの姿は無かったが、一度だけお見舞いに来てくれた時は「死ななくてよかったわね」なんて言われて苦笑した。全くその通りである。命あっての物種だ。ぶっきらぼうな言い方だったが、多分すごく心配してくれていたんだろう。
蘭ちゃんは一度お友達を連れてお見舞いに来てくれた。鈴木園子ちゃん、というそのお友達は高校の同級生だそうだ。いいなぁ花の高校生。園子ちゃんはすごく人懐こくて、彼女とはすぐに仲良くなった。話は大体が恋バナでその話の流れで知ったのだが、なんと蘭ちゃんの幼馴染があの工藤新一くんだと言うのだ。突然有名な高校生探偵の名前が出てきてぎょっとした。彼は今様々な事件を追っているとかで多忙らしく、なかなか帰ってこないのだという。蘭ちゃんの表情や園子ちゃんの話し方からなんとなく蘭ちゃんと新一くん二人の関係を察したのだが…きっと蘭ちゃん、心配で不安だろうな。いつか工藤新一くんにも会えるだろうか。
安室さんは忙しい時間を縫って会いに来てくれているようだった。お見舞いに来てくれる時間帯が一番バラバラで、尚且つ滞在時間がバラバラだったからだ。ゆっくりお話出来る時もあれば、本当に顔だけ出して帰ってしまう時もあった。長くお話出来る日も、少ししか会えない日も、どちらも幸せだった。安室さんの顔が見られるだけで嬉しい。でも、あまり忙しいようなら無理はしないで欲しいと思う。それとなく伝えてみたものの、無理はしていないから大丈夫、の一点張りだったけれど。

傷がある程度治ると、始まったのはリハビリの毎日。
ずっとベッドに横になっていたものだから筋力も体力もすっかり落ちて、最初はリハビリ室へ向かうだけでもやっとだった。鎮痛剤を打ってもらっても傷は痛むし、体には思うように力が入らないしすぐに息は上がるし、もどかしさに苦しめられる日々が続いた。
人間の体って、こんなに簡単に弱ってしまうんだ。そのことにぞっとする。
立って歩く。座る。しゃがむ。段差を上る、下りる。今まで当然出来ていたことが出来ないというのは、思っている以上にストレスになる。
生きるというのは、大変なことなのだ。

…そうしてあっという間に入院生活も一ヶ月を過ぎ、退院の日がやってきた。
傷はまだ痛む。鎮痛剤や化膿止めなど薬はまだまだ飲み続けなくてはならないし通院も必要だ。けれど食事の制限もなくなったし、ひとまずはゆっくりなら歩けるようにもなった。とりあえずは自宅に戻って療養しても大丈夫でしょう、との言葉を先生から頂き、有難く退院させてもらうことにしたのである。
お見舞いに来た安室さんに退院の日取りを伝えると既に聞いていたようで、退院の日は着替えを持って迎えに来てくれると言ってくれていた。

「無事に退院の日を迎えられてほっとしていますよ」
「…なんか退院前に私が何かやらかすんじゃないか的な心配してました?」
「ほんの冗談ですよ」

面会時間になるとすぐに来てくれた安室さんは、手に持っていた紙袋を私に差し出した。中は私の着替えのようだ。だが、取り出して広げてみると自分では買った覚えのない服である。これは一体、と思いながら安室さんを見つめて首を傾げる。

「まだ傷も痛むでしょう?脱ぎ着しやすいものをと思いまして」
「えっ、買ってくださったんですか?!」
「ミナさんに似合うと思ったので。退院祝いとでも思って受け取ってください」

薄い空色のシャツワンピース。ゆったりとした大きさで、体に合わせてみると膝下くらいの丈だ。肌触りもよく気持ちがいい。
前ボタンなので上から被ったりする必要がなく、確かにこれなら体に変な負担をかけずに着ることが出来る。
デザインもシンプルですごく可愛い。

「ぅ、え、いいんでしょうか、こんな、貰ってしまって…!」
「退院祝いですよ。退院の手続きは済んでいますので、着替えて準備出来たら正面玄関まで来てくださいね。ゆっくりで大丈夫なので」

わたわたと慌てる私ににこりと微笑んで、安室さんは行ってしまった。
手元に残されたシャツワンピースをじっと見つめる。
…控えめに言っても、かなり、いや、大分…相当、嬉しい。退院祝いなんてそんな貰ってしまってよかったのだろうか。浮かれていてはいけないと思うのに、頬は緩んで口角は上がってしまう。
嬉しい。
これ、安室さんが選んでくれたのかな。綺麗な空の色。シャツワンピースを胸に一度抱き締めて、ふふふと笑う。
早く着替えて行かなきゃ。私はニヤける頬を両手で軽く挟んでから、支度を開始した。


***


安室さんから貰ったシャツワンピースに着替え少ない荷物を持って正面玄関へと向かうと、すっかり見慣れた白いスポーツカーが目の前に停まっていた。運転席に座っていた安室さんは、私に気付くと車を降りて歩み寄ってくる。

「すみません、お待たせしてしまって」
「とんでもない。それじゃあ行きましょうか」

少し待たせてしまったはずだ。申し訳なくなって頭を下げると、安室さんは苦笑を浮かべた。そして自然な流れで私の手から荷物をさらい、右手で私の荷物を持つと左手を差し出してきた。

「掴まってください。まだ歩くの辛いでしょう」

イケメンは、やることまでイケメンだ。安室さんはどこまでも完璧すぎてむしろ少し怖くなる。こんな完璧すぎるイケメンが存在しているなんて本当にすごい。
私は恥ずかしさから少し顔が熱くなるのを自覚しながら、差し出された安室さんの手を取った。優しく握りこまれてどきりとする。

「…安室さんって、本当にイケメンですよね…」
「お褒めいただき光栄ですよ」

くすりと笑った安室さんがゆっくりと歩きながら手を引いてくれる。…優しいな。
安室さんの横顔を見上げる。髪の毛が太陽の光に透けてきらきらと輝いている。綺麗だなぁ。思わず見惚れていれば、私の視線に気付いた安室さんが苦笑を浮かべながらちらりとこちらに視線を向けた。

「…そんなにじっと見られると緊張します」
「す、すみません!つい…」

慌てて視線を外して安室さんの車の方を向く。じわじわと恥ずかしくなって、繋いだ手のひらが急に熱くなったかのような錯覚を覚えてそわそわした。
安室さんが助手席のドアを開けてくれて、安室さんに支えられながら助手席に乗り込む。この車に乗るのも久し振りだ。懐かしさと安心感に体から力が抜ける。

「疲れました?」
「大丈夫です!安室さんの車、安心するなぁと思って」

運転席に乗り込んだ安室さんに聞かれてへらりと笑う。
この車が好きというのもあるけど、安室さんと一緒にいられることが嬉しいのだ。安室さんの傍という安心感は本当にすごい。
安室さんは私の顔を見てキョトンとしていたが、やがて小さく息を吐くとハンドルを握って肩を落とした。

「……なんでしょうね、本当に」
「…え、なんですか?何か変でした?」
「いいえ。…あなたは思っていた以上に扱いづらい」
「えっ?」

シートベルトを締めてくださいね、と言われて慌ててシートベルトに手を伸ばす。扱いづらいって、どういう意味だろう。何か迷惑をかけてしまっただろうか?少し慌てながら安室さんの方をちらりと見るも、どうもそういう雰囲気でもない。言葉の意味はわからないが、安室さんは私の視線に気付いているのかいないのか、シートベルトを締めたのを確認するとエンジンをかけてアクセルを踏み込んだ。
心地よい重低音と共に車が走り出す。

「少年探偵団の子供達が、あなたの退院祝いがしたいと言っていましたよ。ポアロでパーティーをする話が進んでいます」
「パーティー?!」

なんだそれは初耳だ。驚いて身を乗り出すと、安室さんはくすくすと笑った。

「ええ。子供たちが張り切っています。次の土曜日にと」
「そ、…そんな、なんというか、え、いいんでしょうか…」

退院
祝いのパーティーなんてそんなのなんだか初めての経験でドキドキしてしまう。
退院祝いって、パーティーってなんだ。退院
祝いと言うからには私のために開いてくれるんだろうし、私はそんな場にどんな顔をして行けば良いのだろう。
どうしよう。何かスピーチとかしなければいけないのだろうか。経験がないからどうすれば良いのかわからない。
私がぐるぐると考えていると、そんな私に気付いたのか安室さんが小さく笑った。

「いいんですよ。皆、あなたが元気になった姿を見たいんです。いつも通り、あなたのままで顔を出せばいい」
「…そんなものでしょうか」
「そんなものです」

私はいつも通り、私のままで。
安室さんに言われて少し考えてから、頷いた。

「…わかりました。……あの、すごく楽しみです」
「…ええ。僕も料理を振る舞いますから、次の土曜日は必ず空けておいてくださいね」

ポアロでパーティーか。少し恐縮するものの、それ以上に楽しみにしている自分がいる。
嬉しいな。皆に会えるのが、何よりも嬉しい。


***


「さぁ、どうぞ」
「…えっと…それじゃ、お邪魔します」

安室さんのアパートに着いて、ドアの前に立つと安室さんがドアを開けてそう言った。それに促されながらおずおずと中へと踏み込む。
すっかり慣れた安室さんの家の匂い。久々に胸を満たすその匂いに、ほっと安堵する。
身分証明書を得たからには自分で家を探さなければならないと思っているが、それでも今こうしてここに帰って来られたことが嬉しい。
私は靴を脱いでキッチンダイニングに上がり、ゆっくりと息を吐き出した。

「お腹は空いてます?」
「あ、いえ。今はあまり。でも久々の安室さんのご飯、すごく楽しみです!!」

感覚が無くなっていた頃の生活に引き続き病院生活を経て、私の胃袋はすっかり小さくなってしまったらしい。燃費が良くなったと言えばそうなのかもしれないが、安室さんのご飯が沢山食べられないのは少し寂しい。それでも、空腹感や味覚があるだけ世界は全く違って見える。
美味しくご飯を食べられるって、とても素晴らしいことなのだ。

「じゃあ、昼は軽めに済ませましょうか。スープとハムサンドの準備はしてあるんです」
「わぁ、嬉しいです!安室さんのハムサンドがようやく食べられる…!」

しばらくぶりの安室さんのご飯だ。少なくとも一ヵ月ぶり。味覚をなくした時期のことを考えると、一ヶ月半くらいはまともに安室さんのご飯を食べられていなかったのではないだろうか。
安室さんは玄関を閉めて中に入り、それから小さく息を吐く。

「あなたに昼食をお出しする前に…やり直しを要求します」
「…え、え?…やり直し?」

突然何を言い出すのだろうかとぽかんと目を瞬かせて安室さんを振り返れば、
安室さんな腕組をしてこちらをじっと見つめていた。

「お邪魔します、ではないですよね」

それは、私が家に入る時に口にした言葉だ。
ぱちぱちと何度か目を瞬かせていると、じっとこちらを見つめていた安室さんが小さく笑った。

「…おかえりなさい、ミナさん」

安室さんに言われて、小さく息を呑む。
…私は、ここに帰ってきたのだ。入院生活を終えて、この世界で生きることを決意し、ここに戻ってきた。
ここで帰る方法を探しながら生活していた時とは、状況が違う。
おかえりなさいと言って貰えるそのことに胸が温かくなり、一度目を閉じてから微笑んだ。

「…ただいまです、安室さん」

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