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安室さんから家の鍵を預かってから、安室さんは本当に忙しくなったようで家を空けることが増えた。
夜は早くても十一時過ぎ、遅ければ朝方に戻ってきている。朝方にシャワーだけ浴びてすぐに出ていく、なんてこともしているみたいだ。
帰る時は連絡をして欲しいと言ったのに、やはり私を起こすのが忍びないだとかそういう理由で実際に連絡が来たことは無い。
冷蔵庫の中のものは好きに使ってもらって構わないと言われてはいるものの、なんというか安室さんの部屋のキッチンは…安室さんの城というか。下手に手を出すのが怖いというか。そんなわけで私は最近夕飯は適当にコンビニで買ってきて食べることが常になっていた。冷蔵庫の中身が減ったら買い足すくらいの役目はいただきたいのだが、すかさず安室さんが買い足してくれているみたいで隙がない。
朝は一緒に食べられる時は一緒に朝食を食べさせてもらっている。マメな安室さんは、朝だけは例え私が起きる前に家を出てしまっていても食事を用意してくれている。頭が上がらないどころか心苦しい。忙しいならあまり無理しないで、少しでも時間があるなら寝て欲しいと思う。ちゃんと、寝れているのだろうか。
安室さんと家を出るタイミングが違ってくることが増えたため、私が鍵を閉めて家を出ることも増えた。バスで米花駅まで行くのにも慣れたものだ。
バス代や夕飯のコンビニ代が嵩むので、私の手持ち金も底をついてきた。早いところ仕事を探さないとと思う。

そんなこんなで、私の退院祝いをしてくれるという土曜日になった。今朝は安室さんが先に出ていった。朝からシフトが入っているらしい。
昨日の夜は安室さんが少し早めに帰って来られた為夕食を一緒に食べた。その際に安室さんから聞いた話によると、ランチの混雑が落ち着いた後、二時から四時でポアロを貸切にしてくれているらしい。思っていた以上に大掛かりで少し焦る。

今朝起きたらコナンくんから連絡が入っていた。一時半に米花駅で待ち合わせとの事だったので、安室さんの家を一時に出た。
バスで米花駅に向かい、到着したのは一時半になる少し前。丁度良い時間だなと思っていたら、後ろから声をかけられた。

「ミナさん」
「あ、コナンくん。こんにちは、少し久しぶりだね」

駆け寄ってくるコナンくんに手を振る。
コナンくんに最後に会ったのは、私が退院する少し前にお見舞いに来てくれた時だっただろうか。

「うん、久しぶり。体の具合はどう?」
「まだたまに少し痛むけど、それも大分落ち着いてきたよ。心配ありがとう」
「そっか、良かった。皆ミナさんの元気な顔見たがってたからさ」

へへ、と笑いながらコナンくんが頭の後ろで手を組んだ。皆心配してくれているんだなぁ。嬉しくなって私も笑う。
コナンくんは時計で時間を確認すると、それじゃ行こうかと言いながら踵を返した。今からのんびりポアロに向かっても二時より前に着いてしまうが良いのだろうか。

「もう向かうの?ちょっと早くない?」
「大丈夫、もうほとんど準備は出来てるみたいだし。皆待ってるからさ、行こ?」

そういうことなら、と頷いて、コナンくんの手を取って歩き出す。小さな手は温かくて柔らかい。

「今日は誰が来るの?」
「元太、光彦、歩美ちゃん、蘭姉ちゃんと小五郎のおじさん。園子姉ちゃんも来るって言ってたよ」
「…思っていたより遥かに大掛かりだ……」

沖矢さんと哀ちゃんは都合がつかず今日は来られないらしい。哀ちゃんは阿笠博士の家に、沖矢さんはそのお隣に住んでいるらしいから、今度菓子折でも持ってご挨拶に伺おうかな。
それにしても園子ちゃんまで来てくれるとは。すごく賑やかな会になりそうだなと思うと頬が緩む。

「皆優しいねぇ」
「え?」

ぽつりと漏らすと、コナンくんが目を瞬かせながらこちらを見上げてきた。それに視線を合わせて小さく苦笑する。

「だって、私まだ皆と知り合って日も浅いし。それなのに、退院祝いパーティーなんて開いてくれるなんてさ。…本当に優しいなって」
「…多分皆、そんなあんまりぐちゃぐちゃ考えてないと思うよ」

コナンくんの言葉に目を瞬かせて首を傾げる。

「知り合って日が浅いとか、あんまり関係ないよ。あいつらよくミナさんの話してるし、蘭姉ちゃんや園子姉ちゃんもミナさんくらいの年齢の友達いないから嬉しいんじゃないかな。小五郎のおじさんだってボク達から話を聞いてミナさんのことは気になってるみたいだしね。梓さんや安室さんも、ミナさんの入院中すごく心配してた」

コナンくんの話を聞いて、私が思っている以上に皆と距離が近いのかもしれないと感じる。少なくとも私の存在は、ちゃんとこの世界に繋がっている。この世界に、少しずつ染まっている。
そっか。知り合ってからの日数とか、あんまり関係ないのか。
確かに自分も安室さんと知り合ってその日に家に上げたりしたもんなと思い出して苦笑する。
私にとって皆が大切な友人であるように、皆にとっての私もそうであればいい。そうでありたいと思う。


***


「えー、それではぁ」
「ミナさんの退院をお祝いして」
「かんぱぁーい!!」
「ミナお姉さん退院おめでとう〜!!」

コナンくん達少年探偵団の子達の音頭で私の退院祝いパーティーが始まった。本当に、思っていた以上に大掛かりである。
テーブルに並ぶのは安室さん特製のハムサンドやフライドポテトなどの軽食。後ほど今日のために作ったというケーキも出てくるらしい。本当にパーティーだ。こんなのは久しぶりというかほとんど経験したことがなくてわくわくする。

「ミナさんが重体と蘭から聞いた時は驚いたもんだが…回復して本当に良かった。痛みとかはもうないんですか?」

毛利さんの手には缶ビール。こんな真昼間から始めてしまって良いのかと思いながら苦笑するも、少しだけ羨ましくなる。怪我がちゃんと治るまではお酒は控えるように言われているのである。私も早く飲めるようになりたいなと思いながら、毛利さんの言葉に苦笑を浮かべて頭を下げた。

「本当にたくさんご心配おかけしてしまったみたいで…」
「本当ですよ!でも元気になってよかった…顔色も良いし」
「蘭も私もミナさんに聞きたいことや話したいことたくさんあるんだから!退院したなら遠慮なく聞いてもいいわよね!」

園子ちゃんの勢いに圧倒される。なんだろう、聞きたいことや話したいことって。ハムサンドを口にしながら苦笑した。

「何の話?そんな改まるような話だったら怖いんだけど」
「恋の話題に決まってるじゃない!」
「ゴフッ」

予想外からの右ストレートを食らったような気分だった。飲み下そうとしたハムサンドが変なところに入って盛大に噎せる。

「えーっミナお姉さん好きな人とかいるのっ?!」
「それは興味がありますねぇ〜」
「オレうな重!」

耳ざとい少年探偵団の子達までこちらに興味津々でちょっと待ってくれと思いながら落ち着くためにオレンジジュースを口にした。
いや、なんで私の退院祝いでいきなり恋バナになるのだろうか。というか元太くんのそれは好きな人ではなく単に好きなものなのでは。
冷静に。あくまで冷静にと思いながら手元に残っていたハムサンドを口に運ぶ。

「私ちょ〜っと気になってるんだけどぉ…」

ニヤリ、と笑った園子ちゃんが私の耳元に顔を近付けてくる。目を瞬かせていれば、園子ちゃんは本当に小さな声でそっと囁く。

「……ミナさんって、安室さんの彼女?」
「違います!!!」

思わず大声で否定した。なんで、どうして、そういうことになるのか。急なことで顔が真っ赤に染まる。両手で顔を押さえて、私は小さく呻いた。

「えっ、えっ、なに〜?!園子お姉さん、なんて言ったの?」
「なんでもない、歩美ちゃん、なんでもないから気にしないで」
「怪しいですよ!何を話したのか教えてください!」
「光彦くんも興味持たなくていいから!」

慌てて子供達に返事を返しつつ、私は園子ちゃんを恨めしげに睨んだ。園子ちゃんはまだニヤニヤと笑っていて、なんと憎らしいことか。

「え〜?でも、じゃあ彼氏くらいいるでしょ。ミナさん可愛いし」
「少し前まではいた…けど、今はいないよ。フラれちゃって」
「えっ、ミナさんがフッたんじゃなくて?」
「うん、フラれた」

事実である。フラれた事自体はショックだったけど、でも傷はあまり深くなかったんだよなぁ。多分私も彼を愛せていなかったし、彼も私を愛していないことを理解してしまっていたんだと思う。
ずー、とオレンジジュースを飲んで、何やら少ししんみりとしてしまった空気に目を瞬かせた。

「あれ、なんでそんな空気が重いの」
「いや…まさかこんなところでミナさんの失恋の話になるとは思っていなくて…」
「失恋じゃないよ、あんまり傷つかなかったし。きっとなるべくしてなったんだと思ってる」

気遣わしげな蘭ちゃんに苦笑してそう答えた。
切り替えるように少年探偵団の子達を見ると、へらりと笑う。

「君たちは大切な恋をしてね」
「大切な恋?ってどういうの?」
「普通そういう時って素敵な恋って言いませんか?」
「う、ううん…どういうのと聞かれるとなかなか上手い言葉が見つからないんだけど…」

大切な恋。
両想いになることだけが恋ではない。誰かを想い、胸を高鳴らせる。時折切なく痛むけど、それもきっといつか大切な宝物になるのだ。
素敵な恋かどうかを決めるのは自分自身。だから、大切な恋が素敵な恋になるように、誰かを想うことを大事にして欲しい。

「好きな誰かを想う気持ち」

その人のことを想うだけで、自分も胸が温かくなるような。
ちらりと安室さんの方を見れば、彼はカウンターの裏側で梓さんと話をしているところだった。ほんの少しだけちくりと胸が痛む。

「…そういうのを、大事にして欲しいんだ。きっとそれは、いつか強さになるから。好きな相手と想いを通わせることが出来たらそれはとても素敵なことだけど、両想いになることだけが恋愛じゃないんだよ」

私は、安室さんに恋をしている。
安室さんを想う気持ちを大切にしたい。この気持ちが痛んで胸を刺すこともあるけれど、その痛みごと抱えて大切にしたいと思う。

「好きな相手を想う気持ち…」
「…なんかさすが、ミナさんって考えが大人って感じ…やっぱり歳上なだけあるわぁ」
「そんなことないよ。このことに気付いたのは本当に最近のことだもん」

こんな気持ちは今まで知らなかった。安室さんと出会えたから知れたことだ。
ふと、コナンくんがじっとこちらを見つめているのに気付いた。目を瞬かせて首を傾げると、コナンくんは小さく笑って何事も無かったかのようにオレンジジュースに手を伸ばす。
…なんだろう、私変なことを言ってしまっただろうか。

「…しかし、そういう考えを持たれているということは…そういう相手が、いらっしゃるということですな?」
「んぐ、」

毛利さんの言葉に息が詰まった。
毛利さんが名探偵にかかればこのくらいの推理は〜なんて冗談を言って、子供達が歓声を上げて、盛り上がりを見せることに焦りを感じる。
いやいやもうこの話題やめましょうよもっと違うお話しましょうよ!

「盛り上がっているところ失礼します。ケーキをお持ちしました」

タイミング良く梓さんと安室さんが切り分けたケーキを運んできてくれた。天の助けとばかりに腕を伸ばす。

「美味しそう!ほら、皆ケーキだよ!毛利さん、蘭ちゃん、園子ちゃん、ケーキケーキ!」
「ミナさん、話題の逸らし方が雑」
「コナンくん鋭いツッコミは禁止!」

話題を引きずってはいたものの、皆ケーキは嬉しいみたいで意識がそちらに集中する。
ひとまずはこれで、と思いながらほっと息を吐けば、こちらを見つめていた安室さんと目が合った。ぱちぱちと目を瞬かせれば、にこりと微笑まれる。

「僕も興味がありますね。ミナさんの“そういう相手”」

蘭ちゃんと園子ちゃんが顔を赤くして口元を押さえるのが横目に見えた。
どうしてよりにもよってあなたが話題を掘り返すのでしょうか、安室さん。

「教えません!」

いません、とは言えなかった。
私は自分の気持ちに、どうしたって嘘をつけないのだ。

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