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朝食を食べ終わった後、私と安室さんは近所のスーパーに足を運んだ。
雪が溶け始めるくらいに気温は上がっていたけれど寒い事に変わりはなく、安室さんには窮屈だろうなと思いつつも私のダウンジャケットをお貸ししている。
ジャージにダウンジャケットなんて出で立ちでも様になってしまうのは、その美しい顔のなせる技か。

「…安室さんって、美形ですよねぇ…」
「はは、そうでしょうか?ありがとうございます」

…これは言われ慣れてるな。それはそうだ、これほどまでのイケメンが女子からもてはやされないわけがない。
身長は高くて顔もよく、料理も上手い。安室さんって、底が知れない。


スーパーでは安室さんの洋服や下着を買い揃えた。購入したのはそれぞれ白と黒のタートルネックと、温かそうなセーター。デニムパンツにチノパン。裏起毛のモッズコート。後は細かい下着類だ。これだけあれば着回しもきくだろう。
それから、無いと困るであろう歯ブラシ等のアメニティ類。安室さんが今後のことをどうするかはわからないが、万一もう一泊、なんてことになった時のためである。
お金を払おうとしたら安室さんに遮られた。財布を取り出した安室さんは、そのまま会計を済ませてレジを通過してしまう。
出会った時ボロボロの身形だったから無一文なのかと思っていたが、お財布は所持していたらしい。

「安室さん、お金あったんですね」
「…その言い方は少々語弊がありますね」
「え?あっ!すみません違うんです!あ、あんな状況だったからお財布も無事かわからなかったですし…!」
「わかっていますよ。…とは言っても、そんなに多くは所持していないんですが」

安室さんと家までの帰路を歩く。
少し困ったような声音の彼を見つめ、この辺りでATMを使える場所はと考える。
銀行は駅まで行かないとないし、となると駅に行く途中にあるコンビニが一番近いだろうか。

「お金下ろします?駅に行く途中にコンビニがあるのでそこが一番近いんですけど、もしくは駅前に銀行があります」
「…いえ、恐らくキャッシュカードは使えないでしょう」

使えない、とはどういう事なのか。首を傾げる私を見て、安室さんは小さく笑った。

「その辺の話は、今日の夜にでも。答えが出たら、ちゃんとお話ししますから」

先程話していた通り、安室さんの中でまだ答えが出切っていないのだそうだ。ちゃんと確信してから、事がはっきりしてからお話したいとそう言われた。
なんだろう。また改まったお話になりそうだ。


***


一度家に戻ると、安室さんはセーターとデニムパンツに着替えた。スーパーの衣料品コーナーで買った、何の変哲もないセーターとデニムパンツである。安室さんの圧倒的素材力により、安いセーターですら高級セーターに見えるのは本当にどういうことだろう。

「お待たせしました。それでは行きましょうか」
「……圧倒的素材力」
「はい?」

ぽかんとしていたら無意識のうちに心の声が出てしまっていたらしい。不思議そうにしている安室さんに慌てて首を振ると、私も立ち上がってコートを羽織る。

これから、霞ヶ関に行って安室さんの用事を済ませる。警視庁は一般の人は入れないとのことなので、私は外で待機だ。安室さんの知り合いの人に会えるかどうか、警視庁の受付で確認するらしい。
駅までの道すがら歩きながら、安室さんからそういうお話を聞いた。

「そのお知り合いに会えるといいですね」
「そうですねぇ。…会えたら、何の問題も無いのですが。多分そういうわけにはいかないでしょう」

安室さんは難しい顔をしてそう呟いた。
そういうわけにはいかない、とはどういう意味なのか。安室さんの言い方からすると、会えない可能性の方が大きいように聞こえる。

「…でも、警視庁で働いてるお知り合いがいるなんて凄いですね。昔からのお付き合いとかなんですか?」
「それほどではありませんよ。僕、私立探偵で。それで警察内部とも少しだけコネクションがあるんです」
「…探偵?!」

驚きの事実に開いた口が塞がらない。
ご職業がなんと私立探偵。探偵という職があるのはもちろん知っていたが、その存在のイメージとしてはテレビで見る程度のものだ。探偵事務所なんかも街中でたまに見かけることはあるものの、実際に自分が探偵のお世話になったことは無いので、まるで未知の領域である。
しかし納得する部分も多い。安室さんは観察眼に優れていた。探偵という職業柄、細かなところも見逃さないのだろう。

「すごいですね…その、なんというか納得です…。でも探偵さんなんて身近にいないのでびっくりしてます」
「僕なんてまだまだ未熟ですけどね」

最寄りの駅から電車に乗り、霞ヶ関へ。乗り換えは一度だけ。安室さんは霞ヶ関に向かう間もいろいろな話をしてくれて、飽きることがなかった。
探偵業をしながら喫茶店で働いているだとか、そこでメニューとして作っているハムサンドが人気なんだとか。ハムサンドに興味を示すと、今度作ってくれる約束まで頂いてしまった。良いのだろうか。とても食べたいことに間違いはないが。
昨晩出会った時は悪人なんじゃないか、なんて疑ってしまったけれど、今ではそんな疑いもすっかりなくなった。それは単に直感だとか、なんかこの人は悪い人ではなさそうだとか、所作に品があるとかいろんな理由が挙げられるが、でもそれを言ったら安室さんにまた「警戒心を持ってください」なんて言われてしまうんだろうな。我ながらちょろいという自覚はある。

乗り換えをして、やがて霞ヶ関の駅に到着した。
警視庁なんて行ったことが無いし何番出口から出ればいいかわからなかったが、ほんの少し先を歩く安室さんの足取りには迷いがない。警視庁にコネクションがあるくらいだから、もしかして通い慣れているのだろうか。
安室さんは地上に上がる階段を登りながら、ポケットからスマホを取り出す。壊れてしまったと言っていた、安室さんのスマートフォンだ。相変わらずディスプレイに光る圏外の表示に安室さんは目を細める。

「…やはりダメですね。操作は出来るが電波は繋がらない」
「目立った傷もないし、電波が繋がらない以外に故障はなさそうですね…」
「ええ。佐山さん、申し訳ないのですがスマートフォンをお借りしても良いでしょうか。警視庁に行く前に、念の為その知り合いに電話をかけたいんです」

階段を登り切り、警視庁はもう目の前だ。
申し訳なさそうに眉を下げる安室さんに、私は頷いてスマホを取り出す。ロックを解除し、ダイヤル画面を表示させてから安室さんに差し出した。

「どうぞ。電話が終わったら、履歴は消してくださいね」
「ありがとうございます。助かります」

安室さんは私からスマホを受け取ると、自分のスマホの電話帳を開いて番号を打ち込んだ。通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる安室さんをじっと見守る。
だが、安室さんはすぐに小さく息を吐くとスマホを離して通話を切ってしまった。

「えっ?ど、どうしたんですか?」
「いえ、予想はしていたことです。お手数おかけしました」

安室さんはきちんと履歴を消すと、私にスマホを返してきた。釈然としないままそれを受け取る。

「繋がらないんですか…?」
「むしろ、繋がったらおかしいのかもしれません。けれど、どうしても可能性を捨てたくはなかった」

詳しく聞きたい。けれど、安室さんは夜にでもちゃんと話すと言ってくれたのだ。今は深く問うべきではない。
安室さんはじっと自分のスマホを見つめていたが、それをポケットにしまうとすぐに小さく微笑む。

「とりあえず、僕は予定通り警視庁に行ってきます。すぐ済むと思いますので、ここで待っていてもらえますか?」
「わかりました、ここで待ってますね。いってらっしゃい」
「…ありがとうございます。いってきます」

安室さんの言葉に頷いて、その背中を見送る。
一体、安室さんの身に何が起こったんだろう。何かとんでもないことに巻き込まれてしまったのだろうか。
私立探偵で、喫茶店で働いている。とっても料理が上手。身長が高く痩せ型に見えるが、しっかりとついた筋肉はまるでアスリートのよう。褐色の肌にミルクティーのような柔らかな金髪、そしてブルーグレーの瞳。
私が知っている安室さんのことなんてこれくらいだ。知っているのは上辺だけ。彼がどんなに人物で、どんなことを考え、何が好きで何が嫌いなのか。
出会ってまだ一日も経っていない。知らないのは当たり前のことなのに、どうしてもそれをもどかしく感じてしまう自分がいた。

私はまだ、彼のことを何も知らない。


***


「佐山さん」

地下鉄の駅の入口に佇んだまま、ぼうっとしてしまっていたらしい。
安室さんが私を呼ぶ声にはっとして顔を上げると、彼はこちらに歩いてくるところだった。時計を見ると、10分ほど経過している。

「寒かったでしょう。お待たせしてしまってすみません」
「おかえりなさい。私なら大丈夫ですよ。あの、それより…お知り合いの方には会えました…?」

安室さんは私の言葉に苦笑を浮かべる。その表情でわかってしまう。会えなかったのだ。
そして、恐らく会えなかっただけでなく…もっと、何かがあったのだと思う。

「…いろいろお話ししなければなりません。あなたにお願いしなければならないことも増えました。とりあえず、佐山さんの家に戻りませんか?可能ならば、スーパーで買い物をしてから」
「え、買い物ですか?まだ何か足りないものありました?」
「いえ、そうではなく。…佐山さんの家の冷蔵庫、ほとんど空っぽでしょう?インスタント食品やカップ麺ばかりでは体に悪い。僕が作りますから、食料を買って帰りませんか」
「うぐっ」

生活力皆無の私に言葉が刺さる。優しく微笑まれている分、尚更後ろめたいというか気まずいというか申し訳ないというか。
…そんなことをぐるぐる考えているうちに、恥ずかしくてたまらなくなった。

「…すみません…ほんと私、料理苦手で…。お味噌汁作ったり卵焼いたり、それくらいは出来るんですけど…凝ったものは作れないし時間が勿体なくて。…でも、インスタント食品やカップ麺をお客様に出す訳にはいかないですよね。ごめんなさい」

言い訳ばかりが口をついて出る。
料理が苦手なのは本当だ。最低限煮たり焼いたり出来ればいいと思ってここまで来てしまったのも否めない。
私の生活力のなさを知っているのは元彼くらいなものだし、だって、困ることは無かったから。
でも安室さんに指摘されると恥ずかしくてたまらない。自分がとんでもなくだらしがなくて残念な人間に思えてしまう。

「佐山さん、勘違いをしていませんか?」

いつの間にか私は俯いてしまっていて、安室さんの足先を見つめていた。
柔らかな声が降ってきて、おずおずと顔を上げる。

「…見ず知らずの僕に声をかけて、家に呼んでくれた。その優しさに、あなたに。僕は感謝しているんです」
「…感謝?」
「はい。…後で詳しく話しますが、あなたに出会えたのは幸運だったと思います」

感謝されるようなこと、私はしていない。家に呼んだのだって私のエゴだったし、そんな改まって幸運だったなんて言われるような人物ではない。
会社にも使い捨てられそうになって、私は本当に自分のことすらまともに出来ない。情けない。

「佐山さん、料理が苦手だっていいじゃないですか。苦手なことがあって悪いなんてことはありませんよ」

でも、安室さんがそう言いながら優しく笑ってくれるから。ちょろい私は、簡単に絆されてしまうのだ。

「帰りましょう。夕食は、あなたの好きなものをご馳走させてください」
「………オムライスが食べたいです」

デミグラスソースのかかったやつ。
ぽつりと言うと、安室さんは目を瞬かせてからすぐに笑顔で頷いた。



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