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霞ヶ関からの帰り道、私と安室さんは昼間も来た近所のスーパーへと立ち寄った。
スーパーなんて来ても九割インスタント食品コーナーへと向かう私と違って、安室さんは慣れた様子でカゴを持つと青果コーナーや肉のコーナーへと足を進めていく。
買い物する姿までスマートでイケメンである。
お買い物中の主婦の視線が自然と安室さんに向くのをひしひしと感じた。
「佐山さん、嫌いなものとか、食べられないものはありませんか?」
「えっと、特にないです」
特にないと言うよりは、そこまで食にこだわりがないのだ。出されたものは何でも食べる。よほどのゲテモノでない限りは。
私の返事を聞いた安室さんは頷いて、手に持っていたセロリをカゴに入れる。買うものはそれで全部だったらしく、私のリクエスト通りオムライスの材料を揃えた安室さんはレジへと向かう。けどちらりとカゴの中を見ても、私がイメージしている缶のデミグラスソースは入っていない。
「…デミ缶って買わなくてもいいんですか?」
「ええ。ソースもちゃんと作りますから安心してください」
「……デミグラスソースを手作り……」
「ブイヨンから作るのは時間が無いので無理ですが、それなりのものは作れると思います」
安室さんは何でもないことのように言うけど、今さらっとブイヨンって言った。しかも時間が無いので無理って言った。つまり時間があれば問題なく作れると、そういうことか。スペック高すぎやしませんか。
そして今回も安室さんが会計を済ませてくれた。私の食事を作ってもらうのだから材料費くらい払わせて欲しかったが、「僕がしたいことですから」の一点張りである。
外に出るとすっかり暗くなっていた。さほど距離もないマンションまでの道を歩きながら、私は隣を歩く安室さんを見上げる。
「安室さんって…何だか何でも出来るようなイメージしかないんですが…出来ないことってないんですか?」
「え?出来ないことですか」
「例えば車の免許持ってないとか」
「持ってますよ。仕事で使うことも多いですし、車は好きですね」
「実はカナヅチだとか、歌が破滅的だとか、そういうのもないですか」
「…うーん、ないですねぇ…」
「…鍛えられたお体を見れば想像できるんですけど、運動神経も…」
「悪くは無いでしょうね。ボクシングが趣味です」
「ボッ、」
ボクシング。
まさかのボクシング。呆気に取られる私を見て、安室さんは小さく笑った。
運動をしている体だなぁとは思ったけどボクシングとは。絶対強いに決まってるじゃないか。安室さんからは勝者の貫禄しか感じない。私の勝手なイメージでしかないが。
「……恐れ入りました」
いろいろ聞けて安室さんの人物像が少しずつ固まってきたけど、固まれば固まるほど完璧でしかないスペックに恐怖すら感じる。
現実にこんな人、いるんだな…。正直信じられないが安室さんが嘘を吐いているようには全く見えないし、信じられないという気持ちとは裏腹に納得してしまうのだからどうしようもない。
マンションに戻ってきて部屋に入ると、安室さんは早速オムライス作りに取り掛かった。
何か手伝おうかとも思ったのだが、自炊をほとんどしない私が手伝っても逆に足手纏いになるのは目に見えている為ここは安室さんに一任することにする。
じゃあ何をしようかと考えて、お風呂を沸かすことにした。外は寒かったし、安室さんも体を温めた方が良いだろう。
浴槽を洗ってから栓をしてお湯張りのボタンを押す。ついでに日中買ってきた安室さん用の歯ブラシもセットしておこうと考えて、洗面台も軽く掃除した。
今日は洗濯出来なかったから明日やらなきゃ。明日は天気も良いみたいだから洗濯日和になるだろう。
洗濯機の上に畳んでおいてあった安室さんのスーツを手に取る。焦げたような跡と、ほつれ、破れ。煤のような汚れも付いている。
「…本当に、どういう状況だったんだろう」
考えたってわかるわけではないが。小さく溜息を吐いてスーツを元に戻しておく。これを今後着るかどうかは別として、明日一緒に洗濯しようと決める。
リビングに戻ると、既にいい匂いが漂っていた。
ぐぅとお腹が鳴る。手持ち無沙汰になって、私はリビングのローテーブル前に腰を下ろした。ここからキッチンに立つ安室さんを見つめる。
「すみません、お腹空きました?」
私の視線に気づいた安室さんがこちらを向いて、少し申し訳なさそうに言った。
いやいやとんでもない。作って頂いてるのに文句なんてあろうはずもなく、私は慌てて首を横に振った。
「いえっ、違くて…いや、お腹は空いたんですけど…!すごい手慣れていらっしゃるなぁと思って…すみませんじっと見ちゃって…」
「料理はよくするので。もうすぐ出来るので少し待っていてください」
至れり尽くせりである。
オムライスが出来るのを大人しく待つことにして、私はふと仕事用の携帯を取り出した。昨日ぽっきりと折れてから今まで見る気にもなれなかったが通知ランプが点灯している。
確認すると数件のメール。どれも、自分の代わりに仕事をやってくれないかという内容だった。仕事が終わらなくて困っているが、当の本人は用事で行けないから私に休日出勤をお願いしたいらしい。
今までの私なら二つ返事で了承していた。でも、今はとてもそんな気分にはなれないし…安室さんがいるのに外出するわけにはいかない。安室さんにも指摘されたことだ。それを違えたくはない。
辞めようと思っている会社の為に、自分を削りたくはない。
メール一通一通に丁寧に断りの返事をしていく。今までになかったことだから、皆驚くだろうな。このまま月曜日にでも辞表を提出しようと考える。辞表を提出して、どれくらいで辞められるだろうか。そのことだけが気掛かりかもしれない。ずるずる引き伸ばしにはなりたくない。
月の残業時間はどれくらいだっただろう。三桁はいってなかったと思うが、あまりその辺りを確認はしていなかった。休日出勤や早出を入れると三桁いくかもしれない。
今の会社を選んで、今の生活を選んだのは私自身だ。それに後悔や不満はなかったし、上手くやれているとさえ思っていた。
きっと世界にはもっときつい状況下で働く人もいるんだろう。でも、私にはこの生活を続けられない。きっかけは上司のたった一言。笑ってしまうくらいちっぽけな一言。
でも、それが私のトドメになったのだ。
「お待たせしました」
仕事用の携帯を見つめたままぼうっとしていたらしい。安室さんの声と、ローテーブルに置かれたオムライスの皿にはっとした。
「あっ、ありがとうございます!すみませんぼーっとしちゃって…えっ、わ、すごい」
慌てて謝りながらオムライスを見れば、ふわふわの卵にたっぷりのデミグラスソースがかかっている。あの、よくあるちょっとオシャレなカフェとかで頼むと出てくるようなそういうクオリティ。インスタ映えとか狙えてしまうようなやつだ。
「えっ…お店で出てくるようなやつじゃないですか…」
「そうですか?嬉しいです。デミグラスソースも上手く作れたと思うので、是非召し上がってください」
安室さんもローテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろす。
ぼーっとしていて少し遠のいていた空腹感が一気に戻ってきて、思わずごくりと唾を飲む。
「いただきます」
手を合わせてからスプーンを手に取り、オムライスをそっと口に運ぶ。程よいチキンライスの酸味とふわっふわの卵、それから深いコクのあるデミグラスソース。なんだこれ、はちゃめちゃに美味しい。
「〜〜ッ、めちゃくちゃ…美味しいです…!」
「お口に合ったなら良かった。」
デミグラスソースには刻んだ野菜が入っているようだが、玉ねぎかと思ったら玉ねぎだけではないようで、なんだろうと考えながらもぐもぐと口を動かす。
「セロリですよ」
「へっ」
「デミグラスソースに入っている野菜が気になったんでしょう?」
クスクスと笑いながら言うと、安室さんも手を合わせていただきますと口にしてオムライスを食べ始める。
その様子をぽかんと見つめながら、咀嚼していたものをごくんと飲み込んだ。
「……私って、そんなにわかりやすいですか…?」
「ええ、まぁ。…佐山さん、嘘が吐けないタイプでしょう。正直者の証拠ですよ」
探偵さんだから観察眼がどうこう、と言うよりは、今のは私は考えてることが顔に全部出てますよというようなニュアンスだったな。最後の一言は褒め言葉なのか否か。
「………ぽーかーふぇいすを目指します」
「ふふ、難しいかもしれませんねぇ」
ばっさりと切られてしまった。
***
はちゃめちゃに美味しいオムライスをぺろりと完食した後は、安室さんが淹れてくれた紅茶を飲みながら休憩し、その後交代でお風呂に入った。安室さんは遠慮していたけど無理矢理一番風呂を使ってもらった。安室さんの後に私もゆっくりと湯船に浸かり、しっかりと体を温めてからリビングに戻る。
置いておいたドライヤーを使ったみたいで、安室さんの髪はすっかり乾いている。地毛なのだろうか。羨ましくなるサラサラの髪だ。
「おかえりなさい」
「…ただいまです」
少し気恥ずかしくなりながらも、タオルで髪を拭きつつローテーブル前に腰を下ろす。
安室さんのパジャマは、昨日と同じく元彼のジャージだ。使えるものはどんどん使ってほしい。
私が腰を下ろして落ち着いたタイミングで、安室さんは少し姿勢を正して座り直した。
それから、真剣な表情で真っ直ぐに私を見つめる。
「佐山さん」
「はい」
「僕があなたにこれから話そうとしていることは、恐らく到底信じられるようなことではないでしょう。僕の頭がおかしいんじゃないかとか、嘘を吐いているんじゃないかとか、そう思われても仕方の無い内容だと思っています」
安室さんの声は少し硬く、どこか少し緊張しているようにも聞こえた。
「けれど、僕の中で答えが出たらちゃんとあなたにお話しする。そう決めていました。だから聞いて欲しいと思っています」
「はい」
「あなたにお願いしたいことも出来ました。しかし、それも断られて当然だとも思っています。…僕が言いたいのは、僕の話の内容がどうあれ、あなたにはあなたの選択をして欲しいということ。きちんと自分の意思に従って欲しいんです」
「…つまり、安室さんのお願いを聞けないと思ったら、その時ははっきり断って欲しいということですか?」
「はい。…自分がどうしたいか、あなたにはあなたの意思がある。それを、ちゃんと選んでください」
なんだか、全てを見抜かれているような気分だった。
社会人になり働いてきたこの数年間、私にはきっと自分の意思などなかった。あったかもしれない意思を、見ないようにしてきたのだと思う。
周りの言葉に流されて、ふらふら漂うだけ。確固とした自分なんてものは見失って、忘れてしまっていた。
安室さんの話がどんな内容かは聞いてみないとわからない。けれど、私は。
安室さんの前で、誠実でありたいと思う。
「どういうお話かは聞いてみないとわかりませんが…安室さんには正直でありたいです。だから、聞かせてください」
「…本当に、あなたは優しい人ですね」
安室さんは少し硬かった表情を和らげた。少しだけ困ったように笑って、俯いて息を吐く。
それから改めて顔を上げると、こう言い放った。
「正直、最初は僕も自分の頭を疑いました。けれど実際に僕の手元に残ったもの、ここで調べさせてもらったこと、あらゆる可能性と事実を目にして信じざるを得なくなった。…僕は日本で育ちました。日本で生活していました。けれどここには…僕と日本を繋ぐものが何一つとして見つからない」
「……それは…どういう、」
「佐山さん」
「僕は恐らく、この世界の人間じゃない」
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