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大人しくコナンくんに連れられるまま医務室に行くと、丁度阿笠博士が手当を受けているところだった。顎の右の方に大きな掠り傷が出来ていて赤くなっている。どうやら、元太くんがエレベーターの手摺の外に放り出される際蹴られたらしい。なんというか、ご愁傷さまである。
コナンくんに促されるまま医務室のベッドに腰を下ろす。座れるだけで大分楽になるような気がした。
博士はお医者様にお礼を告げて立ち上がろうとしたが、腰痛もあったらしくて悲鳴を上げている。なんというか、ご愁傷さまである。

「なんで博士が一番痛がってるんですか」
「情けねぇなぁ」
「ほんと子供みたーい」

辛辣な子供達の言葉が阿笠博士に刺さる。いくらなんでもそんな言い草は可哀想なのではないかと思うのだが、逆にいつもと同じような空気感に安心した。元太くんもお姉さんも大丈夫そうだ。…本当に二人が無事で良かった。

「ミナ姉ちゃんは大丈夫か?どうしたんだよ」
「あのなぁ元太、ミナさんはオメーが落ちるのを見て貧血を起こしちまったんだよ」
「あ、で、でも少し休んだら大丈夫だから!…元太くん、本当に無事で良かったよ」

私が小さく笑うと、元太くんは少しバツが悪そうに俯いた。もっと周りに気を付けて欲しいとは思うけど、無事だったんだから責めることは言うまい。

「ミナ姉ちゃん、心配かけてごめんな」
「ううん、いいの。でも、これからは気を付けてね」

もう二度とあんな目に遭うのだけはやめてほしい。こちらの心臓がいくつあっても足りなくなってしまう。
ベッドに座ったまま小さく息を吐くと、コナンくんが歩み寄ってきてこちらの顔を覗き込んだ。どうやら私の顔色を見ているようだ。

「…うん、さっきより血色も戻ってきたけど…ミナさん大丈夫?もうしばらくここで休んでる?」
「ううん、大丈夫。少し座ったら楽になったからもう平気だよ」

手や足がほんの少し痺れたような感覚もあったのだけど、今はそれも無くなっている。力も入るし、立って歩くことも問題なさそうだ。
私が立ち上がると、子供達は少し安心したように笑った。

「それじゃあ博士とミナさんも大丈夫みたいですし、観覧車に乗りに行きましょう!」
「お姉さん、行こう〜!」
「え、えぇ…でも…やっぱり迷惑じゃないかしら」
「今更何言ってるんですか!」
「姉ちゃんは俺の命の恩人だろ!」
「そうだよ!」

子供達のの言葉に、お姉さんは少し迷うような素振りを見せた。…騒ぎを起こしてしまったことを後ろめたく思っているのだろうか。でも、お姉さんのお陰で元太くんが無事だったのは間違いないのだしそんな引け目を感じることはないと思うのだけど…。

「大丈夫ですよ。行きましょ、」
「待って!!」

私も子供達と一緒にお姉さんを促した瞬間だった。
哀ちゃんの鋭い声に思わず動きを止める。振り向くと、哀ちゃんは思い詰めたような表情を浮かべている。

「江戸川くん、ちょっと話が…」
「それじゃあ我々だけでも先に、」
「ダメよ!!」

待ってて博士、と続ける哀ちゃんに目を細める。
…本当にどうしたんだろう、只事ではないような様子で、哀ちゃんはお姉さんのことをじっと見つめていた。


***


そして私は今、子供達やお姉さんと一緒に観覧車に乗っている。なお、ここにコナンくんと哀ちゃんはいない。

「ほら、ミナお姉さんもこっちで見ようよ〜!」
「すげー綺麗だぞ!」
「どんどん高くなります〜!」

コナンくんと哀ちゃんが離れたところで話をしている間に、子供達は目を盗んでお姉さんと一緒に観覧車へと向かおうとしたのである。最初はそれを止めようと思ったが、結局子供達の圧に負けてすごすごとついてきてしまった。
まぁ、観覧車のお預けを食らっていた子供達の気持ちもわからないでもないから、一周くらいなら良しとしようと考えてしまうのは私が甘いのだろうか。

「ほんとだ、すごいね。観覧車なんていつぶりだろ」
「私、こんなに大きな観覧車初めて!」

子供たちに歩み寄って、窓から外を見つめる。この施設の半分を一望できるのだから本当にすごい。よく出来た遊戯施設だなと思いながら外を見つめていたら、鞄の中のスマホが震えた。この震え方はメールじゃない、着信だ。
何となく相手の予想がつくので取り出してみれば、やはりというかコナンくんからの着信だった。それを見た子供達はうげぇと苦い顔をする。

「出なくていいですよ!」
「どうせ怒られるだけだもん」
「怒られるようなことをしてる自覚はあるんだね」

思わず苦笑した。
多分心配してるだろうし、ここは子供達の意見に従うわけにはいかない。どこにいるかくらいはちゃんと連絡しておかないと。
通話ボタンを押す私を見て、子供達から非難の声が上がるがこればかりは許して欲しい。

「もしもし」
『ミナさんっ!今どこ?!あいつらと一緒?!』

切羽詰まったようなコナンくんの声に目を瞬かせる。やばい、そんなに心配させてしまっただろうか。
楽しんでる子供達とお姉さんの邪魔をするのも忍びないので、少し下がったところで電話をすることにした。

「うん、突然いなくなってごめん。今元太くん光彦くん歩美ちゃん、それからお姉さんと一緒に観覧車に乗ってるよ。どうしても観覧車乗りたかったみたいだったから…」

観覧車の窓の外を、たくさんの鳩達が飛んでいく。すごい数だな。これだけの施設なら餌をくれる人も多いだろうし、きっと食べ物に困ることもないんだろう。
外の景色に歓声を上げる子供達とお姉さんはすごく楽しそうで、コナンくん達には申し訳ないけど正直来てよかったとも思う。

「もうすぐてっぺんだから、あと15分くらいで下に降りられると思う」

そう言うと、電話口からは深い溜息が聞こえる。呆れられてしまったようだと苦笑すれば、本当に呆れ返った声が聞こえてきた。

『…わかった。下で待ってるから、あいつらのこと頼んだよ』
「うん、頼まれました。すぐ戻るからね」

そう告げて通話を切る。そういえば、コナンくんや哀ちゃん、阿笠博士も観覧車のチケットを買っていたはずだけど…やっぱり、私達だけで来てしまったのは申し訳なかったなとほんの少し反省した。後でもし彼らも乗るようなら、私ももう一度チケットを買ってお付き合いしようと決める。
スマホを鞄にしまって、子供達とお姉さんの輪に戻ろうと振り返った時だった。

「う、ッう…!」
「えっ、お姉さん?!」

椅子に腰を下ろしていたお姉さんが、突然頭を押さえて蹲る。慌てて近寄るとすごく苦しそうな表情で、眉を寄せて悶えている。どうしよう、記憶喪失って言ってたから頭痛?記憶が戻りそうなのだろうか、少しでも楽にしてあげたくて彼女の背中を繰り返し撫でる。

「大丈夫か!姉ちゃん!」
「多分頭が痛いんだと思う。光彦くん、コナンくんに連絡!」
「は、はいっ!」
「どうしよう、お姉さん…!」

とにかく観覧車が下に降りるまでは、ここではどうすることも出来ない。尋常ではない苦しみ方に、何も出来ない自分をもどかしく感じる。
さっきだって、私は何も出来なかったのに。

「ノックは…、」
「っ?何ですか?!お姉さん、しっかりして…!」

お姉さんが呻きながらも何かを口にしている。何を言ってるのか聞き取ろうと耳を寄せると、いくつかの単語を呟いたのがわかった。
キール、バーボン、それからスタウト、アクアビット、リースリング。全てお酒の名前だ。
何故、こんな時にお酒の名前を…なんの意味があるのか私には全くわからない。
それ以降お姉さんは何かを言うことなく、観覧車が下に到着するまで頭を押さえたまま苦しんでいた。


***


結局、お姉さんはその後救急車へと運ばれていった。なんだかよく分からないけど、警察の人達が彼女の身柄を引き取ったみたい。お姉さん、警察は嫌だったみたいだけど大丈夫かな。
その際高木刑事という男性の刑事さんと、佐藤刑事という女性の刑事さんに会ったのだが…子供達や阿笠博士は顔見知りのようで、高木刑事がコナンくんを呼ぶのを見て驚いた。刑事さん達とも知り合いって、どういう人脈なんだろう…。
お姉さんのことは心配だったが、これ以上私達に出来ることも無いということでその場は解散になった。コナンくんは警察の人達と話をするとかでその場で別れ、その代わりに私は阿笠博士の車に乗せてもらった。皆でポアロに向かったのだけど、哀ちゃんは体調が優れないと先に帰ってしまった。

「何で灰原は姉ちゃんのことあんなに嫌ってんだ?」
「そうですねぇ、今までになく怒ってましたからね…」
「ミナお姉さんや博士もなんで怒ってるか知らないの?」
「うん…怒ってるというのとは、少し違うような気もするんだけど」

ポアロで休憩がてらお茶をしながら、話題はあのお姉さんのことで持ちきりだ。
確かに哀ちゃんのお姉さんに対する態度は、嫌っていると思われても仕方ないようなものだったかもしれない。でも、嫌っているのとは少し違うように感じたのである。嫌いと言うよりも、警戒しているような…何故警戒しているかはわからないけれど。

「お、そうじゃった。これをコナンくんから預かっとったんじゃ」
「これって…!」
「ダーツのところで貰えるお人形だね」

阿笠博士がポケットから白いイルカを取り出す。いつの間にか、コナンくんは阿笠博士に渡していたらしい。あのお姉さんに渡すための、着色のされていない白いイルカのキーホルダー。

「でも、これなんで色塗ってねぇんだ?」
「あ、え〜コナンくんがなんか言っとったが、忘れてしもうた」

阿笠博士の言葉に子供達は不服そうな顔をする。残念ながら私もこれがお姉さんの分としてスタッフさんがくれたものということしか知らない。お姉さんは白が似合うななんて思っていたから気にならなかった。確かになんで着色されていないんだろう。
その時、阿笠博士のスマホが鳴った。コナンくんから電話のようだ。ポアロでお茶をしてる旨を伝えてから、博士がスマホをスピーカーに切り替えてくれる。
お姉さんはあの後警察病院に運ばれたようで、とりあえずは大丈夫とのことを聞き胸を撫で下ろす。…無事に記憶も戻れば良いんだけど。

「良かったぁ!」
「皆でお見舞いに行かないとな!」
「はい!」

子供たちが喜ぶ横で、阿笠博士とコナンくんの会話は続く。
彼女が持っていたスマホの内部データを修復して欲しいだとか、完全に修復できるとは限らないだとか。またハイレベルな会話に、本当にコナンくんは何者なんだろうと思う。…小さな探偵さん。彼はそれだけではないような気がする。

『それと、観覧車で彼女が発作を起こした時、何か言ってたみたいなんだけど…その内容を知りたいんだ』

コナンくんの言葉に顔を上げる。
確か全てお酒の名前だった。

「それなら私が聞いて覚えてるけど…よくわからなかったの。確か、キール、バーボン、スタウト、アクアビット、リースリング…って言ってた気がするんだけど」

電話の向こうで、コナンくんが息を呑むのがわかった。
それから、焦ったような声でポアロにいるなら安室さんに代わってほしいと言われる。
店内を見回すも、安室さんの姿はない。昨日も家には帰ってきてなかったみたいだし…どうしたんだろう。

「安室さんなら、今日は休みですよ。今朝突然休ませて欲しいって電話がかかってきてそれきり。何度か折り返したんですけど、繋がらないから心配で…」

梓さんに教えてもらって、言いようのない不安を感じた。
なんだろう。安室さんが突然休むなんて…探偵業の方がそんなに忙しいのだろうか?スマホを取り出して見るも、やはり安室さんからの連絡はない。

「何も無ければ良いが…心配じゃのう」

阿笠博士の言葉に目を細める。
安室さんなら絶対に大丈夫。何かあってもきっと平気。そう思うのに、何も連絡がないと不安になるのは仕方がない。
思い切って安室さんの番号にダイヤルしてみたが、電源を切っているみたいでコール音すら鳴らなかった。

「安室さん…」

大丈夫、だろうか。
スマホをそっと握りしめて、私は小さく呟いた。

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