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弾丸の雨から逃げる中で気付いたことがある。
どこからどういう状況でマシンガンのようなものを使われているのかは全くわからなかったが、この銃撃は動くと即座に狙われるのである。かといってじっとしていても被弾する。
動くものに反応しているとしか思えない反応の速さに、私は為す術もなく逃げ回ることしか出来なかった。銃撃が向かってきたらじっとして、離れたらその隙に走る。そんなことを繰り返しているうちに、気付けばかなり上の方に来てしまっていた。

「ッ……!」

銃弾が頭の上を掠めて慌てて頭を庇う。悲鳴を上げることも出来ない。悲鳴を上げたらその瞬間に、感覚の麻痺が解けて恐怖に飲まれてしまうのがわかっていた。歯の根が震えてカチカチと音を立てる。恐怖に呑まれるな、飲み込め。ただ歯を食い縛って逃げる。
足元を弾丸が掠め、私は勢い良くその場にすっ転んだ。縞鋼板で膝を擦り痛みが走る。止まったら死ぬ、走らないと。
顔を上げかけたら、突然上から大きな手のひらに押さえ込まれる。そのまま誰かが私の上に覆い被さったのがわかった。香るタバコの匂い。

「どうして君がここにいる!!」

知らない声だった。銃声が一度遠ざかったのを確認してから顔を上げれば、そこには見たことの無い男性がいた。
ニット帽を被っていて、癖のある前髪がちらりと覗いている。暗がりで分かりづらいが整った顔立ち。その手には大きなライフルが握られていたけれど、不思議と恐怖はなく胸に広がるのは安堵だった。初めて会う人なのに、何故だか私はこの人を知っているような気がする。
男性は眉を寄せて険しい顔で私を見つめている。

「あ、あなたは…」
「逃げ遅れたのか?…いや、それだったらこんなところにいるはずはないな。何にせよ今は話をしている暇はない」

男性は体を起こすと、鋭い目を走らせて銃声が響いている方向を見つめている。
…おかしい。さっきまで縦横無尽に襲ってきていた銃弾が、どこかに狙いを定めているようだ。今は下の方から銃撃の音が響いている。
…誰かが、狙われている?

「…攻撃が一箇所に集中している、」

男性は起き上がり、私の手を掴むと力強く引っ張った。男性に支えられる形になりながら立ち上がり、男性に手を引かれるまま走り出す。
この男性に会えて安堵したのは間違いないが、名前もわからないままなんと呼べば良いか戸惑い困惑する。

「あ、あのっ…!」
「生きたければ黙って走れ」

名前も素性もわからないし手にはライフルを持っているが、この男性は敵ではない。今この場で私が頼れるのは、この男性だけなのだ。


***


男性に連れられて走っているうちに、気付くと銃声は止んでいた。
散々銃撃にやられた観覧車はぼろぼろだ。階段はあちこち崩壊していて、壁にもぽっかりと大きな穴が空いている。月明かりが差し込んでいて少し視界は鮮明になるものの、銃撃によって煙や砂埃が上がっている。
男性は立ち止まって手を離すと、私にしゃがむよう促した。素直にしゃがみ込むと、男性はライフルを構え直す。

「赤井さーん!!安室さーん!!」
「こっちだ!」

今度はよく知る声がして顔を上げる。コナンくんの声だ。この男性はコナンくんを知っているのか?それと、コナンくんは安室さんを呼んでいたようだったがまさか彼もここにいるのか?

「赤井さん!」
「怪我はないか、ボウヤ」
「コナンくん!」

視線を向けると、コナンくんが壊れた階段から這い上がってくるところだった。コナンくんは私と目が合うなりぎょっとして目を見開く。

「ミナさん?!どうしてここに?!」
「っ…いろいろあって…この方に助けてもらったの」

そもそも、コナンくんだってどうしてこんな危険なところにいるのか。いつも彼がしている眼鏡はない。こんな状況だ、どこかで落としたのだろう。
コナンくんは男性と私を見比べて小さく息を吐く。

「そう…赤井さんが助けてくれたんだね。ミナさん、後でちゃんと説明してもらうから」
「う、…わかった」

この男性の名前は、赤井さん。コナンくんが親しげにしているのを見ると、やはり悪い人ではないんだろう。
赤井さんはライフルのスコープを付け替えながら外の様子を窺っている。

「ボウヤ、隠れるんだ。まだローター音が聞こえる」
「安室さんはっ?」
「わからん。だが、直接的な攻撃を仕掛けてきたということは、爆弾の解除に成功したってことだ」
「うん。…あとは、奴らをどうやって…」

赤井さんとコナンくんの会話は私には全くわからなかったが、口を挟むつもりはなかった。この場において私は足手纏いだ。それくらいのことはわかる。今私がすべきことは、彼らの足を出来る限り引っ張らないこと。余計な口出しはしないこと。
わかっていても、それでも、どうしても尋ねずにはいられなかった。

「安室さんも、いるんですか」
「あぁ。いろいろ疑問はあるだろうが、全ては生きて帰ってから彼に直接聞くんだな」

安室さんも、ここにいる。こんな危険な場所に。
安室さんは私立探偵で、その合間にポアロで働くアルバイター。の、はずだった。…本来なら、こんな場所にいるはずもないだろう。
赤井さんとコナンくんの会話を反芻する。赤井さんは、爆弾の解除に成功した、と言ったのだ。…コナンくんが安室さんのことを聞いた、その流れの中で。つまりそれは、爆弾の解除をしたのは安室さんだということ。
探偵が、爆弾の解除なんて出来るものなのか。探偵のことをよく知りもしない私だが、それでもどうしても探偵と爆弾は繋がらなかった。
コナンくんや哀ちゃんが普通の小学生ではないように、安室さんもまた…普通の探偵ではない。
赤井さんに助けられてほっとして、気が抜けたんだろう。自分の手を見ると小刻みに震えていた。走りすぎたせいか唾液からは鉄の味がするような気がするし、身体は鉛のように重い。治りかけの背中から腹部を貫いた傷が、疼くように痛む気がする。見ないようにしていた恐怖が、じわじわと足から染み込んでくる。
だって、死んだっておかしくない状況だった。いや、もしかしたらこれから死ぬ可能性だってあるのだから。

「そのライフルは飾りですか!!」

上から降ってきた声に顔を上げる。赤井さんが陰になっていて見えなかったけど、間違えるはずがない。安室さんの声だ。

「安室さん!!」
「反撃の方法はないのか!!FBI!!!」

コナンくんが安室さんを呼ぶ。そしてそんな安室さんは、赤井さんに対して声を上げているようだった。
…今、安室さんは何と言ったんだ?赤井さんのことを、FBIと呼んだのか?FBIって…アメリカ連邦捜査局の、あのFBI?

「あるにはあるが…暗視スコープがお釈迦になってしまって、使えるのは予備で持っていた通常のこのスコープのみ。これじゃあ、どでかい鉄の闇夜の烏は落とせんよ」
「姿が見えれば落とせる?」
「ああ」
「でも、どうやって?」
「ローターの結合部を狙えば、恐らく」
「結合部なんて見えなかったよ?!」
「正面を向き合っては無理だ。何とか奴の姿勢を崩し、尚且つローター周辺を五秒照らすことが出来れば」

…なんという、会話をしているんだろう。
まるで私の理解の及ばない次元の話だ。こんな会話、洋画ドラマで流し聞きするくらいでしかない。そんな次元の違う会話を、現実として、現状として聞いていることが無性におかしくて小さな笑いが零れた。笑いと言っても、吐息程度でしかなかったのだけど。
夢でも、見ているんだろうか。こんな死と隣り合わせの酷い夢。
いろんな情報で頭がぐちゃぐちゃだ。ひく、と胸の奥が痛む。
多分私は…赤井さんに助けられてほっとしたと同時に、緊張の糸が切れてしまった。赤井さん、コナンくん、それから安室さん…彼らの存在に安堵している反面、この現状に絶望していた。
とても、疲れていたのだ。

「照らすことは出来そうだけど…大体の形がわからないと、ローター周辺には…」

コナンくんが言いかけた時だった。
再び、連続した銃声が響き始める。
弾丸が発射される音、観覧車にぶつかり金属に跳ね返る音、壊れていく音。
息が詰まる。ぎゅうと手を握りしめた。

「まさか奴ら、車軸を爆発させて…!」
「この観覧車ごと崩壊させるつもりか!」

車軸を爆発?観覧車ごと崩壊?

「まずい、車軸にはまだ半分爆弾が残ってる!」
「くそぉ!!撃ってくる方向はわかるのに、ローターがどこにあるかわからない!」

こんな状況だと言うのに、彼らはまだ諦めていなかった。コナンくんは空を見上げながら必死に目を凝らし、赤井さんはライフルを構えて狙いを定めようとしている。
どうして諦めずにいられるのかわからない。諦めかけている私の隣で、彼らは必死に出来ることを考えている。
どうして。

「大体の形がわかればいいんだったよな!!」

安室さんの声が響く。
顔を上げると、安室さんが大きな…あれは鞄だろうか?それを外に向かって放り投げるところだった。

「見逃すなよぉ!!」

鞄が宙に待って、瞬間爆音とともに弾け飛ぶ。
耳を劈くような音に思わず頭を押さえる。今のは…爆弾?安室さんは、爆弾を投げて一体何を…

「見えたッ!!」

コナンくんの声に視線を向ける。
彼が自分の靴に触れて何かを弄ると、靴が虹色に光り出す。何が始まるのかと息を飲んで見つめていれば、彼はどういう仕掛けなのか突然サッカーボールを取り出して、それを力強く蹴り上げたのである。

「いっけぇえええ!!」

稲妻のような青い光に包まれたサッカーボールが、空に向かって飛んでいく。そしてそのままサッカーボールは夜空で弾け、虹色の光を散らせた。花火だ。その光は強く、眩しさに目が眩む。
そして私は、その光の中で飛び廻る大きな機体を見た。

「あれは……」

テレビでしか見た事がない、ヘリコプターとは違うもっと厳つい機体。オスプレイだ。オスプレイは本来輸送機のはずだが、どう考えても輸送用の機体としてここに来ている訳では無い。
あれが、敵。

「落ちろ!」

赤井さんの鋭い声だった。
発砲音が響いて、赤井さんの構えたライフル銃から弾丸が発射される。それはまるで吸い寄せられるように真っ直ぐオスプレイへと向かい…そして、機体を撃ち抜いた。

「やったか!」
「よしっ!」

赤井さんのライフルによって撃ち抜かれた機体は、黒煙を上げながら大きくバランスを崩している。
終わったのか。ほっと息を吐き出すと、絶望に包まれてぼんやりしていた感覚が少しずつ戻ってくる。
そうだ、生きなくては。こんなところで死ぬわけにはいかない。強く唇を噛むと、隣にいた赤井さんの手が伸びて私の腕を掴む。

「えっ?」
「安室くん、彼女は君に返しておこう」
「は?何の話を…ミナさんッ?!」

赤井さんに引っ張られるまま立ち上がる。立ち上がったことで私の姿が見えたのだろう、驚愕の表情を浮かべた安室さんと目が合った。
返すも何も、コナンくんがいる足場と私達がいる足場の間には大きな亀裂があって、安室さんは私たちよりも更に上…コナンくんの頭上の辺りにいる。
どうすれば、と思っていたら赤井さんに軽く背中を押された。

「このまま階段を上がり上に行け。上の足場までは続いてるはずだ。安室くんと合流し、その後は彼に任せればいい」
「でも、」
「急げ」

赤井さんがそう言ったすぐ後、また銃声が聞こえてくる。
まさか、機体を損傷しても尚まだ続けるつもりなのか。赤井さんは再び外に視線を向け、コナンくんは更に下の階へと降りていく。

「赤井さん、ありがとうございました!」

迷ってる時間はない。外からの銃声は止まない。まだ、終わっていない。
赤井さんに背を向けて走り出す。階段を上へ上へと駆け上がる。急がないと、もっと悪いことが起こる気がする。
階段を上がりきった頃には息が上がっていた。安室さんは、と顔を上げかけた時、強く手首を掴まれる。
傷だらけになった、褐色の腕。

「ミナさん!」

掴まれた手首を引かれて、足が縺れた。そのまま、力強い腕に頭を抱き寄せられる。
ふわりと感じる安室さんの匂いに、絶体絶命のこんな状況だと言うのに胸がいっぱいになる。
たった数日会っていなかっただけだ。それなのに、安室さんの存在に満たされてたまらない。ようやく会えた。会いたかった。

「話は後です!走って!!」

瓦礫が降ってくる。安室さんに頭を守られるように抱き寄せられたまま、私達は走り出す。
生きてここから帰らないと。子供達は、哀ちゃんは、お姉さんはどうなったのか。皆無事なのか。

「わっ、」

突然、がくんと足場が揺れて息を呑んでいると、安室さんに強く抱き寄せられる。

「ミナさん!」
「安室さ、」
「僕にしっかり掴まっていてくださいね、」

反射的に安室さんにしがみつけば、安室さんに体を抱きかかえられる。照れる余裕も暇もない。何を、と思った瞬間、彼は柵を乗り越えて揺れる足場から飛び降りた。
咄嗟に強く目を瞑る。恐怖が私を苛んでいく。
それでも、安室さんのことは信じられる。
金属が軋む音、観覧車の崩壊する音を聞きながら、私は安室さんに抱きつく腕に力を込めた。

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