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その日、私はコナンくんに呼び出されて工藤邸へと足を向けていた。もちろんこのことは安室さんには内緒である。コナンくんに呼び出されただけならばなんの問題もなかったが、呼び出された場所に問題があった。
工藤邸。コナンくんだけと話をするはずはない。だってそこには沖矢昴さんが住んでいるのだから。

「まさかまたここに単身乗り込むことになるとは…思っておりませんでした…」
「昴さんと飲み会するんでしょ、ここで。そういう話してたよね?こないだ。それに単身じゃないでしょ、ボクもいるでしょ」
「それはそうなのですけれども」

通されたリビングで顔を覆って小さく呟いたら、向かい側からコナンくんの呆れたような声がした。確かにコナンくんもいるのだけどどう考えても単身という言葉の方が正しいと思う。だって沖矢さんとコナンくん対私で構図は合っているはずだ。
コナンくんのことも沖矢さんのことも好きだけど、この構図は怖いことこの上ない。尋問でもされるんじゃなかろうか。
この場にいない沖矢さんは紅茶を淹れてくださっている。お構いなくと告げたのだけど、長い話になりそうだからとにっこりと微笑まれてしまったため、キッチンに向かう沖矢さんを見送ることしか出来なかったのである。
肩身が狭い。

「ミナさん、もう傷の具合はいいの?」
「え?うん、転んだくらいだったから。もうカサブタだよ。そういうコナンくんは?」
「ボクももう治ったよ」
「そっか、良かった」

あれだけのことを成し遂げたという小さなヒーローはにこりと笑った。確かに見る限り目立った怪我もない。一歩間違えたら死んでいたかもしれないというのに、生命力が強いというか運が強いというか。それも才能なんだろうけど。
コナンくんは私に何かを聞きたそうな様子で、床につかない足をぶらぶらと揺らしている。
さて、どんなことを質問されるんだろうと思うも、東都水族館で電話をした時に私に話せることなら話すと言ってしまったのだ。その言葉を反故にするつもりはない。
けれど、私が話せるのは一体どの程度なのだろうと考える。話せるか話せないかの線引きは、しっかりしないといけないな。

「お待たせしました」

ティーカップが三つ乗ったトレーを手に、沖矢さんがリビングにやってきた。
沖矢さんが丁寧に私とコナンくんの前へとカップを置き、それからコナンくんの隣にもカップを置く。分かってはいたけどやっぱりそっち側に座るんだなと思わず身構えてしまう。
コナンくんの隣に腰を下ろした沖矢さんは、私に視線を向けてほんの少しだけ眉を寄せた。

「先日の東都水族館での事件に遭遇していらっしゃったとか。大丈夫でしたか?」
「あ、はい。ご心配おかけしてすみません。大した怪我もなかったので…」
「どうしてミナさんはあそこにいたの?」

切り込んでくるな名探偵。私はティーカップを持ち上げながら苦笑を浮かべた。

「元太くんとか…光彦くんとか、歩美ちゃんからは何も?」
「あいつらが観覧車に乗ってた理由は聞いたよ。でも、ミナさんがあそこにいた理由は聞いてない」
「哀ちゃんからも?」
「本人から聞いた方がいいって詳しくは教えてくれなかったんだよ」

うーん、哀ちゃんから適当に説明してくれてよかったんだけど、と思いながら紅茶を飲む。いい香り、ダージリンだろうか。
ふむ、と息を吐いてから、私は視線を上げてコナンくんを見る。これはちゃんと説明した方がいいな。

「実は元太くん達と警察病院に行ったの。お姉さんに会いに」

安室さんに話した内容とほぼ同じだけど、ざっとの流れをコナンくんに説明する。その間沖矢さんも黙って私の話を聞いてくれているようだった。
私の説明を聞き終わると、コナンくんは小さくなるほどと呟く。

「観覧車の中でキュラソーと灰原とはぐれていたのか…」
「キュラソー?」
「あ、えっと…あのお姉さんの、名前…かな」
「キュラソー…お酒の名前だね」

そう言えば、どんな色にでもなれるキュラソーだって…お姉さん自身が言っていた気がする。
そうか。あのお姉さんはキュラソーさんと言うのか。形は違えど、きっと強い勇気を持った人。もう一度、ちゃんと会って話がしたかった。

「…で、その後はコナンくんも知る通りだよ。赤井さんに助けられて、オスプレイを撃ち落とす瞬間を見た」

真っ直ぐにオスプレイに向かっていったライフルの弾丸。赤井さん…不思議な人だったな。FBIと言っていたからそうそう会えるような人ではなさそうだが、会えた時は改めてお礼を言いたいと思う。

「…ねぇコナンくん」
「…なに?」
「本当に私、赤井さんと初対面だったんだよね…?」
「そ、…そうなんじゃない?」
「うーん…そっかぁ」

何度考えても腑に落ちないが、考えたところで答えも出なさそうだしこの件についてはこれ以上考えるのをやめよう。

「赤井さんって、下の名前はなんて言うの?」

私が問うと、何故かコナンくんは隣にいた沖矢さんをちらりと見た。え、なんでそんな困ったような顔をしているんだろう。
もしかしてFBIの人も個人情報とかはあまり聞いたらいけなかっただろうか。苗字だけ知っているのも何となくモヤモヤするから聞いただけだったのだが。
答えられないならいいよ、と言おうとして、口を開いたのは沖矢さんだった。

「赤井秀一、ですよ」
「へ、」

思いがけないところからの声に目を瞬かせる。

「赤井秀一。それが彼の名前です」
「赤井秀一さん…。…そっか。ありがとうございます。FBIの方の名前って聞いちゃいけないのかと思いました」
「…それ、安室さんからの聞いたの?」
「うん。安室さん、赤井さんのことをFBIって呼んでたから…聞いたら教えてくれた。…なんだかすごく仲悪そうに見えたけどね」

ただならぬ仲なのはわかるけど、私が聞くべきことではないこともわかる。苦笑を浮かべて肩を竦めると、コナンくんと沖矢さんは小さく息を吐いた。
それから、コナンくんは真面目な顔になって私をじっと見つめてくる。
その視線に何となく背筋を伸ばしながら、私も唇を引き結んだ。

「ミナさん、こないだも話した通り…ボクがミナさんに話せることなんてほとんどないよ。それでもボクはあなたのことを知りたいと思う。フェアじゃないのはわかってるから、ミナさんが話したくないなら言わなくてもいい。…それでもいいから、質問をしてもいいかな」

元より今日はそのつもりで来た。
私がひとつ頷くと、コナンくんも小さく頷いた。

「ミナさん、安室さんのクライアントだって言っていたよね。米花町に来るのは初めてだって。…米花町に来る前は、どこにいたの?」

いきなりそこから来たか、と目を細める。
安室さんにどんな依頼をしているのかと聞かれなかっただけまだマシと考えるべきか。でも、守秘義務とかがあるんだっけ。そこに踏み込まないのはマナーなのかもしれない。

「ここじゃないところ」

私がそう答えると、コナンくんは表情を少しも動かさずにじっと見つめ返してくる。信じてもらえていないというか、納得されていないな。
思わず苦笑が浮かぶ。

「痛覚が無くなっていたよね。それは結局、何が原因だったの?今はもう治ったんだよね」

私が刺された時から、私の感覚についてコナンくんが気にしていたのはわかっている。いつか聞かれるだろうとは思っていたけど、今日は本当にしっかりと話を聞き出すつもりのようだ。
沖矢さんが何も言わないところを見ると、彼も気になっているのかもしれない。
さて、どうしようかな。
私はうーん、と考えると、ティーカップをテーブルに置いた。

「とある女の子の話をするね」

ゆっくりと目を閉じて、話し出す。

あるところに、一人の女の子がいました。
その女の子は、異世界からの旅人でした。世界を越えて、この世界に落ちてきてしまったのです。
女の子は帰る方法を探していました。けれども、方法は見つからないままでした。
そんなある日、女の子の体に異変が起こります。空腹感が無くなり、味覚がなくなり、温度がわからなくなり…そして、痛覚がなくなってしまったのです。
世界を越えてしまった代償だと、誰かが言いました。
けれど、女の子はもう元の世界に帰りたいとは思わなくなっていました。この世界で生きていきたいと考えるようになっていたのです。
そんな女の子の思いが通じたのか…女の子はやがて、感覚を取り戻しました。そして、この世界で生きていくようになったのです。

「めでたしめでたし」

私がそう言って目を開けると、目の前にいたコナンくんと沖矢さんはなんだかとても難しい顔をしていた。
何の話だと文句を言いたそうで、けれど真剣に考えている風にも見える。もしかして混乱させてしまったかな。

「…それ、ミナさん自身の話?」
「さぁ。私はもう女の子なんて年齢じゃないしねぇ」

クスクスと笑うと、コナンくんの眉が不服そうに寄る。
でも、今日は嘘は言わないと決めて来た。だから、これが私の話せる真実だ。だって本当のことを真面目に話したところで、信じて貰えるとは思えなかったから。

「聞きたいことはそれだけ?」
「ま、待って!ミナさん、もう一つ聞きたいことがあるんだ」

なんだろう、と思いながらティーカップを口に運んだ。少し温くなってるけど味は落ちていない。これ、もしかしてすごく良い茶葉なのかもしれない。

「ミナさんって安室さんと一緒に住んでるの?」
「ゴフッ」

噎せた。
せっかくの美味しい紅茶が変なところに入った。
コナンくんがすかさずボックスティッシュを目の前に持ってきてくれるけど、その感じだと私が噎せるのも予想していたのではないのか。とりあえず有難くティッシュを取って口元を拭う。

「げほっ、んぐ、…え?なに?」
「ミナさんって安室さんと一緒に住んでるの?」
「ワァ聞き間違いじゃなかった上に一字一句同じ」

どうして沖矢さんは微動だにしないのだろう。リアクションが欲しい。

「…どうしてそう思ったの?」
「ちょっと前にパン職人のおじさんがハムサンドの作り方を聞きに来たことがあったでしょ。ミナさん、その時にポアロのハムサンドが家でも食べられるのかって言ったよね」
「…そうだったかな」
「そのミナさんの言葉に対して、安室さんがあなたは買って帰る必要は無いって言ったんだ。それって買って帰らなくてもいつでも食べられるってことだよね」
「……そうだったかな…」
「ミナさん、本当は安室さんと付き合ってるんじゃ、」
「違います!!」

そこだけははっきり否定しておかねばならない。
けれどそこだけはっきりと否定してしまった以上、一緒に住んでいるという部分に関して否定をすることが出来なくなる。最初から一緒に住んでなんかいないと否定しておけば良かった。でも今日は嘘をつかないと決めていたし。

「…事情がありまして」
「一緒に住んでるのに…付き合ってるわけじゃないの?」
「ルームシェアというか私が居候させて頂いていると言いますか…」
「……信じられん」

沖矢さんってそんな喋り方だったっけと思いながら、それほどまでに驚かせてしまったんだろうと思うと身も竦む。
どう説明すれば上手く伝わるだろう。

「あの、本当に変な意味はなくて…純粋に居候させてもらってるだけ、です」
「……でも、ミナさん…安室さんのこと、好き…なんだよね?」

コナンくんの言葉に顔を上げて頷く。
そうか。コナンくんには私が安室さんのことを好きだということは話したんだったな。
辛くないか、って聞かれたのを覚えている。

「うん。…でも、本当にそれだけ」

今考えると…辛いのかもしれない。前まではこんなふうに辛いと感じることはあまりなかったのに、貪欲になってしまったみたいだ。想い続けるだけというのは、存外苦しい。

「…ミナさんがそう決めたならいいけど…」
「僕は、ご自分の気持ちに正直になった方が良いと思いますけどね」

まさか沖矢さんに突っ込まれるとは思っていなかった。顔を上げると、沖矢さんが少しだけ瞳を開いてこちらを見つめている。

「つまらない意地よりも大切なことがあるということです」
「…つまらない意地ですか」
「失礼、言葉の綾です。…けれど、ただ想い続けるだけと決めるのは時期尚早だと思いますよ」

…なんで恋愛の話になっているんだろうと思いながらも、沖矢さんの言葉は私の胸にちくりと刺さるようだった。
つまらない意地。私は…つまらない意地を張っているだけ、なのだろうか。
ぼんやりと考えながら、冷め切った紅茶を口に運んだ。

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