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「今日からよろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしく頼むよ」

私は真新しいエプロンをして、嶺さんに頭を下げた。
記念すべき嶺書房さんでの初出勤である。私が仕事をある程度覚えるまでは嶺さんも店頭に出てきてくださるそう。早く嶺さんを安心して休ませてあげる為にも、しっかり仕事を覚えなければと意気込んだ。
仕事内容としては会計やカバー掛けのレジ業務、本の予約や取り寄せの対応を始め、品出しやポップの制作などなど。棚はジャンルや言語毎で決まっているので、外国語が出来なくても問題ないとのこと。
慣れるまでは大変そうだが、逆に慣れてしまえば楽しそうだと感じている。
開店時間は午前十時から午後六時まで。お昼休憩の間だけ、嶺さんが店頭に立ってくれる。休日は水曜日と日曜日、それから祝日。あとは嶺さんの気分で臨時休業するらしい。
そんなわけで私は慣れない業務に四苦八苦しながらも、なんとか仕事をこなして行った。

「こんちはー」
「あれ、」

夕方、そろそろ閉店作業に入ろうかという頃になってドアが開いてお客さんがやってきた。軽く手を上げてカウンターに歩み寄ってくるのは一度会ったきりだった、彼。

「黒羽くん」
「よ。ミナさん久しぶり」

へら、と笑いながら黒羽くんはカウンターに頬杖をついた。学校帰りのようだ。

「こんにちは、黒羽くん。メールでは何度かお話したけど、直接会うのは久しぶりだね」
「ホントホント。ミナさん、怪我の具合はもう大丈夫?」
「うん。まだ念の為何度か通院はしなきゃだけど、痛むことも無くなったしもう大丈夫。心配かけちゃってごめんね」

嶺書房さんに初めて来た日、黒羽くんに迷惑をかけてしまったのを思い出した。あの時はまだ傷が治り切ってなくて体力も落ち切っていて、すぐに体に不調が出てしまう頃だったな。今はもうすっかり大丈夫だけど。

「そっか、良かった。まぁ、あまり無理しないでのんびりやりなよ」
「うん、ありがとう。黒羽くんもいつでも気軽に遊びに来てね」
「そうそう、そのことなんだけどさ…マスターいる?」

目を瞬かせて首を傾げた。そのこと、とは。

「嶺さんなら今ちょっと席を外してるけど、すぐ戻ってくると思うよ」
「そう?んじゃ、ちょっと待たせてもらおっかな」
「…ねぇ、黒羽くん。そのこと、って?」
「俺もバイトさせてもらおうと思って」
「へっ」

思わず変な声が出た。
ぽかん、と口を半開きにしていると、黒羽くんはにかりと楽しそうに笑う。
え、今黒羽くんは…バイトさせてもらおうと思って、と言ったのか。どこで?…ここで?

「って言っても俺は平日学校だし、ここの閉店時間を考えると学校帰りにシフト入れるのは無理だけどさ。毎週土曜くらいならいけるなと思って。あと長期休暇中とかね」
「…え、黒羽くんもここでバイトするの?」
「の、つもり。まぁマスターがオッケーしてくれたらの話だけど」

突然の話に驚いたものの、たまにでも黒羽くんが一緒に働いてくれるなら私としてもとても心強い。一人でここで働くのが嫌なわけではないが、気楽に話せる友人が一緒の方が良いに決まってる。

「それとも、俺が一緒なのは嫌?」
「そんなことないよ!すごく嬉しい。心強いな」

私がそう言って笑うと、黒羽くんも嬉しそうに笑ってくれた。



結果として、黒羽くんの申し出は通ることになった。二人一度に教えるよりは、私がある程度仕事が出来るようになってからの方が良いだろうとの嶺さんの判断で、黒羽くんが実際に働き始めるのはもう少し先になるけど。
黒羽くんは入れる日にシフトを入れるという自由形になったが、私以外に働く人がいるというのはどっち道嬉しい。黒羽くん要領良さそうだし、きっと仕事もすぐに覚えてしまうんだろうな。

「今日はありがとうございました」
「佐山さんは飲み込みが早いから教えやすくて助かるよ。これからよろしくね」
「とんでもないです!こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。それじゃ、お先に失礼します」

お店の電気を消して鍵をかけるまでが私の仕事になるが、今日は嶺さんが戸締まりをしてくれるというので私は一足先の退勤。
私が上がるまで待ってくれていた黒羽くんと一緒に、米花駅の方へと歩き出した。
のんびりとした歩幅で歩きながら、私はちらりと黒羽くんを見つめる。…整った顔立ちで、どこかで見たような気がしてたけどその理由がようやくわかった。

「黒羽くんってさ」
「うん?」
「工藤新一くんと瓜二つって言われない?」

髪型こそ違うけど、顔は本当にそっくり。双子と言われても何の違和感もないと思う。私が問うと、黒羽くんはゲェと変な声を出して眉を寄せた。

「…俺の方がイケメンだし」
「ふふ、私は工藤新一くんを実際に見たことないからわからないけど、黒羽くんがイケメンなのはわかるよ。モテるでしょ」
「まぁそれほどでもねぇけどな〜!」

得意気に笑うところを見ると、それなりに自分の顔には自信があるらしい。…それもそうか、これだけ整った顔立ちなら自分の顔の良さを理解していて当然だと思う。実際モテるんだろうし。

「ミナさんさ、」
「うん?」
「怪盗キッドってどう思う?」
「怪盗キッド?って、あの美術品や宝石を狙う怪盗のこと?」
「そう、それ」
「知り合いの男の子がキッドキラーって呼ばれてるんだよね」
「ゲッ、…え、ミナさんそのキッドキラーのガキと知り合い…?」
「?うん。コナンくん。お友達だよ」
「…マジかよ」

突然話が飛躍したなと思いながら、私はうーんと小さく考え込んだ。
えぇと…確か、美術品や宝石を盗むけど…結果的にきちんと持ち主のところへ返しているんだったっけ。盗む時は派手なマジックショーさながらの演技を見せるとか何とか…。
有名なのはこの世界で色々調べるうちにわかったけど、実際に私はそのニュースやキッドの姿を見たことはないから何とも言えない。

「盗みは良くないことだと思うし」
「ぉ、…おう」
「お騒がせな怪盗さんだなって思うけど」
「……うん」
「でも、何となくただの愉快犯とは思えないんだよね」
「え?」

世間を騒がせているし警察の人を振り回しているというのは否めないけど、予告状の丁寧さとか…盗んだものを返すところとか。マジックショーをして人々の反応を楽しんでいる部分はあるのかなぁとも思うが、それにしてもなんというか。

「上手く言えないけどね。私はキッドのことを見たことないし、新聞の記事くらいでしか知らないから。でも、うーん、何かを探しているのかなぁって思うよ」
「…何かを」
「私の想像でしかないから、本当に愉快犯で悪い怪盗さんなのかもしれないけど。…でも、なんだか悪い人には思えないんだよなぁ」

不思議だけど。
きっとこの世界で生きていれば、その怪盗キッドの話題に触れることもあるだろう。彼の予告状が届いた日には彼のファンで現場はごった返すと言うし。
…もしかしたらいつか会えたりして、なんて思いながらへらりと笑う。

「そっか。…ミナさんはそう思ってくれるんだ」
「え?」
「いーや、なんでもない!なんか頑張れそう!いろいろ!」

何故か黒羽くんが嬉しそうに笑う。
もしかして黒羽くんは怪盗キッドのファンなのかな、なんて思いながら小さく首を傾げた。
気付けば私達は米花駅前までやって来ていて、私はバス停の方に視線を向ける。丁度バスも来ているみたいだ。

「それじゃあ黒羽くん、また嶺書房でね」
「おう!気を付けてね、ミナさん!」

にかりと笑って手を振ってくれる黒羽くんに見送られながら、私はバスに乗り込んだ。


***


その夜アパートに戻ると、私よりも先に帰ってきていた安室さんが既に夕食を準備して待ってくれていた。おかえりなさいと迎えられるのはどこか照れ臭く幸せな気分になる。
やっぱり安室さんと話をしたり目を合わせたりするのはドキドキするし、恥ずかしくなって顔を逸らしてしまうこともあるが…でも、安室さんは気分を害した様子はないし、むしろ何故か少し楽しそうに笑うのでまぁいいかなと思っている。…その楽しそうに笑う顔が、好きだったりして。

安室さんと今日あったことを話しながら夕食を食べて、交代でお風呂に入った。その後私はベッドに座ってスマホを弄り、安室さんはそんな私と向かい合うように座りながらローテーブルでパソコンを弄っていたのだが。

「あぁ、そう言えばミナさん」
「はい?」

安室さんに声をかけられて顔を上げる。安室さんはごそごそとポケットを漁ると、何かを取り出してそれを私に差し出してきた。
えぇと、…東都水族館のロゴがプリントされた小さな紙袋。

「これを返し忘れていたんです。お返しします」
「ひぇ、」

そ、それは…あの東都水族館での一件の時になくしてしまったと思っていた、イルカのストラップ…二つ。
鞄の中に入れていたはずだが気が付いたらなくなっていて、まぁあんな騒ぎの最中にいたんだし紛失してもおかしくないなと思っていたのだけど。まさか安室さんが持っていたなんて。

「…あの、これをどこで…?なくしたと思ってました」

安室さんから袋を受け取り中を覗いてストラップを確認する。ぱっと見た感じ壊れていたり傷がついていたりということは無さそうだ。

「ミナさんがスマートフォンを取り出した時に落ちたんですよ。ほら、観覧車の上で電話をかけたでしょう」
「…あ、あの時」

思い返して、確かに観覧車から降りる前哀ちゃんに電話をかけたのを思い出す。あの時は哀ちゃんや子供達の無事を確認するのに必死だったから、落としたことなんて全く気付かなかった。

「ありがとうございます…良かった」

ピンクと黄色のイルカ。デザイン的に普通に気に入っていたから、なくしてしまったのはちょっと悲しかったのだ。ほ、と胸を撫で下ろして袋の口を閉じていると…ふと、こちらをじっと見つめる安室さんの視線に気がついた。

「……な、なんでしょうか」
「いえ。どなたへのお土産なのかなと思いまして」
「どっ」

何故お土産だとわかったんだろう。
私が口をパクパクさせていると、安室さんは少し苦笑しながら頬杖をついた。

「すみません。悪いとは思ったんですけど、念の為中を確認させていただいたんです」
「ひぇ、」
「同じデザインで色違いのイルカのストラップ。二つともどなたかへのお土産かとも思いましたが…あなたの交友関係を考えると、お揃いでお渡しする相手に心当たりがなくて。となると、一つはミナさんのもの。もう一つが誰かにお渡しする分」

こんなところで探偵のスキル発揮しなくても良いと思うのですが。合ってます?なんて言いながら笑顔で首を傾げないで欲しい。合ってます。
どうしよう。なんて答えたら良いだろうかと思いながら私が口ごもっていると、安室さんはほんの少しだけ目尻を下げて笑った。

「壊れていなくて良かったですね」
「えっ?…えっと、はい…」

安室さんはそれきり、再びパソコンに視線を移し作業に戻ってしまった。
…もう少し追及されるかと思ったけど…もしかして私が困っている様子だったからそれ以上何かを言うのをやめてくれたのだろうか。
カタカタと安室さんがパソコンのキーを叩く音が響く。
…どうしよう。
安室さんに渡したくて買ったものだ。けれど、渡すのを諦めていたものだ。二つとも私が付ければいいと思っていた。同じものを二つなんて、ちょっとおかしく見えてしまうかもしれないけど…でも、安室さんに渡して変な顔をされたらと思うと勇気なんて出なかった。

「………」

ちら、と安室さんの方を見てみるが、彼はもうこちらを見ていない。
…どうしよう。
ぎゅう、と小さな紙袋を握り締める。

「……安室さん、」
「はい?」

私が呼ぶと、安室さんは手を止めて視線を上げてくれる。きょとん、とした表情で私を見つめ、小さく首を傾げている。
…深い意味は無い。子供達の持っていたお揃いのキーホルダーがちょっと羨ましくなっただけ。友人同士で同じストラップを付けるのだって、別におかしなことじゃない。そもそも付けてもらえるかだって、受け取ってもらえるかだってわからないんだから。
軽い気持ちで、渡してしまえ。
私は小さく唇を噛むと、握り締めてクシャクシャになってしまった袋から黄色いイルカを取り出した。そしてベッドを降りて、ローテーブルを挟んで安室さんと向き合う。

「…あの、……実は、安室さんへのお土産に買ったんです」

そう言いながら、そっとストラップを差し出した。
安室さんは私の手を見つめながら目を瞬かせている。

「…その、あんなことがあった場所だし…で、でもお土産に罪はないというか、えぇと、その、い、いらなかったら私二つ付けるので、」
「嬉しいですよ」

へ、と間抜けな声が出る。
安室さんは小さく笑いながら私の手から黄色いイルカを取り、紐をつまんで揺らしてみせる。

「ありがとうございます。財布に付けさせてもらいますね」
「…は、…はい」

どうしてだろう。安室さんの手の中で揺れるイルカが、なんだか嬉しそうに見える。…私が嬉しいからそう見えるのだろうか。胸がドキドキと高鳴って、頬が熱くなる。
私もお財布につけよう。嬉しい。安室さんが受け取ってくれた。口の端がむずむずする。
ピンクのイルカを取り出して手のひらに乗せると、それを見た安室さんが柔らかく笑いながら言った。

「お揃いですね」

きっと私は、耳まで赤くなっていたに違いない。



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