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「ぁ、…あのぉ…」
「はい?」

嶺書房さんでの仕事中のことだ。
私自身も大分仕事に慣れてきたので、最初は付きっきりで教えてくださってた嶺さんも今では私が呼んだ時だけ近くにあるご自宅から足を運んで教えてくれるようになった。電話で聞いて事済む内容であればお店の方に出てくることも無い。いい具合に引き継ぎも進んでいるので、そろそろ黒羽くんのシフトも入れ始めようか、と話をしているところである。
そんなわけで店頭には私一人。棚や本に被った埃を掃除していた時に、ふと来店した一人の女の子に声をかけられた。
セーラー服を来ているから…中学生には見えないし、高校生かな。どこか居心地悪そうに体を竦めて、ちらちらとこちらを見つめている。

「何かお探しですか?」

何か聞きづらいことなのかなと思いながら首を傾げて問えば、その女の子はよし、と小さく意気込んでから顔を上げて私を真っ直ぐに見た。
すごく可愛い子だ。

「あ、あのっ、ここで、黒羽快斗って奴がバイトしてるって聞いたんですけどっ!!」

…黒羽快斗?
予想外の言葉にぱちぱちと目を瞬かせる。
まじまじともう一度その女の子を見つめて、あぁなるほどと納得した。

「もしかして黒羽くんの彼女さ、」
「違いますっっ!!ただの幼馴染です!!」

ものすごい勢いで遮られてしまった。
ぽかん、としていると、その女の子はハッとして顔を赤くし、気まずそうに俯いている。
…なるほど、好意はあるけど伝えたり明確な関係にはなっていないとそんなところだろうか。初々しいなぁ、なんて思い笑みが浮かぶ。

「黒羽くんなら、これからバイトでシフトに入る予定だけど…まだ働いてはいないですよ」
「えっ?そ、そうなんですか?」
「うん、多分来月の土曜日くらいからシフト入るんじゃないかな」

そう告げると、その女の子はむぅ、と難しそうな顔で考え込んだ。
ここに黒羽くんがいると意気込んできたのだろう。でも今日は平日だから、どの道黒羽くんは働けるシフトじゃないなぁと思う。
女の子はしばらく考え込んでいたがやがて顔を上げるとぺこりと頭を下げた。

「突然すみませんでした。…あいつ、突然バイト始めるみたいなこと言い出したからどうしたのかと思って…問い詰めようと思ったんですけど、早とちりしちゃったみたいです」
「とんでもない。黒羽くんがバイトを始めようと思った理由まではわからないけど、この書店のマスターとも仲良しだしそういう繋がりもあったんじゃないかなぁ…。土曜日メインで、長期休暇中もシフトを入れるって言ってました」

確かに、どうして黒羽くんがバイトをしようと思ったのかは知らないな。多分マスターのお手伝いがしたいって気持ちはあるだろう。…高校生だし、お小遣い稼ぎとかだとは思うけど。

「私は佐山ミナっていいます」
「あっ、えっと、中森青子です!…あんな不真面目なやつがアルバイトなんて出来るのかなって思ってたんですけど、佐山さんみたいな先輩がいるなら安心ですね」
「黒羽くんって不真面目なの?」
「そりゃあもう!」

それからしばらく、青子ちゃんと二人で黒羽くんの話で盛り上がった。青子ちゃんはいろんな話をしながらもその表情はどこか楽しそうで、時折頬を染めていたりもした。
きっと青子ちゃん自身で思っているよりも、黒羽くんのことが好きなんだなぁ。青子ちゃんの顔は、恋している女の子の可愛らしい表情そのものだ。微笑ましく思う。

「青子ちゃん、黒羽くんのこと好きなんだね」
「えっっ?!ちょ、佐山さん、違いますよ!!幼馴染として世話が焼けるだけで…!!」
「そうかなぁ。私、応援するよ?」
「だから違いますってば!」

顔を真っ赤にする青子ちゃんを見て、彼女はきっとこれから自分の恋を自覚していくんだろうと思う。大切な恋になる、そんな予感があった。
…私も、大切な恋が出来ているだろうか。

「そ、そういう佐山さんは?彼氏とか、好きな人とかいるんでしょう?」

安室さんの顔が脳裏を過る。想いを通わせるだけが恋愛ではない。私は今抱いている自分の気持ちを大切にしたいと思うし…これがいつか強さになればいいと思う。

「いるよ、好きな人」
「ほら!!私だって、応援します!」
「ううん。私のは、一方的な片想いだから」
「えっ?」

青子ちゃんは難しそうな顔をして首を傾げた。

「…もう、結婚されてる方ですか?それとも彼女さんがいるとか…」
「ううん。…ただ、完璧すぎて私なんかとても釣り合わないような人」

だから、思い続けられるだけでいいの。私がそう言うと、青子ちゃんはむっと頬を膨らませてじっと私を見た。…頬を膨らませても可愛い子は可愛いんだなぁ、なんて呑気なことを考える。

「そんなの、わからないじゃないですか」
「わかるよ、だって本当に完璧な人だから」
「釣り合うか釣り合わないかを決めるのは、佐山さんじゃないと思います。…そもそも、そういうの、恋愛にはあんまり関係ないと思うし…だって、好きになったらそれが全てじゃないですか」

好きになったらそれが全てか。確かにそうなのかもしれない。相手がどんな人だろうと、好きになってしまったらそれまでなのだ。
私は、安室さんに惹かれてしまった。彼のことが好きになってしまった。でも私は期待するような浅ましさを持ってはいけないと思う。身の程に合った距離が正しいのだと思っている。

「青子ちゃんは強いなぁ」
「えっ?そ、そんなことないですよ!」

青子ちゃんは慌てて首を振ったけど、それから私のことをじっと見つめてから小さく笑う。

「…佐山さん、自分のことを“私なんか”って言いましたけど…その評価、周りから見たら多分全然違うものだと思うので。もっと自信持ってくださいね」
「…うん、ありがとう」

優しい青子ちゃんの恋が、大切で…素敵なものになればいいと願う。


***


目が覚めると、全く知らない場所にいた。
頭がぼんやりとするし、体に上手く力が入らない。ここはどこだろうと考えて、自分が足と腕を縛られて床に転がされていることに気付く。腕は後ろに回されているため、起き上がることも難しい。
辺りは真っ暗で、辛うじて窓から差し込む月明かりが部屋の中の輪郭を僅かに浮かび上がらせている。そんなに広い部屋ではなさそうだ。家具はなく、部屋の隅に…パイプ椅子、のようなものが積み重なっているように見える。物音はしない。
一体、何があったんだっけ。ぼんやりとする頭を必死に動かして記憶を辿る。

閉店時間になり戸締りを終えた私は、嶺さんに閉店した連絡の電話をしてから帰路に着いた。
嶺書房さんがある路地は人通りも少なく、少し入り組んだところにあるから太陽の日差しも届きにくい。私はその秘密基地的な雰囲気が気に入っていたのだが…そこで、男性に声をかけられたのを思い出す。
“米花町に来るのが初めてで迷ってしまった”
男性はそう言っていた。マスクをしていて顔はよくわからなかったが、心底困っているような様子だったから駅までの道案内を申し出たのだ。
確かに細かい路地だったから、入り込んだらよくわからなくなってしまうのも無理はない。私も駅に向かうから一緒に行きましょうと声をかけて、先に歩き出したところで後ろから男性に口を押さえられ…そこから、記憶がプツリと途切れている。

「…拉致された?」

幸いにも口は自由にされている。ぽつりと呟いて、背中がぞくりと震えた。口元に押し当てられた布の感触を思い出す。…何かの薬品を嗅がされたんだろう、か。
米花町は、犯罪率が非常に高い。それを理解はしていても、日常的にそれを意識して生活するなんてことは、平和ボケした私には難しかったのだろう。
…クロロホルムでは人は気絶しない、って聞いたことがあるけど、この世界では違うのかな。それともクロロホルムではない薬品だったとか。頭が上手く回らない。手足の感覚が少し戻っては来たが、起き上がろうとして失敗し床に強かに肩を打ち付けた。

「…っ、いた、」

ここから逃げないと。
どんな理由で私を拐ったのかはわからないが、何にせよ碌でもないことに間違いはない。何とか逃げ出さなければともがいてはみるが、まともに動くことすら出来ない。
今何時だろう。私の鞄は持っていかれたのか、部屋の中には見当たらないようだった。
…こんなに暗くなっているということは、それなりに時間が経過しているということ。帰ってこない私に、安室さんも気付いているはずだ。
また、心配をかけてしまう。

その時、ガチャリと音がして部屋のドアが開かれた。
誰、と視線を上げて、突然部屋の電気がついて眩しさに目が眩む。

「目は覚めているようだな」

細めた目で、部屋に入ってくる男性を見つめる。
…道で私に声をかけてきたマスクをした男性と…それから、覆面をした男性が二人。計三人だ。
何をされるのかわからない恐怖に小さく体が震えて、私はぎゅっと唇を噛んだ。
覆面の男性が、私の鞄を持っている。それを手に歩み寄ってきて、鞄からスマホを取り出すとそれのディスプレイを私に向ける。

「ロック解除の番号を言ってもらおうか」

ディスプレイに並ぶ、たくさんの不在通知。安室さん、コナンくん、沖矢さん、蘭ちゃん…皆から、たくさん連絡が入っているようだった。
表示された時計は午後十時になるところ。…もうそんなに、時間が経っていたのか。

「おら、早く言え」

別の男性に背中を蹴られて、びくりと体が震える。
私が震えた声でロック解除の番号を言うと、男性の手がスマホを操作してロックが外される。
男性はそれから私のスマホを操作して…スマホを耳に当てて何かを聞いたり、それから何か文字を打っているみたいだった。一体何をしてるのかと思いながら、私はじっとしていることしか出来ない。

「…これでよし、」
「何をしたんだ?」
「“心配しないで”のメールを入れといたんだよ。多少の時間稼ぎにはなるだろ」

男性は小さく笑うと、さて、と私に再び視線を向けてしゃがみ込む。それから再度私の方にスマホを見せながら、にやりと笑みを深くした。…この男性が、主犯格だろうか。

「さぁ、親御さんに連絡するんだ。助けてくれってな」
「………なにが、目的…ですか…」

かちかちと歯の根が合わずに音を立てる。
男性は私が質問したことに不機嫌そうに眉を寄せ、ちらりと私の後ろに立つ男性に目配せした。瞬間、強く背中を踏まれる。

「うっ…!」
「お前は人質だ。…身代金を用意してもらわねぇと、帰すことは出来ねぇなぁ」

身代金。親に泣きついて、お金を用意してくれと言えというのか。
ぐ、と背中を踏まれて息が詰まる。痛みに眉を寄せ、私は緩く首を振った。

「……いま、せん」
「は?」
「……私、…両親…いません、」

泣きつける親なんていない。お金を用意してくれる身内なんていない。私がこの世界で頼れる人は限られているし、まさか身代金を用意してくれなんて連絡できるはずもない。
友人達に、そんな迷惑はかけられない。

「嘘つけ!」

怒鳴り声とともに、男性に強く髪を引っ張られた。痛みと恐怖で顔が引き攣る。

「ほ、本当です。…両親は、いなくて…祖父母に育てられました、でも祖父母ももう亡くなってます。身代金を用意してくれる人なんていません、」

なんとかそう告げると、男性は私の髪を離して立ち上がった。それから、スマホを私の目の前に落とす。私の鞄もその場に放って、盛大に舌打ちした。

「ハズレかよ」
「この女、どうする?」
「構うな、どうせ死ぬ」

男性達は口々にそんなことを言いながら、部屋を出ていこうとする。
死ぬ?…ここで、私は死ぬ?

「ま、待って!助けてください!!お願い…ッ」

必死で叫ぶと、一番後ろにいた男性がちらりとこちらを振り向いた。…私の髪を掴んでいた、主犯格の男。

「ごめんなぁ、証拠残らねぇようにしないといけねぇから、燃えてくれ」

軽い口調で言い、男性はケラケラと笑う。
燃えてくれと、言ったのか。まさか、ここに火を放つつもりなのか。
言葉を失い絶望で表情を染める私の目の前で…ばたんと、音を立ててドアが閉められた。

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