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「犯人、捕まりました」

夕飯を一緒に食べながらいつも通り他愛のない話をしていた時のことだった。
突然安室さんが「そうそう、そう言えば」なんて軽いノリで言い始めたので、一瞬何のことだか理解が追いつかなかった。お箸を持ったままきょとんと目を瞬かせて首を傾げる。
犯人、と言ったのか。

「…犯人、ですか」
「ええ。あなたを誘拐した三人組の男達ですよ」

安室さんがお味噌汁を啜る。そんな仕草でさえ様になってしまうんだから本当にこの人は罪作りな人である。きっとポアロに来る女子高生達は、安室さんがお味噌汁を啜るところなんて見たら黄色い悲鳴を上げるのかもしれない。安易に想像がついた。
…なんて、そんなことを考えながら頭の隅で安室さんの言った言葉を噛み砕く。
私を誘拐した三人組の男。心当たりはもちろんひとつしかない。そんな何度も誘拐されていてはたまらない。

「…もう、捕まったんですか…?だって、あの場に証拠なんてほとんど残っていなかったんじゃ」

あの日のことを思い出すとお腹の奥の方がずしりと重くなって、体が冷えるような心地がした。忘れよう忘れようと思っていても、体はそう簡単にあの日感じた恐怖を消し去れはしない。未だに一人で暗闇で眠ることが出来ない日々は続いている。変わらず安室さんに一緒に寝てもらう日々だ。
私は自分で思っていたよりもずっと脆く、弱かったのかもしれない。
無意識のうちにお箸を持つ手に力がこもっていたらしい。はっとして腕の力を抜くと、安室さんは小さく笑った。

「日本の警察も優秀でしょう?」

その言葉に、ゆっくりと目を瞬かせる。
いつか聞いた言葉だ。…確か、東都水族館での一件の後、赤井さんの話をしていた時。赤井さんがFBIだということに納得した私に、安室さんがそう言ったのだ。

「証拠なんていくらでも。焼け跡から指紋も取れたと知り合いの警部が教えてくれましたよ」
「安室さん、警部さんとも知り合いなんですね。…あ、もしかして、私の世界で警視庁に行ったのってその警部さんに会う為だったんですか?」
「ええ、まぁ。…そんなことよく覚えていましたね」

安室さんが意外な顔をして言うけど、警視庁に行くなんてなかなか無いことだと思うしそんなすぐには忘れたりしない。
でも、そうか。安室さんの知り合いの警部さんも、私が誘拐された事件について捜査してくれていたのか。本当に私は安室さんや、安室さんの周りの人達にたくさん守られて救われているんだなと実感する。

「…その警部さんにお伝えください。ありがとうございました、って」

私がそう言うと、安室さんはきょとんと目を瞬かせてから小さく咳払いをした。

「………、…わかりました、伝えておきましょう」
「……え?」

なんだか微妙な間があったけどなんだろう。
私は思わず首を傾げるが、安室さんは無言でご飯を口に運んでいる。
…何か変なことを言ってしまっただろうか。

「……あの、難しいようなら無理はしなくても…」

安室さんはその警部さんと知り合いだと言うし、それなら一言伝えてもらうくらいなら大丈夫かなと思ったのだが…もしかしたら私にはわからない事情が絡んでくるのかもしれない。

「ああ、いえ。そういうわけでは。…そんな顔をしなくても大丈夫ですよ、ちゃんと伝えておきますから」
「…どんな顔してます?」
「申し訳なさそうな心配そうな、そんな顔です」
「……私そんなに顔に出ますか」
「ええ、とてもね」

困って眉尻を下げれば、反して安室さんはくすりと笑った。
そのうち私が何も言わなくても、全て安室さんに筒抜けになってしまう日が来るのではないだろうか。今でさえ考えてることもすぐにバレてしまうような状態なのに。

「…ポーカーフェイスを目指します」
「応援していますよ」
「安室さん棒読みです」
「おや」

む、と口を尖らせても安室さんは優しく笑うばっかりだ。安室さんに惹かれてやまない。きゅんと疼く胸にほんの少しだけ唇を噛んで、安室さんから視線を逸らした。

「…安室さん、楽しんでますよね」
「バレましたか」
「バレバレです」
「あなたのいろんな表情が見られるのが嬉しくて、つい」
「…冗談ですか?」
「まさか」

頬が少しずつ熱くなる。私がこうなるとわかっていて言っているに違いないのだ。なのに、安室さんは冗談ではないと言う。
そっと視線を戻せば、安室さんは変わらず微笑んでいたけれど…その瞳には、どこか強い光があった。

「言ったでしょう?…僕は、あなたを好きになります。日毎に、少しずつ。けれど確実に、ね」

追い詰めるような言葉なのに、なんて甘いんだろう。
胸がいっぱいになって、頬が熱くなって、安室さんから目が離せなくなる。

私は小さく息を呑むと、誤魔化すようにお味噌汁を飲み干した。


***


明けて水曜日。安室さんは朝から夕方くらいまでポアロで、私はお休みだ。
朝は安室さんと一緒にご飯を食べて、その後は出かける安室さんを見送り家事一通り済ませた。
ごろごろとして過ごして、気付けば時間は午後二時過ぎ。どうしようかなと考えて、ポアロのケーキが食べたくなり支度を開始した。
仕事の時間的に、ゆっくりとポアロで過ごすには休日に行くしかない。今日なら安室さんもいるし、と思いながら私は家を出た。三時のおやつに丁度いい時間である。

「こんにちはー」
「いらっしゃいませ!」

ポアロのドアを潜り、真っ先に声をかけてくれたのは梓さんだ。今日も笑顔が可愛い。

「あっ、ミナさん!」
「こんにちは」

店内のお客さんはピークも過ぎた時間だからか少なめだ。端の席にはバンドマンらしき男性二人。それからその隣の席に学校帰りだろう蘭ちゃんと園子ちゃん、コナンくん、あと…初めて見る女の子がいる。ショートの黒髪はウェーブしていて、どこかボーイッシュな雰囲気を持っている。
私は蘭ちゃん達の席の隣に腰を下ろした。

「あなたがミナさん?蘭君や園子君から話は聞いてるよ。ボクは世良真純。蘭君達の同級生なんだ、よろしく」

黒髪の女の子が自己紹介をしてくれたので、私も軽く頭を下げる。

「初めまして。蘭ちゃん達には仲良くしてもらってるんだ。佐山ミナです」

ボクっ娘だ、と思いながら目を瞬かせた。その一人称は彼女によく馴染んでいる。かっこいい女の子だな。同性からモテるタイプだ、と思いながら差し出された手を握り返した。
梓さんがメニューを持ってきてくれたので、カフェラテといちごのショートケーキを注文して改めて彼女たちに向き直る。

「なんの話してたの?」
「そうそう!ウチら三人で女子高生バンドやろって話してたのよ!」

園子ちゃんが身を乗り出して言う。
女子高生バンドか。高校の時の文化祭で、軽音部の発表を見に行ったけど確かに楽しそうだったなぁと思い出す。

「でも、なんで急に?」
「昨夜やってた映画に出てくる女子高生バンドがヤバかわでさぁ〜!!」
「へぇ!」
「それで?園子姉ちゃんはなんの楽器やるの?」
「ドラムに決まってるでしょ〜?そのバンドのドラムの子があたしに似てて〜…」

なるほど、園子ちゃんは映画とかに影響されやすく形から入るタイプだな。気持ちは何となくわかるのでうんうんと頷く。
蘭ちゃんは黒髪ロングだからという理由でベースを推されているものの(映画に出てくるベースの子がそうだったらしい。本当に形からはいるタイプだ)、蘭ちゃんベースは弾いたことがないらしく、ピアノの方が得意らしい。楽器ができることがそもそもすごい。

「ボクがベースやろうか?昔兄貴の友人に、ちょっと教わったことあるし」
「じゃあ世良ちゃんがベース、蘭はキーボードやってくれる?」
「い、いいけど…このバンドどこでお披露目するの?」

女子高生のバイタリティはすごいなぁ、なんて思って彼女達の会話を見守っていれば、目の前にカフェラテといちごのショートケーキが置かれた。顔を上げれば安室さんだ。
自然と笑みが浮かぶ。

「いらっしゃいませ、ミナさん」
「こんにちは、安室さん。…ケーキが食べたくなって、来ちゃいました」
「大歓迎ですよ。ゆっくりしていってくださいね」

家で見る安室さんもいつでもかっこいいけど、ポアロで働いている時の安室さんもかっこいいよなぁ、と思う。雰囲気も少し違うし…まぁ、どちらにせよかっこいいことに変わりはないな、なんて思う。恥ずかしいことを考えていることに気付いて、カフェラテに視線を落とした。

「ッいたいたぁ!!!」
「へっ、」

突然園子ちゃんに指を差されてびくりと身を竦ませながら顔を上げる。
なんだ。何の話だ。安室さんに気を取られている間に一体話がどう進んだんだ。

「その女子高生バンドにも、ミナっていうギターの上手い子がいたんだよねぇ!」
「えっ、ごめん何の話?」

全く話が見えずにぽかんと口を開けて園子ちゃんを見れば、園子ちゃんはわざわざ椅子から立ち上がり私の傍までやってくる。

「ミナさんもあたし達と女子高生バンドやろうよ!」
「待って、私ギターなんて触ったこともないし、そもそも女子高生なんて何年も前に卒業した身であって」
「そんなの制服着ちゃえばわかんないって!ミナさんって意外とロリ顔だしさぁ!」
「ロリ顔」

そんなこと人生で初めて言われた。
いやしかしギターなんて私には到底無理な話である。指の置き方から学ばなければならないし、一朝一夕ですぐ出来るようなものではないだろう。園子ちゃん、その映画に毒されすぎでは。

「ギターって難しいってイメージなんだけど…私にはとても」
「大丈夫大丈夫!ちょっと練習すればすーぐ弾けるようになるって!ジャジャーンッてさ!」

そんな無茶な、と思った時だった。

「じゃあ弾いてみろよ!俺のギター、貸してやるからよ」

突然割り込んだ声に皆で視線を向ける。
私とは反対側の隣に座っていた、バンドマンらしき男性二人だ。こう言っては何だが、あまり柄が良さそうには見えない。

「で、でも」
「携帯アンプに繋ぐから、音はすーぐ出るぜ?」

言い淀む園子ちゃんに追い打ちをかけるように、男性は携帯アンプへとギターのコードを繋ぎ電源を入れる。そして立ち上がると、そのギターを園子ちゃんへと突き出した。

「ほーら、」
「い、いやぁ…」
「練習すればすぐ弾けるようになんだろ?だったらここでやって見せてくれよ。お嬢ちゃんよぉ」

言葉を失う園子ちゃんに、男性は更に言い募る。
ギターを持っていたということは、この男性は間違いなくギターを演奏することが出来るんだろう。そして、弾けるようになるまでどれくらいの練習が必要かも恐らくわかっている。だからこそ、園子ちゃんの軽い発言が頭に来たのだと思う。
わからないでもない。けれども出来ないとわかっていてやらせようとするのは苛めではないのか。

「待ってください、そんな急に言われたって」
「ギターも触ったことがねぇ奴は黙ってな!俺はこっちのお嬢ちゃんと話してんだよ」

怒鳴られて身が竦む。
バチッと脳内で音がして、誘拐された日のことがフラッシュバックした。
男性の怒鳴り声は、嫌だ。背中を蹴られた痛みも、髪を引っ張られた痛みも蘇る。立ち上がりかけた腰が椅子へと戻り、喉に何かが詰まったように声が出なくなってしまった私は…ぎゅっと手を握り締めることしか出来なかった。


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