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結局、園子ちゃんは震える手で男性からギターを受け取りギターストラップを肩にかけた。
そんな無理しなくていい、そう思うのに、私を始め蘭ちゃんや世良ちゃん、コナンくんも口を挟むことが出来ずに園子ちゃんを見守ることしか出来ない。
男性達はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら園子ちゃんを見つめている。…笑い者にするつもりだ。腹立たしさが湧き上がって、私はぎゅうと唇を噛み締めた。

「…園子ちゃん、」

小さく声をかけるも、園子ちゃんはギターのピックを握り締めたままごくりと息を飲む。そして、たどたどしい動きでギターの弦を押さえ…ピックで、弦を弾いた。
ボロロン、と調子外れの音が鳴り、男性達の笑い声が店内に響き渡った。ゲラゲラと笑う様子は、心から園子ちゃんを馬鹿にしているようだった。

「なんだなんだ出来ねぇじゃんよォ!」
「弾けもしねぇのにナマ言ってんじゃねぇよ、JKがよぉ!」
「ひゃははは!」

確かに、大口を叩いた園子ちゃんにも非はあったのかもしれない。けれどもこれは、園子ちゃんにとっても…私達にとっても、精神的苦痛以外の何物でもない。
こういう人を馬鹿にするような視線は、私は今までに何度も見てきた。何度もこういう蔑むような視線を受けてきた。会社で仕事を引き受ける私に向けられていた、馬鹿にする笑みはきっとずっと忘れられない。
あの頃はわからなかったけれど今ならわかる。私はあの頃、周りの人間に馬鹿にされて生きていたのだ。だからこそ、こういう人を許せはしない。
じわ、と園子ちゃんの目に涙が浮かぶのを見て、もう耐えられなかった。震える手をぎゅっと握り締めて腰を上げる。

「あの、」

声を発した瞬間、ぽんと肩を叩かれた。肩に置かれたのは褐色の肌。安室さんの手だ。
安室さんは私の方を見ないまま園子ちゃんに歩み寄ると、彼女の後ろからギターへと手をかけた。

「貸して」

静かな声だった。
安室さんの登場に私達も男性二人もぽかんとしている。
園子ちゃんからギターとピックを受け取った安室さんは、自分の肩にギターストラップをかけると…すう、と小さく息を吸って、弦にピックを走らせた。

弦が唸る。低く腹の底を刺激するような心地の良いギターの音が、ポアロの店内に響き渡る。
ギターがまるで歌を奏でているような、そんなどこまでも自由な音だ。安室さんの手の動きには迷いがない。私はギターのことはわからないけれど、ミスのようなものもない。――上手い。
ギターの音をこんな近くで聴く機会なんてそうそうない。それこそ高校時代に見た軽音部の発表くらいなものではないだろうか。
体を揺らしながらギターを演奏する安室さんは、今まで見たどんな表情とも違う気がした。伏せ目がちの瞳は鋭く、なんというか…上手く言えないのだが、その、…とにかく、かっこいいのである。
お味噌汁を飲むだけでかっこいい人だ。ギターなんて演奏したらそれはもう、女子は皆イチコロなのではないだろうか。
…ギターって、こんなに素敵な音がするんだ。安室さんの演奏に聴き惚れた。

「…まぁ、この子達もちょっと練習すれば、これぐらい弾けますよ」

ね、と言いながら安室さんがいつもの穏やかな笑みを浮かべる。安室さんがギターを肩から下ろして男性二人に差し出すと、彼らは未だぽかんとした様子で安室さんの言葉に頷くだけだった。
なんという…鮮やかな手際だろう。

「園子さんも、ビッグマウスはほどほどに」
「うん…!」

男性二人組は先程までの勢いはどこへやら、残っていたコーヒーを手早く飲み干すとそのままポアロを出ていった。あの様子からすると…多分、自分達よりも安室さんの方がギターが上手いということに手も足も出なくなった、といったところだろうか。
家の和室の隅にギターが立てかけてあるから、安室さんが弾くんだろうなとは思っていたが…まさかこんなすごい弾き手だったとは思わなかった。
安室さんに出来ないことなんて、もしかして本当にないのではと思ってしまう。本当に、どこまでもかっこいい人だ。思わず赤くなっていた頬を押さえた。

「ミナさん顔赤いよ」
「不可抗力です……」

コナンくんに小声で囁かれて俯いた。
コナンくんは男性達の座っていた席を片付け始める安室さんを横目に見ると、そっと私に顔を寄せる。

「安室さんギター弾けるって、ミナさん知ってた?」
「…家にギターがあるから弾くのかなとは思ってたけど…こんな上手いとは思ってなかったよ。すごかったね」

コナンくんと頷き合うと小さく笑った。顔を上げれば、すっかり笑顔になった園子ちゃんが安室さんに話しかけるところだ。

「ねぇねぇ安室さん!あたし達のバンド入ってよ!」
「えっ?」
「JKプラスイケメンバンドもありなんじゃない?!」

園子ちゃんの言葉に、確かにこんな可愛い女子高生三人と安室さんが揃ったら、きっとものすごい話題になるしものすごい人気になるのではないかと思う。スカウトなんかが来ちゃったりして。

「それはちょっと…目立つのはあまり…」

存在だけでも花がある人が何を言っているのか、と思いながらも、私は口を挟まずにショートケーキをフォークで崩す。たっぷりの生クリームは甘さ控えめでさっぱりとしており、けれども程良いコクと甘みでいくらでも食べれてしまいそうである。

「練習くらいなら、見てあげられますけど。これから貸スタジオに行って、少しやってみます?」
「いいねそれ!」
「やろやろ!」

安室さんの言葉に園子ちゃんと蘭ちゃんが声を上げる。いいなぁ、友人達と一丸になって何かをやるというのは楽しいことだと思う。若いうちしか出来ないよなぁ、なんてぼんやりと思いながらカフェラテを口に運び…ふと、世良ちゃんが少し険しい表情を浮かべていることに気付いた。

「なぁアンタ」

世良ちゃんが安室さんを見上げ、鋭く目を細める。

「ボクとどこかで…会ったことないか?」
「いえ?今日が初めてだと思いますけど?」

その安室さんの返答の速さが、少しだけ気になった。
安室さんは頭がいい。記憶力もいい。考えるまでもないことなのかもしれないけど…会ったことがないかと聞かれて、少しも考える素振りも見せずに否定した。人間そう簡単に記憶の引き出しを開けられるものなのだろうか。…安室さんレベルの人ならわからないけれど。
私なら無理だな、と思いながら最後まで残しておいたいちごをぱくりと食べた。生クリームと甘酸っぱいいちごの相性は最高だ。
ふぅ、と息を吐いてカフェラテを飲む。最高の午後だなぁ、なんて思った。

「ねね、ミナさんも行くっしょ?」
「ごめん何の話?」

突然園子ちゃんに声をかけられてはっとする。カップを持ち上げたまま視線を向けて首を傾げれば、園子ちゃんが立ち上がらんばかりの勢いで言った。

「聞いてなかったの?!これから貸スタジオに行って、安室さんに練習を見てもらうのよ!」
「そ、そこまでは聞いてたよ。でもあの、なんで私も行くみたいな話に」
「そりゃあ大切なギター候補だからに決まってるでしょ!こんな時間にポアロにいるくらいだもん、ミナさん暇でしょ!」

暇なことに間違いはないかもですが。

「私にギターは無理だって。さっきの安室さんの演奏聴いて出来ないなって思ったもん」
「やりもしないで何言ってるのよ!それに、良い先生がいるんだから何とかなるって!」

そう言いながら園子ちゃんが安室さんを指差す。
安室さんはぱちぱちと目を瞬かせていたが、私と目が合うとにこりと微笑んだ。

「ええ。僕で良ければお教えしますよ」
「無理ですってば…」

きっと安室さんのことだからものすごくわかりやすく丁寧に教えてくれることだろう。ギターの音は好きだから少しだけ興味が無いわけでもないけど、バンドでギターを担当してお披露目するなんて私には荷が重すぎる。
渋っていたら、世良ちゃんが頬杖をつきながらこちらに視線を向けた。

「とりあえず、一緒に行くだけでもいいんじゃないか?」
「えぇ…?」
「そうよ!ね!はい、決定!行こう行こう!」

園子ちゃんが立ち上がり私のところまで来て、手を引いてくる。
ショートケーキは食べ終わってるしカフェラテも飲み終わっている。私は後はもう帰るだけだ。洗濯物を干してきたからそれを取り込むという任務は残っているけれども確かに園子ちゃんに言われた通り暇人である。

「それじゃ、準備してくるので待っててくださいね」

私達のやり取りを横目に、安室さんは上がる時間なのかエプロンを外しながら裏のバックヤードの方へと下がってしまった。
というか私がついていくのは何やら確定事項のようになっているようだが。

「ミナさんがギターやってくれたらオールオッケーなんだしさぁ」
「私はオールオッケーじゃないよ」

弦楽器なんてそもそも触ったことすらない。
コナンくんはこちらを見上げて首を傾げている。

「じゃあ、今まで例えばどんな楽器をやってきたの?」
「えっ?えっと…ピアニカとか…リコーダーとか…。まぁピアノはちょっとだけやってたけど、ブルグミュラー止まりだよ」

小学生レベルである。バイエルとブルグミュラーくらいまでは興味本位というか、小学校の音楽室でたまに弾くくらいだったけど、それ以上の難易度のものなんて私には無理だ。多少楽器に触れたことのある程度だ。
けれども蘭ちゃんはきらりと表情を輝かせて身を乗り出した。

「じゃあ、楽譜は読めるってことですよね!」
「えっ?えっと…た、多少は…?」
「なら問題ないわよ!むしろ心強いわ!!」

園子ちゃんは何がなんでも一緒に来て欲しいらしい。
私にギターが出来るかどうかは置いておいて、彼女達にこうして慕ってもらえるのは純粋に嬉しい。
…確かにこの後特に用事もないし、家主である安室さんが行くんだから…ついていっても構わないか。

「…行くだけだよ?ギターはやらないからね」
「わかってるわかってる、ちゃんと練習したらでいいから」
「だからやらないってば」

園子ちゃん本当に押しが強いな。
私が苦笑して答えたら、丁度安室さんが準備を終えてバックヤードから戻ってきた。梓さんにこの後の引き継ぎをしているみたいだ。
まさかこんな流れになるとは思っていなかったけど、皆でワイワイ出来るのは嬉しいな。先程の男性二人組に感じた恐怖もすっかり消えて、強ばっていた体からは力も抜けている。
…暗闇だけじゃなくて、男の人の怒鳴り声もダメなんだなぁ。身が竦んで動けなくなる。早いところこんな恐怖は払拭しなければと思いながら小さく溜息を吐いた。
財布を取り出してお金を用意すると、梓さんがレジに立ったのを見て会計を済ませる。すると梓さんは私の顔を見て、首を傾げた。

「ミナさん、ギターやるんですか?」
「だからやりませんって」

梓さんまでそんなことを言う。苦笑して返すと、梓さんは何故かちらりと安室さんの方を見てからにんまりと笑った。
…なんだ、その笑みは。

「安室さんに教えて貰ったらきっと上手になりますって」
「梓さん!」

どうして皆こうなのだろうか。
すぐに顔に出ると言われているくらいなんだから、あまり動揺させないで欲しい。

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