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地下の休憩所から上に上がると、既に警察の人達が到着していて調査をしているところのようだった。カウンターのところで防犯カメラの映像を確認しているのは、私も知った後ろ姿。

「高木刑事と…目暮警部?」
「おや、あなたは」

キュラソーさんのお見舞いに行った時にお会いした二人だ。米花町が管轄なんだろうな。私が軽く頭を下げると、二人も会釈を返してくれた。

「佐山ミナさん、でしたな」
「はい。先日警察病院ではお世話になりました」
「事件発生時にここにいた方々には全員事情聴取をさせていただいてるので…申し訳ありませんが、いくつかの質問と、ボディーチェックをさせていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」

私と一緒に、蘭ちゃんや園子ちゃんも聴取を受ける。このスタジオに来た経緯と、スタジオに入ってから何をしてどこにいたのか。そんな簡単な質問に答えた後はボディーチェックを受けて怪しいものを所持していないかを確認された。
…本当にここで事件が起こったんだな。警察の人達が奥のスタジオに出入りしているのを見ると、すっと背中が冷たくなるような心地がした。すぐに視線を逸らす。

蘭ちゃん達と隅の方で待機していたのだが、何やら騒がしい。殺害時に使われた凶器が見つからないだとか…そういう話をしているみたいだけど、大丈夫だろうか。
スタジオに入ってきたバンドマンらしき男性二人が、表に停まっているパトカーを見て何かあったのかと受付の女性に詰め寄っている。興味津々みたいだけど…まぁ、気になるよね。パトカーが停まってたら。
ふと、世良ちゃんがそのバンドマンに視線を向けているのに気付いた。その視線はどこか鋭いみたいだけど…もしかして。

「…世良ちゃん?…あの人達が、どうかした?」

まさか怪しんでいるとか、と思いながら尋ねたのだが、世良ちゃんは苦笑しながら首を振る。

「いや、ギターケースを背負ってる人を見ると、思い出しちゃうんだ。…四年前、駅の向こう側のプラットホームに佇む、ギターケースを背負ったシュウ兄をな」

世良ちゃんが思い出すように目を閉じる。
世良ちゃんのお兄さんは、シュウって言うのかな。

「驚いたよ。アメリカに行ってると思ってたし…シュウ兄が音楽やってるところなんか、見たことなかったしな」

その時、世良ちゃんは友達と映画を見た帰りだったという。兄を見つけた世良ちゃんは、どうしても兄のギターが聴きたいという一心で走って同じ電車に飛び乗り、追いかけたんだそうだ。何度か電車を乗り換えた駅のホームで見つかってしまい、帰れと怒られてしまったらしい。

「お金もないし、帰り方もわからないって言ったら、切符買ってきてやるから待ってろ、ってボクをホームに残して行っちゃったんだ。…本当は、中学生だからお金も持ってたし、帰り方もわかってたんだけど…シュウ兄にとってボクはまだまだ子供だったんだなぁと思ったよ」

…お兄さん、きっと世良ちゃんのことを心配したんじゃないだろうか。妹の年齢がわからない兄ではないだろうし、きっと世良ちゃんがお金も持っていて帰り方くらいわかることも…お見通しだったんじゃないのかな。

「泣きそうな気分でシュウ兄が帰ってくるのを待ってたんだけど…」

その時、お兄さんの連れの男が「君、音楽は好きか」と世良ちゃんに声をかけ、その場でケースからベースを取り出し、十分程度の時間世良ちゃんにドレミの弾き方を教えてくれたらしい。
つまり…世良ちゃんが先程話していた、ベースを教えてくれたお兄さんの友人とは、その人の事。なんだか素敵な話だな、と笑みが浮かぶ。

「だったらその人、お兄さんの音楽仲間だったんじゃない?」
「それはどうかなぁ。その人がベースを入れてたのはソフトケースなのに、ベースを取り出しても形が崩れずぴーんと立ったままだったから…もしかしたら、ベースはカムフラージュで…別の硬い何かが入っていたのかも」

私には世良ちゃんがそういうところに疑問というか、引っ掛かりを覚えるというのがすごいなと思う。そんな洞察力私には無い。だって中学生なんて遊びのことしか考えてない年頃ではないのか。…私だけかもしれないが。

「で?でっ?!その人の名前聞いた?!」
「いや、聞いてないけど…そのホームに来た別の連れの男が、その人のことをこう呼んでたよ」

世良ちゃんはそれまで柔らかな表情で話をしていたが、その瞬間少しだけ目を細めた。

「スコッチ、ってね」

スコッチ。どうしてだかわからないが、妙な悪寒というか…ぞくり、と背中が震えた。
蘭ちゃんと園子ちゃんは特に何も思わなかったようで、外国の人だったのかなんて聞いている。どこからどう見ても日本人だったようなので、ただのあだ名だとは思うけど…。

「スコッチ…、……お酒の名前、だね」

私が呟くと、世良ちゃん達がこちらを振り向く。

「お酒?」
「う、うん。ウイスキーのひとつだったと思うけど…私もあまり飲まないから」

スコットランドで製造されたウイスキーのこと、だったっけ。スモーキーフレーバーがあまり得意ではないので、バーボンやライに比べてあまり飲むことは無い。嫌いではないんだけど。
ぼんやりと、キュラソーさんのことが脳裏を過る。お酒の名前を持つ人達…これはただの偶然なんだろうか。キュラソーさんの名前も、それが本名でないことくらいはなんとなく察している。
…キュラソーさんが口にしていた、キール、バーボン…スタウト、アクアビット、リースリング。それから、シェリーとジン。もしかしてこれも全て、誰かの名前、なのだろうか。

「彼をスコッチと呼んだ男。帽子を目深に被ってたから、顔はよく見えなかったけど…似てる気がするんだよねぇ。…安室さん、アンタにな」

世良ちゃんが、ゆっくりと安室さんに視線を向ける。
彼女の声のトーンは少し低く、安室さんを見据える目は鋭い。世良ちゃん…安室さんに何か思うところがあるのだろうか。

「人違いですよ。そんな昔話より、今ここで起きた事件を解決しませんか?…君も探偵なんだよね?」

安室さんも笑みこそ浮かべているものの、その声はいつもとは全然違って聞こえた。…冷たく、冷えている。
世良ちゃんは安室さんを静かに睨み、そのまま声を返す。

「あぁ。…そうだな」

無意識にぎゅっと手を握りしめていた。
安室さんと世良ちゃん…大丈夫だろうか。


***


その後、私と蘭ちゃん、園子ちゃんは一階にある空きスタジオで待機。地下の休憩所の方に、バンドメンバーの女性三人と目暮警部、高木刑事、それから安室さんとコナンくん、世良ちゃんがこもり、話をしているようだった。
探偵が三人もいるなら、事件の解決ももしかしたらあっという間なのかもしれない。

「ミナさん、お酒強いの?」

園子ちゃんに声をかけられて顔を上げる。

「弱くはないと思うけど、特別強い訳でもないと思うよ。どうして?」
「なんかお酒のこと詳しそうだったからさ〜!好きなのかなって思って」
「あ、そういえばスコッチのことも詳しかったですもんね」
「別に詳しいって訳じゃ…ウイスキーはたまに飲むから、なんか雑学というか…ふんわり知ってるだけだよ。安室さんの方がもっと詳しい説明してくれると思うし」

スコッチのこともスコットランドで製造されたウイスキーということくらいしか知らない。
お酒のことを考えると、どうしても酒の名前を持つ人のことが気になってしまう。キュラソーさんの存在を知らなければ…世良ちゃんにベースを教えたというスコッチさんのことは特に何も思わなかったかもしれない。
でもキュラソーさんや、キュラソーさんが口にした酒の名前が、どうしても引っかかって気持ちが悪い。…そういえばキュラソーさんは、哀ちゃんのことをシェリーと呼んでいた。そして、「ジンが来ている」…そう言っていた。シェリーも、ジンも、人に付けられた名前のこととしか思えない。であるならば、キュラソーやスコッチとの繋がりも見えてくる気がする。
…偶然では、ないかもしれない。けれど、かといって哀ちゃんに聞いても教えて貰える気はしなかった。なんとなく、ではあるが。
私が首を突っ込んでいい話ではない気もする。気にはなる。けれど、知るのも少し怖かった。



待機してどれくらいの時間が経っただろうか。部屋のドアがノックされ、安室さんが顔を覗かせる。

「お待たせしました。解決しましたから、もう出てきて大丈夫ですよ」
「えっ、もう解決したんですか?」
「はい。犯人も逮捕されましたから安心してください」

安室さんに促されて、蘭ちゃんや園子ちゃんと一緒に受付前へと戻る。丁度犯人の人が、高木刑事に連れていかれるところだった。
…手錠をかけられていたのは…被害者と同じバンドの、確かキーボードを担当していた女性。ちらりとしか見えなかったが、その横顔は泣き腫らしていたように見えた。
後悔のようなものを感じた気がする。理由がどうあれ、人を殺すのはいけないことだ。彼女はいけないことに手を染めてしまった。
殺人を犯した理由は…本当に、人を殺すだけのきっかけになり得るものだったのだろうか。どれほどの憎しみに身を焦がせば、そんな結論に達するのだろう。…私にはわからない。

「…でもほんとすごいよ、世良ちゃん。またまた事件解決しちゃって!」
「そうかぁ?」

蘭ちゃんと世良ちゃんの声に、ぼんやりと女性を見送っていた視線を向ける。事件が解決して、少し空気も軽くなったようだ。

「まぁ、安室さんやコナンくんが協力してくれたから、このくらい楽勝さ」
「さすがJK探偵!」

三人寄れば文殊の知恵と言うけれど、この三人なら文殊どころじゃないんだろうな、なんて思う。

「ま、僕が探偵やってるのは一番上の兄の影響だけどね」
「一番上のお兄さんって…確か亡くなったんじゃ」
「まさか、刑事で殉職しちゃったとか?!」
「あぁ、そうだよ」

世良ちゃん、お兄さんを亡くしているのか。そんな空気を感じさせない彼女はとても強いんだと思う。すごいなと素直に羨ましく思った。口を挟まずに彼女達の話に耳を傾ける。

「でも日本の刑事じゃなく、アメリカ連邦捜査局…FBIのエージェントだけどな」
「FBI…?」

思わず小さく息を呑む。

「なんでもグリーンカード取るの大変だったらしいよ?」
「だからお兄さん、アメリカに行ってたんだね」
「ああ」

FBIと言えば、私も先日関わったばかりではないか。こんなすぐ身近にFBIがいるなんてなんだかすごい。世良ちゃんもお兄さんを誇りに思っていたんだろうなと言うのが、彼女の表情を見ていればわかった。

「ねぇ、お兄さんの名前って…?」

コナンくんが世良ちゃんを見上げ、問いかける。
世良ちゃんは膝に手を置き少し背中を屈めると、コナンくんに向き直って言った。

「赤井秀一って言うんだ。かっこいいだろ?」

はっと息を呑み声を上げそうになった瞬間、隣から伸びてきた褐色の手のひらが私の口を強く押さえた。安室さんである。
驚いて彼を見るも、安室さんは私の口を押さえたまま小さく首を横に振るだけだ。私と安室さんは蘭ちゃん達の後ろに立っているため、このやり取りには気付かれていない。
…黙っていろと、そういうことだろうか。でも世良ちゃん、お兄さんは殉職したって言っていた。それはいつの話だ?どう考えてもここ数日の話ではないだろう。
けれど私は…赤井さんを知っている。直接会って話もした。同姓同名?そんなはずはない。わけがわからないことばかりで混乱する。
けれど今は…安室さんに従うのが、きっと正しいのだろう。私が小さく頷くと、安室さんは小さく笑って私の口から手を離してくれた。

「でもそのお兄さん、日本の駅のホームで見かけたんだよね?」
「ああ、だからびっくりしたのさ」
「じゃあ、あんたにベースを教えてくれた男の人もFBIだったりして」
「まさか。兄が休暇で日本に帰った時に会った、友達じゃないか?」

世良ちゃんは、赤井さんが生きていることを知らない。殉職したという話を信じている。…そう信じさせなければいけない理由が、ある?
ちらりと安室さんを見れば、安室さんは世良ちゃんを鋭い瞳で見つめていた。こんな表情の安室さんを…私は知らない。

安室さんは一体、何を考えているのだろう。
安室さんと赤井さんの間には、一体…何があったのだろう。

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