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少し冷え込み始めた日のことである。
嶺さんが奥さんと旅行に行くとのことで、今日の嶺書房の営業時間は午後三時まで。そして明日からは三日程お休みにするとの連絡があった。急な連絡で驚いたのだが、どうやら伝え忘れていたとのことで思わず笑ってしまう。申し訳なさそうに電話口で謝る嶺さんに、気にしていないし問題ないと答えた。
奥さんと旅行なんて素敵だな、と思いながらいつもより早い時間に店を閉め、店のドアには臨時休業の貼り紙をする。黒羽くんには嶺さんから連絡済みとのことだったから、わざわざ私から連絡を入れる必要も無いだろう。取り出しかけたスマートフォンは再度ポケットに仕舞い込んだ。
三日間ここに来ないとなると軽く片付けておいた方がいいなと考えてのんびりと掃除をし、帰る支度を終えた頃とけいをみれば四時半を回ったところだった。
今日は安室さんはポアロのラスト番だったはず。せっかく時間もあるし、ポアロでのんびりして帰ろうかな。少し肌寒いし温かいカフェラテが飲みたい気分である。
よし、と小さく呟くと、ゆっくりとした足取りで私はポアロに向かって歩き出した。



沖矢さんの住居、…というか、工藤新一くんのお家で沖矢さんと飲んだあの日のことを、実は私はあまり覚えていない。
ぼんやりと安室さんにおんぶされて帰ったのは記憶にあるのだが…その前後も曖昧だし、沖矢さんの家でお酒を飲みながらどんな会話をしたのかもイマイチぼやけてしまっている。
お酒を飲む前は安室さんについての話をしていて、それは覚えているんだけど…まぁ何にせよ、飲んで意識を飛ばしたことだけは間違いない。粗相はしていないようなのでそこだけが唯一の救いである。
翌朝起きて、記憶が虫食い状態の私をすぐに察したのか、安室さんにしばらくの間こんこんとお説教されてしまった。昨日も言いましたけど、って何度か言ってたから、私にとっては二度目の説教だったのかもしれない。その内容は、交友関係に口出ししたくはないから自分の限界をちゃんと知ること、という話だったけど。全くお恥ずかしい話である。
沖矢さんの目の前で酔い潰れて寝落ちたなんて穴があったら入りたい。お詫びのメールはしておいたけど、返信は「気にしていません。また飲みましょう」なんて簡潔なもの。こういう時気にしてないと言われるのもなかなかにダメージになるのだと知った。
気にしていないと言われたのでいっそ開き直ってしまえと思い、「昨日飲んだ美味しいバーボンってなんて名前でしたっけ」って返事をした。
「エンジェルズ・エンヴィですよ。また買い足しておきますね」という返事がきた。買い足しておいてくれるのだという。正直嬉しい。すっかりバーボンの虜である。飲み過ぎには注意だけど。


***


「あれ?ミナさん」

ポアロ沿いの道に通りかかったところで声をかけられた。振り向くと、買い物袋を持った蘭ちゃんとコナンくんが歩み寄ってくる。仲良くお買い物かな。蘭ちゃんの持つ買い物袋からは長ネギが飛び出している。

「蘭ちゃん、コナンくん。こんにちは」
「ミナさんこんにちは!ポアロに行くの?」
「うん、仕事が少し早めに終わったからお茶して帰ろうかなって。二人は買い物帰り?」
「はい。今晩の夕食の材料を買いに」
「いいね、メニューは?」
「肉じゃがです」

肉じゃがかぁ。そう言えば安室さんの作る肉じゃがって食べたことがないな。なんでも作れる安室さんだから、きっとハチャメチャに美味しいに決まっているけど。…今度お願いして作ってもらおうかな。料亭みたいな味だったらどうしよう。
そんなことを考えながら、行く方向は同じなので二人と一緒に歩き始める。

「寒くなってきたねぇ」
「本当に。もうイルミネーションの季節ですよ」

蘭ちゃんの話によれば、金座(私の世界で言う銀座に位置している。少し名前が違うのが面白い)の四丁目でイルミネーションが始まったらしい。季節の移り変わりを感じているが、十二月に入ったら一気に時間の進みも早くなりそうだ。すぐに年末、そして年越し。来年が来るのもあっという間なんだろうな。

「金座かぁ。セレブの街だね」

高級ブランドショップやデパート、オシャレなお店が立ち並んでいるという。実際に言ったことは無いけど、雑誌なんかで写真を見ると私の世界の銀座そのままで笑ってしまった。あそこでイルミネーションをやっているというなら、さぞかし綺麗なことだろう。

「金座のイルミネーションって毎年やってるみたいですけど、私も行ったことないので詳しいことはわからないんです。写真とかなら見た事あるんですけど、毎年少しずつ違うとも言うし」
「へぇ、凝ってるなぁ」

毎年違うなら毎年行く価値もあるというものだろう。イルミネーション、ちょっと興味があるな。…叶うならば安室さんと行きたい…気も、するけど。でもお誘いするのもなんというか恥ずかしいしなんとなく言いづらいというか。誘えば来てくれそうな気もしなくはないんだけど。でもやっぱりデートスポットだろうし誘いづらい。…いや、つまりは、恥ずかしい。

「ミナさんは行かないの?」
「えっ?」
「安室さんと」
「んっっ」

コナンくんに突然言われて息が詰まった。
咄嗟に強く唇を噛み締めてしまった。痛い。

「…ん、んんん……考え、中…」
「ふーん」

絞り出すように言えば、コナンくんは笑み浮かべながらこちらを見上げた。
そんなにこにことしながら見ないで欲しい。気まずくなってコナンくんから視線を逸らす。私の気持ちを知ってるからってからかうのはいけないことだ。羞恥心を煽らないで欲しい。そう心の中で言い続けるも、きっと私の顔は赤くなって説得力なんてないんだろうなぁ。

やがてポアロの前まで来たので、上に上がっていく蘭ちゃんやコナンくんを見送ってから入店した。
ドアを押し開けるとカランカランと涼やかなベルの音。丁度テーブルを拭いていた梓さんが振り返る。

「いらっしゃいませ!あら、ミナさん」
「こんにちは、梓さん」

カウンターの中で作業をしていた安室さんも顔を上げて笑みを浮かべてくれる。
梓さんが拭いているテーブルにいたお客さんが帰ったところなのか、店内には私以外のお客さんはいなかった。
梓さんに促されてカウンター席に腰を下ろす。ジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけて、鞄を膝の上に乗せた。

「こんにちは、ミナさん。お仕事帰りですか?」
「こんにちは、安室さん。はい、今日はちょっと早めに閉店で…明日から三日間程お休みなんです」

私がそう言うと、安室さんは作業の手を止めて目をぱちぱちと瞬かせた。

「三日間も?突然ですね。何かあったんですか?」
「あ、いえ。嶺さんが奥様と旅行に行かれるそうです。嶺さんがいない間も営業をと思っていたんですけど、個人業だし長期休暇も世間のタイミングであげられないからこの機会に休んでくれって、嶺さんが」
「そうだったんですか。確かにいい機会かもしれませんね、たまにはのんびり過ごしてください」
「はい。そう思って今日はポアロに寄り道しちゃいました」

へらりと笑うと、安室さんも優しく笑ってくれる。念の為、と差し出してくれるメニューを断っていつものようにカフェラテを頼んだ。
他にお客さんがいない為店内はとても静かだ。ゆっくりと息を吐きながらカウンターに頬杖をつく。ぼんやりとカフェラテを淹れる安室さんを見つめていたら、ふとドアのベルがカランカランと音を立てた。

「いらっしゃいませ!」

梓さんの声と一緒に視線をドアの方に向けると、先程別れたばかりのコナンくんの姿と…もう一人。
健康そうな褐色の肌の好青年だ。安室さんよりも濃い肌色の彼は高校生くらいだろうか、帽子のつばを後ろにして被っている。イケメンさんだなぁ、と思いながらも、どこかで見たことがあるような、と目を瞬かせた。

「ミナさん?」

コナンくんに声をかけられてハッとする。

「どうかしたの?」
「ううん、なんでもないの」

見慣れない人だからってさすがにじっと見つめすぎてしまった。失礼なことをしたなと思いながら慌てて頭を振る。それから、改めてコナンくんの隣に立つ彼に向き直った。

「えっと…初めまして。佐山ミナと言います。コナンくんはお友達で…いつもお世話になってます」

椅子から立ち上がって褐色の彼に頭を下げると、彼はにかりと笑った。

「こいつが世話になっとる、の間違いちゃうんか〜?まぁエエわ。俺は服部平次。よろしゅうな、ネエちゃん」

ぽかんと口を半開きにしてしまった。バリバリの関西弁である。ということは、関西人?
それと同時に、自分の中で引っ掛かっていた既視感がはっきりとしてきて目を見開いた。
そうだ、彼は。

「服部平次、…って、あの、西の高校生探偵さん!」

そうなのだ。
どこかで見た事があると思ったら、図書館にあった新聞の記事で見たのである。
東の高校生探偵工藤新一と言えば、西の高校生探偵服部平次。工藤新一くんに負けず劣らずの切れ者で、難事件の数々を解決しているという。
彼の本場はもちろん関西の方になるのでこちらにある新聞の記事としてはあまり大きく取り上げられてはいなかったが、それでもその名前は有名だ。まさかコナンくんの知り合いだったなんて驚きだ。もしかしてコナンくんの知識力というか推理力と言うか、そういった小学生離れした頭の回転の速さは服部くんや親戚である工藤くんが育てているのかもしれない。
私の言葉に服部くんは目を瞬かせ、それから嬉しそうに笑う。

「おう、俺が西の高校生探偵の服部平次や。ネエちゃん知っててくれたんやな、おおきに」
「有名ですもん。お会いできて光栄です!」
「エエって、敬語なんていらん。堅苦しくせんと仲良うしたってや!」
「それじゃ、お言葉に甘えて」

気さくな服部くんに私にも笑みが浮かぶ。手を差し出してくれたので握手をさせてもらった。
コナンくんと服部くんが席に案内されるのを見つめていたら、再びドアのベルが鳴った。立て続けにお客さんだ。その人は男性で、キャスケットを被った眼鏡の人。マフラーもしている。…その為か、顔はあまりよく見えない。
なんだか不思議な人だな、と思いながら私は椅子に座り直し、カウンター側を向いた。すかさず安室さんが目の前にカフェラテを置いてくれる。

「どうぞ召し上がってください」
「ふふ、美味しそう。いただきます」

カフェラテに角砂糖をひとつ落として掻き混ぜ、口に運んだ。
ミルクたっぷりで優しい甘さのポアロのカフェラテ。やっぱりここのが一番美味しいなぁと息を吐いた。

それにしても。
ちら、と後ろのテーブル席を振り返る。コナンくん、服部くん…それから安室さん。三人の顔をそれぞれちらりと見つめて、思わず小さく苦笑した。

探偵ばっかりだなぁ。

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