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カフェラテを飲みながらほっと一息。なんて贅沢な時間なんだろうと思いながら、窓の外へと視線を向ける。
すっかり日が落ちるのも早くなったせいか、外は既に暗い。帰る時は人通りの多い道を通って駅まで行ってバスに乗ろうと決めながら、ふと視線をソファー席の方へとちらりと向ける。
…お客さんは私と、コナンくんと服部くん、それから男性が一人。私と男性はそれぞれ一人で来ていて会話をすることもないので、必然的にお店にはコナンくんと服部くんの会話が響くということになる。…内容は、どうやら好きな女の子の話みたいだけど…雰囲気から見ると、服部くんがコナンくんにあれこれ話をしているように見える。小学生に恋愛相談?いや、コナンくんは確かに切れ者だし、服部くんとも気心知れた仲なのかもしれない。年の差なんて関係ない…のかもしれない。見ていると不思議でしかないけど。

「言うてみたいもんやのぉ、そんなかっこええセリフ」
「んなことより良いのかよ、今日で」

コナンくんも服部くんにはタメ口みたいだし…服部くんもそれを気にした様子もない。
…仲良しなんだな。

「あ?」
「日付だよ」
「あぁ…せやったな。よりによって今日は…」

聞こえるものが他にないとなると、どうしても意識は二人の会話へと向いてしまう。
日付?今日なんかあったっけ、と考えながら、カフェラテのカップを持ったまま首を傾げた。

「十三日の金曜日」
「えっ」
「えっ」
「……だからですか?」

予想外の声に思わず服部くんと同じタイミングでびくりと身を竦ませて振り向いてしまった。
…確かに会話はよく聞こえていたけどまさか安室さんが割って入るとは思わなかったな。安室さんはにこりと笑うと、そもそも、と言葉を続ける。

「その日が不吉だと言われる理由は諸説ありますが…よく言われているのが、イエス・キリストの最後の晩餐が十三人で行われたからとか、十三は十二進法から外れたきりの悪い数字だからとか…」

うわ始まった。安室さんの蘊蓄…!
思わず背筋を伸ばして安室さん達の方に体を向ける。なんでそんな分野のことまで詳しいんだろうと思いながら耳を傾けた。
安室さんの話は面白くてわかりやすいから好きだ。それに、安室さんもどこか生き生きしているように見える。

「そしてキリストが磔刑に処せられたのが金曜日。…そうそう、ケネディ大統領がダラスで暗殺されたのも、確か金曜日でしたよね」

でしたよねって言われても。歴史に残される事件の日付程度ならなんとなく記憶にあるけれど、曜日まではとても覚えておりません。
ぽかんとしていたら、安室さんは手に持っていたトレーからアイスコーヒーを二つコナンくんと服部くんの前へと置く。
見れば、服部くんは押し黙っているしコナンくんはやや呆れたような笑みを浮かべているし。私も釣られて小さく頬を引き攣らせた。

「ですが、ここは日本。気にすることはありません。たかが月頭から数えて十三番目の日が金曜日だっただけのこと。確率的には年に二回も来ますし」
「えっ、そうなんですか?」

あまり気にしたことは無かったけど、年に二回も十三日の金曜日って来るのか。
高校生くらいの時はジェイソンがなんちゃらーとか、フレディがなんちゃらーとか(実際フレディは関係なかった気がする)、不吉だーとかで友達と騒いだような記憶もあるけど、社会人になってからはそんなことも意識しなくなっていたし知らなかった。
私が言うと、三人の探偵は私に視線を向けた。

「ミナさん、聞いてたの?」
「聞こえちゃうよ、だって店内でおしゃべりしてるのコナンくんと服部くんだけだもん」
「はははー、そらそうやわ」

空笑いを浮かべるコナンくんと服部くんにへらりと笑い返してから安室さんに話の続きを促す。
すると安室さんはにこにこと笑いながら、服部くんにずいっと顔を近付けた。…やたらとにこにこしているけれど、その笑みの意味はなんだろう。

「気にせず、好意を寄せる方に想いを伝えても良いのでは?キリストやケネディが亡くなったのは、十三日ではありませんしね」

…そういうものなのだろうか。
私が小さく唸っていると、安室さんはきょとんと目を瞬かせながら私を振り向いて首を傾げた。

「ミナさんはそういうの気にする方ですか?」
「う、うーん…気にしない…とは言えない、かもです。なんとなく。もちろんただのイメージとは思うんですけど、不吉なイメージってなかなか払拭出来ないし」

やっぱり十三日の金曜日って引っ掛かりを覚えてしまうというか、そういう日に例えば告白されたりとか告白したりとかっていうのは自分なら避けたいかもしれないなぁなんて思う。
せっかくの幸せな日になるかもしれないのに、それが十三日の金曜日だったんだーなんて…万一別れたりしたら、その後笑い話にも出来ないのではないだろうか。私が難しく考えすぎなだけかもしれないけど。
私の言葉に服部くんは少し真剣に悩み始めてしまっていて、慌てて首を振る。

「わ、私はってだけなので人それぞれ考え方は異なると思うよ、服部くん…!」
「せやけど、なぁ…」

すると安室さんは、小さく笑って頷いた。

「なるほど。覚えておきますね」
「えっ」

にっこりと微笑まれながら言われて頬に赤が上る。
コナンくんと服部くんが呆れたような顔をしているのが横目に見えたのだが、私にはそっちに意識を向ける余裕はない。
お、…覚えておいて、一体どうするというのか。変わらずにこにこと笑う安室さんから視線を逸らす。顔が熱い。

「十三日の金曜日」

不意に投げられた声に顔を上げる。
…私とコナンくん、服部くん以外にもう一人いた、男性のお客さんだ。店内は暖房も効いていて暖かいのに、その男性は帽子もマフラーも着けたままである。…なんだか不思議な人だな。

「千三百七年、十月十三日の金曜日にフィリップ四世によりフランス全土でテンプル修道騎士団が一斉に逮捕。不当な理由で拷問や火炙りに処せられ…千四百八十三年、六月十三日の金曜日には悪名高いリチャード三世に反抗を疑われた顧問官が処刑され…古くはジュリアス・シーザーがブルータスに裏切られて殺害されたのも、十三日の金曜日だったとか」

突然始まった安室さんに負けず劣らずの蘊蓄にうっかり口が半開きになる。
…え、日付まできちんと覚えてる?フィリップ四世とかリチャード三世とか、はるか昔に学校の授業で触ったことがあるようなないような。ジュリアス・シーザーは辛うじてわかるけど。「ブルータス、お前もか」で有名なあの人だ。
しかしながら話にはついていけず目を瞬かせる。

「しかも今日は仏滅。日本的にも避けられた方がよろしいかと」

仏滅って、確か凶とされる日で結婚式なんかは特に避ける日だっけ。…でもだとしたら、確かに想い人に気持ちを告げるのは避けた方が良いのかも…。
私達が黙り込むと、男性は今気づいたかのようにあぁ、と漏らした。

「失礼。会話が耳に入ったもので」

その人はそう言うと、ティーカップを持ち上げて口に運ぶ。
…常連さん、というわけでもないんだろうな…安室さんや梓さんの雰囲気からすると。たまたまポアロに入ったお客さんだろうか。それにしてはなんと言うか、話の内容がコアというか…キレがあるというか。かなり専門的なような気もするけど、それもたまたまだろうか。

「ねぇ…あの人、よく来るお客さん?」
「いや…初めてだと思うよ。君達が来たすぐ後に来店された方で…」

私と同じことを考えたんだろう。コナンくんが安室さんに尋ねている。小声だから、聞こえても服部くんと私くらいまでだろう。あの男性本人には聞こえていないはずだ。
そんな話をしていたら、お店のドアベルが音を立てる。視線を向けると新しいお客さんだ。

「いらっしゃいませ」
「あれぇ?まだあいつら来てないのか?」

一人と思ったら待ち合わせかな。
それまでコナンくんと服部くんのテーブルにいた安室さんが顔を上げる。
どうやら、予約していたお客さんらしい。米花大学の演劇サークルの人だとか。同じサークルの、ユイ、という人の誕生会をするそうだ。
よく見ればコナンくん達の隣の四人席には「予約席」のプレートが置いてある。喫茶店で予約なんて珍しいな、と思ったけど、そういえば私も退院した後にここで貸切で快気祝いをしてもらったんだった。
先に来たその男性は大積明輔さん、と言うらしい。昼からお腹の調子が悪いとかでトイレにこもってしまった。…大丈夫だろうか。


***


大積さんが来てしばらく経ってから、今度は男性と女性が二人来店した。唯という女性(彼女が誕生会の主役だろう)と、それから彼女と一緒に来た典悟という男性。…何やら訳ありのような二人だが、会話を聞くに唯さんは大積さんの彼女さんのようだ。…典悟さんがやたらと唯さんと距離が近いのが気になるけれど。
別に聞き耳を立てているわけじゃない。聞こえてきてしまうのだから仕方ないのである。カウンター側を向いてカフェラテを飲みながら、うむ、と私はひとつ頷いた。

「でも、永塚くんはまだ来てないんだね」
「あぁ、絶賛撮影中だ。唯のバースデー動画を念入りにな。あいつ、唯に惚れてっから」
「永塚くんがっ?まさか」
「あいつよぉ、俺が唯にちょっかい出す度にいつも殺気立った目で睨んでやがってよぉ」

もう一人登場人物が増えたな、と思いながら頭の中で話をまとめる。
大積さんと唯さんが恋人同士で、永塚さんは大積さんの高校時代の同級生で唯さんに片思い中?それでいて唯さんは典悟さんと何やら訳ありの様子。…唯さんと典悟さんはただの幼馴染、なんて言葉も聞こえてくるけど、なんだかそれだけじゃないような気がするんだよなぁ。
やがて話に出てきた永塚さんも到着し(思っていたよりも大柄な人だ)、更に続いた会話の中で彼ら演劇サークルの人達がポアロをモデルにした舞台をやったこともわかった。
ポアロそっくりなセットを作るために何度もロケハンしたそうだ。…すごい意気込みである。思わず目の前にいた安室さんに言った。

「ポアロがモデルになるなんて凄いですね」
「その頃僕は、まだここで働いていませんでしたので。梓さんは覚えていますか?」
「はい。お客様の対応とか、お皿の出し方とか、色々聞かれました」

徹底してるんだなぁ、と思いながら話を聞いていれば、典悟さん達は唯さんのバースデー動画を見ようとノートパソコンを用意し始めている。
大積さんはまだトイレから出てきてないけど…いいのかな。というか、結構長い時間トイレにこもってるけど大丈夫なのだろうか。

「ねぇ、オネーサン。コンセント、貸してくれる?」
「あ、はい」

典悟さんが梓さんに言って、コンセントの延長コードを用意してもらっている。ノートパソコンだけど、バッテリーが切れてしまったらしい。
それにしても、バースデー動画なんて素敵だな。どんな動画なんだろうとちょっと興味がある。皆から一言メッセージみたいな感じなのかな。少しくらい動画の音声に聞き耳を立てるくらいなら許されるだろうか。
典悟さんがプラグをコンセントに差し込もうとして…瞬間、バチンという音とともに店内が真っ暗になった。

「うそ、停電?!」
「い、今、火花みたいなのが見えたけど…!」
「あ、あぁ、コンセントから…」

唯さんと永塚さんの声だ。
火花ってそれ、ショートしたんじゃないだろうか。

「梓さん、ブレーカーを!」
「はいっ」

今度は安室さんと梓さんの声。
真っ暗な中で、梓さんが椅子をブレーカーの辺りに運ぶのが見えた。
でもどうしてショートなんてしたんだろう、と考えかけて、不意に何かに強く背中を押された。何が、と振り向きかけた刹那。

「ぐ、わ、ぅわぁあああっ!!」

男性の悲鳴と、顔に何か生温い液体状のものが跳ねた。それから大きなものが倒れるようなガタンという音。
今の声は典悟さんだろうか。悲鳴なんてどうして。
一気に血の気が引いて、何かよくわからない驚きと恐怖に息が詰まる。

「梓さん早く!」
「はっ、はい!」

そうして梓さんがブレーカーを上げて、店内がぱっと明るくなる。
床に本来なら無いものが倒れているのに気付いて…目は意識的にそちらを向いてしまった。

「おいおい、なんの騒ぎだよ…」

大積さんがトイレから出てくるのが横目に見えたけど、それどころではない。
そこには。

「き、きゃぁあああああ!」

床に転がった血濡れのナイフ。
それから、意識を失った典悟さんが倒れていた。

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