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その後、警察の人達がポアロにやってきた。すっかりおなじみになってしまった目暮警部と、高木刑事である。管轄がこの辺りなんだろうけど、こうも事件に巻き込まれてばかりで警察の人達と顔馴染みになるというのもなかなかない経験である。…少なくとも、私が元いた世界では、の話だけど。
身元の確認や持ち物のチェックが行われ、店内の調査とともに事情聴取も進められる。
停電の理由はパソコンバッテリーの差し込みプラグに針金が巻き付けられていた為。そしてその細工は誰にでも出来るような状況だったという。
そして、停電の時点であの不思議な男性が店の入口に張っていた為外部犯の可能性はないそうだ。…その不思議な男性の名前は、和田進一さんというらしい。工藤新一くんと同じ名前だな、と思いながら、私は小さく溜息を吐いた。
服部くんは解けない謎に頭を抱えているし、コナンくんはと言えば、唯さんと何か話をしているみたいだけどこちらの方までは聞こえてこない。
…服部くん、早くデートに行きたいだろうに。少しでも早くこの事件が解決すれば良いのだけど。

「おほん、」

小さな咳払いに顔を上げる。…和田進一さんだ。

「…秋風に」
「へ、」

思わず変な声が出てしまった。慌てて両手で口を押さえる。

「たなびく雲の絶え間より、もれ出づる月の影のさやけさ」

…え、どうして突然百人一首を。
脈絡もなくいきなりの事だったのでぽかんと口を半開きにしてしまう。
…えぇと、高校の頃百人一首は授業でわりとみっちりやったのを思い出す。必ず何句か意味と合わせて覚えなさい、って言われてそれなりに真剣にやったなぁ。
…その句の意味は、確か…秋風に吹かれる雲の切れ間から洩れる月の光が、澄み切っていて美しい…とか、なんか、そんな感じだと思うけど。
けれど句の意味よりも、どうして今突然それを口にしたのか、という疑問の方が大きい。私はわけもわからずに首を傾げたけど、コナンくん、服部くん、安室さんは…何故かはっとした様子を見せた後、何かに納得したように笑みを浮かべている。
…え、本当にどうして。……探偵ってよくわからない。

そうこうしている間に、演劇サークルの三人はもう帰らせてくれと声を上げ始めている。
…まぁ、ここに拘束されてそれなりの時間が経っているし、事情聴取も終わったなら帰して欲しいと思うのは当然かもしれないけど…でも、刺された典悟さんのことをもう少し心配してもいいんじゃないかと思う。

「ミナさんは、大丈夫ですか?」
「えっ?」

安室さんに声をかけられて顔を上げる。
働くお店でこんな事件があって…安室さんや梓さんが大変なはずなのに、二人ともしっかりとしている。…私も、しっかりしなくちゃ。
たくさんの血を目にして少しパニックになってしまったけど、もう大丈夫。典悟さんも病院に運ばれて、何も連絡がないということは…きっと無事なんだろう。

「大丈夫です。ごめんなさい、心配かけてしまって。しっかりしなくちゃですね」
「いえ、こんなことになって無理もありませんから。もう少し掛かりそうですが…もう解決したも同然ですから、そんなに時間はかからないと思いますよ」

安室さんがそう言って笑う。
解決したも同然、とは。…さっき、探偵三人がなにやら納得したような顔をしていたのは…まさか謎が解けたとそういうことなのだろうか。
停電で真っ暗な中で、正確に人を刺すなんてこと出来るんだろうか。それこそ暗視ゴーグルでもないと難しいんじゃないのかな、と思った時だった。

「秋風に、たなびく雲の絶え間より、もれ出づる月の影のさやけさ」
「へ、」

また変な声を出してしまった。振り向けば、句を口にしたのは服部くんだ。
…その句は、ついさっき和田さんが口にした句である。

「秋風に吹かれた雲の切れ間から洩れて見えるお月さんはめっちゃ綺麗やなぁ、っちゅう意味なんやけど…犯人も切れ間から見てたんや。誰がどこに座ってるんかを」
「…切れ間から見てた、って」

典悟さんが刺された時の状況を思い出す。
切れ間から見てた、ということは、実際の現場にはいなかったという意味だろうか。だとすると、あの時喫茶スペースにいなかったのは一人しかいない。

「せやろ?一人でトイレにこもって小窓からコソコソ覗いてた…大積明輔さん。アンタに聞いてんねや」

驚きに息を呑む。だって、大積さんにだけは犯行は不可能だと思っていたのだ。トイレにいて、誰がどこに座っていたかも知らなかったはず。あの暗闇の中典悟さんを狙って刺すなんて、出来っこない。

「な、何言ってんだよ!!」
「は、服部くん、ポアロのトイレの小窓って磨りガラスになってて、見えないんじゃ…」

ポアロのトイレは私も使ったことがあるけど、小さな小窓は磨りガラスで店内の様子なんて見えない。そんなところからどうやって覗いたと言うのだろう。

「ミナさん、ミナさん」

コナンくんに声をかけられて視線を向けると、コナンくんがセロハンテープを掲げて見せた。小学校の頃よく使っていた、小さなセロハンテープだ。

「セロハンテープ?」
「うん。梓さんに貸してもらったんだ」
「…な、何に使うの?」

意図がわからずに首を傾げると、コナンくんはニッと笑う。

「理科の先生が言ってたんだ。磨りガラスのザラザラしてる方にセロハンテープを貼ると、普通のガラスみたいになるって」
「そうなの?!」

そんなことこの歳になるまで知らなかった。えっ、小学一年生の子でも知ってることなのに?私うっかりどこかで授業を聞き逃していたんだろうかと不安になる。

「とにかく、テープを貼って覗いてみようよ。ほら」

コナンくんに手を引かれてトイレの方へと足を向ける。え、私がやっちゃっていいのだろうか。こういうのって店員さんとか警察の方々の方が良いのでは。
コナンくんにセロハンテープを手渡されて、少し困って警部さん達や安室さんの方を見たけど、何も言われずにどうぞと軽く促される。…許可が下りたなら良いか、と思いながら、セロハンテープを切ってトイレの内側から小窓にテープを貼り付ける。それから小窓を覗いてみると。

「…わ、ほんとだ!テープを貼ったところだけ透けてる!さすがに透明とまではいかないけど」

小窓のガラス越しに目暮警部と目が合う。目暮警部と場所を入れ替えて確認してもらうと、警部も大きく頷いた。

「これなら誰がどこに座ったかぐらいはわかるな」
「でも、なんで…」
「磨りガラスというのは、ガラスの表面に細かい傷を付けて、光の乱反射で白く曇らせて見えにくくしているんですが…」

安室さんの話によると、磨りガラスにセロハンテープを貼ることにより、テープの接着剤で磨りガラスの傷が埋まって平らに近くなり、透けて見えるようになるんだそうだ。
でも、大積さんはセロハンテープなんて持っていたんだろうか…と思えばコナンくんの鋭い指摘が飛ぶ。

「唯さんの誕生プレゼントの包み紙に貼ってあったよね。磨りガラスに貼って覗いた後で、剥がしてそれに貼り直したんじゃないの?」
「た、例えその小窓から覗けたとしてもよ!暗闇で人を刺すなんて…」
「せやから練習したんやろ?暗闇でも人を刺せるように…自分の部屋かどっかに、この店と同じ配置で椅子と机を並べてな」

す、すごい。
畳み掛けるようにコナンくんと服部くん、そして安室さんの推理が続いていく。それと同時に、大積さんの顔は青ざめていく。
去年ポアロをの店内と同じ間取りの舞台セットを作ったと言っていたし、その時の資料があれば練習は可能であるとのこと。正面からは手が邪魔になって刺し辛くても、無防備な背中なら座っている位置さえわかれば可能だということも。

「…もしかして先に来てソファー席に自分のバッグを置いたのって…」
「ええ。隣に彼女である唯さんが座るのを見越してのことでしょう」

返り血を浴びないトリックも、トイレットペーパーとトイレットペーパーの芯を使えば可能だという。何やら説明してくれたけど私には上手く理解できなかった。私の頭ではそろそろ理解が追いつかなくなってくる頃である。
けれども私にはわからなくても、一つ一つ推理が進むにつれて大積さんが追い詰められていくのはわかった。大積さんは探偵三人の推理に言い返すことも出来ず…低い声で言った。

「…イラつくんだよ…なんで彼氏の俺が“大積くん”なのに、安斉は名前で呼ばれてんだ…?!」

その理由に、私はぱちりと目を瞬かせる。
…彼女である唯さんが、自分のことを名前で呼ばないから。…それが、理由?

「それは幼馴染だから…!」
「ただの幼馴染じゃねぇだろ!何かわけがあんだろうがよ!!」

唯さんが言葉に詰まると、大積さんは典悟さんが唯さんの元彼だのなんだのと喚き立てる。
確かに唯さんの口篭り方は、何か理由があるんだろう。大積さんの言う通りただの幼馴染ではないのかもしれない。でも、だからってそんな理由って。

「思ったより深く刺さって、正直ビビッたけどよ、」
「たかが呼び方ひとつ気に入らないからって、人を刺したんですか」

考えるよりも先に声が出た。
信じられないという驚きよりも、怒りの方が強かったかもしれない。自分で思うよりも低い声だった。
大積さんが眉を吊り上げてこちらを振り返る。けれども怖いだとかは全く感じなかった。ただ、腹立たしくて。

「呼び方って、そんなに大事ですか」
「…んだよ、テメェ…部外者に何がわかるんだ、あぁ?!」
「こんな大事にして部外者じゃなくしたのはあなた自身でしょう?無関係の人やお店まで巻き込んでおいて今更部外者呼ばわりですか?!」

自分でもよくわからないくらいに、頭に来ていた。
呼び方がなんだ。呼び方も名前も、その人を表す一部に過ぎない。そこに固執して見苦しく嫉妬して、周りに迷惑をかけてなんて身勝手なんだろうと腹が立った。

「唯さんに言えばよかったじゃないですか、名前で呼んで欲しいって。あなたが唯さんの彼氏だからって、典悟さんと唯さんの関係に口出しできるほど偉いんですか?呼び方呼ばれ方なんて、きっかけ次第でどうにでもなるものですよね。唯さんにも典悟さんにもきちんと向き合わなかった、向き合えなかった、だから刺しちゃおうなんて馬鹿なこと考えたんじゃないんですか!」

一歩間違えば、死んでしまっていたかもしれないのに。いや、もしかしたら今この瞬間にも、典悟さんの命は危ぶまれているかもしれないというのに。

「死んじゃってたら…どうするんですか」

死んでしまったら、もう取り返しなんてつかないのだ。泣いたって帰ってこない。後悔したって戻ってこない。願いも祈りも、死者には通じない。
許せなかった。人の命は、そんなに簡単に散らして良いと思えるような…軽いものでは、決して無いはずだ。どんな理由があっても、それだけは。

「あのさ、」

コナンくんの声にはっとした。
頭が怒りに真っ白になっていたのが、すうと落ち着いていく。…私、皆がいる前で思い切り怒鳴ってしまった。頭に血が上っていたとは言っても恥ずかしいことだった。…大積さんの言う通り、私が口を出していい話ではないのだ。ゆっくり息を吐いて俯く。それから、コナンくんの方にそっと視線を向けた。

「典悟さんと唯さんは多分、姉弟だと思うよ。…腹違いのね」

予想もしていなかった言葉に、唯さんや大積さんだけでなく…私も、息を飲んだ。

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