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「唯さん言ってたよね。誰かを守る為の秘密だから、とか、子供の頃は秘密なんて何も無いと思ってたって。“典悟を”じゃなく、敢えて“誰かを”って言ったのは、安斉さんの身内の誰か。この場合考えられるのは、代議士である安斉さんのお父さん」

コナンくんの言葉に、声を失ったまま耳を傾ける。
唯さんの秘密云々に関しては私は知らないというか…コナンくんと唯さんがそういう話をしていたのは聞いていなかったけど、なんとなくの流れはわかる。
子供の頃は秘密じゃなかったが大人になったら秘密にしなければならなくなった。それは安斉さんのお父さん…代議士にとって致命的であるスキャンダル。

「つまり唯さんは、愛人に産ませた隠し子だろう、って……」

およそ小学生の口から聞かされて良い話ではない。
コナンくん、何者なんだ。探偵、では済まされない内容だったような気がするんだけど。
自分に視線が集まっていることに気づいたコナンくんは、はっとして顔を上げると慌てたように服部くんを見上げた。

「…って、へ、平次兄ちゃんが言ってたよ!!」
「お、おお!せ、せやったな!!」

…そんなに力強く言うところなのか。なんだか少し違和感は拭えないけど、でも服部くんが推理したことならば納得も行く。…難しい内容をよくさらりと言えたな、とは思うけど…小学生はやっぱり暗記力も高いんだろうし。
コナンくんの話を聞いた大積さんは、目を見開いたまま震える声で唯さんに尋ねる。

「ほ、本当なのか…?!」
「え、…ええ…」

親同士が揉めている間、典悟さんと唯さんはよく二人で遊んでいたそうだ。そんな状況なら仲良くもなるだろうし、互いに大切な存在にもなるだろう。
けれど確かにそんな話をいきなりされても、にわかには信じられないのかもしれない。大積さんは呆然としたままだった。
その直後だった。大積さんのスマホが着信を告げ、その電話口から典悟さんの大声が聞こえたのは。
あまりに大きい声だったから離れていても内容ははっきりと聞こえた。携帯に送ったバースデー動画を見ろ、とのことで、その動画を見た大積さんは更に言葉を失うことになる。
そのバースデー動画の内容は…典悟さんと唯さんが腹違いの姉弟であることの、カミングアウトであった。明るく軽い調子で告げられる典悟さんの言葉に、大積さんの目からは涙が零れ落ちる。

「そ、そんな…」

膝から頽れる大積さんを、私達は見ていることしか出来なかった。
…真実がわかって、言いようのない後悔が彼を襲っているんだろう。後悔先に立たず、とはよく言ったものである。

「ったく。姉ちゃんの言う通り、刺す前に話し合うとけっちゅうねん!」

ぱん、と背中を叩かれて振り返る。…そういえば、大積さん相手に啖呵切ったのを忘れていた。思い出してひやりと肝が冷える。…私とんでもないことを口走ってやしないだろうか。無意識に胸を押さえていると、服部くんが「げっ」と声を上げた。

「やばっ!ちゅうことをボヤいとる場合やないっちゅうねん!はよ金座四丁目に行かな!」

金座四丁目、って。確かイルミネーションの。
まさか、そのイルミネーションを見ながらのデートなのだろうか。時計を見るともう結構な時間になってしまっている。行くなら早く行かないと、と声をかけようとした時、ポアロのドアが開いた。

「行くんは金座やない。東京駅や」
「かっ、和葉!!」

ドアの向こうにたっていたのは見知らぬ関西弁の女の子…と、その後ろに蘭ちゃん。和葉と呼ばれた女の子が服部くんの彼女さん…いや、彼女さん候補なのか。可愛らしい顔立ちの美人さんだ。

「はよ行かんと、帰りの新幹線に乗り遅れてまうで!」

言うなり、その女の子は服部くんの腕を引いてポアロから出ていってしまった。慌てたようにその後を高木刑事が追っていったけど、…あの素早さだと多分追いつけないだろうなぁ。
和葉っていう女の子とも、時間があったら話をしてみたかったのだけど。…まぁ、また会う機会があったらで良いか、と思いながら私は小さく息を吐いた。
泣き崩れる大積さんを、唯さんがそっと慰めている。…大積さんにとって救いだったのは、殺人未遂で済んだこと、だろうな。先程の電話の声を聞く限りは、典悟さんも命に別状はなさそうだったし。
これからきちんと償ってくれればいいと思う。そう思いながら店内を見回して、ふともう一人いなくなっていることに気づいた。

「…あ、あれ、」
「和田進一さん、ですか?」

私がキョロキョロと店内を見ていると、安室さんに声をかけられて振り向いた。私が小さく頷くと安室さんはドアの方を見つめる。

「一連の騒ぎの間に、出ていってしまったようですね」
「よ、良かったんですか?まだ警察の方もいらっしゃるのに」
「事情聴取はここにいる我々で事済むと思いますし問題は無いでしょう。…恐らく、偽名でしょうしね」
「偽名…?」

和田進一、という名前が、だろうか。でもどうして偽名だなんてわかるんだろう。
疑問が顔に出ていたんだろう。安室さんは小さく笑うと説明してくれた。

「名探偵ホームズの話は、明治時代に翻訳されて日本でも出版されているんですが…その際、舞台は日本でホームズやワトソンも和名をにされていたんです」
「……それが一体なんの関係が」
「そのワトソンの名前が、和田進一と言うんです。彼は医療関係者と言っていましたが…日本語訳されたホームズに登場する和田進一は、軍医でしたので」

そこまで共通点が。
確かにそれなら、偽名を疑われても仕方ないのかもしれない。とはいっても、その明治時代に発行されたホームズの和名や内容を知ってる人がどれだけいるかって考えると少数な気はするんだけど。…安室さん本当になんでも知ってるな。
でも、少し気になる。
もし安室さんが言った通り和田進一というのが偽名で…和訳された明治時代のホームズの物語から借りたものだとしたら。何故あの男性は、ホームズの名前ではなくワトソンの和田進一という名前を使ったのだろう。
もしかしたら、…ホームズにあたる存在の人が別にいる、とか…。…考えたところで、私にはわかりようもないのだけど。


***


その後事情聴取も終え、大積さんは目暮警部と高木刑事に連れられて行った。
殺人未遂罪とは言っても大積さんも反省しているし、電話の様子だと典悟さんも大積さんを恨んでいる様子はなかったし…恐らく執行猶予がつくだろう、と安室さんが話してくれた。
典悟さんと唯さん…それから大積さんが、また笑い合いながら顔を合わせられる日が早く来て欲しいと願う。

「それにしても、驚きましたよ」

こんなことになってしまったし一緒に帰ろうということになり、安室さんがお店の戸締りをするのを見つめていたら不意に言われた。
梓さんは少し前に帰ったところだ。一緒に帰るところまで梓さんに見られていたら何かしら勘違いされてしまいそうだったから正直助かった。

「驚いた、ですか?」

意味がわからずに首を傾げると、安室さんはお店の鍵をポケットに入れて振り向き、少し離れたところに立っていた私に歩み寄ってくる。

「ええ。あんなに勢いよく啖呵を切るなんて」

にこりと笑いながら言われて思わずカチンと硬直する。
…大積さんに啖呵を切ったことを突っ込まれるとは…ちょっとは思っていたけど…まさかこんなすぐにその話題になるとは思っておらず心の準備が出来ていなかった。
自分の発言を思い出してみる。
…そんなに偉いのか、とか…馬鹿なことを、とか…なんだか勢いに任せてとんでもないことを口走った気がする。思い返せば返すほど頭を抱えたくなるからあまり掘り返さないでほしい。すっと両手で顔を覆う。

「…すみません…余計なことを…考えるよりも先に口が動いてしまっていて…」
「珍しいですよね。ミナさんがあんなに怒鳴るのは初めて見た気がします」

安室さんに促されて歩き出しながらも、恥ずかしくて顔から手を離すことが出来ない。ちゃんと前を見ないと危ないですよ、なんて言われたから仕方なく手を下ろした。

「…なんだか…すごく、腹が立ってしまって…。…でも、大積さんの言う通り、部外者である私が口出しするような事ではなかったですよね」
「巻き込んでおいて今更部外者扱いですか」
「え」
「…そう言ったのはミナさんですよ」

思わず安室さんを見上げれば、彼は私に視線を合わせてからにこりと微笑んだ。…その笑みの意味が読めずに困惑する。

「…そう…です、けど」

どうやら今日は安室さんは歩きで来ているらしい。一人なら駅前からバスに乗ってしまうけど安室さんと一緒なら歩いて帰れる為、私と安室さんは隣同士で暗い夜道をのんびりと歩く。

「ミナさんの言う通り、彼らがきちんと向き合い話をし理解し合っていたら、今回の事件は起こり得なかったことだったのかもしれません。告げる意思のあった安斉典悟さん、秘密で人を守ろうとした山下唯さん、何かあると確信しつつ何も話せなかった大積明輔さん。それぞれが違うところを向いていて理解し合っていなかったから起こったと言われたら、確かにその通りだと思うんです。あなたの言葉は正しい」

もちろん犯行のタイミングもあったと思いますけどね、と安室さんは言う。
大積さんがもう一日犯行を先延ばしにしていたら。唯さんの誕生日パーティーがポアロでなかったら。そんな悪いタイミングもあったのだと思う。

「…でも、余計なことを言ってしまったなと思っています。私が言う必要はなかった」
「あなたが言わなければ、あの場では誰も言いませんでしたよ。叱咤が人の救いになることもあります。少なくとも僕は、余計なこととは思いませんでしたから」

安室さんを見ると、彼は柔らかく微笑んでぽんと私の背中を叩いた。

「もちろん、犯人に啖呵を切って逆上させてしまう恐れもありますし推奨はしませんけどね。でもまぁ、あの場には目暮警部や高木刑事もいましたし…僕もすぐ動ける場所にいましたから、何かあっても大丈夫だと思ってたので。本当にまずいと思ったらさすがに止めますよ」
「そ、そうですよね」

万一犯人に殴りかかられたら大変である。大積さんがとりあえずは話を聞いてくれて良かったと思う。…あの場で殴りかかられても、対処してくれる人が周りにたくさんいたから大事にはならなかっただろうけど。

「それと、」
「…はい、…………安室さん?」

安室さんが立ち止まったのに気付かず、数歩先で振り向いた。
私と安室さんの距離は、私の足で三歩分くらいだろうか。安室さんの足なら二歩あれば充分だろう。
どうしたのだろう、と思いながら首を傾げる。安室さんは片手をジャケットのポケットに入れて佇みながら、私を見つめて笑っている。

「透」
「えっ?」
「そう呼んでくれませんか」

表情は柔らかく優しいのに、声はどこか真剣だった。
以前、安室さんのことを一度だけ透さんと呼んだことがある。ちょっと呼んでみてほしいと言われて、それに応えただけだ。また呼んで欲しいとは言われたけど、それ以来名前で呼んだことは無かった。その時のやり取りを思い出して、私は眉尻を下げる。

「で、でも…無理にそう呼んでくださいとは言わない、って…」
「ええ、言いました。ですが、先程のあなたの言葉を聞いて気が変わったんです。呼び方呼ばれ方なんてきっかけ次第でどうにでもなるって、ミナさん言いましたよね」

言った。大積さんに、「唯さんに名前で呼んで欲しいって言えばよかったじゃないか」なんてことを言ってしまった。

「もちろんミナさんに名前を呼ばれないからと言って誰かを刺すような愚行には走りませんけど」
「と、当然です!」
「ほんの冗談ですよ」
「な、なんだ…冗談ですか…」
「名前を呼んで欲しいのは本気ですよ」

安室さんはにっこりと笑うと、その長い足で二歩歩いて私と距離を詰める。思わず仰け反りそうになって、背中を支えられてしまった。距離が近い。恥ずかしい。

「駄目ですか?」
「だ、…駄目、では、ない…ですけども」

駄目かと聞かれて駄目とは答えられない。自分で言ったことにも責任を持たねばならないとわかっている。別に呼ぶのが嫌な訳でもないのだ。ただ恥ずかしいだけで。
じっと見つめられて、羞恥に困り果てて俯く。
ほんの一言名前で呼ぶくらいなら出来るのに、これからその呼び方で、と考えるとどうしても喉で声が引っかかってしまう。…安室さん、とならいくらでも呼べるのに。
どうしよう。透さん、なんてこれから呼び続けられるんだろうか。慣れることが出来るんだろうか。
悶々と考えていたら、ぽんと頭を撫でられた。顔を上げると、安室さんが苦笑を浮かべている。

「…困らせてすみませんでした。そんなに考え込ませてしまうとは思わなかったので」
「…え、と」
「帰りましょう。ミナさんも今日は疲れたでしょう。あんなことがあって空腹感も薄れているかもしれませんが、夕食はちゃんと食べないと。何が食べたいですか?」

明るく言いながら、安室さんが歩き出す。
私は、歩き出せずに…少しずつ離れていく安室さんの背中を見つめていた。
……多分、多分だけど。考え込んだことで…名前で呼ぶことを渋ったことで、もしかしたら私は安室さんを傷つけてしまったのではないだろうか。
ほんの少し困ったように笑った…あの苦笑が、脳裏に張り付いて剥がれない。そんな顔をさせたいわけじゃない。そんな顔をして欲しいわけじゃない。

「っ透さん!」

咄嗟に声を上げていた。
驚いたように立ち止まって振り返る彼を見つめて、震える唇を必死に動かす。

「…その、……慣れないし恥ずかしいし、名前で呼ぶのってなかなかその、…勇気が、出ないんですけど…でも嫌とかじゃなくて…というか、あむ、…と、透さん…にされて嫌なこととか多分ないですし……」

安室さんが私を名前で呼んでくれたように。
もしかしたらまだ私と安室さんの間に引かれた境界線は無くなった訳では無いかもしれないけど、それを踏み越えることはまだ出来ないのかもしれないけど。
でも。

「…少しずつでも、いいですか。…透さんって、…私も呼べるように…なりたいです」

あなたに、ほんの少しずつでもいいから歩み寄れるように。

「…もちろんですよ。…ありがとうございます、ミナさん」

名前で呼んだだけで、あなたがそうやって嬉しそうに笑ってくれるから。私の心まで温かく、幸せに満たされていくのだ。

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