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『いやぁ、こないだはほんまバタバタしとってすまんかったわぁ』
「とんでもない。服部くんもあの後新幹線間に合った?」
『おぉ、なんとかな。ギリギリやったけど』

ある日の買い物帰り、知らない番号からの着信があった。
この番号を知っている人は限られるし、携帯番号からの着信だったから間違い電話かなと思いながら出てみたら、先日ポアロで会った服部くんからだったのである。コナンくんから番号を聞いたらしい。
わざわざ連絡をくれるなんてしっかりしてるなぁと思いながら、私はスマホで通話を続けながら駅への道を歩く。

「あの時来た女の子が服部くんの彼女さん?」
『カノッ…!ちゃうわアホ!か、彼女やないわ!!』
「あ、そっか。まだ告白してないんだもんね。これからか」
『っ…姉ちゃんエエ性格しとるでホンマ……』

思わず笑みも浮かんでしまう。あの女の子の名前は遠山和葉ちゃんというそうだ。服部くんと和葉ちゃんが上手くいくといいな、なんて老婆心が浮かんで苦笑した。

「次は和葉ちゃんともゆっくりお話したいな」
『やかましいだけやで、あんな奴…』
「そんなこと言っちゃって」

少し苛めすぎてしまったかななんて思いながら、離れた関西の地にいる服部くんと和葉ちゃんのことを思う。コナンくん達と繋がっているみたいだし、きっと会う機会はあるだろう。その日を楽しみにしようと思った。
駅にも差し掛かって、それじゃあそろそろ、と電話を切ろうとしたのだが…服部くんの反撃が始まったのである。

『こっちのことはエエねん。姉ちゃんこそどうなんや、あの怪しい店員とやっぱりデキとるんやろ?』
「はっ?!ち、違うよ!透さんとはただの店員と常連客だって、」
『ほぉー?“透さん”、ねぇ?こないだは安室さんて呼んどったやん。いつの間に名前で呼ぶようになったんや?』
「そ、…れは……」

怒涛である。仕返しとばかりにがつんがつんと追い詰められていく。さすが西の高校生探偵…頭の回転の速さが飛び抜けている。
頭のいい彼に私が口で敵うはずがないのだ。負けの見える勝負なんて受けるだけ無駄である。ならば私に出来ることはただ一つ。

「そ、そろそろ切るね!またね服部くん!」
『あっ、ちょ、オイっ』

そう。無理矢理切ってしまえばいいのである。
直接会って話をしているとなればこうはいかないが、電話でなら一方的に会話を終わらせることが出来る。服部くんには申し訳ないけど、この話は今これ以上突っ込まれるのは困るのだ。


透 …そう呼んでくれませんか


あの日から。
…そう言われたあの日から、私は安室さんのことを透さんと呼ぶようになった。まだ慣れなくて安室さんと口に出してしまう時もあるが、安室さんと言うと彼はにこりと笑って必ず訂正を求めてくる。そのお陰なのか、安室さんと言ってしまう頻度もかなり減った…と思う。
幸いというか、透さんと呼んでいることはまだ誰も知らない。嘘、ついさっき服部くんにバレたばかりだった。…すぐコナンくんには伝わりそうだな、と思って溜息を吐いた。人の口に戸は立てられないのである。
彼本人には言いづらくても、本人がいないところなら何の迷いもなく言うことが出来る。言いづらいのは本人にだけなのだ。
赤信号の横断歩道で立ち止まり、肩を落とした。
名前なんて、簡単に呼べるのに。

「…透さん、」
「はい」
「っ?!?!」

突然後ろから思いがけない返事が返ってきて飛び上がるほど驚き、うっかり車道に飛び出しそうになった私を褐色の腕が掴まえる。
腹部に回された腕の力は強く、背中にはぴたりと体が密着している。心臓がバクバクと音を立てて、私は言葉を失ったまま声にならない悲鳴を上げた。

「すみません、驚かせてしまいましたか」
「あ、あ、あむ、…あむ、」
「透」
「………透さん」

こんな時でも訂正を忘れないのはさすがと言うべきなのか。私はパクパクと口を動かしながら、ゆっくりと首を捻って背後を振り向いた。
……安室さん。改め、透さんである。
どうしてこんなところに、と問う前に、透さんは私の体をしっかり立たせてから腕を離す。

「今日のシフトは夕方まででしたので。帰り道、丁度あなたの背中が見えたものですから」
「そ、そうですか…すみません、ありがとうございます」
「これからどこか寄るところですか?」
「いえ、私も帰るところでした」
「それじゃあ、一緒に帰りましょうか。それ持ちますよ」
「えっ?!だ、大丈夫ですよこれくらい」
「いいから」

丁度信号が青になって、透さんと一緒に歩き出す。さりげなく私が持っていたショッピングバッグを持ってくれるので、私もそれ以上は何も言わずにお願いすることにした。正直少し重かったので、助かってはいる。透さんには本当に頭が下がる。

「随分大荷物ですが…中は衣料品ですか?」
「あっ、はい。そうなんです。すみません、なるべく増やさないようにとは思ってたんですけど、季節が変わるとどうしても」

私の衣類なんかは、和室のクローゼットにプラスチックの収納ケースを置かせてもらい、そこに入れるようにしている。居候させていただいている身、たくさんスペースを貰う訳にはいかないと、プラスチックケースに収まる範囲でやり繰りしていた。
透さんから貰ったシャツワンピースは大切に取ってあるが、それ以外の衣類は出来る限り増やさないように夏が終わった時点で秋、冬物と完全に入れ替えて捨てた。今日はコートやマフラーを買いに行ったのである。まだ耐えられるまだ耐えられると思っていたが、最近急に冷え込んで薄手のジャケットでは耐えられなくなってしまった。
さすがにコートを収納ケースに入れることは出来ないからクローゼットのハンガーを貸して欲しいのだが、そう話すと透さんは驚いて目を丸くした。

「どうしてそんなことを」
「さ、さすがにコートを収納ケースにしまうことは出来ないと言いますか…」
「違いますよ。服を入れ替える時に夏のものは捨てたんでしょう?そんなことをしなくても、入らなければ収納ケースを増やせばいいでしょう」
「えっ?いや、だって、スペースをそんなにたくさんいただくのも申し訳ないですし…あっ、古着は無駄遣いなんてせずに、お風呂場のお掃除とかで雑巾の代わりにしてから捨て」
「いえそういう問題ではなく」

道理で、と呟く透さんは、小さく溜息を吐いて頭を掻いている。…私何か変なことを言っただろうか。

「ミナさん」
「はい」
「今日買ったのはコートだけですか?」
「こ、コートとマフラーと手袋、です」
「明日のご予定は?」
「嶺さんがまだ旅行中ですから、家のことをしようかなと」
「買い物に行きますよ」
「はい?」

思わず立ち止まって目を瞬かせる。
透さんは数歩先で立ち止まると、少し呆れたような顔で私を振り向いて足を止めた。

「買い物って何を」
「あなたの衣料品です。それから収納ケースを」
「はいっ?」

意味がわからずに首を傾げ、それからとりあえず透さんに歩み寄った。

「え、どうして…?」
「あなたに不自由な思いをさせていたことに気付けなかったのは僕のミスですが、あなたもそういうことはちゃんと話してください」
「不自由な思いなんてしてませんよ?!」
「駄目です。ミナさん、必要最低限しか持ってないんでしょう、服。それとも、前の世界で一人暮らししていた時もワンシーズンで服を捨てていたんですか?」
「いえ、どちらかと言えばなかなか捨てない方でしたけど…」
「なら、その生活を変える必要はありませんよ」

それはそう、なのかもしれないけど。
でも別にそれで不自由なんてしていないし、収納ケースに入り切らないものは捨てればいいと思っていたし実際にそうした。そうする為に安価の服を買っていたし、捨てたところで別に痛くもない。

「でも、そんな…私別に不自由なんてしてないですし、私の為に収納スペースをいただいてしまうのも申し訳ないです」
「ミナさん」

安室さんの人差し指が、私の唇に押し当てられる。んむ、と小さく声を漏らして、私は閉口した。黙らざるを得ない。

「…ミナさんはまだ居候しているという認識が抜け切らないようですが」
「…違うんですか」
「違います。居候とは他人の家に身を寄せて世話になることですよ」
「…違わなくないですか?」

そう言うと、透さんはむっと眉根を寄せた。
私たくさんお世話になっているというか、むしろお世話になりっぱなしだと思うんだけど。居候という言葉がぴったりだと思うのだけど。

「同居、またはルームシェア。僕はそう認識しています」

その言葉に、ぱちりと目を瞬かせた。
私はあまり深く考えずにルームシェアだとか居候だとか、例えば沖矢さんやコナンくんには話していたけど…多分透さんが言いたいのは言葉の意味の違いなんだろう。
透さんにはたくさんお世話になっている。それは間違いない。けど居候ではなく、一つの家に一緒に住んでいる…そう思って欲しいってこと、なのかな。

「訳あって、僕は今あの部屋から引っ越すことは出来ません。手狭で申し訳ありませんが、だからこそあなたに何かを我慢して欲しくないんです」

…優しい人だ。そんなことは最初からわかっていた。
私がゆっくりと目を瞬かせると、透さんは小さく微笑んだ。
再び透さんと家に向かってゆっくりと歩き出す。日が傾いて、辺りは暗くなってきている。
透さんの部屋が手狭だとか、我慢をしてるとか、そんなこと思ったことも無い。でももしかしたら、ほんの少し寄りかかるというか…透さんに頼る方が、彼にとっても心地良いのかもしれない。…烏滸がましい気がしてならないけど。

「……それじゃあ、…お言葉に甘えてもいいですか?」
「ええ、もちろん。明日は僕もオフなんです。車を出しますから、ショッピングモールに行きましょう」

ショッピングモール。透さんと二人でショッピングモールに行くなんて、まるで、その、デートみたいだな、なんて思って頬が熱くなる。
何も言わなかったのに、私のまごついた様子を見た透さんはくすりと笑った。

「明日はデートですね」

…絶対にわかってて言ってるんだろう。恥ずかしいので、返事はしなかった。


翌日透さんと二人でショッピングモールに出向き、そこで毛利一家に遭遇し、あっさりコナンくんと蘭ちゃんに「透さん呼び」がバレてしまったのだが…それはまた、別の話。

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