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春先のことである。
ゴールデンウィークを目前に控えたある日。その日は嶺書房さんもお休みで、透さんは朝からポアロ。天気も良いことだし、洗濯を終えたらのんびり散歩でも行こうかなと考えていた。
随分暖かくなって、外を歩くだけでも気持ちよさそう。そのついでにポアロに寄って、新作のケーキをいただくのもいいかもしれない。透さん、自信作だって言ってたし。まぁ、透さんが作るものなら何でも美味しいのはわかってるけど。
洗い終わった洗濯物をベランダに干し、室内に戻ったところで私のスマホがポケットの中で震えた。表示されているのは…歩美ちゃんの番号だ。メールではなく着信である。
どうしたのだろうと思いながら通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。

「もしもし?歩美ちゃん?」
『あ、ミナお姉さん!おはよう!』
「おはよう、歩美ちゃん。どうかしたの?」
『あのね、これから皆で博士の家に行くんだけど、博士が作ったドローンを飛ばすの!ミナお姉さんも来て!』
「え、阿笠博士、ドローンも作れるの?」

いろんな発明品を作っているのは知っていたけど、まさかドローンみたいなものまで作ってしまうとは驚きだ。ドローンって最近よく見る、なんかブーンって飛ぶ、あれである。ドローンのおかげで撮影の表現が広がったというか、まるで空を飛んでいるような映像を撮影することが出来るようになったとか、だったっけ。
大手動画サイトではそういう動画がたくさんあるとも聞いたことがある。

『ドローン飛ばすところ、ミナお姉さんも一緒に見ようよ!あっ、渡したいものもあるの!』
「渡したいもの?なぁに?」
『えへへ、見てのお楽しみだよ』

渡したいもの、ってなんだろう。見てのお楽しみと言われてしまえば、これは行くしかないだろう。どの道今日は暇だったし、ドローンを間近で見られる機会もそんなにない。せっかくのチャンスである。

「わかった、行くよ。直接阿笠博士の家で良いかな?」
『ほんと?!やったぁ!それじゃあ、皆で博士の家で待ってるね!』

大体の到着時間を伝えて電話を切る。皆というのは少年探偵団の子供たちのことで間違いないだろう。となると、急いで行かないと元太くん辺りに文句を言われてしまうかもしれないな。
そんなところを想像して苦笑すると、私は出かける準備を始めた。


***


「まずはこれ!はい!」

阿笠博士のお宅に到着して、挨拶もそこそこに歩美ちゃんに手渡されたものをまじまじと見つめる。博士にもご挨拶をと思ったのだが今は中でドローンを飛ばす為の最終準備を行なっているとか。庭先には元太くん、光彦くん、それから歩美ちゃんしかいなかった。哀ちゃんも中だろう。

「…これって」
「探偵バッジ!ミナお姉さんの分だよ」

私の手に乗せられたのは、少年探偵団の皆が持っている探偵バッジだった。えっと、確かバッジ同士で通信ができるんだっけ。え、そんなすごいもの私がもらってしまって良いのだろうか。見たところ真新しいもののようだし、新しく作ってくれたに違いない。

「こ、これ私が貰っちゃっていいの?」
「ミナ姉ちゃんもオレ達少年探偵団の一員だからな!」
「そうです!だから、通信が来たらちゃんと応答してくださいね!」

…年の離れた私だけど、探偵団の一員として仲間に入れてくれるんだなぁ。純粋に嬉しくて、笑みを浮かべながらバッジをそっと両手で包んだ。

「ありがとう、大事にするね」
「それじゃあ、ボクが使い方を教えてあげます!これからこれでコナンくんを呼ぶので」
「コナンくんを?」

そういえばコナンくんがいないな。
庭先には丸いテーブルが置かれていて、その上に博士が作ったらしきドローンと、それのコントローラーみたいなものが置いてある。コナンくんも呼んで、それから飛ばすのかな。
光彦くんがバッジを取り出すので、私も自分の手にあるバッジを見つめた。…通信、というが、つまりは超小型トランシーバー、といったところだろうか。

「ここのボタンを押すんです」
「ふむふむ」
「そうすると…コナンくん、コナンくーん」

光彦くんがバッジに向かって喋ると、小さなノイズの後にすぐに応答が返ってきた。

『光彦か?』
「わ、すごい。コナンくんの声だ」
『あれ?ミナさん?』
「うん、おはようコナンくん」

すごい。本当にこの小さなバッジで通信が出来るなんて驚きだ。どんな技術で作られているんだろうと驚嘆する。
光彦くんは私の表情を見て得意げに笑うと、私のバッジを指さした。

「こっちでも一緒に通信が出来るんです」
「え?えっと、もしもし、コナンくん?」

自分のバッジを持って、ボタンを押しながら喋りかけてみる。すると、小さく笑うコナンくんの声がした。

『聞こえてるよ。もしかしてミナさんも探偵バッジをもらったの?』
「う、うん。私も一員だからって…いいのかな、私なんかがもらっちゃっても」
「いいんですよ!少年探偵団の証ですから!」

なんだか、少しくすぐったいな。嬉しさと照れ臭さで頬が熱くなるのを感じながら笑みを浮かべる。
面白くなって、私はそのままバッジを通してコナンくんと話をすることにした。

「今、皆で博士の家にいるの。博士が作ったドローンを飛ばすんだって。コナンくんも来ない?」
「すごく高く飛ぶみたいですよ〜!」

光彦くんと一緒に、ドローンの乗った丸テーブルへと歩み寄る。本当に精巧な作りだなぁ、なんて見つめていたら、不意に突然小さな機械音がして、コントローラーの画面が明るくなった。

「えっ?」

博士を呼ぶ歩美ちゃんは気付いていない。元太くん同様だ。
誰も丸テーブルの上のコントローラーには…触れていない。どうして突然電源が、と思っていたら、ぶうん、という音とともにドローンが動き始めてしまった。

「待って、何かおかしい!」
「あっ!」

ドローンが空高く飛び上がっていく。そして、空高く飛び上がったドローンは…コントロールも何も無く、勢いよく子供たちの方へと滑空してきた。
大きなドローンだ。勢いよくぶつかったら危ないし、プロペラに巻き込まれて怪我だってするかもしれない。

「走って!」
「きゃああ!」
『ミナさん?!どうしたの?!』

子供たちと一緒に追いかけてくるドローンから逃げて走り出す。バッジからコナンくんの声が聞こえているけど、今は返事を返している場合ではない。
その時、私のすぐ目の前を走っていた歩美ちゃんが転んだ。すぐに立ち上がることなんてできない、後ろからはドローンが迫ってきている。考えるよりも先に、私は歩美ちゃんの上へと覆い被さった。

「ミナ姉ちゃん!」
「歩美ちゃん!」

すぐ頭上からドローンのプロペラの音がする。これ以上近付かれたらさすがに危ない。歩美ちゃんの頭を抱え込むように蹲り、瞬間プロペラの音が遠ざかる。
顔を上げると、ドローンは玄関の庇の部分へと強く激突し、落下して…沈黙した。

「な、なんなんだよぉ…どうなってんだよぉ!」
「…さ、三人とも大丈夫?!歩美ちゃんは?!」

慌てて体を起こして歩美ちゃんを抱え起こす。少しだけ擦り剥いているみたいだけど、大きな怪我はなさそうだ。
その事に安心して、私は深い溜息を吐いた。

「あ、ありがとう…ミナお姉さん」
「いいの。擦り剥いてるから、水で洗って絆創膏貼ろうね」

歩美ちゃんと一緒に立ち上がり、光彦くんや元太くんへと歩み寄る。…ドローンはすっかりボロボロになってしまっている。プロペラや足の部分はひしゃげているし、これは…確実に、壊れたな。どうしよう、と眉尻を下げた。

『ミナさん?ねぇ、どうしたの?!』
「それが…誰もコントローラーに触っていないのに、ドローンが勝手に飛び始めて」
『…コントローラーに触ってないのに、勝手に飛んだ?』

この場にいないコナンくんに話しても、困惑するだけだよなぁ、と思いながらどうしたものかと考えていたら、後ろから博士の悲鳴がした。

「な、なんじゃこれはぁ!」
「あ、阿笠博士…!おはようございます…」
「な、何があったんじゃ…」

決して悪いことは何もしていないのに、ものすごい罪悪感に押し潰されそうになる。何もしてないのに。誰一人として悪くないのに。
博士は壊れたドローンを両手で持って、がっくりと肩を落としている。

「あーあー…勝手に飛ばしちゃいかんとあれほど言っておいたのに…!」
「ち、違うんです!飛ばしてません!」
「コントローラーにも触ってねぇぞ!」

壊れたことがショックで、どうやら博士には私たちの言葉は聞こえていないようだ。トホホ、と嘆きながら家の奥へとドローンを持って行ってしまった。
…作ったばかりだっただろうに、本当に申し訳ないことをしてしまった。…いや、何もしていないんだけど。バッジのお礼も言えていないけど、今はそれどころではなさそうだし…私も溜息を吐いて、肩を落とした。

「これは修理に時間がかかるわね」

視線を向けると、哀ちゃんだった。
哀ちゃんは残念がる子供たちを、今日は諦めなさいと宥めている。…本当に大人だな、哀ちゃん。
とりあえず、ドローンを飛ばすのは今日は中止。となれば、今からコナンくんに来てもらってもどうすることも出来ないし…もう一度溜息を吐いて、私はバッジに声をかけた。

「…というわけで、中止になっちゃった。コナンくん、今どこにいるの?」
『ボクは今ポアロだけど』
「あーっっ!ポアロって最近、美味しいケーキがあるんだよ!」

コナンくんの言葉に、歩美ちゃんが声を上げる。
子供たちも知っているくらい、ポアロのケーキって話題になってるんだなぁ。…さすが透さんだ。私も今日食べに行くつもりだったし、どうせならこのまま子供たちを連れてポアロに向かおうか。
コナンくんが何かを言いかけたようだったけど、元太くんの声に遮られている。仲良いな。

「それじゃあ、これから子供たちと一緒にポアロに行こうかな。私もケーキ食べたいし」
『そのケーキのことなんだけど…今日は食べられないと思うよ』
「えっ、どうして?」

私がコナンくんとバッジで話をしている間に、哀ちゃん含め子供たちは一度家の中へと入っていく。それを横目に見ながら、私はコナンくんの言葉に首を傾げた。

『ちょっといろいろあって…話してもいいんだけど、あの様子だとあいつら多分言っても聞かないし』
「あー…はは、…そうだね」

多分何を言っても「コナンくんだけずるい!」ってなっちゃうだろうな、と思って苦笑した。とりあえず、コナンくんの様子からしてもポアロで何かあったのは間違いないだろう。ならば、百聞は一見にしかず。時間もあることだし行ってみよう。

「わかった。それじゃ、とりあえずそっちに行くよ。私も暇だし、行けば子供たちも納得するだろうし」
『なんかごめんね、ミナさん』
「いいよ。私も少年探偵団の一員だから」

それは私にとって、照れ臭くも嬉しく、ほんの少し誇らしいことだった。この年になって少年探偵団、なんて恥ずかしいけど…でも、それ以上に嬉しいことだと感じている。

『…そっか。そうだね』
「うん。じゃあコナンくん、また後でね」
『うん、待ってる』

ケーキが食べられないとなると、何を食べようかなぁ。
そんなことを考えながら、バッジの通信を切った。

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