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「ミナさん、ちょっとこれ味見してみてくれませんか」
「はい?」

ポアロでのケーキが溶けた事件。あの件はまだ解決していないが、結局コナンくんがポアロの外にカメラを仕掛けていたらしく、それで分かったこともあるようなので近いうちに全部謎は判明するだろうと透さんは言う。
…あの時、梓さんと透さんにはいいよと言われていたけど…結局コナンくんはカメラを仕掛けていたんだな。気になるとじっとしていられないんだろうなぁ。
そしてここ数日、透さんは夜な夜なスイーツ作りに励んでいるのである。何やらスマホで真剣にあれこれ調べてメモをしている姿はあったけど、そのメモがなんなのかちらりと窺ってみれば内容はケーキ作りに関しての内容。まさかますます美味しいケーキを開発するのではあるまいな、と思いながら見守っていたのだが、今日は味見を許してくれるらしい。
時刻は夜十時を回ったところ。夕食もお風呂も済ませてのんびりとしていたところだ。先程からいい匂いがしていたのでとても気になっていた分、味見と言われると気分も弾む。
ベッドから立ち上がりキッチンに向かうと、透さんの手にはフォーク。やってきた私に視線を向けると小さく笑い、そのフォークで一口分に切り分けられたケーキを刺し、私の方へと差し出した。

「いい匂い…」
「口を開けて」
「はいっ?!」

すん、と匂いを嗅いでいたら、にこりと笑った透さんにそんなことを言われて声が裏返ってしまった。
口を、開けてと言ったのか。聞き間違いかと思いそっとフォークに手を伸ばしたが、私の手を透さんはするりと避けて笑みを浮かべたまま首を傾げる。

「え、あ、あのぅ…」
「ほら、口を開けて」
「いやあの、それ、あぅ」

フォークをいただければ自分で食べられるのですが。そうはっきり言えたらどんなに良いか。そんな、楽しそうに、にこにこと笑いながら差し出されますと。…いえ結構です、とも言うことも出来ず。
さすがにあーんと声を出すのは恥ずかしすぎて、私は目元を両手で覆いながらぱかりと口を開けた。透さんが微かに吹き出す気配がする。笑わなくても良いじゃないか。
そう思っていたら、ほんのりと暖かく柔らかい生地が唇に触れる。そのまま口内に入れられて、はむっと口を閉じた。
フォークが引き抜かれ、舌の上にケーキの甘さが広がっていく。もぐもぐと咀嚼し。

「ん、っお、…美味しい…!」

とろりととろける半熟具合。卵の味もすごく濃くて、一口でぺろりと飲み込んでしまったのが勿体ないくらいだ。
私が目を輝かせると、透さんはくすりと笑ってもう一口分ケーキをフォークに刺し、今度は真っ白なクリームに絡めてから私の口元へと差し出した。
今度は躊躇せずにぱくりとフォークに食い付いて、じっくりと舌の上でクリームとケーキを味わう。
濃厚なケーキの生地と、甘さ控えめでさっぱりとしたクリームの相性が抜群である。ほっぺた落ちそう。

「〜〜〜っ…おいひいれふ…!」
「ふふ、気に入ってもらえて良かった」

これである。この味である。
一口では物足りない、もっともっと食べたくなる透さんの手作りケーキ。この間買ってみんなで食べたケーキ屋さんのショートケーキとはとても比べられない。あのケーキが不味いのではない。透さんのケーキが美味しすぎるのである。

「これなら、あとは少し調整すれば問題なし、と」
「もしかして、ポアロに出す新作ですか?」
「ええ。まぁ、ちゃんとしたものはポアロでのお楽しみということで」
「ものすっごく楽しみです…!」

これがポアロで食べられるなんて幸せすぎる。正式にメニューになるのが楽しみだな。
そう思っていたら、ふとベッドの方から小さなノイズ音が聞こえた。なんだろう、と寝室に戻ると、鞄に付けた探偵バッジがチカチカと光っている。

『ミナさん、聞こえる?』

コナンくんの声だ。私は探偵バッジを鞄から外すと、口元に寄せて喋りかけた。

「コナンくん?こんばんは、聞こえるよ」
『こんばんは、ミナさん』
「電話じゃなくて探偵バッジを使ったんだね」
『へへ、せっかくだからさ。それと、少年探偵団として話がしたくて』

少年探偵団として。どういう意味だろうと首を傾げたら、コナンくんが言った。

『ミナさん、明日時間ある?』
「明日?明日はお仕事もお休みだけど…どうして?」
『ポアロでの一件の謎が解けたんだ』
「えっ?!そうなの?!」
『明日説明するから、朝一ポアロに来てよ!』
「わ、わかった!明日の朝一ね、必ず行く」
『うん!それじゃ、おやすみなさぁい』

ぷつん、と通信が切れる。
沈黙した探偵バッジを見つめながら、私はゆっくりと息を吐いた。
…透さんの言っていた通り、仕掛けていたカメラの動画とかでいろいろわかったのかもしれないけど…それにしたって、やっぱりコナンくんはすごいんだなぁと感心してしまう。

「それ、例の探偵バッジですよね」

キッチンの片付けを終えたらしい透さんがやってきて、私の手元を覗き込む。

「あ、そうです。私も一員だからって、わざわざ作ってくださったみたいで」
「へぇ…見せてもらっても?」
「どうぞ」

透さんにバッジを手渡すと、彼はそれをまじまじと見つめてボタンの位置なんかを確認している。それからふむ、と呟いてから私の手にバッジを返した。

「…もう手遅れかもしれませんが」
「えっ、はい」
「それ、発信機能がついてますね」
「えっ」

透さんの言葉に、サァ、と青ざめる。
発信機能。つまりそれは、私のいる場所がわかってしまう、ということで。

「あの少年探偵団の子供たちに発信機能を使いこなせるとは思いませんが、厄介なのは」
「………コナンくん」
「そう。そして彼は、僕とミナさんが同居していることに気付いている」

正しくは私が同居している旨を話してしまったので、同居していることを知っている、なのだが、今は口を開かない方が良さそうだと思いコクリと頷いた。

「…恐らく発信機能を探知出来るのはコナン君と、製作者である阿笠博士。今の時間あなたの発信機で場所を特定されてしまうと、必然的に僕の家が割れるということですね」
「……ど、どうしましょう」

発信機なんかが付いてるとわかっていたら家に持ち込むなんてことはしなかったのに。
コナンくんが発信機能の探知を行なっていないことを祈るばかりだが、好奇心旺盛の彼がこんな機会をみすみす放っておくとも考えにくい。
青ざめる私を見て、透さんは苦笑してぽんぽんと私の頭を撫でた。

「…まぁ、別に良いとは言えませんが、彼なら悪用はしないでしょう。明日念の為釘を刺しておきますから、あまり気にせず。発信機が付いてる程高性能だとは僕も思いませんでしたし」
「すみません…なんてことを…」
「まさか発信機が付いてるなんて思いませんよ。大丈夫、問題ありません」

透さんはそう言ってくれたけど…恐るべし、江戸川コナン…と、阿笠博士。
今まで以上にしっかり気を張っていかなければならないな、と思った。


***


翌日コナンくんに言われた通りポアロに向かった私は、そこでケーキを崩した犯人の謎についての真相を、蘭ちゃん、梓さん、透さん、少年探偵団のみんなと一緒に聞かされることとなった。
コナンくんが撮影した動画を見せてもらったのだが、その動画内で不審な点は二点。ポアロの店内が窓の外から突然見えなくなったことと、その時に窓ガラスに映っていたポアロの前を通るタクシーである。そしてこの二点が、謎の真相に直結していたのだった。

「えっとつまり…店内が見えなくなったのは、窓ガラスが曇ったから?」
「そう。その原因は…これ」

コナンくんが指差したのは、何の変哲もない電気ポットである。…のだが、梓さんの話によるとこれはIoT家電というらしく、ネットを通じてスマホからの操作が可能なんだとか。ハイテクである。

「そっか!梓お姉さんが深夜にスマホから電気ポットを操作して…」
「それなら、お店にいなくても犯行は可能です!」
「ちょ、ちょっと待って!私そんなこと…!」

梓さん、いつの間に容疑者にされていたんだろう。

「梓さんじゃないよ」

コナンくんの説明は続く。
犯人は、動画にも映っていたタクシーだという。そのタクシーの運転手さんは毎晩零時すぎにポアロの近くで仮眠をとっていて、配車の無線が入ったらポアロの前を通って出動しているそうだ。

「その時、ポットから出た湯気で曇った窓ガラスが鏡みたいになり、店の前を走るタクシーを映したんだ」

どうしてそんな真相に辿り着けるのか、一度コナンくんの頭の中を見てみたい。
タクシーが無線を受けた日と、ケーキが崩れていた日が一致した。けれどまさか運転手さんが犯人なはずはない。それならば誰が、と話の続きをコナンくんに促そうとしたら、隣から声がした。

「犯人は、そのタクシーの無線。…だよね」

透さんである。
つまり今回の一件は、電波干渉によるトラブル。タクシーの無線とポットの湯沸かしスイッチの周波数が偶然にも一致したから起きたことなのだという。電波干渉は決して珍しいことではないらしく、一例としてコナンくんが話してくれた。

「ほら、博士ん家で勝手に飛んだドローンも」
「っ、もしかして、これ?!」

私が探偵バッジを取り出すと、コナンくんは大きく頷いた。
聞けばこのバッジは半径二十キロメートル程の広範囲での通信が可能らしく、それほどに強い電波ならば電波干渉が起きてもおかしくないとのことだった。
す、すごすぎる。

「そして、その電波干渉こそがケーキを崩した原因だったんだ」

電気ポットはケーキのストッカーの隣に配置されている。つまり、電波干渉で湯沸かしスイッチがオンになったポットから噴き出した蒸気が、ストッカーの裏にある吸気口から入り込み、高温多湿になったストッカーの中でケーキが崩れ、再び冷やされて固まった。
電気ポットを置く位置を変えれば問題は無いだろう、ということで、この事件は解決した。

「じゃあ、また安室さんのケーキ食べられる?」
「もちろんだよ。ただ、前とは少し違うケーキ、だけどね」

そう言って透さんが用意してくれたのは…。



「最初から崩れている、半熟ケーキ」
「あっ、これ…」

昨日の夜、透さんが作っていたやつだ!昨日みたいな味見用ではなく、今回はちゃんとお皿に乗っていて、クリームとフルーツも盛り付けられた完成品。

「半熟ケーキ?」
「何か、しぼんだケーキ…みたいですね」
「わざとそう作ってあるんだ。でも、中のスポンジにはちゃんと火が通ってるんだよ」

透さんがナイフをケーキに入れると、中からとろりと半熟の生地が溢れてくる。めちゃめちゃ、美味しそう!美味しいんだけど!昨日食べさせてもらったけど!
子供たちも歓声を上げている。私も早く食べたい。

「えっ?安室さんが言ってた解決策って…」
「うん。これなら初めからクリームを塗ってあるケーキと違って、生地とクリームを別々に分けて保存出来る」
「あっ、それなら型崩れの心配がない!」
「そう。後はお客さんに出す前に、クリームとフルーツを乗せるだけ」
「それなら、そんなに手間もかかりませんね!」

更に、このケーキなら似ていると思ったケーキ屋さんのケーキとも差別化が出来るとのこと。
効率のことや差別化のことまで考えている。透さん、さすがすぎる。

「安室さんって、ケーキが崩れた原因じゃなくて…崩れないケーキのレシピをずっと考えてたの?」
「そうだよ?だってそれが、僕の仕事でしょ?」

常にポジティブに物事を考えているんだなぁ。なかなか出来ることじゃない、と私は素直にすごいと思ったんだけど、何故かコナンくんは少し呆れ顔。どうしたのかな、と思っていたら、不意にポアロのドアが涼やかな音を立てながら開かれた。

「よーっと!おっ?!なんか美味そうなもんがあるじゃねーか!」

毛利さんだ。その手には回覧板。渡しに来たのかな。

「あ、それじゃあ、是非皆さんで試食してみてください」

そうして、安室さんの新作ケーキの試食会が始まったのであった。


***


「ん〜〜っ美味しい…!!」

味見で軽く食べさせてもらった時も美味しいと思ったけど、完成品はやっぱり違う。めちゃくちゃに美味しい。前のケーキも食べてみたかったけど、歩美ちゃん曰く前のケーキよりも美味しくなってるそうだから私は今目の前にあるケーキを大事にしたい。

「クリームにも、ケーキの生地にも、ヨーグルトを使ってるんですよ」
「あっ、この味ヨーグルトクリームだったんだ!」
「ええ。ヨーグルトを生地に入れるとより柔らかくなるし、クリームに入れるとフルーツとの相性が良くなりますから」

最近スマホでケーキの作り方について勉強してたのはその辺のレシピのことだったのかな。

「ケーキの生地だけとか、クリームとフルーツだけとか、食べ方も変えられてすごく楽しいケーキです!」
「生地もクリームも美味しくないと、そういう食べ方って出来ないもんね…透さん、すごい」
「あれっ?!ミナお姉さん、いつから安室さんのこと名前で呼んでるの?!」
「えっ」
「僕達聞いてませんよ!!」
「いやあの!」
「ミナ姉ちゃん、安室の兄ちゃんとデキたのか?!」
「違います!!」

子供たちの追撃を必死にいなしていたが、ふと毛利さんが声を上げて回覧板を梓さんに渡すとそちらに視線が向く。回覧板の内容は、来月やる東京サミットについてらしい。
そういえば最近、ネットのニュースでも話題になっているな。いろんな国から人が集まるって。

「サミット当日そこの道、通行止めだってよ」
「あ、梓さん。店長には言ってあるんですが、その日ポアロ休みますから、お願いします」

透さん、サミットの日はポアロお休みなのか。…探偵の方のお仕事かな。
コナンくんと透さんが顔を寄せ合い、何やら内緒話のようなものをしているのが見えたけど、きっと私の探偵バッジの発信機についてだろう。釘を刺しておくって言ってたし。
鞄に付けた探偵バッジに視線を落とす。
貰ってとても嬉しいものだった。だからこそ、厄介なものにはしたくない。大切にしていきたい。
透さんならコナンくんに上手く言ってくれるだろう。そう信じて、私はケーキをもぐもぐと咀嚼した。

来月のサミットについてスマホで検索をかける。
サミット会場にもなるエッジ・オブ・オーシャン。
新しい施設だし客足が少し落ち着いたら行ってみたいなぁなんて、呑気なことを考えていた。


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