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初めて上がる毛利さんのお家はビルの三階だった。
コナンくんに続いて中に入り、お邪魔しますと口にする。
奥から蘭ちゃんの泣いている声と、慰めている園子ちゃんの声が聞こえてきた。どう考えてもただ事ではない。毛利さんが車で連れていかれるのは本当に一瞬しか見えなかったし確信は持てていなかったが、こんな状況を目の当たりにすれば見間違いではなかったのだと実感する。
いつも明るく元気な蘭ちゃんの悲痛な声を聞いているだけで胸が痛んだ。

「蘭姉ちゃん、園子姉ちゃん。…ミナさんが来てくれたよ」

コナンくんについて奥に進むと、リビングで座り込んで泣いている蘭ちゃんと、その蘭ちゃんを抱きしめている園子ちゃんがいた。コナンくんの声に顔を上げたのは園子ちゃんだけだ。

「ミナさん、」
「こんにちは。…何があったのか、聞いてもいいかな」

園子ちゃんの傍に座ると、園子ちゃんは表情を歪めて視線を落とす。蘭ちゃんを抱きしめる腕に力がこもったように見えた。

「…国際会議場の大規模な爆発の件は知ってる?」
「うん。今朝からずっとニュースでやってるよね。原因も、詳しい死傷者の数もわからないって」

私がニュースを最後に見てから少し時間も経ってるから、もしかしたら少し状況も変わっているのかもしれないけど…その件と、何か関係があるのか。膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめて眉を寄せた。

「そう。…おじさまが、サミット会場爆破の容疑にかけられて」
「えっ?!」
「任意同行だったから断ってたんだけど、その時に刑事さんの手を振り払ったら公務執行妨害で逮捕するって…」
「そんな」

毛利さんがサミット会場の爆破なんてするわけがない。そんなことをするような人じゃない。長い付き合いではないけど、それくらいのことは接していればわかる。
さっきの車は…警察の車だったのか。

「現場に残された指紋が小五郎のおじさんのものと一致して、押収したパソコンからもサミットの予定表や国際会議場の見取図が出てきたって」
「そんなの嘘。毛利さんはそんなことするような人じゃない…動機もないよね」
「うん。…でも、問答無用って感じだった」

先程、コナンくんが透さんに言っていた言葉が蘇る。
パソコンに細工をしたり、現場に指紋を残したり…あの言葉、このことだったのかと目を細める。つまり、毛利さんの逮捕は全て仕組まれたことだとコナンくんは考えている。
国際会議場の爆発跡をドローンで撮影するように阿笠博士に頼んだのも、きっとこの為。少しでも何か別の証拠を探そうとしているということなんだろう。
ひとつずつ、進めていかないと。

「弁護士」
「えっ?」

私が言うと、コナンくんが目を瞬かせた。
毛利さんは犯人じゃない。でも、身内というか…彼の知り合いである私達がいくらそれを証明しようとしても出来ることなんてたかが知れている。なら、戦う為にはまず何をするべきか。
弁護士だ。
逮捕されたというのならきっとこれから裁判になる。毛利さんを護ってくれる人をまずは見つけなければならない。コナンくんや蘭ちゃんは警察の方にも顔が広いみたいだけど、弁護士なんかの知り合いはいないのだろうか。

「弁護士、見つけないと。毛利さんを護ってくれる、弁護士」
「母が、」

園子ちゃんの腕の中で、蘭ちゃんがもぞりと顔を上げる。
顔は涙に濡れていたけど、その目には少し光が戻っているように見えた。

「母が、弁護士なんです」
「っ、そうよ!負け知らずの敏腕弁護士!」

蘭ちゃんの声に園子ちゃんも大きく頷く。
名探偵のお父さんと敏腕弁護士のお母さんなんて…蘭ちゃん、すごいな。こんな時なのに思わず小さな笑みが浮かぶ。

「じゃあまずはお母様に相談。…そうだ、工藤新一くんに連絡は?」

彼は蘭ちゃんの幼馴染だと言うし、彼も有名な探偵さんだ。話せば力を貸してくれるかもしれない。
そう思ったのだけど、彼の名前を出した途端蘭ちゃんも園子ちゃんも俯いてしまった。失言だったようでさっと口を閉ざす。

「…連絡しました。調べてみるとは言ってたけど…今どこにいるのか、」

横目にコナンくんが唇を噛んだのが見えた。
…工藤くんには連絡済みだけど、一番傍にいて欲しいであろう今、どこにいるのかわからない…ということなのかな。
私は工藤新一くんを知らない。直接会ったこともないし、蘭ちゃんやコナンくんから話を聞いたり新聞の記事を読んだくらいしか彼との繋がりなんてない。直接連絡の取れる蘭ちゃんですらどこにいるのかわからないのだ、私なんかに彼が今どこで何をしているのかなんてわかるはずもない。
けど、どうしてかはわからないけど工藤くんも必死に何か手がかりを探してくれているような…不思議とそんな気がして。

「大丈夫」

私の意見の押しつけは出来ない。何故なら私は何も知らないから。
だけど、祈るくらいはしたっていいじゃないか。

「こんな状況を、工藤くんが黙って見ているわけない。調べてみるって言っていたなら、そっちは工藤くんに任せよう」

ね、とコナンくんを見遣れば、彼は少し驚いたように目を丸くしていた。けれどすぐに唇を引き結んで大きく頷き、そのまま蘭ちゃんへと視線を向ける。

「うん。蘭姉ちゃん、英理おばさんのところに行こう」
「蘭、私も行く。いいでしょ?」

コナンくんと園子ちゃんの声に、蘭ちゃんも涙を拭って頷いた。蘭ちゃんの調子も少しずつ戻ってきたようだし、コナンくんと園子ちゃんがいるならきっと大丈夫。
支度をすると自室に向かう蘭ちゃんとそれに付き添う園子ちゃんを見送って、私は小さく息を吐いた。
考えなきゃいけないことはたくさんある。一度に全部は無理だ。ひとつずつ自分で答えを見つけていかないと。

「強いんだね」

軽くこめかみを押さえて目を伏せていたらそんな言葉をかけられて、ゆっくりと顔を上げる。

「…強い?」
「うん。…不思議だよね、ミナさんの言葉を聞いてたら、本当に大丈夫な気がしてくるんだ」

コナンくんはそう言って小さく笑う。
強い、のだろうか。そんなことない。ついさっきまで動揺してフラフラで何も考えられないような状態だった。私は全然、強くなんてない。

「強くなんてないよ」
「強いよ。…ミナさん、ありがとう」

私が首を横に振っても、コナンくんは優しく笑っている。お礼を言われるようなこと、何もしていないのに。
私は一度目を閉じて息を吐き、顔を上げる。

「…何か、私に手伝えることはない?」

工藤くんだけじゃない。正義感溢れる小さな探偵さんは、きっとこれから忙しく動き回るのだろう。何か私に手伝えることはないか。ほんの少しでも、どんなに小さなことでも、集まれば手掛かりになるかもしれない。
コナンくんは少しだけ目を細めると、ゆっくりと息を吐き出す。

「……安室さんに、」
「透さん?」

どく、と胸が跳ねた。先程見た冷たい彼の背中を思い出す。
…今は、透さんと顔を合わせられるような気がしなかった。心から会いたいと思っているのに、会って何を話したらいいのか…いつもどんなことを話していたか、上手く思い出すことが出来ない。きっと今顔を合わせても、私は上手く笑うことは出来ない。…透さんみたいに。
舌の根が硬直するのを感じながら、小さく唾を飲み込む。

「……ううん、なんでもない」

しばしの沈黙の後、コナンくんは首を横に振った。それから取り繕うようににこりと笑う。

「ごめんね、なんでもないや。とりあえず、今は大丈夫。状況はミナさんにも連絡するから、都度助けてってお願いするかも」
「…わかった。これからコナンくん達は蘭ちゃんのお母様のところに行くんだよね?」
「そっちは蘭姉ちゃんと園子姉ちゃんに任せるよ。…ボクも、ちょっといろいろ調べなきゃ」

コナンくんはそう言って笑うと、蘭ちゃんの部屋の方をちらりと見やる。

「蘭姉ちゃんに言っておいて。夜になったらちゃんと帰るからって」
「……わかった、伝えるよ」
「ありがと。ミナさんも無理しないでね」

コナンくんは小さく手を振ると、そのまま家を走って出ていった。玄関のドアが閉まる音を聞きながら、私はゆっくりと長く息を吐き出す。
みんなそれぞれ、自分がすべきこと、出来ることをやろうとしている。考えなきゃ。自分がこれからどうしたいのか…どうするのか。何をして、どう動くべきなのか。
時計を見ると、夕方の五時半になるところだった。朝から阿笠博士の家に行って、国際会議場の爆発があって…気付いたらもうこんな時間だ。目まぐるしい一日だった。
強いんだね。
コナンくんの言葉が脳裏を過る。
私は…少しでも前に進めているのだろうか。


***


「あれ?ミナさん」

妃弁護士の事務所に向かうという蘭ちゃんと園子ちゃんを見送って、ぼんやりと歩いていたらいつしか米花駅までやって来ていた。
不意に声をかけられて足を止めて振り返る。

「やっぱりミナさんだ。お出かけ?」

人好きのする笑みを浮かべながら歩み寄ってくるのは、黒羽くんだった。一人みたいだけど、彼もお出かけだろうか。へらりと笑う彼を見ているとなんだかほっとしてしまって、自分がずっと気を張っていたことに気付く。

「黒羽くん…」
「…あれ、元気ないね。なんかあった?」
「…うん、ちょっとね」

黒羽くんと話していると日常に戻ったみたい。そう感じてしまうほど、今日の出来事は非日常的に感じられた。大好きな人達がバラバラになってしまうようで…多分、今私はとても不安なんだと思う。
部外者の私より蘭ちゃんや毛利さんの方がもっと不安なはずだ。コナンくんだって頑張ってるし、きっと工藤くんも。私がこんなことではいけない。

「な、ミナさん」
「うん?」

いつの間にか俯いてしまっていたらしく、黒羽くんの声に顔を上げるとぽんと肩を叩かれた。

「腹減ってない?すぐそこに新しく出来たクレープ屋があってさ、買ってくるから一緒に食べよ」
「えっ?」
「その辺に座って待ってて!」

私が答えるよりも先に黒羽くんは走っていってしまった。正直お腹はそんなに空いていないけど、このまま黒羽くんを放置して帰るわけにもいかず駅前の広場を軽く見回す。すぐ近くの電灯の下にベンチを見つけて、そこに歩み寄ると腰を下ろした。
スマホが震えて取り出して見ると、透さんからのメールが届いていた。無意識のうちに呼吸が浅くなり、そっと画面をタップしてメールを開く。
内容は、今日からしばらく家に帰れそうにないというものだった。それについての謝罪と、戸締りをしっかりするようにという注意もある。けど、私が送ったメールに関する返事は何も書いていなかった。
否定も肯定もしない。…関わるな、ってことかな。

「お待たせ!はい、これミナさんの分ね」

黒羽くんの声に顔を上げる。差し出されたクレープはカスタードとチョコスプレーのシンプルなものだ。黒羽くんも同じものを手にしている。

「…ありがとう、」
「え、もしかしてカスタードとかチョコレート苦手?」
「ううん、大好き。いただきます…いくらだった?」

お財布を取り出そうとしたら黒羽くんに片手で止められる。そのまま黒羽くんは私の隣に腰を下ろして、クレープを食べ始めた。

「いいよ、俺の奢り」
「いや、でも…」
「いいからいいから」

社会人である私が高校生の黒羽くんに奢ってもらうなんてなんだかとても申し訳ないけど…今は純粋に、その優しさが嬉しかった。
まだ温かいクレープを一口頬張る。溢れかけたカスタードクリームを舐め取って、黙々と口を動かした。

「なんかさ」
「うん?」
「焦ってもいいことねーよ」

ぽん、と。何気なく言われた一言だったと思う。
クレープを咀嚼するのをやめて、黒羽くんへと視線を向ける。黒羽くんはもう暗くなった空を見上げていた。

「あんま思い詰めんなよ。何があったかは知らねぇけどさ」
「……何も聞かないんだね」
「ミナさんが話したいって言うなら聞くけど。でも聞いても聞かなくても変わらねぇもん」
「変わらないって?」
「俺がミナさんを心配してるってこと。それに、俺に話せるようなことじゃねぇんだろ?だから別に話して欲しいとか思わないし。そんなことよりこうして甘いものでも食べてさ、元気になって欲しいって思うよ」

何も聞かないでいてくれるというのは…こんなに心地よくて、安心することもあるんだな。
話を聞いてあげることも大事だと思う。そうしなければいけない時だってある。けど、何も聞かずにただ誰かが傍にいてくれるというのがこんなに心強いと感じるなんて思わなかった。

何も聞かないでいてくれるあなたの存在を、心地よく感じていました。

透さんのその言葉の意味はあまりよくわからなかったけど、もしかしたら…透さんも、今の私と同じような気持ちだったのかもしれない。

「黒羽くん」
「ん?」
「ありがとう」

私は、前を向いて歩いていくことが出来る。

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