衝動に身を任せた
こんなに胸が騒ぐのは何故だろう。シノとユージンが歳星の歓楽街の方に行くと聞いてから私の心臓はまるで誰かに握りつぶされたかのように痛む。別にふたりがどこへ行こうなんて知ったことではないし、好きにすればいいと思っていたのに。いざ、朝帰りをしたシノが知らない女の人のかすかな香水を纏って帰ってきた時にはひどく心がざわついて、私はようやく自分の気持ちを理解した。
私はシノが好きだ、と考えれば考えるほど堂々巡りに陥る思考。なんで? いつから? 何がきっかけで? なんて、深い沼に沈んでいくように底が見えない。へらへらと楽しそうに昨晩の武勇伝を語るシノの言葉を耳に入れたくなくて、この場を後にしようとするとすかさずシノは声をかけてくる。この男は本当にこういう時の空気が読めない。
「なんだぁ? 俺の武勇伝聞かねーの?」
にやりとそれは楽しそうに笑うシノ。こっちの気持ちも知らないで、何が武勇伝よ。
「あんたの武勇伝なんてこれっぽっちも興味ない。どうせお相手のおねーさんに手取り足取り教えてもらっただけでしょ?」
「言ったな?」
売り言葉に買い言葉。いつもこう。今まではこの関係性がただ楽しかったのに、今はこのやりとりがただつらくてこの場にいたくない。
「……言っとくけど、私はそこら辺のおねーさん達よりずっとウマいよ?」
知ってるでしょ? と自虐も込めるとシノの表情が一変する。あれ、何でそこで不機嫌そうな顔をするの? どうせ誰だって知ってるんだから、ヒューマン・デブリの私がCGSでどんな扱いを受けてきたかなんて。正直もうやけくそだった。この想いが通じることなんて、きっとないだろうし。いつも通りの関係性を維持できれば私はこの居心地のいい居場所を失わずにすむ。
「なんなら、相手してあげようか?」
一軍の男達を相手してきた時のように、できる限り表情を取り繕う。大人になりきって、自分を悟らせないような女の表情で、唇をつり上げて笑えば、たいていのことはやり過ごせるのだから。
「じゃあ相手してくれよ」
「……本気?」
「おめーが言ったんだろ。相手してくれるって」
これほどまでに自分の発言を後悔したことはなかった。まさかシノが食いついてくるとは思わなくて、いつもの冗談で笑って終わりにしてくれると思ったのに。彼に捕まれた右腕がじんじんと熱を帯びてくる。シノの手のひら、こんなに大きかったっけ。なんてぼんやりとしていたら、いつの間にか廊下に連れ出され、簡単に壁に押しつけられていた。背中越しに感じるひんやりとした壁の冷たさが、私の頭を冷静にしてくれる。
「……ねえ、本気?」
「本気だって言ってんだろ」
「そう……好きにしたらいいよ、残念ながら綺麗な身体じゃないけどね」
どうせ私の身体なんて汚れているんだし、もう減るもんでもないし。そう思ってシノの方に向き合うとさっきよりも不機嫌そうな表情のまま、唇が近づいてきたからそっと瞳を閉じた。
初めてだった、こんな感覚。どうせ一時の身体の繋がりだと思ったのに、好きな人に心なく触れられることがこんなにつらいのに、気持ちいいなんて。シノの舌が絡まる度に、ぞわぞわと背筋を這い上がる感覚。それは今までに感じたことのない快感だった。これ以上は駄目だ、元に戻れなくなる。
「だ、め!」
「んァ?」
シノの唇を強引に押し戻すと、それは不満そうな表情で私を見てくるけれど、一転して怪訝な顔になる。
「お前……何で泣いてんだよ」
「……え?」
シノに言われてようやく気付く。頬に伝わる生ぬるいもの。どうして涙なんて。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が次々と床に染みを作る。
「な、んでもない!」
顔を隠しながら涙を拭うけれど、堰を切ったかのように流れ出す涙は止まる術を知らないようで。自分が惨めで、どうしようもなくて、それでもシノのことを好きだという気持ちに偽りはなくて、どうすればいいか分からなかった。なすがままにシノに抱かれて、何もなかったかのようにすればいいの?
「セシル、こっち向けって」
「む、り」
「セシル」
シノの手が私の頬に触れ、無理矢理シノの方に向かされる。
「離して、よ」
こういう時のシノはどう言ったって聞かない。普段のおちゃらけた表情から一転して真面目で、シノらしくない表情。でもシノは誰よりも仲間想いで、熱い男だってずっと昔から知ってる。さっきまでの不機嫌な表情も、仲間としてずっと心配してくれるから。きっと、それだけ。
「1軍の奴らにやられてた時も、泣いてたのか?」
「え……」
1軍に好きなようにされてた時は、感情なんてなかった。早く終わって欲しい、それしか考えず頭を空っぽにしていた。思い出すだけでもおぞましい時間。
「悪かったな、嫌なこと思い出せさせて」
違う。今こんなにつらいのは、シノが私に触れているから。どうせ触れられるなら、私に気持ちを寄せて欲しかったから。それが叶わないなら、せめて。
「ねえ、シノ。今だけでいいから」
私のこと、好きって言ってくれない?
シノの驚いた表情を見て、きっとこの想いが届くことなんてないんだと察してしまった。だったら、答えは分かっていても自分が納得できるよう告白をして、愛してもらおう。そうすれば、空っぽの心はきっと満たされる。
「シノのことが好き」
大きな身体に抱きついて、生まれて初めて自分から男の人にキスを贈った。
きっとこれが、最初で最後の恋。
2016/7/2
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