Scar -5-

キスを交わしているうちにバスタブに湯が溜まったので、俺達は髪の毛を洗って湯に浸かった。

初めて遙に出会った時の事を思い出す。
あの時もこうして俺の髪の毛を洗ってくれた。
あの時は遙とこうして一緒に湯に浸かるようになるなんて思いもしなかった。

遙は俺の脚の間に座り、背中を俺の身体に預けている。
ちらりと肩越しに遙の胸の頂きが見えて、そっと弾くと、遙は身体をビクリと震わせて、俺の手を押し止どめた。

「そういうのはダメ。お風呂くらいゆっくり入りたいもの」
「Shit!ここからじゃ、お前の身体しか見えねぇから触りたくなる」

振り向いた遙は困ったような表情を浮かべていた。

「抱き締められながら、ゆっくり入りたいのはダメ?」
「いや、ダメじゃねぇけど……」

男の生理現象も分かって欲しい。

じっと遙を見つめると、遙はほぅっと溜め息を吐き、身体を反転させた。

「窮屈でゴメンね」

遙は俺の脚の間に跪くと、甘えるように俺の首に腕を回して抱き付いた。
そして、俺の頬をすっと撫でる。
右目の眼帯に指先が触れる。

「お風呂の中でも取らないの?」
「お前がいるからな。怖がらせたくない」

遙はじっと俺を見つめると、口を何度か開きかけ。
そして、意を決したように再び口を開いた。

「私は医者の卵だよ?傷を怖がるわけないよ。それに、幼い頃の傷だから、政宗が言う程酷くなんてないはず。ずっと眼帯したままだと蒸れるから良くない。外しちゃダメかな?」

恐る恐る遙が聞く。

幼い頃、母上に化け物と罵られた記憶が蘇る。


遙には嫌われたくない。


「この傷痕を見た後でも俺を愛せるなら。それなら構わねぇ。お前の愛を失ったら……俺はきっとお前をこの手で殺して……そして、俺も死ぬ」

遙は少し目を瞠って。
そしてふわりと微笑んだ。

「政宗に殺されるならそれもいいかな。でも、一緒に生きる方がきっと幸せだよ?……外してもいい?」

俺はしばらく遙を見つめた後、観念して目を伏せた。

「好きにしろ」

遙が俺の眼帯に手をかけて、思わず目をギュッと瞑る。
紐が解かれると、硬い眼帯から右目が解放されて、少しひんやりとした空気が触れる。

しばし訪れた沈黙に、俺は本当に久方振りに恐怖した。

遙の事は信じている。
この命を投げ出してもいいと思うくらいに愛している。


それでも、もし俺を拒むというなら……。


仄暗い思考に捕らわれ始めたその時。
遙がそっと湯を俺の右目にかけた。

「やっぱり…。シャンプーの泡が付いてたよ。あのまま放っておいたら、肌が荒れちゃうよ?」

もう一度湯をかけると、遙はそっと傷痕をなぞり。
そして、そこに口付けた。

「止めろっ!!お前にうつる!」

思わず遙を引き剥がすと、遙は少し目を瞠って、そしておかしそうに笑った。

「完治してるのにうつるわけないよ。ウイルス…病原体の排出期間なんてとっくの昔に過ぎてるもの……よかった……」

遙は甘えるように俺に抱き付いた。

「何が?」
「政宗が生きてて。知ってると思うけど、天然痘は致死率がものすごく高い死の病なの。でも、政宗は生き残った。また天然痘が流行したとしても、政宗はもう二度と罹らないの。私、政宗が死ぬのは嫌だから……」

遙はまた俺の右目に唇を寄せた。

「綺麗に塞がってる。私のご先祖様が頑張ったのかな?……こんな傷で……たかがこんな傷で……政宗の心に一生残る傷を付けた義姫様を、私は許せない…!」


その時。
生まれて初めて。
俺は赦されたんだと思った。


母上に忌み嫌われて。
小十郎や成実のようにいつでも絶対の忠誠を誓ってくれた人間もいたけれど。
それでも、これは俺への罰なんじゃないかと思っていた。
この傷痕だけでなく。
きっと俺の気付かない何かが母上をそう仕向けていたのだと。



遙は俺を愛し。
この傷を見ても顔色を変えず。
むしろ、愛しげに傷痕に優しいキスを落としてくれる。



ずっと母上の愛情が欲しかったけれど。
俺には遙がいればそれでいい。

誰よりも愛されたくて。
そして誰よりも愛したい女だから。


遙の唇が傷痕に触れる度。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

俺はそれを隠すように遙を引き寄せ、肩口に顔を埋めた。

幼い頃から溜まり溜まって、終いには凍り付いていた感情が氷解し。
涙となって流れ落ちていく。

頬を伝わっていく冷たく暗かった感情は、酷く温かかった。

感情の奥底にいつも隠れるようにして眠っていたほろ苦い鮮烈な記憶が、涙と共にセピア色に色褪せていく。


ひとしきり涙を流すと、いつしかそれは枯れ。
俺は遙を真直ぐに見つめた。

「遙……もう一度……俺の右目にkissしてくれ……please……」

遙はふわりと微笑んで頷くと、そっと俺の右目にキスを落とした。

堪らず俺は遙をきつくきつく抱き締める。


俺が添い遂げる女はこいつしかいねぇ。
誰にも渡したくねぇ。


今までも感じて来た事だけど。
今までになく狂おしい程に思う。


遙と離れたくない。
死が俺達を分かつまで。
いや、例え死が俺達を引き裂いたとしても。
必ず遙を探し出して。
そして、俺のそばで微笑んでいて欲しい。
永遠に……。


だから、一月後の別れを思うと狂いそうだった。


もし、俺と遙の出会いが運命だったら、それには意味があるんだろう?
別れなんて嘘だろう?


もし本当に別れが訪れるなら。
俺は二度と神なんて信じられそうになかった。


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