リビングへ移動し、ソファに座ると、俺は遙を抱き寄せ、膝の上に横抱きに抱いた。
右耳につけられたピアスに唇を寄せると遙はくすぐったそうに身を捩った。
「痛むか?」
「ん?少しだけ。でも嬉しいな…」
そう言って、遙も俺のピアスに触れる。
「あまり考えたくないけど……政宗が帰る時……持って帰れるといいな」
寂しそうな遙の切ない願いが胸に突き刺さる。
俺は遙をギュッと抱き締めた。
「持って帰れるだろ。仮に持って帰れなくても、傷痕は一生残る。お前と互いにつけた、愛しい傷痕だ。……本当に持って帰りたいのはお前だけどな。ピアスを身に着けるように。別れの時もお前を離さなかったら連れて行けるんじゃないかって」
そっと腕の力を緩めると、遙は俺の首に両腕を回し、抱き付いて来た。
「こうして抱き合っていたら、私も連れて行ってくれるの?」
「ああ。それがもし許されるのならな…」
お互いそんな事は有り得ないと思っているのが伝わってくる。
俺達は避けられない別れがある。
それでも願わずにはいられなかった。
この出会いはきっと運命だから。
きっと俺達が離れ離れになる事はないのだと……。
「そうだ。消毒しなくちゃね。アルコール取って来る。政宗、喉渇かない?」
「そういえばそうだな」
「じゃあ、私、お茶淹れるね」
遙はキッチンでポットに湯を沸かし、何やら茶葉を探している。
俺はテレビを点けた。
戯れにチャンネルをいじっていると、西欧の城と騎士が映っている番組があり、俺はそこで手を止めた。
戦の番組か?
南蛮人がどう戦うのか興味がある。
遙は俺を振り向いた。
「あ!その映画、私好きなんだ」
「戦の映画か?」
「ちょっと違うけど…。ゴシックホラーって言うのかな。ただ……」
遙が頬を少し染めて言い淀む。
「ただ、何だ?」
「うん……あのね……少しeroticなの……」
消え入りそうな声で言う遙が可愛らしくて、むくむくと嗜虐心が首をもたげる。
「ほう……。じゃあ、尚更興味があるな。遙の好きなエロい映画に」
「もう!そういう言い方しないでよ!結構切ない恋愛映画でもあるんだから!」
「Okay, okay. じゃあこっち来いよ。一緒に見ようぜ」
「お茶淹れて、アルコール綿準備したらすぐ行くから見てて」
遙が部屋を出て行ったので、俺は映画に目を戻した。
主人公の男は勇猛な騎士だ。
一国一城の主らしい。
男の新妻である姫が、男の身を案じて神の名の下の戦への出陣を見送る。
そして、男が出陣した後……。
敵の忍が姫に書状を渡す。
男が戦死した、と。
姫は嘆きのあまり、その身を川に投じ、男の後を追った。
天国で巡り合う事を祈りながら…。
男が戦から帰還すると、そこには姫の亡骸が。
男は神の名の下に戦ったのに。
その神に裏切られ。
姫の安息を祈る事も許されず。
姫は自らの命を断ったが故にその魂は救済を得られず。
呪われる事になると司祭に告げられる。
そして……。
男は神を呪った。
神像の胸に剣を突き立てると、そこから鮮血が流れ出し。
そして、男は盃でそれを受け止めると、神を、そして世界を呪いながら、神の流した血を飲み干した。
そして、その地は呪われる事になる……。
俺には男の気持ちが分かるような気がする。
信じていた神に裏切られ。
そして愛する女を永遠に失ってしまったら。
俺もきっと神を呪うだろう。
食い入るように画面を見ていたので、遙の気配に気付くのが遅れた。
「紅茶を淹れたよ。Birthday Teaって言うの。一日遅れだけど」
ふわりと微笑んで、遙が俺にマグカップを差し出す。
「Thanks. いい香りだな」
甘いフルーツの香りがする紅茶だった。
隣りに座った遙からも甘い香りがする。
仄暗い思考からふわりと解放されて、俺はホッと身体の力を抜いた。
遙が俺の左耳を消毒し、遙も自身の右耳も消毒する。
二人で、紅茶をゆっくり飲んで、俺はまた遙を膝の上に抱いた。
身体を俺に預ける遙から甘い香りが漂い、愛しさと幸せな気持ちが沸き上がって来る。
だからこそ、さっきのシーンが忘れられない。
俺がもし、遙の心を永遠に奪われたら。
俺は、きっと全てを呪うだろう……。
遙にじゃれつくようにキスを落としながら映画を見る。
時代は変わって、19世紀末のロンドン。
俺は、先程川に身を投じた姫の姿を見つけて少し目を瞠った。
姫と同じ姿の女……ミナには婚約者がいる。
婚約者のジョナサンは仕事を成功させるべく、トランシルバニアに旅立つ。
「ミナはね、あの姫の生まれ変わりなんだよ」
「あの騎士は?」
「さっきのドラキュラ伯爵」
「じゃあ、ロンドンに城を構えるのは、姫に再び巡り逢うためか?」
遙は微笑んで、俺の胸に頬を寄せた。
遙の微笑みは少し哀しげだった。
怪物と成り果て、人の血を啜って生き長らえていたドラキュラ伯爵は、ロンドンでミナの友人ルーシーの血を啜って若さを取り戻した。
そして、ミナと再会する。
ミナには前世の記憶はないが、ドラキュラ伯爵と逢瀬を重ねるうちに、微かに記憶が蘇る。
そして、次第にドラキュラ伯爵と恋に落ちていく。
その様子が俺と遙に重なる。
俺と遙はこの世界ではきっと添い遂げられないから。
二人、生まれ変わったら。
これだけ想いが深いのだから。
きっと前世の記憶がなくても惹かれ合う。
例え遙が俺を忘れても。
俺が必ず遙を見つけ出す。
画面の中で踊る、ミナとドラキュラ伯爵は幸せそうだった。
「俺も不老不死のmonsterになって、お前が生まれ変わるのを待つか?もしこの世で結ばれないのなら」
遙の頬をそっと撫でて言うと、遙は弱々しく微笑んだ。
「ドラキュラ伯爵と同じくらい深く愛してくれるのは嬉しいけど、でも……」
「どうした?」
「ねぇ、やっぱりこの映画見るの止めようか?」
「Why?」
遙はこの映画を好きだと言っていたのに、少しずつ表情が暗くなっていく。
「命を投げ出す程に愛して。神を呪う程に愛して。それ故に汚らわしい怪物になれ果てて。それでも愛を貫いて再会して、再び恋に落ちる二人が美しいと思ったの。障害があっても、惹かれ合う二人が好きだったの。でも……政宗が見たいなら、続きは黙っているけど……」
遙は哀しげに俯き、俺の首筋に顔を埋めた。
その後頭部をそっと撫でて、画面に視線を戻す。
ドラキュラ伯爵に幽閉されていた、婚約者のジョナサンは城を逃げ出し、近くの修道院に助けを求めた。
そして、ミナはジョナサンと祝言を上げるために、ドラキュラ伯爵に別れを告げ、旅立つ。
伯爵は、慟哭し、血の涙を流しながら嵐を呼ぶ。
ドラキュラ伯爵の慟哭が、痛いくらいに胸に突き刺さる。
神をも呪ってまで愛し抜いた女が、他の男と結ばれるために、自分を捨てていく。
遙を愛し、そして愛される事を知った今、伯爵の悔しさ、そして深い悲しみが自分の事のように理解出来る。
遙が見るのを止めようと言った理由がわかる。
それでも、俺は目を離せなかった。
あれほどまでに愛し合った二人なら。
例え婚約者がいても。
二人は結ばれるんだろう?
俺は自分の願いを託していたのかも知れない。
遙の哀しげな表情を見れば、きっと良くない結末だろう事が何となくわかるけど。
遙がそれほどまでに惹かれた二人なら。
きっとまだ何か奇跡を起こしてくれるのだろうと思った。
ドラキュラ伯爵から送られた恋文を辛そうな表情で海に捨てていくミナの姿が酷く印象的だった。
教会の賛美歌がテレビから流れると、遙はハッとしたような表情で振り向き、画面を凝視した。
ジョナサンとヴェールを被ったミナを司祭達が祝福をする。
遙は俺にしがみついて、再び顔を俺の肩に埋めた。
「政宗、お願い!見ないで!」
縋るように抱き付く遙に驚き、背中を抱き締める。
「Calm down. 怖い事は何も……」
そう言いかけた時。
画面に目を戻した俺は。
何故遙が俺に見せたくなかったか悟った。
画面には、幸せそうにキスを交わすジョナサンとミナの姿が映し出されていたから。
あれほど伯爵と仲睦まじくしていたのに。
やっと巡り会えたのに。
ミナは他の男と結ばれてしまった。
俺は、息を飲み思わず固まった後、ようやくテレビを消した。
遙は両腕を俺の首に回し、ギュッと抱き付いた。
「結婚……。すっかり忘れていたけど……。嫌っ……!嫌っ……!!私、結婚したくないっ!!」
これほど取り乱した遙は見たことがなくて。
いつも遙は少し哀しげでも穏やかな表情しか浮かべていなかったから。
俺は少し驚き、遙をぎゅっと抱き締めた後、そっと身体を離し、その顔を覗き込んだ。
遙の目には涙が浮かんでいた。
俺も姫を迎えなければならない。
でも、愛する必要はないと思っていたから。
義務的に夜伽をすればいいだけだ。
そこには愛なんてなくていい。
あまり考えたくないが、遙もそうするのだと思っていた。
「愛がなくても祝言……結婚は出来るだろう?」
「うん……。普通はね……。でもっ、でもっ!!……嫌っ!!」
遙は顔を覆って取り乱す。
俺は遙の手首を掴み、ソファに押し倒した。
「落ち着け、遙。ゆっくりでいいから、話してくれ」
遙はかたかたと震え、横を向いたまま、静かに涙を流し始めた。
「私の結婚。さっきの映画みたいに教会でするの…。そして、みんなの前で、神の前で、誓わなくちゃいけないの……。
『私はあなたの妻となる為にあなたに自分自身を捧げます。そして私は今後、あなたが病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びにあっても、悲しみにあっても、命のある限りあなたを愛し、この誓いの言葉を守って、あなたとともにあることを約束します。』
私、そんな誓い、したくない!!私は政宗だけが好きなのに!!指輪……。誓いの指輪をお互いに交換して、その誓いの証にするの。そして、最後に……みんなの前で、誓いのキスを……。こんなに政宗を愛しているのに。神の前で自分の心を欺いてそんな誓いをしないといけないの。この心だけは……政宗を愛する心だけは、誰にも踏みにじられたくないのに……!!例え、相手が神様でも……!!」
この世界の祝言が。
神の前で永遠の貞節と愛を誓うものだなんて知らなかった。
遙は俺だけを永遠に愛すると誓ってくれたのに……!
俺は遙を抱き起こしてきつく抱き締めた。
「世界中の誰もが分らなくてもいい。神すら欺いても構わねぇ。俺達を祝福出来ない神なんていらねぇ。誰にもお前を渡さねぇ!お前が神との誓いを破って地獄へ落ちるとしたら、俺も一緒に地獄に落ちて、そしてお前を守ってやる」
「政宗……!例え嘘だとしてもあんな誓いしたくない!政宗以外の人とキスをするのも抱かれるのも…絶対に嫌!!」
遙は俺の背中に腕を回し、縋りつくように俺をギュッと抱き締める。
「政宗。私を抱いてっ!壊れるほどに激しく。他の人に抱かれても政宗を忘れないように。誰の記憶にも塗り替えられないように!」
遙の願いが胸に突き刺さる。
他のどの男が与える快楽よりも、もっと深い快楽を遙の身体に刻みこんで。
他の男に抱かれている時でも俺を思っていられるように。
俺の与える快楽で遙の心も身体も縛る。
背徳的な喜びがふつふつと沸いてくる。
俺は殊更甘い口付けを与えると、吐息のかかる距離で囁いた。
「お前の望み通り。絶対に俺を忘れられないほどの悦びをお前の身体と記憶に深く刻んでやるよ。後悔すんなよ」
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