そして、PCの前に座る。
ツールバーに『Andy』と名前のついたウィンドウがオレンジ色に点滅しているのを見て、たまらなく憂鬱になる。
私の、元彼だった。
2ヶ月前、あれだけ連絡を取ろうとしても取り合わなかったのに、今更何故?
しかも、政宗と結ばれて、幸せに過ごしているタイミングで。
Andyの事も好きだった。
愛していた。
でも……。
今、私には政宗がいる。
他の誰とも比べられないくらいに愛している。
もう構わないで欲しかった。
政宗を遠ざけたのは、政宗に下らない嫉妬をして欲しくなかったから。
私だって、きっと政宗の過去の女の人と政宗が親しげに会話していたら嫉妬してしまう。
写真を見ただけであれだけ嫉妬していた政宗だ。
連絡を取ったりしたら、きっとすごく苦しむ。
だから、全て終わらせて。
もう二度と彼が連絡して来ないようにして。
そして、全てを忘れたかった。
ウィンドウを開くと、「How have you been?(元気にしてた?)」というAndyの発言があった。
私は当たり障りのないように返事をする。
「I've been doing well. How about you?(元気だよ。あなたは?)」
「I miss you so much.(君が恋しくて堪らない)」
彼はすぐにそう返答した。
胸がちくりと痛む。
2ヶ月半前、そう言ってくれていたのなら、私達は別れなかったかも知れない。
私が恋しかったのは、政宗と恋に落ちるまでの間だけだったから。
「You ditched me. I thought you were not gonna get in touch with me ever again though. That's what you said. (あなたが私を捨てたんでしょう?もう二度と連絡して来ないと思っていたのに。あなたがそう言ったんじゃない)」
自分勝手な彼が腹立たしくて。
私は皮肉を込めて返答した。
「I regret that I broke up with you. I still love you. I tried to forget you, but I couldn’t. I went out parting with other girls, but only to figure out that I still love you. The more I go out with someone, the more I think of you. No one is as smart as you, as sweet as you. It took me two months to realize. Maybe it's too late, but maybe not. I wanted to talk to you again. I wanna come back to you.(君と別れたことを後悔してるんだ。まだ君の事を愛してる。君の事を忘れようとしたけど出来なかった。他の女と遊んだりしたけど、まだ君の事を愛してるってことが分かっただけだった。他の子と付き合えば付き合うほど君の事を想ってしまうんだ。君ほど賢くて優しい女の子はいない。それに気付くのに2ヶ月もかかってしまった。もう手遅れかも知れないけど…。もう一度君と話したかった。君の元へ戻りたい)」
かつて私はこの甘い愛の囁きに溺れていた。
彼の少しトーンの高いハスキーな英語が耳に心地よかった。
でも、私はもう惑わされない。
「There's something that I figured out, too, Andy. It was good for me that you ditched me. It was a destiny. I missed you so much, and used to cry every night. Then I met a man. He comforted me, and cherished me, night and day. I fell in love with him. We both love each other. I have never loved someone like him. Please leave us alone, Andy. Don't bother me ever again.(Andy、私にも分かった事があるよ。あなたが私を捨ててくれてよかったって。運命だったんだよ。前はあなたが恋しくて毎晩泣いてた。そして、出会いがあったの。彼は夜も昼も私を慰め、慈しんでくれた。私は彼に恋したの。私達は愛し合ってる。彼ほど愛した人は今までにいないわ。私達をそっとしておいて。もう二度と私に関わらないで)」
そう書いて窓を閉じる。
もう、これで全ては終わったはず。
私はホッと肩の力を抜いた。
時計を見ると、政宗が部屋を出て行って、15分ほど経っていた。
思ったより時間がかかってしまった事に溜息が漏れる。
政宗にメールを打とうとすると、またメッセンジャーの窓がポップアップする。
「I know you loved me more than anyone else. I could feel it. I still remember how sweet you were, how pretty you were. I don't think you can love someone like me. I wanna hear your voice. Can you talk to me?(君が俺のことを誰よりも愛してくれていた事を俺は知ってるよ。そう感じられたんだ。今でも君がどんなに優しかったか、どんなに綺麗だったか覚えてる。君が俺の事ほど誰かを愛せる誰かを愛せるなんて思えない。君の声が聞きたい。話してくれないか?)」
「I'm sorry, but I don't feel like talking to you. I told you not to bother me again.(ゴメン、でも話す気になれない。もう関わらないでって言ったでしょう?)」
そう返信して窓を閉じてまた溜息を吐く。
時間を見ると、政宗が出て行ってから20分経っていた。
そろそろ政宗に電話しないと。
携帯を手に取ると、急に着信があったので、私は名前も確認せずに思わず電話に出た。
「もしもし」
もしかしたら政宗かも知れない。
そう期待を込めて耳を澄ますと。
聞こえてきたのは、2ヶ月半前、あれほど焦がれていた元彼の声だった。
「Hello? Haruka?(もしもし、遙?)」
「Yeah, it's me. I was surprised that you called me. You always told me that you didn't have enough money to call me. What's wrong?(そうだよ、私だよ。電話してくるなんて驚いた。いつも電話するお金がないって言ってたじゃない。どうしたの?)」
「I started working to get in touch with you.(君と連絡を取るために仕事を始めたんだ)」
「That's good. I'm sorry, it's too late though. You should use money for something else. Can I hung up?(よかったね。ゴメン、でももう手遅れだよ。そのお金、別の事に使った方がいいよ。電話切ってもいい?)」
時計を見る。
いつ政宗が帰ってきてもおかしくない時間だ。
普段の私なら口にしないようなきつい言葉が漏れる。
「Hey, wait! Don't you miss me?(おい、待てよ!俺が恋しくないのか?)」
以前なら胸が抉られるほどに彼に焦がれていた。
まだあの想いは胸に残っている。
こうして甘く囁かれると、胸が疼く。
他の誰かを愛したからって、記憶まで綺麗に消えるわけではない。
ずっとずっとこうして話をしたかったのだから。
「I used to miss you.(以前は恋しかった)」
かつては愛していたけど。
もう、愛していないという意味を込めて言う。
こんなに政宗の事が好きなのに、私は相変わらず彼の声に弱い。
煩わしいとさえ思うのに、早く解放されたいと思うのに。
まだ胸の奥にときめきが残っていてやるせない気持ちになる。
ああ、私はこの人を愛していたのだと思い知らされる。
彼は、その言葉を聞いていなかったのか、甘い声で話を続ける。
「You know what? I worked really hard last two months. I can take days off next week and go to Japan to see you. I miss you so much. I think you are still on summer vacation. I know your mother doesn't think good of me, so I decided to go to medical school next year. I am planning for that. That's why I've been working hard lately. I wanna be worthy of you.(そうだ!この2ヶ月間一生懸命働いたんだ。来週は休暇を取って君に会いに日本に行けるよ。君に会いたくて堪らない。きっと君はまだ夏休み中だと思うから。君のお母さんが俺の事を良く思っていない事は分かってる。だから、来年から医学部に入学することにしたんだ。今、その準備中なんだ。だから、ここのところ一生懸命働いていた。君に相応しい男になりたい)」
その言葉が2ヶ月前に聞けたらどんなに嬉しかっただろう。
ずっとずっと彼に変わって欲しかった。
彼の優しさが好きだった。
ずっと一緒にいられたら、と思っていた。
でも、それは政宗と出会うまでの話。
こんな事、今更言われても困るだけ。
それでも、何故か、涙が溢れてくる。
この涙は何?
哀しいから?
それとも、悔しいから?
もし、もっと早くそうなってくれてたらって思うと悔しいから?
あれほど努力したのに、実を結んだのがこんなに遅かったから?
「Why didn't you tell me earlier? It's too late! If you had told me earlier, I… I…(何故もっと早く教えてくれなかったの?もう手遅れなの!もしもっと早く言ってくれてたら、私…私…)」
「もし早く言ってたら、何だ……?」
振り向くとドアの前に政宗が立って、射るような視線で私を見つめていた。
その視線は、冷たく鋭くて。
背中を冷たい汗が流れていく。
「誰と話している?前の男か?」
静かな声で問われるのがかえって怖い。
何も答えられずに政宗を見上げていると、政宗はイラついたように舌打ちをして、私の前に座ると、私の肩をがくがくと揺さぶった。
「言えよっ!!If he had told you it earlier, then what!?(もしあいつがもっと早くそれをお前に言ってたら、何だってんだ!?)」
「痛っ!」
政宗の指が肩にめり込んできりきりと痛む。
私の心の痛みそのものだった。
そして、きっと政宗の心の痛みでもある。
「Haruka? Haruka!?」
揺さぶられた衝撃で、手から携帯が床に転がり落ちる。
すぐにPCからアラートの音が聞こえた。
涙で霞む視界の向こうで、メッセンジャーがポップアップしていた。
「Don't hurt my girlfriend! You don't deserve her! Let her go!!(俺の女を傷つけるな!お前は彼女に相応しくない!彼女を放せ!!)」
政宗はそれを見ると、表情を険しくして、携帯を取り上げた。
「Hey, are you there? Stop whining! She's not your girlfriend. She's mine!!(おい、あんた、そこにいるか?ごちゃごちゃ抜かしてんじゃねぇ!遙はあんたの女じゃねぇ。俺のだ!!)」
Andyが政宗に何か言っている様子だ。
政宗はそれを目を閉じてじっと聞いている。
硬く結ばれた唇が僅かに震えていた。
握った拳は指が白くなるほどに硬く結ばれている。
政宗がこんなに怒っているところを初めて見た。
「So, your conclusion is…that if I show you how much she loves me and how much I love her, you'll admit that we both are in love…Ha!!! That's hella easy! I don't care if I deserve her or not. Only she knows. As long as she loves me, I belong to her. Wait a sec. Hey, 遙。(ほぅ…。じゃあ、要するに遙がどれだけ俺を愛していて、俺がどれだけ遙を愛しているかあんたに見せつけてやれば俺達が愛し合っているとあんたは認める訳だな。Ha!!!楽勝だぜ!俺が遙に相応しいかなんて俺には関係ねぇ。遙のみぞ知る、だ。遙が俺を愛する限り、俺は遙のものだ。ちょっと待ってろ。Hey, 遙) 」
急に名前を呼ばれてびくりとなる。
「あいつに写真を送り付けたい。どうすればいい?」
「そのウィンドウのファイルの送信から送れるよ」
「Okay」
政宗は、この間撮った写真が保存されているフォルダを開いた。
そして、写真を開く。
二人で、額をくっつけて笑っている写真だった。
キスをする直前の写真……。
この写真だけは、誰にも見せたくないと政宗は言っていた。
私もこの政宗の表情は誰にも見せたくなかった。
それほどに、二人の表情は幸せそうで、輝いていた。
眩しそうに、切なそうにその写真を眺めると、政宗はその写真を送信した。
「Did you get the picture? If she smiled more happily with you, then I'll give her back to you. Otherwise, don't bother her ever again!!(写真受け取ったか?もし、この写真より遙があんたと幸せそうに笑ってたなら、あんたに遙を返してやるよ。そうでなければ、もう二度と遙に関わるんじゃねぇ!!)」
どうやらAndyの方から電話を切った様子だった。
政宗はじっと切れた携帯を見つめていたが、それをソファの上に放り投げると深い溜息を吐いた。
その横顔は無表情で、冷たい。
近寄りがたくて。
私は何て声をかけたらいいのか分からなかった。
「俺を追い出したのは、あいつと話をするためか?」
こちらを見ようとせず、静かな声で政宗が問う。
「うん……。あのね……」
政宗は私をきっと睨み付けて言い放った。
「あいつとよりを戻すつもりだったのか!?俺が帰ってしまった後、あいつの元に戻るために!?」
「違う!!」
私は、反射的に叫んでいた。
「もう関わって欲しくなかったから!!政宗のいない所で話をつけて、終わりにするつもりだったの!!」
「じゃあ、何故!?何故あの時、『If you had told me earlier』って言ってたんだよ!!あいつにまだ未練があんじゃねぇのか!?」
「違う!」
未練じゃない。
未練とは違う。
後悔、に似たものかも知れない。
上手く説明出来ないけれど。
それは、完全に『If』の世界だ。
もし、彼がもっと早くきちんとしてくれていたら……。
私達はこんなにすれ違う事がなかった。
出来れば傷つきたくなかったし、誰も傷つけたくなかった。
それは政宗との出会いを否定してしまう事だから。
例えそう感じたとしても、私には言えなかった。
私は政宗との出会いを後悔していない。
これは矛盾していることだと頭で分かっている。
それでも、悲しかった。
言葉が見つからなくて。
言葉を捜していると、政宗はイラつくように舌打ちした。
「お前、泣いてたじゃねぇか。もし、未練がなかったら涙なんて出ねぇだろ?俺のことだけ見つめていれば。他の男に何言われたって何にも感じねぇはずだろ!?」
「だから未練じゃないの!!」
「じゃあ、何なんだよ!!」
「……悲しかったから……それと悔しかったから……」
政宗はぎゅっと眉間に皴を寄せて、目を逸らした。
「そもそも、俺を追い出す必要なんてなかっただろ?無視してればいいだけの話だ。何で俺を追い出してまで話そうとした?」
「それは……私達、別れる時に、きちんと話が出来なかったから。それに、もう二度と連絡しないで欲しいってきちんと伝えたかったから……」
政宗は自嘲的にフッと笑った。
「口では何とでも言えるけどな」
「政宗!!ねぇ、信じて!!彼とはもう終わったの!!」
政宗の肩を揺すると、政宗は私の手を払いのけ。
立ち上がると、壁を拳で殴った。
その衝撃に、思わずびくりとなる。
「遙、お前を信じられない。ちょっと頭冷やしてくる。俺のことは待たなくていい」
そう言い捨てると、政宗は部屋を飛び出して行った。
政宗を怒らせてしまった……。
すごく、冷たくて、悲しそうな目をしていた。
そんな顔をさせたくなかったのに。
あんなに優しそうに微笑んでいた政宗が……。
もう、政宗の笑顔が戻らないかも知れない。
いや、もしかしたら、二度と政宗に会うこともないのかも知れない。
そう思うと、悲しくて悲しくて。
誰も傷つけたくないのに。
皆で仲良くしていたいのに。
どうして上手く行かないんだろう。
後悔ばかりが湧き上がってきて。
涙が零れた。
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