入口から少し入った所にバーカウンターがあり、バーテンダーが鮮やかな手つきでカクテルを作っている。
その奥は壁全体が床から天井までの広い窓ガラスが広がっていて、色とりどりの夜景が煌いている。
部屋の中央にグランドピアノがあり、ジャズ歌手が生演奏で歌っていた。
窓際にカウンター席とテーブル席がある。
政宗は私の肩を抱いて窓際のカウンター席に着いた。
すぐにウェイターがお冷やを持ってやって来る。
「ご注文は?」
政宗ってカクテル知ってるのかな…?
ちらりと政宗を見遣ると、政宗は普段と変わらない様子だ。
「好きなの頼めよ。俺はマティーニ」
平然と注文する政宗に驚く。
「マティーニがお一つ。お客様は?」
ウェイターに聞かれて我に返る。
「じゃあ私はマタドール」
「かしこまりました」
一礼してウェイターが下がって行って、私は政宗の耳元で囁いた。
「何でカクテルを知ってるの?」
政宗の時代にはなかったはずだ。
政宗は少し寂しそうな表情になった。
「鎌倉に行く前…。お前、しばらく家空けてただろ?暇だったし…お前の事知りたかったから…パソコンのブックマーク見ながらお前の好きな音楽を聴いてた。カクテルのページはフォルダまで作られていたから、余程気に入ってるんだって分かった」
「そっか……」
あの頃は私も淋しかったけど。
政宗も同じように寂しかったのだと改めて気付く。
「そんな顔すんなよ。俺は後悔してねぇ。あの時間があったからこそ、こうしてここに来て、お前に頼りきりにならないで注文が出来る」
私の頭を撫でるとフッと笑い、ポケットから煙草を取り出し、ZIPPOで火を着けるとゆっくりと煙をくゆらせた。
私も煙草に火を着けてゆっくりと煙を吸い込む。
ほどなくしてカクテルが運ばれて来た。
政宗がゆっくりとカクテルグラスを呷る。
スーツに繊細なカクテルグラスが、溜め息が漏れるほど似合う。
「dryな口当たりって書いてあったけどなるほどな。いい香りがする。I like it」
「ねぇ、そのオリーブ頂戴」
「これか?いいぜ。一口飲むか?」
私は首を横に振った。
「マティーニはドライ過ぎて飲めないの。でも、マティーニに入ってるオリーブは好き」
政宗は小さく笑うと、ピンに刺さったオリーブをグラスから取り出した。
そしてそれを私の口許に差し出す。
「ほら」
「お行儀悪いよ」
私は恥ずかしくなって小声で囁いた。
「口移しの方がいいか?」
慌てて首を横に振ると、政宗はクッと笑った。
ピンの先に刺さっているオリーブを口に含むと、冷たいジンに微かにベルモットの香りがした。
「美味しい」
政宗は嬉しそうに笑う。
「もう一つ頼むか?」
「それでもいいけど、折角なら色々頼んでみれば?」
「そうだな。お前が飲んでるのはどんな味なんだ?」
「テキーラとパイナップルジュース。割りとさっぱりしているけど、ほんのり甘いかな。飲んでみる?」
政宗にグラスを差し出すと、一口飲む。
「パイナップルってこういう味がするんだな。あまり甘くなくていいな。お前、こういうのが好きなのか?」
「うん。パイナップルが好きなの。ジュースを買う時もあるし、うちで作るサングリアにもパイナップルをいれるよ」
「I see」
軽く頷くと政宗は一気にグラスを呷った。
ウェイターがやって来て空いたグラスを下げる。
「affinityを」
「かしこまりました」
ウェイターが下がって行ってから、私は囁いた。
「政宗、よく知ってるね」
「名前が印象的だった」
affinity…。
密接な関係。
若しくは婚姻関係。
「密接な関係…」
思わずそう呟くと、政宗は私の腰に腕を回した。
「カクテルの名前を眺めていた頃、このカクテルを見つけてやるせない気持ちになっていた。お前とこうして触れ合う事なんて出来ないと思っていたから」
そっと頬に口付けて、じっと私を見つめる。
指の背で頬をすっと撫でられて、頬が熱くなる。
二人きりだったら飽く事なくキスを交わせるのに。
抱き合う事すら出来なくてもどかしかった。
私は誤魔化すようにカクテルを呷った。
「お待たせ致しました。アフィニティです。空いたグラスをお下げしてもよろしいでしょうか」
「はい、お願い致します。あの注文を…」
「sex on the beach」
私の言葉を遮って政宗が口を開いた。
その名前にギョッとする。
恥ずかしくて今まで頼んだ事のないカクテルだった。
「セックス・オン・ザ・ビーチですね。かしこまりました」
ウェイターが下がって行って、私は政宗の腕を引いた。
「政宗、恥ずかしいよ」
「Why?お前の好きなパイナップルジュースが入っているカクテルだろ?」
ニヤリと笑って政宗はカクテルをゆっくりと呷る。
背中にゆるゆると手を滑らされて意識が蕩けていく。
何でレシピまで覚えているの…?
政宗は唇を私の耳元に寄せて囁いた。
「随分と刺激的な名前だよな。今度海に行ったら試してみるか?お前の行きたかった人気のないbeachで」
頬が一気に染まっていくのが分かった。
政宗は背中を撫でながら、耳元で忍び笑いを漏らす。
「意地悪…」
私が俯くと、耳元に軽くキスを落として政宗はまたグラスを呷った。
「お待たせ致しました。セックス・オン・ザ・ビーチです」
一礼をして立ち去ろうとしたウェイターを私は呼び止めた。
「El Diabloを一つ」
「かしこまりました」
政宗をちらりと見遣ると、ニヤリと挑戦的に笑っていた。
「ほぅ……俺を悪魔呼ばわりするとはいい度胸じゃねぇか」
スペイン語だから分からないだろうと思っていたのに。
何で知ってるの…?
「俺が話せるのが英語だけだと思ったら大間違いだぜ」
政宗は私の耳元に唇を寄せて囁く。
「Te quiero. Como yo, nadie te ha amado.(お前が欲しい。俺ほどお前を愛している男はいない)」
英語で愛を囁かれた事はあるけど、スペイン語は初めてだった。
ラテン系独特の艶かしい発音に眩暈を覚える。
「Quiero tener el sexo con tu.(お前を抱きたい)」
少し舌足らずな巻き舌で発音する度に吐息が耳元をくすぐる。
ゆるゆるとむき出しの背中から腰に指先が滑って行って甘い吐息が漏れた。
「じゃあ部屋に行く?」
政宗を見つめると、政宗はくすりと笑った。
「まだ飲み足りなねぇ。今のは俺を悪魔呼ばわりしたお仕置だ」
そう言うと、グラスを一気に呷った。
私も呆れながらsex on the beachを飲む。
少し甘く、軽い飲み口で飲みやすい。
仄かにパイナップルジュースの味がした。
恥ずかしくて顔が赤いのをアルコールで隠そうと、ピッチを上げて飲むと政宗はくつくつと笑った。
「お待たせ致しました。エル・ディアブロです」
「Thanks. orgasm一つ」
政宗の注文したカクテルに思わずむせそうになった。
映画の中で見た事はあっても、実際に頼む人を初めて見た。
ウェイターは顔色一つ変えず注文を取ると、政宗のグラスを下げていった。
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
政宗はまた私の腰に手を回し、官能的に愛撫する。
「っ…政宗、ダメっ……!」
小声で囁くと、政宗は私の耳元で忍び笑いを漏らした。
「El Diabloだからな。止めてやんねぇよ」
軽く耳たぶを食まれて身体が甘く痺れた。
「ぁ……っ……」
思わず声を漏らした私に構う事なく政宗は私の太腿の内側をゆっくりと愛撫しながら耳元で囁く。
「orgasmにはまだ早いぜ?」
政宗は背中から首筋に指先を滑らせると、私の頬を指の背で撫でた。
キス出来そうなくらいに顔が近いのに、キスする事も出来ない。
政宗の意地悪な指先に焦らされてどうにかなりそうだった。
くすりと笑うと政宗はようやく愛撫を止め、一気にグラスを呷る。
毒々しい赤いカクテルを呷る政宗の姿は妖艶だった。
「お待たせ致しました。オーガズムです」
私がグラスを空けた所でカクテルが運ばれてきた。
乳白色のカクテルは、見た目はカルーアミルクと変わらないのに名前が恥ずかしい。
また政宗に焦らされるのかと思うと、切なさに身体が熱く火照る。
私は囁くようにカクテルの名前を呟いた。
「kiss in the dark」
政宗の目が軽く見開かれる。
もうこれ以上焦らさないで、この暗がりで唇を奪って欲しかった。
「キス・イン・ザ・ダークですね。かしこまりました」
ウェイターが下がると政宗はじっと私を見つめた。
吐息がかかりそうな程唇が近付く。
私が目を閉じると。
唇に落ちると思っていた口付けは、頬に落ちた。
「唇にしてくれないの?」
ねだる自分の表情が濡れている事なんて分かっている。
こんな所でキスをねだるなんてどうかしている。
それでも止められなかった。
政宗は息を呑むと、私の頭を引き寄せ肩に押し付けた。
「っ……なんて表情しやがる!…分かった。もう苛めねぇよ」
もう一度強く抱き締めると私を解放し、政宗はグラスを呷った。
オーガズムは、濃厚なクリームの味がして、その見た目と名前に気恥ずかしさを覚える。
仄かにアマレットが香って、女の子向けのカクテルだ。
政宗はフッと笑いながら私が飲むのを見ている。
とっくに政宗のグラスは空になっていて、ゆっくりと煙草をふかしている。
「お待たせ致しました。キス・イン・ザ・ダークです」
すっとカウンターにカクテルが置かれる。
私はウェイターを振り返った。
「オンディーヌを」
「オンディーヌですか。かしこまりました」
ウェイターはにっこりと笑うと、政宗のグラスを下げていった。
「オンディーヌ…。水の妖精の名前だな」
「うん。日本人が作ったカクテルだよ」
そう言うと、政宗は何か思い当たったようだった。
しばらく二人で言葉少なにカクテルを飲む。
きっと、政宗も思いを馳せているんだろう。
言葉にはしないけれど、きっと、このカクテルの意味するところに気付いたに違いない。
政宗のグラスが空いた頃、ウェイターがカクテルを運んできた。
あの日、湘南で。
二人で眺めた空のように透き通った綺麗な青い色をしていた。
「大好きな人、大切な人と行ったマリンブルーの海」
政宗が呟く。
私は頷いて続きを言った。
「幸せな時間と素敵な思い出をくれた水の妖精に感謝を込めて」
政宗には少し似合わないピーチリキュールのカクテルだけど、度数は25度以上。
ふわりと笑うと、政宗は私の額に口付けた。
「遙、愛してる…」
「私も…」
額をこつんとお互いにつけて、目を閉じる。
目を閉じると、あの青い空と大海原が目に浮かぶようだった。
あの日、あの場所に行かなかったら、私達は結ばれることがなかった。
「俺も、お前にカクテルを贈りたい。今までのは冗談だから」
政宗はウェイターを呼び止めると、カクテルを注文した。
「Ma Cherieを」
「かしこまりました」
Ma Cherieはフランス語でDarling。
男の人が女の人を呼ぶときに呼ぶ呼び名。
でも、このカクテルの由来は少し違う。
『もし、私が恋をしたら、それは永遠の恋になる。もし、私が恋をしたら、それは永遠の愛の証。目と目を合わせただけで、Ma Cherie…』
初めてこのカクテルの由来を目にした時、その謂れに憧れていた。
私には永遠の恋なんて無縁だと思って諦めていて。
それに、私はMarlboroの謂れに縛られていたから。
それでも惹かれずにはいられなかった。
「お待たせ致しました。マ・シェリです。こちらのグラスはお下げしてもよろしいですか?」
私はオーガズムを少し飲み残してしまっていた。
「はい、お願いします」
「かしこまりました」
オレンジ色のカクテルは、あの日、龍恋の鐘の前に広がっていた空の色のようだった。
一口飲むと、芳しいフルーツの香りがふわりと口の中に広がって甘い気持ちになっていく。
「もし、俺が恋をしたら、それは永遠の恋になる。もし、俺が恋をしたら、それは永遠の愛の証」
政宗は少し辛そうな表情になった。
「初めてこのカクテルの由来を目にした時、辛かった。俺はすでにお前に恋をしていて。届かない想いだと分かっていたのに止められなくて。それでも、俺は永遠にお前のことを忘れられない、いや、愛し続けるんだと思っていた。もし、お前に気付かれないのであれば、こっそりと贈って俺の思いは封印しようと思った事もあった。でも、お前だったら知ってそうだったし」
政宗はそこで言葉を切った。
「政宗……」
政宗の手にそっと手を重ねると、政宗は眩しそうに愛しそうに私を見つめた。
「やっとこうして、お前に贈ることが出来た。遙……お前は俺の大切な……この世で一番大切な、Ma Cherie…」
政宗の言葉が胸の奥に染み渡っていって、どうしようもなく、涙が零れそうなほど幸せな気持ちになる。
今まで、こんな風に愛を告げられたことなんてなかった。
政宗はいつも、私の欲しい言葉を、予想もしなかった素敵な言葉をくれる。
政宗は、愛しそうに目を細めて、ゆっくりと私の頬を指先でなぞる。
そして、私を抱き寄せた。
私も政宗の背に腕を回した。
じっと見つめ合うと政宗の優しい瞳に吸い込まれそうになる。
私達は、すっと目を閉じ、ほんの少しだけ、優しい口付けを交わした。
政宗の唇を追うと、すっと顔を離される。
「ここじゃダメだ。部屋に帰ってから」
宥めるように政宗は笑い、私の頭をそっと撫でる。
早く政宗と抱き合って、キスを交わしながら愛を囁き合いたくて、焦れる。
「そんな顔をするな。あと一杯だけ」
政宗はグラスを空けるとウェイターを呼び止めた。
「between the sheetsを」
「かしこまりました」
between the sheets…。
『シーツの間で』というセクシーな名前のカクテルだ。
ラムとブランデーベースの強いカクテルはナイトキャップに好まれる。
「I wanna cuddle with you between the sheets(シーツの間でお前と抱き合いたい)」
グラスを傾け、政宗が低い声で囁く。
やっと政宗と二人きりになれる…。
「Me too」
私も小声で囁くと、政宗は愛しげに微笑み、頬にキスを落とした。
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