例え離れてしまっても…(戦国小咄)

政宗は破竹の勢いで進撃し、あっという間に東日本を平定した。
甲斐の武田も越後の上杉もその配下に入った。
だが、無駄な命は取らない。
伊達はその圧倒的な強さを見せつけ知略で大名達を制圧すると、和睦を結び支配下に入れて行った。
そんな政宗のやり方を手緩いと批判する家来もいたが、一番喜んでいたのは領民達だった。
戦乱が長引けば田畑が荒れる。
侍に食料を奪われる。

南に進撃しながら、同時に政宗は積極的に治水開墾を行った。
領地である米沢も仙台も豊かな地になった。
そして、それまで城はあくまで仮住まいの砦と周囲にも公言していた政宗が仙台城の築城を始めた。
小十郎を始め、政宗をよく知る人物はみな一様に驚きを隠せなかった。
それは天然の要塞としての機能を十分に果たすだけでなく、まるで政宗がようやく自分の居場所を決めたかのように、趣向を凝らしたものだったからだ。

仙台に移り住み、政宗はよく天守閣に上っては一人煙草をふかしながら、空や海を眺めていた。
そんな時は、政宗は決して小十郎と成実以外の誰をも近付けなかった。

その日も小十郎は天守閣で一人過ごす主を呼びに向かっていた。
季節は全てが雪に閉ざされる冬。
出来る事と言えば政務くらいで、戦は不可能だ。
同じ拠点を構えるならもっと南の方が有利なのに政宗は何故か仙台の地にこだわった。
春になったら、鎌倉と小田原を攻め落とすと政宗が言っているからこそ、小十郎はそれを信じて黙っていた。

天守閣への急な階段を上っていく。
異国語の歌が聞こえて来た。
哀愁を帯びたその声は主、政宗のものだ。
どこで覚えて来たのかは分からないが、一人で空を眺めている時、一人で海を眺めている時、いつからか政宗は歌を歌うようになった。
政宗ほど異国語に精通していない小十郎には歌の意味はよく分からない。
でも、その横顔が、ハッとするくらい優しげなのに哀しそうで、きっと哀しい歌なのだと思っていた。

「政宗様、やはりこちらにいらっしゃいましたか」

小十郎が声をかけると政宗は振り向いた。
袴に蒼い小袖を着て、羽織を肩の上に引っかけて煙草をくゆらせている。

「ああ、小十郎か」

政宗は左手に持っていた何かを隠すように、懐にそれをしまった。
それも見慣れた光景だ。

「こんなに寒い所に長いこといらっしゃったらお風邪を召します。そろそろ降りていらっしゃったらいかがです?」
「Ah〜、あと少しだけ。夕陽が沈む海が綺麗なんだ」

政宗は小さく笑った。
その笑顔が少し寂しげで、一体主はどこでこんな表情を覚えて来たのかと小十郎は訝しく思う。

「政宗様が海がお好きだとはこの小十郎、長いこと政宗様にお仕えしておりますが存じ上げませんでした」

政宗は小さく微笑むと、また遠くに見える海を見遣った。

「約束したんだ。空に、海に願うってな」
「約束…ですか」

何の約束かは分からない。
ただ、そう呟いた主の表情があまりに優しげで切なげで、小十郎はそれ以上聞く事が出来なかった。

「俺の女神との約束だ」
「女神…。上杉謙信が毘沙門天の加護を得るようにですか?」
「ああ。でも、俺達の絆はそんなもんじゃねぇ。俺は女神に守られている。あいつの想いが俺を強くする。だから勝ち続けている。それは変わらねぇ。これからもずっと。俺は必ず天下を取る」
「想い…ですか。随分人間染みた神様ですね」

訳が分からなくて思わず呟いた小十郎に政宗は笑いかけた。

「Ha!違いねぇ。頭が良くて優しくて綺麗で可愛くて、一途で淋しがり屋で嫉妬深いんだぜ、俺の女神は。だから、婚儀の話は聞かねぇからな。女神の加護がなくなる」
「政宗様…」

配下の武田の姫君との縁談を進めた方がいいと家中で囁かれているのは小十郎も知っている。
武田との政略結婚は政宗にとっても悪い縁談ではない。小十郎は賛成だった。

「せめて天下取るまで待ってくれよ。それに…」

俺はあいつ以外愛せねぇんだ…。

政宗は懐から首飾りのようなものを取り出し、そっと握った。
片翼の形をしたそれは、たまに主の胸元で揺れているものだ。
政宗は決して誰にもそれを触らせなかった。

「天下を取ったら、お前にだけ見せてやるよ。俺の女神を」

『女神』と言いながら、政宗の口振りはまるで人間の女の事を話しているようだ。

「ええ、楽しみにしておりますよ。いっそその女神を娶ったらいかがです?」
「そうだな…。でも、もう会えねぇんだ。もう一度出会えたら…そうしたら、俺は二度とあいつの手を離さねぇ。もうあんな思いはしたくねぇんだ」

政宗は辛そうに顔を顰め、首飾りを胸元に押し抱いた。

「喋り過ぎた。小十郎、行くぞ」

政宗は首飾りを懐にしまうと、天守閣を出て行った。

その後ろ姿を見て小十郎は思う。

いつからだろう。
愛を知らなかった政宗様があんな表情を見せるようになったのは。
情けに深くなったのは。
もしその女人が貴方を変えたというのであれば、この小十郎、嬉しくもあり哀しくもあります。

何故なら貴方は伊達家を背負わねばならないのですから。
貴方はただ人を愛する事は許されぬのです…。


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