幕が閉じると政宗はやっと私を解放し、少し興奮した様子で微笑みかけた。
「能と歌舞伎ってどう違うの?」
テレビで見かけて何となく違いは感じても、いまいち違いがよく分からない。
確か能は三味線はなくて、歌舞伎の方が派手な気がするけど、それ以上の事はピンと来ない。
何故幕府や大名が能を保護して、歌舞伎が大衆に広まったのかがよく分からない。
「能の動作は基本的に静だ。楽は確かに多少は似てるかも知れねぇが、動きが全然違う。緊張の中に見出す美学が能だ」
いわゆるわびさびの事だろうか。
でもよく分らなくて首を傾げると、政宗はフッと笑って私の頭を撫でた。
「遙、扇を貸してみろ。外で見せてやるから」
政宗は、私のバッグからちょこんと顔を覗かせている扇子を手にすると、荷物を置いたまま私の手を引き、場外の通路に出た。
トイレの休憩に並んでいる人以外、あまり人のいない通路で政宗は扇を弄びながら説明をする。
「能は基本的に上下には身体を動かさない。そして、歌舞伎が正面を向いて舞うのに対し、能は三方向に向かって舞う。こんな感じだな」
政宗は扇を広げると低い声で謡曲を口ずさみながら舞い始めた。
ジーンズとシャツで舞っているのに全く違和感がない。
低く落とした腰は安定していて、テレビで見た能よりも粋で思わず見とれる。
確かに歌舞伎に比べて動作がゆっくりで、上下には基本的に動かず、基本的に円運動なのだと分かる。
でも、そんな事より、能を舞う政宗が凛としていて、今まで私の見知っていた政宗とは全然違っていて、胸がドキドキと高鳴る。
謡曲を歌う政宗の声は朗々として、男らしい。
ただでさえ好きで仕方ないのに、こんな姿見せられたらもっと好きになってしまう。
出来れば政宗の世界で、小十郎の笛に合わせて舞う政宗が見たいと思ってしまう。
叶わない願いだと分かっているのに……。
ドキドキと高鳴る胸を押さえるように、胸の前で手をギュッと握って政宗を見つめる。
政宗はフッと身体から力を抜いて扇を閉じるとニヤリと笑った。
「今ので分かったか?」
「うん、だいたい。円を描くように舞うんだね」
「Damn straight!歌舞伎はこんな感じだな」
政宗は再び扇を開くと、今度は長唄を歌い出した。
それ牡丹は百花の王にして
獅子は百獣の長とかや
桃李にまさる牡丹花の
先程聴いたばかりの長唄を政宗が歌い出して驚く。
普段からこういう歌を歌っていたのか、発声もまるでプロのようだ。
政宗の声に気付いた人々が周りに集まり出す。
今を盛りに咲き満ちて
虎豹に劣らぬ連獅子の
戯れ遊ぶ石の橋
是ぞ文殊の在します
歌いながら、父獅子の舞を踊る。
橋之助の舞と同じくらい上手い。
どこまでも粋だ。
政宗の容姿と相俟って、溜め息が漏れるほどカッコいい。
見とれているとどんどんギャラリーが集まってくる。
殆どが中高年の女性で政宗に熱い視線を送っている。
政宗が見栄を切ると、「成田屋!」という屋号が飛んだ。
ニヤリと笑って政宗が舞を中断する。
割れんばかりの拍手が沸き起こり、政宗はあっという間にギャラリーに取り囲まれてしまった。
私は人の波に押され、あっけに取られながら壁際で成り行きを眺める事しか出来なかった。
「貴方、海老蔵さんのお血筋?顔が似てるけど今まで見掛けた事なかったわ!」
「素敵よ!サイン頂戴!」
「兄ちゃん、やるなぁ。いいもん見せてもらったぜ」
押しつけられる手帳にサインをしながら政宗が人の波をかきわけて私の所にやって来た。
「Phew、驚いたぜ」
「驚いたのはこっちの方だよ」
政宗は私の肩を抱きながらギャラリーから逃げるように足早に歩き出した。
「サイン、何書いたの?まさか伊達政宗って書いてないよね?」
「No way!思い付かなかったから鶺鴒を書いてきた。筆じゃねぇから上手く書けなかったけど。coolじゃねぇな。何でボールペンってあんなに書きにくいんだ?」
忌々しそうに政宗は舌打ちをした。
筆の方が書き難いと思うと笑ってしまう。
「墨で書く方が難しいよ?」
「そんな事はねぇ。しっかり手習いをすれば、書は芸術にもなる。俺がお前に教えてやるよ。手取り足取りな」
ニヤリと笑う政宗は楽しそうだ。
「お前、硯と筆は持ってるのか?」
「ううん、実家にあるよ」
「じゃあ、後で買いに行くか。料紙も欲しいしな」
もう政宗の中でお習字をするのは決定事項のようで笑ってしまった。
「料紙なんて買っても、私じゃ無駄にしちゃうよ」
「俺が書くから構わねぇ。お前の手習いは半紙からな。上手くなったら料紙に恋歌を書いてくれよ」
「無理だって!」
俺はお前から恋文をもらうまで絶対に帰らねぇと駄々を捏ねる政宗とじゃれ合うようにして座席に戻った。
政宗が帰らないのなら、恋文なんて書くのよそうかな。
政宗が帰ってしまうまであと僅か。
私達は過ぎ行く時間を惜しみながら、哀しい現実から目を背けて、記憶を楽しい想い出で埋め尽くすかのように、生を謳歌した。
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