予約していた指輪を受け取ると、幸せな気持ちでいっぱいになっていく。
まだ祝言を挙げていないのに、遙が永遠に俺のものになったような気がする。
裏に愛の言葉が刻まれたこの指輪は、世界にたった一つのものだ。
店員に「お幸せに」と祝福されてくすぐったい気持ちになり、小さく笑ってthanksと答えると、俺は店を出た。
さっきから頬が緩みっ放しのような気がする。
小さな紙袋を揺らしながら街を歩くのが何だか嬉しくて堪らない。
俺は今、この瞬間、世界で一番幸せな男なのかも知れない。
明日、俺は遙と祝言を挙げる。
ずっと夢に描いてた。
あの白いドレスを着てヴェールを被った遙はどんなに綺麗だろう。
遙は驚くだろうか。
また泣くだろうか。
でもそれが嬉し涙ならば、涙枯れるまでずっと腕の中で泣かせてやりたかった。
ふつふつと沸き上がる喜びに、浮かれられずにいられなかった。
明日遙を連れ出す時はバレないようにしなければならない。
少し買い物でもして気を紛らわさないと、到底落ち着けそうになかった。
そういえば以前銀座に来た時、美紀にブランドショップについて少し教わった事を思い出す。
美紀はミーハーなのか、HERMESの前を通った時に、しきりと憧れ、はしゃいでいた。
元々馬具メーカーから発展したブランドで、最も高価なブランドの一つだと聞いて俺も興味を持った。
馬具メーカーなら丈夫なバッグを作りそうだ。
遙が今日出かける時、布製の大きなバッグを持っていたのを思い出す。
大学に行く時、いつも遙の荷物は大きい。
出来れば、あのくたびれたバッグではなくて、もっと丈夫なバッグを買ってやりたかった。
遙が大学に行く時にいつも持てるのなら尚更だ。
いきなりバッグをpresentしたら遙は驚くだろうか。
遙の驚く顔を想像したら嬉しくなって、遙を驚かせたくなって、俺はHERMESへ向かった。
「いらっしゃいませ」
上品な店員に出迎えられて、俺は大きなサイズのバッグを探している事を伝えた。
すると、店員はニコリと微笑み、俺を奥の部屋に通した。
その部屋は、大きなソファが置かれ、商談をするスペースのようだった。
店員は俺に名刺を差し出し、カタログを広げた。
「荷物をたくさん入れても壊れない、丈夫なやつがいい」
「かしこまりました。それでございましたら、バーキンがよろしいかと思います。サイズはいかがなさいましょう?」
「これくらいの大きさのファイルや本が入るくらいの大きさだ」
「A4サイズですね。それではこちらの40cmのものがよろしいかと思います。ただいま在庫がございませんので、お色と大きさをお決め頂いて発注となりますがよろしいでしょうか?」
カタログに描かれた優美なバッグを見つめながら、遙には何色がいいだろうかと想像して楽しんでいた俺は、「在庫がない」という言葉に眉を顰めた。
「注文したらどれくらいかかるんだ?」
「約半年から1年ほどお時間を頂戴致します」
「What?半年から1年?」
俺はあと2週間ほどで遙の前から消えてしまう。
そんなに長い時間待つ事は出来ない。
自分自身の手で手渡したかった。
遙の驚いた表情が、花が綻ぶように笑顔に変わるのが見たかった。
でも、俺はカタログに掲載された上品なデザインのバッグに目が釘付けだった。
少しカジュアルなそのバッグは、ジーンズにもワンピースにも似合いそうだった。
あまり飾らない服装の遙にとても似つかわしい。
「半年後、ここまで取りに来なくちゃならねぇのか?」
「いいえ、ご自宅に御郵送出来ます」
自宅に郵送出来るのなら、遙を驚かせる事が出来る。
直接手渡したい気持ちが大きかったが、半年後、俺からの最後のプレゼントを遙に渡す事が出来る。
そうだ。
これが最後のpresentだ。
その頃、遙はまだ俺を想っていてくれるだろうか。
真夏の夜の夢から醒めて、他の男と恋に落ちているだろうか。
遙の愛は疑っていない。
それでも、俺がいなくなった後の事を考えると、時折どうしようもなく不安になる。
ずっと俺だけを想っていて欲しい。
「じゃあ、40cmの黒のバーキンを注文する。自宅に送ってくれ」
「かしこまりました。それでは、こちらにご記入下さい」
「Okay。それから…手紙を同封出来るか?」
「もちろんでございます。お手紙はお持ちですか?」
「いや。ここで書けるか?」
「はい。では、便箋と封筒をお持ちしますね」
一旦下がった店員は、ほどなくしてレターセットを手にして戻って来た。
「悪ぃが独りにしてくれ」
「かしこまりました。よろしければこちらの万年筆をお使い下さい」
「Thanks」
俺は万年筆を受け取ると、じっと便箋を見つめた。
様々な想いが去来する。
遙が愛しくて恋しくて、俺が消えてしまった後の遙がこの手紙を受け取ると思うと、そばにいられない事が悔しくて切なくて堪らなかった。
「どうして俺はお前のそばにいられないんだろうな」
そう口に出して言葉にすると一層切なくて、寂しくて堪らなくて、目頭が熱くなっていく。
「Shit、こんな所で泣くわけにはいかねぇってのに…」
手紙を受け取った遙がどんな気持ちになるのか、痛いほどに理解出来て、心の痛みが身体を蝕んでいく。
瞳に盛り上がった涙がやがて頬を滑り落ちていった。
それでも俺には伝えなければならない事があった。
涙を拭い、呼吸を落ち着けて万年筆を握る。
遙へ
元気にしてるか?
一人で泣いてないか?
Fin…
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