霞みがかった意識の向こうから遙の声が聞こえて、俺はハッと目を覚ました。
視界が歪んで見えて、俺は涙を流していた事に気付き、遙に背を向けて寝返りを打った。
遙に気付かれないよう、眠そうな振りを装って、涙を拭う。
遙は俺の傍らに跪くと、躊躇いがちに声をかけた。
「悪い夢でも見た?うなされていたみたいだから起こしに来たの」
以前、うなされていた俺を起こそうとした遙を無理矢理襲ってしまった事を思い出す。
もう、あんな風に遙を傷つけたくない。
「俺がうなされていたら放っといてくれ。また襲われてぇのか?」
本当は遙を抱き締め、あれはただの夢だったのだと、遙はここにいると確かめたいのに。
口を突いて出る言葉は、冷たく突き放す言葉ばかり。
遙はしばらく言葉を探していたが、やがて小さな声で、「ゴメン」と呟いた。
違う。
遙が悪いんじゃねぇ。
こんなのただの八つ当たりだ。
深い溜め息を吐こうと、息を吸うと、空気がやけに喉を刺激して、俺は激しく咳込んだ。
「政宗、大丈夫?」
遙は俺の背中をさすり、そして手を止めた。
いまだ、涙の跡の残る顔を見られたくなくて背を向ける俺の額に、遙の少し冷たい手があてがわれる。
「政宗、熱があるよ。ちょっと待ってて」
少し慌てたように遙は部屋を出て行った。
その間に、俺は枕の上に敷かれていたタオルで目元と頬を拭った。
すぐに遙は戻って来て、手に小さな棒のようなものを持っている。
「口開けて。これは体温計。これを咥えて、舌の裏に固定して。体温測るの。すぐに終わるから我慢してね」
そう言う遙の笑みは至極優しい。
昨日泣いていた事などまるで嘘のようだ。
体温を測っている間、遙は俺をあやすように、何度もゆっくりと俺の頭を撫でる。
このまま遙の優しさに溺れてしまいたい。
酷く心地よくて、このまま遙に甘えてしまいたい。
触れられる度、想いが溢れ出して、本当の気持ちを告げたくなる。
好きだ。
愛している。
そう強く思うと、先程の夢がフラッシュバックしてくる。
独りぼっちで泣いていた遙。
そして、短刀を喉に突き立てる遙。
あの喪失感と絶望感を思い出して、俺は身震いした。
どう足掻いても、俺は遙を置いていかなくてはならない。
俺が想いを告げて、俺達が結ばれたら、独り残された遙は独り涙に暮れて、そして、命を絶ってしまうかも知れない。
俺はこの気持ちを知られてはならない。
固く目を閉じると、体温計がピピッと音を立てた。
遙は俺の口からそれを抜き取ると、軽く眉間に皺を寄せた。
「38度8分。随分熱があるね。困ったな。かなり頭が痛むでしょう?」
俺は小さく頷いた。
「食欲は?」
身体が怠くて何も食べる気がしない。
俺は首を横に振った。
「少し食べないと薬が飲めないから、お雑炊作ってくるね。この部屋暑いね。身体に熱が籠っちゃうからリビングに行こう」
華奢な身体のどこにそんな力があるのか、遙は横たわる俺の身体を軽々と抱き起こした。
久々に触れる温もりに、安らぎと、ときめきが胸の奥に広がっていく。
もう一度、遙を強く抱き締めたい…。
一線を超えたら戻って来られなくなる。
それは分かっているのに、俺の意思とは裏腹に、熱で力の入らない身体を預けるようにして遙を抱き締めた。
とても温かい。
微かに香る花の香り。
俺は胸一杯にその香りを吸い込んだ。
風邪が治ったら、俺はまた遙から距離を置かなくてはならない。
だから、今だけは遙の温もりを、香りを、この腕に閉じ込めておきたかった。
遙は驚いたように身を強張らせた後、俺の背中におずおずと腕を回し、そしてそっと俺を抱き締めた。
熱で弱っている俺を慰めるだけの行為だったとしても。
再び遙の優しい温もりに包まれて、ただただ嬉しかった。
ずっとこのまま遙に抱き締めていて欲しい。
それは叶わぬ夢だけど。
そう願わずにいられなかった。
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