禁じられた想い -3-

やがて遙は俺の胸に腕を着いて身体を離すと、俺の方を見ようとしないまま、リビングへと促した。
涼しいリビングの床に座り込み、遙がベッドメイキングする様子をぼんやりと眺める。
遙は終始無言で、小さな背中が何だか遠くに見えた。

俺が抱き締めたから怒っているのか。
俺が消えてしまっても消えてしまわなくても、俺の想いは遙に届かない。
そう言われているような気がした。
遙を泣かせないで済む。
そんな事をぼんやりと思ってホッとすると同時に。
初めて味わう失恋に俺は打ちのめされた。

この想いは決して遙には届かない…。
でも、届かない想いでも、想うくらい許されるだろう?

俺は怠い身体を壁に預け、ズキズキと痛む額を手で押さえた。


「政宗、とりあえず横になって待ってて。今から食事の支度するから」
「食欲がねぇ。寝てれば治るから、俺の事は気にするな」

遙のベッドに潜り込みながらそう言うと、遙は怒ったような哀しそうな表情で振り向いた。

「薬飲まないと長引くよ。政宗を心配したらいけない?」

いつもよりもキツい口調に思わず口を噤む。

「悪ぃ」

タオルケットを口許まで引き上げてそう言うと、遙は少しだけ表情を緩めて軽く頷くと、俺に背を向けて食事の支度を始めた。

ベッドに横たわりながら遙の後ろ姿をそっと盗み見る。
手際よく野菜を刻む音が聞こえる。
初めて遙と出かけた日、遙と並んで料理をした事を思い出す。
あの頃は楽しかった。
お互いの想いなんて考えずにただ笑っていられた。

俺達はどこで間違ってしまったんだ?
俺は遙への想いに気付かない方が良かったのか?

じっと遙の後ろ姿を見つめていると、胸の奥から愛しいという感情が沸き上がって来る。

苦しいのに。
切ないのに。
温かい。

遙を想うだけで、こんなにも温かく優しい気持ちになれる。
ドキドキと高鳴る胸の辺りをギュッと掴む。

やっぱり俺にはこの気持ちを捨てる事なんて出来ねぇ。
報われない想いなのに。
こんなにも苦しいのに。
でも、遙を想うだけでこんなにも幸せな気持ちになれる。
そう、届かない想いなのに、この痛みすら甘くて。
遙への想いをずっと抱いていたいんだ。
忘れたくねぇんだ。
だから、絶対に困らせないから、もう少しこのまま好きでいてもいいだろう?


やがて、部屋には出汁の良い香りがふわりと漂い、雑炊のよそられた椀をお盆に乗せて遙はやって来た。

「政宗、起きられる?」
「ああ」

返事をして、身体をベッドから起こそうとしたが、怠くて身体が思うように動かない。
やっとの思いで身体を起こして、ベッドのヘッドボードに背中を預けて座った。
頭がズキズキと痛む。
吐息が酷く熱い。

「随分辛そうだね…」

遙は盆を床に置き、汗で額に張り付いた俺の髪をそっとかき上げた。

「うん、やっぱり熱いね。さっきよりも熱いかも。早く薬飲まなきゃ」

遙は俺の膝の上に盆を乗せた。
レンゲで雑炊を掬い、口に運ぶ。
出汁と玉子、大根、ネギ、キノコのシンプルな雑炊。
素材の味が生かされていて美味い。
昔、俺が熱を出した時に、小十郎が作ってくれた粥を思い出す。

「美味いな」
「良かった。食べられそう?」

正直、腕を動かす事すら怠くて難儀だ。

「美味いけど、身体が怠くてこうして身体を起こしているのが精一杯だ。情けねぇ」

力なく笑うと、遙はレンゲを持った俺の手に白く小さな手を重ねた。

「身体が怠くて辛いんでしょう?食べさせて上げるから、あともう三口食べて?」

俺の手からレンゲを取り上げると、息を吹き掛け、冷ましてから俺の口に運ぶ。
城にいた頃、病に臥せって、侍女にこうして食べさせてもらった事があった。
あの時は、ただ自分の腑甲斐なさに腹が立ったものだった。
俺が一口食べる度、遙はホッとしたように嬉しそうに笑う。
雑炊を冷ますために息を吹き掛ける仕草にすら見蕩れる。
長い睫毛が伏せられて、とても綺麗だ。
この瞬間が酷く愛しい。

椀の中の雑炊を平らげると、遙は盆を下げた。
そして、盆に、水の入ったグラスと薬とタオルに包まれた何かを乗せて戻って来た。

「熱冷ましと咳止めと抗生物質。毎食後必ず飲んでね」

錠剤は飲めたが、粉薬は酷く苦くて俺は顔をしかめた。

「Damn!これ、半端なく不味いな」
「うん、知ってる。これ、私のお母さんのオリジナルの調剤なの」
「遙の母上の?」
「うん。効き目は私が保証するよ。すごく不味いけど、よく効くの。さあ、これで頭を冷やして眠って」

遙は俺の額にタオルで包まれたものを乗せた。
氷が入っているのか、ひんやりとして気持ちいい。

「じゃあ、政宗はこのまま眠って。私は奥の書斎で勉強してくるから」

遠ざかる遙の気配を思わず咄嗟に俺は引き止めた。
少し額からずれてしまった、氷嚢を包んだタオルの向こう側に遙の少し驚いたような表情が見える。

「どうしたの?」

少し困惑したように、掴まれた手首と俺を交互に見つめて遙が問う。

心細いからそばにいてくれなんて、情けなくて言えなくて。
俺は黙って遙の手首を力任せに引いた。
倒れ込むようにして、遙は俺の腕の中にすっぽりと収まった。
遙の温かい身体を久々にこうして抱き締めて、言い様のない安らぎが胸の中に広がっていく。
全ては病のせいにしてしまえばいい。
もうこうして触れられないと思うと、この温もりが尊くて。切なくて。
抱き締める腕に力が籠る。

遙は落ち着かないのか、少し居心地悪そうに、身動ぎをする。
息をしばらく殺していたが、やがてようやく口を開いた。

「私は誰かの代わり…?」

呟かれた言葉は酷く寂しそうだった。

違う!
誰かの代わりなんかじゃねぇ!!
お前だけが…。
お前だけが好きなんだ。
愛して…いるんだ…。

そう答えたかったのに。
脳裏に浮かぶのは、遙が刃を喉に突き立てる瞬間。
血の気が失せるほどの喪失感。
遙に命を絶つくらいに寂しい思いはさせられねぇ。
俺は…俺の想いは知られてはならない。

別れる時、そっと打ち明けるから。
だから、それまでは、この想いは絶対に知られる訳にはいかねぇんだ。

俺は何も答えられず、ただ遙を抱き締めた。
遙を見下ろすと、不安げな遙の視線と交錯する。
やがて溜め息を吐くと、遙は寂しそうな笑みを浮かべた。

「いいよ、誰かの代わりでも。政宗、心細いんだね。無理もないよ。ここは政宗のいるべき所じゃないから」

そう。俺はirregularの存在。
ここにいるべき存在ではない。
決して遙とは結ばれない。

それは分かっているのに、想いは止められなくて。
腕の中の温もりが愛しくて。
ずっとこの温もりを抱き締めていたくて。
俺は掠めるようなkissを遙の唇に落として、遙をキツく抱き締めた。

病で乱心している。
そう思ってくれて構わない。
だから今だけ。
今だけは俺の腕の中にいてくれ。
病が治ったら今まで通りの俺に戻るから。

遙は驚いたように身を強張らせ、それでも俺の腕を振りほどく事なく、されるがままに俺に抱かれていた。

想いが通じた訳ではなかったけれど。
もう一度抱き締められて嬉しかった。

愛しくて、愛しくて。
届かない想いならいっそこのまま儚くなってしまえばいい。
最期に遙の温もりだけを感じながら、逝けたらどんなに幸せだろう。
切ないほどにそう願った。


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